閑話・極北星~死王配下筆頭~
長い鍛錬の末、ついに伯爵級の力へとたどり着いたポラリスの心は歓喜に満ち溢れていた。かつてとは比べるのも馬鹿らしいほどに能力は上がり、先だって六王幹部のひとりであるイプシロンとも引き分けた。
これでようやく、死王アイシスの配下となっても恥ずかしくないだけの力を得ることができたと……ようやく、焦がれ続けた恩人に仕えることができるのだと喜んでいた。
しかし、その喜びはすぐに別の感情に変わることになった。
ポラリスは長年の鍛錬の末に元々持っていた力を開花させており、『己の行動による結果』を先に知ることができる限定的な未来視の力を得ていた。
故に彼女は事前にその力を用いて、ちゃんとアイシスの配下となれるかどうか己の行く末を調べてみた。
「……なん……で……」
だが、見えた未来は決して彼女の望むものでは無かった。ポラリスがアイシスの配下になろうと行動した先に待つ結果は……『アイシスが涙を流し彼女を拒絶する』というものだった。
この時点でアイシスは、まだ己を無条件に受け入れてくれる相手……快人に巡り合っておらず、その心には配下を受け入れるような余裕はなかった。しかし、ポラリスにはソレを知るすべはない。
ポラリスは『結果』を見ることはできても『過程』を見ることはできない。故に彼女には『なぜそうなるのか』が分からなかった。
大恩あるアイシスを悲しませてしまう未来など彼女にとって許容できるものでは無く、彼女は必死に原因を考えた。
まだ力が足りないのかと思い、いままで以上に鍛錬に力を入れた。
力以外が足りないのかもしれないと、いままでは鍛えていなかった別の能力も鍛えた。
方法が間違っている可能性もあると、前提となる『己の行動』に関して、思いつく限りの方法を考えその先に待つ結果を調べた。
しかし、結果は変わなかった。数百年が経った頃には、完全に手詰まりとなった。その結果、ポラリスは昼は引き続き鍛錬を行い、夜は思いつくすべての己の行動パターンの結果を未来視によって見るという日々を繰り返すようになった。
己にできるすべてを実行しながら、変わらぬ未来に焦燥感を抱きつつ、それでも揺るがぬ夢を持ち続けて日々を過ごした。
そしてイプシロンとの戦いから三千年、彼女が鍛錬を始めてから実に一万八千年という月日が流れたある日――唐突に見える未来が変化した。
いままではアイシスが涙を浮かべて己を拒絶するという結果が見えていたが、ある日を境にそれが……『申し訳なさそうな表情でポラリスが配下になろうとするのを断る』という結果に変わった。
結果だけを見るなら、変化した未来でもポラリスはアイシスの配下にはなれていないままだ。しかし、未来視で見えるアイシスの表情はかなり変化しており、拒絶というよりは遠慮といった風に感じられた。
そして少し経つと、六王と懇意にしている異世界人の噂が聞こえてきた。あまり多いとは言えない伝手を使って情報を集めて見ると、どうやらその異世界人のおかげでアイシスに変化が訪れたようだった。
ポラリスはそっと心の中で名も知らぬ異世界人に感謝しつつ、再び必死にアイシスの配下になれる未来を探し始めた。
そして数か月が経った時、ついにその未来を見つけることができた。
ポラリスが『この無人島で待つ』という行動の先の結果において、『灰と黒のツートンカラーの少女と共に』アイシスの配下となっている未来を見つけることができた。
その少女が何者かは分からない。そういった容姿の実力者の話を聞いた覚えもない。噂の異世界人は男性という話なので、それとはまた別……だが、そんなことは些細な問題だった。
ようやく望み続けたアイシスの配下になれるという未来が見つかったのだ。ポラリスの心には歓喜の嵐が吹き荒れていた。
そして逸る気持ちを必死に抑え続けながら、いままでで一番長く感じる二年を過ごしたあとで……ついに待ち続けた相手は訪れた。
アリスからポラリスの情報を得たイリスが、勧誘のために彼女がいるという無人島を訪れたのは、星が煌めく夜のことだった。
というのもアリスからの情報でポラリスが昼に鍛錬を行い、夜に星を見ているという情報を得ていたため、話をするのであれば夜が適しているだろうと考えたからだった。
奇しくもポラリスの通り名『星見の魔女』に相応しい満天の星空の元、無人島を訪れたイリスはその中央に佇んでいたポラリスを見つけ声をかけた。
「……星見の魔女ポラリス、で間違いはないか? 我はイリス・イルミナス……まずは突然の来訪を侘び――むっ!?」
「……」
話している途中でイリスは驚愕の表情を浮かべて言葉を止めた。その理由は単純だ……イリスの方に振り返ったポラリスが、感極まったような表情で大粒の涙を流していたから……。
「……あぁ、ようやく……ようやくだ……やっと……私の時は満ちた」
呟くように告げるその言葉を聞き、イリスの脳裏には以前のアリスとの会話が蘇っていた。ポラリスが零していたという「まだ時が満ちない」という言葉。そして現在のポラリスの様子と、満ちたという言葉から、己がここを訪れたことでなんらかの条件を満たしたというのは推測できた。
そんなイリスに向けて、ポラリスは言葉を続けた。
「……君がここを訪れるのを待っていた」
「ふむ、それは占い、あるいは未来視に準ずる力によるものと解釈しても構わないか?」
「あぁ、その認識で間違いないよ。私には己の行動の末に訪れる結果を視れる限定的な未来視の力がある。それによるものだね。まぁ、詳しい説明は後ほどにさせてくれ……それよりもまずは先に、連れて行ってくれ……あの方の……アイシス・レムナント様の元へ」
「……」
ポラリスの言葉を聞いたイリスは少々怪訝そうな表情を浮かべて思考する。ここに来るまでは、多くの勧誘を断り続けているポラリスをどう説得するかとそんなことを考えていたが……状況は彼女が予想していたものとは大きく違っていた。
ならば己はどうするべきか、ほんの僅かな時間沈黙したあとで、イリスは静かに告げた。
「……待ち切れんという意思は伝わってきた。であれば、我の方からの問いも必要最低限としよう。アイシス様に対する害意は?」
「一片もない!」
「よかろう、その言葉信じよう」
聞きたいことは山ほどあったが、ポラリスの様子を見る限りここでゆっくり話をするのは難しそうだとそう判断した。その上でイリスは、アイシスの配下として確認すべき最低限の質問だけを行った。
そしてそれに対する返答……イリスは元々他者の感情の機微には鋭く、洞察力も高い。そんな彼女の目から見て、ポラリスは嘘を言っているようには見えなかった。むしろ言葉の節々から、アイシスに対する深い敬意を感じていた。
本当に考えていたのとは違う展開になったと、そんな風に思いながら、イリスはポラリスを連れてアイシスの居城へと転移した。
アイシスの城に戻ってきたイリスは、そのままポラリスを連れてアイシスが居るであろう書斎へと向かう。
城についてからポラリスは緊張しているのか、真剣な表情で一言も発することはなく、両者はそのまま無言で書斎の前までたどり着く。
そしてイリスが、扉を数回ノックして中に入ると、すぐにいつも通り本を読んでいるアイシスの姿が見えた。アイシスはイリスとポラリスが入室すると顔を上げ、イリスの方を向いて微笑みを浮かべた。
「……おかえり……イリス……そっちの子は……イリスの……知り合い?」
当然のことではあるが、アイシスはイリスが転移してきた瞬間からポラリスの存在には気付いていた。大きな力を持っていることも分かっていたが、イリスが連れてきたのなら問題ないだろうと特に来訪の目的を尋ねることはなかった。
「ただいま戻りました。それで、えっと、彼女は……」
アイシスの言葉に答えながら、イリスはさてどうしたものかと考えていた。なにせイリスもポラリスがなぜここに来たがったのかは知らないのだ。
そのことを説明するのは難しく、どう話を持っていこうかと思案していると……イリスが言葉を続けるより先に、ポラリスが行動を起こした。
「アイシス様!」
「……ど、どうしたの?」
ポラリスは叫ぶようにアイシスの名前を呼んだかと思うと、一歩前に出てすぐ膝を折り、勢いよく頭を下げた。まさに地に頭を擦り付けると言ってもいいその姿に、アイシスはもちろんイリスも驚愕の表情を浮かべた。
「私は! 一万八千年ほど前に貴女様に命を救われたウィッチです!」
「……え?」
「命を救われるという大恩を受けておきながら、ロクに礼の言葉さえ告げずに逃げ去った……救いようのない愚か者です! こうして、再びお会いできる日を心待ちにしておりました!!」
「……」
「あの時の無礼、そしてこうして伺うことが遅くなった不敬、まずはお詫びさせてください! 申し訳ありませんでした!!」
被っていた帽子を投げ捨て、とめどなく涙を流しながら何度もアイシスに頭を下げるポラリス。その姿を見てアイシスは戸惑ったような表情を浮かべながら、何度かポラリスとイリスに視線を動かしていた。
「……一万八千年前……ウィッチ……えと……魔物に襲われてた子……かな?」
「ッ!? は、はい! その通りです! 私がいまこうして、生きていられるのは、すべて貴女様のおかげです……本当に、本当に、ありがとうございました!」
「……う、うん……そっか……あの時の……すごく立派に成長してて……すぐにはわからなかった……けど……うん……わざわざ会いに来てくれて……お礼を言ってくれて……嬉しい……こっちこそ……ありがとう」
アイシスがそう言って穏やかに微笑むと、ポラリスは感極まったように片手で目元を抑え泣き続けた。
正直なところ、アイシスはかつてのポラリスの反応に文句などなにもなかった。彼女にとってはああして他者に逃げられるのはいつものことであり、よくある光景でしかなかった。
ただこうして、ポラリスがわざわざ自分を訪ね、お礼を言ってくれたのは本当に嬉しかった。
ポラリスはそのまましばらく泣き続け、少し経って落ち着いてから赤くなった目をアイシスに向けて口を開いた。
「……死王アイシス・レムナント様。本日は謝罪とお礼の他に、貴女様にお願いがあって参りました」
「……お願い?」
「はい。私はアイシス様に救われたこの命を、アイシス様のために使いたいとずっと願っていました。結果、貴女様の配下として相応しいだけの力を得るのに時間がかかり、こうしてお訪ねするのが遅くなってしまったが……どうか、私を……貴女様の配下に加えていただけないでしょうか?」
「……え? え? ……配下? ……私の?」
「はい!」
「……あっ……えっと……それは嬉しい……けど……」
配下になりたいというポラリスの言葉を聞き、アイシスは戸惑ったような表情を浮かべ、チラリとイリスの方を見た。
その視線でアイシスの迷いに気付いたイリスは、微かに笑みを浮かべつつアイシスの背中を押す。
「よいのではないでしょうか? 本人の意思で希望しているわけですし、アイシス様の配下になるということの意味は十二分に理解しているでしょう。こうして普通に会話できているところを見れば、死の魔力への対応も問題ないかと」
「……うん……そう……だね……じゃあ……えっと……」
「ポラリスと申します」
「……それじゃあ……ポラリス……これから……よろしくね」
「~~!?!? はい!!」
こうして一万八千年という月日、才能という壁に挑み続けた少女の努力は報われ、彼女は無事に望んだ王の配下となることができた。
これでめでたしめでたし――には、残念ながらまだほんの少しだけ早かった。
「……わざわざすまないね。イリス・イルミナス殿」
「構わんが、用件はなんだ? 我も暇を持て余しているというわけではないのでな」
ポラリスがアイシスの配下となってから少し経ち、アイシスが恋人である快人と海水浴に出かけた日……イリスはポラリスに呼び出されて、彼女が住んでいた無人島にやってきていた。
「いや、それほど大した用件でもないのだがね。少し確認しておきたいんだ。私と君は現状ではふたりだけのアイシス様の配下ではあるわけだが……君が『死王配下筆頭』という認識で、間違いはないかな?」
「……ふむ、『不服』だと、そう言いたいのか?」
「いや、君が死王配下筆頭であることに関して文句などはないさ。誰が筆頭かは主たるアイシス様が決めることだ。そして、アイシス様にとって、最も信頼する配下筆頭が誰かというのは、普段の様子を見ていれば理解できる」
「で、結局なにが言いたいのだ?」
どこか回りくどい言い回しをするポラリスの言葉に、イリスは腕を組んで聞き返す。ポラリスの表情は微笑んでいると呼べるものであり、それはどこか挑発しているようにも見えた。
「いやなに、君が筆頭であると言うことは、今後君が私に指示を出すという場面も増えてくるだろう。となると、己の上司ともいえる相手の実力を知っておきたいというのは、別におかしなことではないだろう? なので少し模擬戦に付き合ってほしいと思ってね。なに、ほんの軽い手合わせだよ」
「……なるほどな。別に構わんぞ」
「それはありがたい。あぁ。安心しくれてたまえ、別に勝ち負けでなにかがあるわけでもない。あくまで互いを知るためのレクリエーションのようなものさ」
「レクリエーションか……ふふふ……ハッキリ言ったらどうだ? 『自分が筆頭でないのが気に入らない』とな」
まるで煽るように告げるポラリスに対し、イリスも不敵な笑みを浮かべおそらく今回の核心であろう部分を指摘した。
すると、ポラリスの表情から一瞬だけ笑みが消えた。
「……まぁ、『なぜ私ではないのか』という気持ちがまったくないと言えば、嘘になるね。とはいえ、これは個人的な感傷さ。今回の目的は本当に君の実力が知りたいと、それだけだよ。なにせ、君はよく分からない……私は別に情報通というわけではないが、イリス・イルミナスという実力者の名前には聞き覚えが無くてね。少し君の実力に疑問があるのさ」
ポラリスの言葉は本心である。たしかにアイシスの一番の配下になりたかったという気持ちはある。しかしそれ以上に、目の前のイリスという謎の存在が、本当にアイシスの配下に相応しい実力を持っているのか……それが気になっていた。
そんなポラリスの心の内を知ってか知らずか、イリスは笑みを深めながら静かに告げた。
「……貴様でいいぞ?」
「うん? なにがかな?」
「この模擬戦で、貴様が我に勝利したのなら、死王配下筆頭は貴様でいいと言っている。アイシス様には我から話を通そう」
「……へぇ、それはそれは、願ってもないことだけど……いいのかい?」
「あぁ、その方がやる気が出るであろう? ついでにもうひとつ、サービスだ」
そう告げながらイリスが軽く指を弾くと、空中に巨大な時計のメモリと針が出現した。
「先に述べたが、我も暇ではないのでな、模擬戦の時間は『三十分』としよう。そして……その三十分が過ぎた時、貴様が『立っていられたなら』、戦いは貴様の『勝ち』でかまわない」
「……おやおや、なんとも凄い自信だね。それとも、私は見くびられていたりするのかな?」
「ふっ……」
ピクリと眉を動かしたポラリスを見て、もう一度不敵に微笑んだあと、イリスは少しポラリスから距離を取って腕を組んだままで告げる。
「ずいぶんと手酷い敗北を経験したのでな……」
「うん?」
「おかげで、『この世で一番頭を下げたくない相手』に頭を下げて教えを乞うことになってしまった。だが、おかげで十二分に牙は研ぎ直せた」
「……」
「故にあえて告げておこうか……我は、死王配下筆頭イリス・イルミナス。挑むつもりならば――貴様のすべてを振り絞ってかかってこい!」
「……上等」
こうして、無人島を舞台に……後にそれぞれ『黒暴星』『極北星』と呼ばれるようになるふたりが、ぶつかり合った。
ポラリス編はあと一話で終了で、そのあとは海水浴に戻ります。
~現在の強さ~
・ポラリス 伯爵級最上位の中では中の上ぐらい。相当強い。
・イリス アリスちゃんの本気の指導+アイシスからの過保護気味な指導を受け超絶強化済み。すでに『火力』という一点のみならパンドラを越えかけており、伯爵級火力最強に片手をかけている。




