閑話・赤き竜の軌跡 前編
筆の進みが遅く、次の話がまだ完成していませんが、あまり長く感覚を開けたくないので閑話で場を繋ぎます。今回は海水浴後に登場予定のニーズベルトのお話です。
ワイバーンという魔物が居る。人界においては、最上位クラスの魔物として知られるが、魔物の多い魔界においては中堅にすら届かない……どちらかと言えば弱い魔物として認識される存在。
見た目は翼竜に近いが、体躯は竜に比べ小さく、知性も低いワイバーンは、強い魔物の代表たる竜種に分類されることはなく、翼持つ獣……翼獣種に分類されていた。
そんななんとも中途半端な魔物ではあったが、肉が良質であり、群れを作るため数も多く、獲物としては中々の人気だった。
そう、ワイバーンという魔物は魔界においては『狩られる側』に位置する弱者と言っていい存在だった。特に弱肉強食と言っていい古代の魔界においては……。
ワイバーンとして生を受けた『彼女』の軌跡もまた、波乱に満ち溢れていた。
なんの偶然か、はたまた運命なのか……彼女が物心ついた時、彼女の居た群れは壊滅の危機を迎えていた。それは当時の魔界においてはなにも珍しいことではない。ワイバーンと比べ圧倒的に強いレッドドラゴンにたまたま見つかり、抗う間もなくワイバーンたちは狩られ……彼女の目の前には数多の同族の死体と、咢を広げた捕食者の姿があった。
強者が弱者を喰らうという自然の摂理……だが、彼女はそれを受け入れることをよしとはしなかった。
生まれて初めての咆哮と共に、彼女は己の何倍もある竜に牙を向いた。こんな終わりを認めてなるものかと、こんなところで終わってなるものかと、圧倒的強者に死力を尽くして挑みかかった。
数えきれないほどの傷を負い、いつ死んでも可笑しくないほどボロボロになりながら……それでも、彼女は『たったいま己が殺した竜の死体』を踏みつけ、天に向かってあらん限りの力で咆哮した。
己が弱者のままでいることが許せない。心の内に宿った小さな炎が燻ったままであることが許せない。己という存在を世界が弱者であると、天に届かぬ存在であると定めるなら……いつかこの燃え盛るように熱い心で、天を焼いて見せると……。
それが、『フレアベル・ニーズベルト』という挑戦者の最古にして始まりの記憶だった。
燃え盛る炎の如き向上心を胸に、彼女は格上の存在に挑み続けた。敗北はすなわち死という、厳しい弱肉強食の世界に身を置きながら、常に己より強い者へ牙を向けた。
全身に傷跡が残るほどに膨大な傷を負い、数えるのも馬鹿らしい程の死線を潜り抜け、幾度となく生死の境を彷徨いながら、それでも彼女は挑戦を続けた。
恐ろしいのは死ではなく、己の身の内で熱く燃え滾る炎が消えてしまうことだと、そう思いながら……。
数多の戦いを潜り抜けた彼女の身体は……返り血に染まったのか、それとも内なる炎が表に出てきたのか……いつしか、燃え盛るような赤へと変色していた。
そして、そのころには彼女は……強者へと立ち位置を変えていた。
それでも彼女は立ち止まることは無く、その後も挑戦を続けていった。そしてその果てに辿り着いたのが、竜種の頂点……竜王マグナウェルの元だった。
当時六王としてクロムエイナの元から独立したばかりだったマグナウェルは、己の配下となりうる存在を探しており、彼女に目を付け勧誘を行った。
その勧誘に対して彼女が求めたのは、『マグナウェルとの戦い』……結果、初めの勧誘から実に100回の戦闘を行い、100戦すべてでマグナウェルに敗れたことで、彼女はマグナウェルを己の王と認め、配下となることを了承した。
そしてその際に、マグナウェルより『ニーズベルト』という名を与えられた。
彼女は……ニーズベルトは、歴史上で初めて『特殊個体に進化したワイバーン』であり、そのことを知ったマグナウェルは驚愕と共に、ニーズベルトが歩んできた道に深く感心した。
そしてそれ以後、翼獣種であるワイバーンに関しても、彼女と同じく赤鱗を得た歴戦のワイバーンに関しては、特例として竜種と認めると定め、その特殊個体のワイバーンに関しては、彼女の名からとって『ニーズヘッグ』という特殊な種族名を与えた。
なお、まったくの余談ではあるが……ニーズベルトより少し前にマグナウェルの配下となり、張り切っていた一匹の竜……後に竜王配下筆頭と呼ばれる黒竜が「マグナウェル様に挑みたくば、まずは私を倒してみよ」と告げた結果、軽くトラウマになるレベルでボコボコにされ、それ以後ニーズベルトとの模擬戦を極端に嫌がるようになったとか……。
ニーズベルトは真っ直ぐな性格をしており、一度王と認めたからにはしっかりとマグナウェルに忠誠を捧げ真面目に働いた。
当初まだまだ配下の数は足りておらず、彼女に与えられたのは各地に存在するマグナウェルが目星をつけた竜種……幹部候補といえる存在たちに、勧誘の言葉を伝達する仕事だった。
そして現在彼女は、切り立った崖の上に翼と一体化した手を組んで直立し、崖の下に広がる海に視線を向けていた。
そして少しすると、その海が淡く光を放ち、響くような声が聞こえてきた。
『……思い上がったものですね。私に配下になれと? 竜の王だかなんだか知りませんが、魔界の海の支配者は私です。誰の下につく気もありません。そもそも、配下だけよこして、直接私の前に顔も出せぬ臆病者ふぜいが、私を配下にしたいなどと片腹痛い。私となにか交渉をしたいのであれば、そのマグナウェルとかいう竜が直接足を運んできなさい』
(……)
それは魔界の海の覇者であるという自負からくる余裕でもあったのだろう。海においては何者にも負けないという自信があるからこその挑発……。
『そも――え? なんで? こんなところに火が……』
そのまま海の底からさらなる言葉を続けようとした海竜だったが、直後に頬を掠めた火球によって言葉は止まった。
それはあり得ないことだった。なにせ海竜は陸からはそれなりに離れた海の底……数千メートルという深さに居るのだ。そんな海竜の元に、火球が届くはずがない。
そう、まるで穴が開くように火球の射線上の水がすべて消し飛んでいるなんて、なにかの見間違えに決まっていると、努めて冷静になろうとした海竜の視線の先で、伝言を持ってきた赤いワイバーンが海に飛び込むのが見えた。
そして……。
『申し訳ありませんでした! 調子に乗りました!? 聞きます! ちゃんと話を聞きますので、どうかご容赦を!?』
ボロボロになった巨大な海竜が海から力尽くで引き上げられ、悲痛な叫びをあげながら文字通り引きずられながらどこかへ連行されていった。
のちに海に戻った彼女は……マグナウェルの配下となったエインガナは、海の底で涙声で呟いた。
『……あの赤いワイバーン……強すぎて、マジ怖い』
似たような出来事は別の場所でも起こっていた。
それはマグナウェルにこそ届かないものの、並の竜……いや生物とは一線を隔す巨大な体躯を持つヘルグラウンドドラゴン……地竜の勧誘に赴いた際のことだった。
『な~る~ほ~ど~ね~。は~な~し~は~わ~か~っ~た~よ~。ぼ~く~も~ぼ~く~よ~り~お~お~き~い~っ~て~う~わ~さ~の~りゅ~う~に~は~きょ~う~み~が~あ~る~し~は~な~し~を~き~き~に~い~く~よ~』
(……)
凄まじく遅く間延びした口調で話す地竜の言葉を腕を組んで静かに聞いていたニーズベルトだったが、次の一言でその表情が変わることになった。
『け~ど~き~み~が~か~ん~ぶ~な~の~? ど~お~し~て~こ~ん~な~チ~ビ~りゅ~を~か~ん~ぶ~な~ん~か~に~し~て~る~ん~だ~ろ~う~ね~?』
(……)
地竜は魔物の中に一定数存在する体格主義者……すなわち、体の大きな者こそ強いという考えの持ち主だった。竜種はその全長によって、小型、中型、大型、超大型に分けられるが……元がワイバーンであるニーズベルトの全長は4m80cmであり……『小型種』に分類される。
ちなみに彼女以外の幹部、ファフニルもエインガナも、そして当然マグナウェルも超大型種であり、さらに配下内で上位の力を持つのは軒並み大型種か超大型種ということもあって……正直、彼女はそのことをもの凄く気にしていた。
その話題に迂闊にも触れ、さらには見下すような発言をした地竜は……後にグランディレアスと呼ばれる存在は、それはもう凄まじいトラウマを植え付けられ、以後二度と他者の体躯について言及することは無くなった。
なお、しばらくはワイバーンそのものにさえ怯えていた彼だったが、のちに『おかしい強さなのはアイツだけ』という結論に達し、ワイバーンに対する苦手意識に関しては克服することができたとか……。
四大魔竜のうち三匹のトラウマ
ファフニル
赤ん坊みたいに小さい(ファフニル視点)ワイバーンが、無礼にも竜の王に喧嘩を売っていたので、配下としての初仕事だと勇んだら……クッソ強くて、ボコボコにされた。もう二度と戦いたくない。
エインガナ
六王だか何だか知らないが色が違うだけのワイバーンなんて下等な魔物を使いによこすとか、完璧に舐められていると思ったので、魔界の海の支配者として強気な態度で対応した。
……いまは後悔してる。本当に後悔してる。
グランディレアス
わりと魔物にはよくいるサイズ主義者だったのだが、言った相手が悪かった上に、完全に地雷だったせいでエゲつないほどのトラウマを刻み込まれた。
今でもたまに思い出して身震いする。




