閑話・赤き竜の軌跡 後編
その日、トリニィアという世界が生まれて以来最大ともいえる戦いが終わった日の夜、魔界の南部にある岩山の上に小柄な赤髪の少女……人化したニーズベルトの姿があった。
ニーズベルトは空に浮かぶ月を眺めながら、ひとり盃を傾けて晩酌を行っていた。
『……珍しいですね。貴女が酒を飲んでいるなんて』
「……付き合うか? エインガナ。今日は我の奢りだ」
『ふむ』
不意に現れた巨大な海竜、同じ四大魔竜であるエインガナはニーズベルトの誘いに一瞬思案するような声を出したあと、身体を一度輝かせた。
すると巨大な影が一瞬で消え、ニーズベルトの隣に藍色の長い髪を風になびかせる美女の姿となって降り立ち、そのままニーズベルトの隣に腰かけた。
「では、お言葉に甘えて」
「ああ」
ニーズベルトは新たに盃を取り出してエインガナに渡し、酒瓶を手に持ってその盃に酒を注いだ。
「……これはまた、ずいぶんよい酒ですね?」
「我の秘蔵の一品だ。なかなか量が手に入らなくてな、竜の姿で飲めばすぐ無くなってしまう……だが、我が戦友に捧げる祝杯だ。コレぐらいの品でなければ釣り合わん」
「戦友?」
「此度の戦いの主役だった男のことだ」
「……ふむ。お知り合いなのですか?」
上品に酒を飲みながら尋ねるエインガナの言葉を聞き、ニーズベルトは軽く首を振ったあと、腰のホルダーからキセルを取り出して咥えながら告げる。
「いや、直接話したことはないな。だが、一時とはいえ同じ方向を向いて共に戦ったのだ」
「だから、戦友ですか? 貴女が誰かのことをそんな風に呼んでいるのは、初めて聞きましたね」
「たしかに、誰かをそう呼んだことはいままでなかったな」
「……ずいぶん彼のことが気に入ったのですね」
咥えていたキセルの先端に火が付き、ニーズベルトは軽く紫煙を口から吐きながら穏やかな口調でエインガナの質問に答えていく。
「……前々からな、一度会ってみたいとは思っていたのだ」
「ふむ」
「最初にマグナウェル様が借りができたと語った際には、その詳細まではわからなかった。しかし、次の一件……魔王に関するものは我の耳にも届いた。大したものだと思ったよ……我らでも手出しは難しかった世界の禁忌に挑み、それを乗り越えた」
彼女は、フレアベル・ニーズベルトという存在は挑戦者たる存在を非常に好み、敬意をもって接する。故に世界の禁忌ともいえる魔王の一件に切り込んだ快人に関しては、前々から興味を持っていた。
「……そして直接その姿を見たのは、六王祭の折だ。戦王様との一戦、観客席から見させてもらった」
「その一戦は私も観戦しました。なるほど……たしかに、言われてみれば、貴女が好みそうな方ですね」
「ああ、特にゴール前の攻防は素晴らしかった。あのように熱い魂を持つ者を、我が嫌う道理などないさ」
「それが、こうして彼の勝利に祝杯を挙げている理由……ですか?」
ニーズベルトの話を聞き、エインガナは少し納得していないような表情を浮かべた。たしかに、挑戦者という存在を好むニーズベルトが快人を気に入る理由は分かる。しかし、それだけで直接会ったこともない快人のことを戦友と呼び、ここまで上機嫌な理由には足りないような気がしたからだった。
そんなエインガナを見て、ニーズベルトは微かに笑みを浮かべたあとで説明を続けようとした。しかし、そのタイミングでふたりの元に影が差し、新たな声が聞こえてきた。
「珍しい光景だな」
「め~ず~ら~し~い~ね~」
「貴公らも付き合うか? さすがにグランディレアスは別の酒になるがな」
新たに姿を見せた四大魔竜のファフニルとグランディレアスにも誘いをかけると、ふたりは一度顔を見合わせたあと、ファフニルは人化しグランディレアスは少しだけ体を屈めた。
巨大な体躯をほこるグランディレアスのために、小さな山ほどもある酒樽を出現させてから、ニーズベルトは手に持っていた盃の酒を飲み干した。
「……古い記憶だ」
夜空に浮かぶ月に視線を向け、どこか穏やかな口調でニーズベルトは語り出す。
「もう、いつのことだったかは覚えてはいない。だが、光景だけははっきりと覚えている。あの時、我という存在が確かな形になった日……我は天を睨み咆哮した。いまは届かぬ高みへ向け、その手を伸ばした。その睨みつけた天がなんだったのかは、いまだ答えは出ない。単に空高くだったのか、それともその時の我にはハッキリと描くことすら出来ぬなにかだったのか……だが、間違いなくその瞬間が我の原点だ」
まるで独り言のように語るニーズベルトに、他の三体は言葉を挟むことは無く静かに耳を傾ける。
「皆、覚えているか? 神界から戻る我らに背を向け、戦友がひとり反対の方向へ駆けていったのを……」
「ええ、それが?」
「その先になにがあったのかは知らない。だが、あの時、我には戦友の背の先に見たのだ。こんな結果を認めてなるものかと伸ばした挑戦者の手が、たしかに天を掴みとるさまを……」
ニーズベルトはそこまで詳しい事情を知っているわけではない。あくまで彼女は六王配下の幹部……マグナウェルの持つ戦力のひとつであり、快人の知り合いではない。
故にあのあとなにがあったかは知らない。ただ、彼女は確信していた。快人が本当の意味でシャローヴァナルに勝利したことを……。
「いまだ己の天というものを見つけられていない我には、羨ましくもあった。しかし、それ以上に誇らしく、己のことのように嬉しかった。いいものを、見せてもらった」
再びキセルを咥えて深く吸い、静かに煙を吐きながら、どこか楽し気に空を見るニーズベルト。その表情はまるで、なにかを期待しているかのようなものだった。
「……我はな、これからが楽しみだ。我が戦友は今日、世界を変えた」
「世界を変えた? どういうことですか?」
「さぁな、詳しくは分からん。ただ、確信している。戦友が天を掴んだ時、この世界はひとつ大きく動いたとな……また、いろいろと世界の風景も変わってくるであろう。それが、どうしようもなく楽しみだ」
微笑みながら告げるニーズベルトの言葉を聞き、他の三体は少々驚いたような表情を浮かべた。そして、代表するようにフェフニルがニーズベルトに向けて口を開いて問いかけた。
「……お前は、『未来を語るのは嫌い』ではなかったか?」
「嫌いというわけではないさ、ただ現在を足掻くのに精一杯な我には、未来を語るだけの余裕がないだけだ」
「ふむ」
「だが、まぁ……こうして酒が入っている時ぐらいは、未来を……『夢』を語っても、かまわんだろう」
そう言って笑うニーズベルトを見て、ファフニルも思わず苦笑を浮かべた。そして、盃に注がれた酒を一口飲む。
「……なるほど、素晴らしい味の酒だな」
「当然だ。我の所有するものの中で『二番目に優れた品』だからな」
「二番目、ですか?」
エインガナが反射的に聞き返すと、ニーズベルトはニッと楽し気な笑みを浮かべたあと、自分の盃に酒を注ぎながら呟いた。
「ああ、一番の酒は、いつか戦友と飲むときまで、取っておくつもりだからな」
楽しげな表情のままで、挑戦を続けてきた竜は未来に想いを馳せながら、心底気に入ったひとりの偉大な挑戦者の勝利に盃を掲げた。
~余談~
・ニーズベルトはマグナウェルを王と認め、しっかりと忠誠を誓っている……が、それはそれとして挑戦すること自体は彼女にとって本能みたいなものなので、いまも『千年に一度』ぐらいのペースでマグナウェルに挑戦しており、竜王配下にとっては一種のお祭り。
・マグナウェルは内心ではニーズベルトを孫娘のように可愛がっており、いまも挑戦するたびに強くなっている彼女の成長を微笑ましく思っている。
・ニーズベルトは戦王配下筆頭であるアグニと非常に仲が良く、親友同士。性格的にも相性が極めていい。
・メギドも向上心溢れるニーズベルトのことは気に入っており、マグナウェルが勧誘していなければメギドが勧誘していた。
・四大魔竜の他3体にとってはトラウマの対象ではあるが、基本的にニーズベルトは真っ直ぐな性格なので、王であるマグナウェルを侮辱する、彼女の仲間を傷つける、身長のことに関して触れるといった明確なNG行動さえとらなければ大丈夫。
・なおニーズベルトに対して喧嘩を売るという行為に関しては、挑戦者がどれだけ格下でも絶賛する上、よほど大事な用事がない限りその場で相手をしてくれる。ニーズベルトに手っ取り早く気に入られる方法は、彼女に挑戦することである。
・面倒見がとてもよく配下にも慕われている。シンフォニア王国の飛竜便(マグナウェルが契約した飛竜便)に配下が出向する際には、シンフォニア王都まで見送りにいったりしている。
 




