閑話・極北星~凡才の超越者~
少女……ポラリスはすべてを捨てて己を鍛え上げると決めてから、魔界の北部、死の大地にほど近い無人島に必要最低限のものだけを持って住み着いた。
死の大地に近いその島に大半の生物は寄り付かず、自己鍛錬を行う上での環境は良い。そしてすぐ近くにアイシスが治める死の大地があるというのも、彼女自身のモチベーションにも繋がる。
いまのポラリスには、死の大地に踏み入るだけの力は無い。だが、それは『いま』の話であり『未来』の話ではない。そう、己自身に言い聞かせながら彼女の才能への挑戦は始まった。
鍛錬を始めてポラリスが最初に行ったのは……治癒魔法の習得だった。あまり才能に恵まれているとは言えない彼女に高度な治癒魔法は難しく、数年かけてかろうじて下級の治癒魔法をいくつか使えるようになった程度だった。
だが、それでようやく準備が整い、ポラリスは本格的に鍛錬を開始した。
彼女が行った鍛錬方法は単純だった……『壊れるまで不眠不休で肉体の鍛錬を続け』、『壊れた肉体を治癒魔法で修復する』と彼女はソレをひたすら繰り返した。まずなにより基礎能力が必要だと考えたから……。
その鍛錬はとても馬鹿げたもので、他者から見れば狂っているとしか思えないような内容だった。
全身に魔力で負荷をかけ、比喩ではなく『腕が千切れるまで』全力で拳を振り続け、千切れたなら『完治するまで』下級治癒魔法を発動させ続け、同時に今度は『足が壊れるまで』足を振るう。
そんな馬鹿げた鍛錬をポラリスはひたすらに繰り返した。何年も、何十年も、何百年も、何千年も……愚直に繰り返し続けた。
才能の限界……それに打ちのめされた者は星の数ほど存在するだろう。持たざる者にとってそびえ立つ壁は天を突くほど高く、呆れるほどに硬い。そして仮に苦労してそれを乗り越えたとしても、ほとんど間を置かずにさらに高い壁が立ちふさがる。
その果てなき道に足を止め、膝をついた場所こそが……その者にとっての限界点となるだろう。
だが彼女は、ポラリスは違う……彼女は多くの者が膝をつき心を折った壁に向けて、躊躇なく拳を叩き込んだ。骨が折れ、皮膚が破れ、文字通り血反吐をまき散らしながら……それでもタダひたすらに拳を壁に叩きつけた。
そんなくだらないもので私の道を遮るんじゃないとでも言いたげに、壊れぬ壁に拳を振るい続けた。
それはとても地味で成果を実感できない鍛錬だった。肉体が壊れ治癒魔法によって修復される際に、ほんの少しずつ魔力によって彼女の体は変化していた。しかしそれは本当に微細なものだ。
全身くまなく壊れ、ソレを修復しきってようやく……『肉体の基礎性能が0.1程度上がるかもしれない』。
腕を鍛えるためにただひたすら紙に『あ』を言う文字を時間の許す限り書き続けなさいと言われ、それを延々と続けられるものがどれだけ存在するだろうか?
一分なら余裕だろう、十分でもまだ大丈夫だろう、一時間となれば苦痛から脱落する者も出てくるだろう。それを十時間続けることができる者は少ないだろう。
なら、一日なら? 一ヶ月なら? 一年なら? 十年なら? 果たしてそれを行い続けることができる者が存在するだろうか?
腕を鍛えたいのならほかにいくらでも効率的な方法があるはずなのに、そんな砂粒を積み重ねるような鍛錬を行い続けることができるだろうか?
彼女には、ポラリスには……それが行えた。十年経ってもロクな成果は得られず、百年経っても強くなったという実感は得られず、千年を超えても才能の壁が壊れる気配などない。
だがそれでもポラリスは立ち止まることなく同じ鍛錬を繰り返した。それは狂気と呼べる執念……綺麗な言葉を並べるなら、彼女が持ちえた唯一にして最大の才能は、その精神性……努力を続けることができることだったのかもしれない。
食事も睡眠もとることはなく、鍛錬を続ける日々……小さな変化は少しずつだが、確実に積み上がりはじめていた。
千年が過ぎた頃、鍛錬を続けながら同時に治癒魔法を維持し続けることが可能になってきた。
二千年が過ぎた頃、鍛錬だけでは肉体がなかなか壊れなくなったので、下級の攻撃魔法を覚え、己の体に向けて発動し、耐久力も合わせて鍛えるようになった。
三千年が過ぎた頃、治癒魔法だけでは魔力の消費が困難となり、無人島に強力な結界魔法を張り続けて魔力を消費するようになった。
四千年が過ぎた頃、ようやく高位魔族と呼ばれる領域にまで魔力が増加した。
五千年が過ぎた頃、少しずつ振るう拳から音が遅れるようになった。
六千年が過ぎた頃、強く踏み込むと地面がひび割れるようになり、足元にも結界が必要になった。
七千年が過ぎた頃、複数の結界を全力で発動し、己に向けて無数の攻撃魔法を放ちながら、それでも魔力が切れなくなってきた。
そして、八千年が過ぎた頃……幻王配下がポラリスの力が『男爵級高位魔族』の基準を満たしたことを伝えにきた。
八千年休むことなく狂気と呼べるレベルの鍛錬を続け、ついに彼女は……ポラリスは才能の壁を打ち砕いた。だが、ポラリスはそのことになんの感情も抱くことなく、鍛錬を再開した。
魔界に存在する多くの者たちが憧れる爵位級高位魔族という称号……だから、どうしたというのだろうか……ポラリスが求めているのはそんなものでは無い。
たしかに爵位級にはなれたことで、その気になればかつて伝えられなかった礼と謝罪の言葉をアイシスに伝えることはできるかもしれない。
だが、もう今は前提が違う。彼女は捧げると誓ったのだ。救われた己の命をすべて余すことなく、優しくも悲しい目をした死の王に捧げると……ならば、こんな程度の場所で立ち止まることなどできるはずもない。
彼女は、ポラリスは、いまは暗き月に手を伸ばした。アイシスに仕える未来を願った……だから、それ以外は必要ない。
たしかにひとつ才能の壁は砕けたのかもしれない。だがまだ、砕かなければならない壁はいくつも存在している。
青き魔力の軌跡を描き巨大な薙刀が振るわれ、白いローブに同色のとんがり帽子を被った女性の首を捉える。金属がぶつかり合うかのような音が響き、薙刀は弾かれ女性の首には微かな切り傷が現れたが、ソレも一瞬のうちに消えてなくなる。
その光景に感心したような表情を浮かべつつ薙刀を持った女性……戦王五将が一角、絶氷のイプシロンは一度攻撃の手を止めて口を開いた。
「我が刃がロクに通らぬとは、見事な強度……さぞ強力な防御魔法だとは思うが、隠蔽が上手いのか? 術式がよく分からない」
そのイプシロンの言葉を聞いて、魔法使い風の見た目の女性……ポラリスは少しバツが悪そうに頬をかいた。
「…‥あ~いや、お褒めいただいて光栄ではあるのだがね。いやはや、なんといったものか……せっかく評価いただいたのに申し訳ないが『間に合ってない』ので、どうにも素直に受け取れないね」
「うん? 間に合っていない?」
「いや……まぁ、早い話が……防御魔法は使ってないというわけだ。いや、もちろん常時発動の魔力障壁ぐらいは纏っているが……」
「……なに?」
「いや、別に手加減しているわけじゃないんだ。気を悪くしないでくれ……なにぶん、ここ『一万五千年』ほどまともに戦闘を経験していなくてね。発動しようとは思ってるんだが、攻撃が早すぎて間に合わないんだよ。いやはや、実戦経験の必要性を感じてしまうね」
苦笑を浮かべるポラリスは嘘を付いている様子はなく、その言葉は間違いなく事実だろう。だが、それが事実だとするなら……。
「つまり、『ほぼ生身』と言っていい状態で、我が刃を受けていたと……驚いたな」
イプシロンの持つ薙刀は、彼女の魔力を高密度で圧縮し物質化したもの……その切れ味は、凄まじいの一言である。天然の鉱石において世界最硬といわれるオリハルコンであっても、彼女の薙刀は紙のように切り裂く。その薙刀に伯爵級最上位であるイプシロンの魔力を上乗せした斬撃を受けて、微かな切り傷しかできないとなると、ポラリスの肉体の強度は、まさに規格外だ。
「……」
思えばここまでも違和感自体はあった。戦王配下への勧誘を断られたあと、個人的な希望として持ち掛け、ポラリスの方も実戦を求めていたこともあって快諾されて始まった戦い……その一手目を打ち合った時から。
そもそも戦王五将は伯爵級の中でも最上位の実力者であると同時に、それぞれが魔界でも有数の武術の達人でもある。
イプシロンも武術を嗜む者であれば子供でも知っているレベルの達人であり、戦王配下幹部として多くの者たちへ武術指南も行ってきた。
そんな彼女だからこそ、数度打ち合えば相手の力量や持ちうる才覚などを測るのは容易い……筈だった。
だが戦闘開始からすでに十分以上、彼女たちのスピードであれば軽く五桁以上の攻防を終えてなお……彼女はポラリスと言う存在を測りかねていた。
いや、測りかねるというより……『なぜ戦いが成立しているか』理解できていなかった。
ここまで打ち合ったのだ。ポラリスが己に匹敵する伯爵級最上位の力を持つ強者であることは間違いない。だが同時にイプシロンの武人としての本能が語っていた。目の前の女性は『己の敵となりうるはずがない存在』であると……。
ハッキリ言葉にするなら……彼女には、ポラリスには『才能はない』。非才とまでは言わないが、凡才と呼んでいいレベルであり、本来ならこのステージに立てる筈がない。
必死に努力して、高位魔族にようやくたどり着けるかどうか……奇跡が起こってもなお、爵位級には届かないであろう才覚。だが事実として彼女は、ポラリスはイプシロンの前に立ち彼女と戦っている。
「……貴殿は……」
「うん? なにかな?」
「貴殿はいったいこれまで、なんど『限界を超えた』? なんど『地獄を見た』?」
ここまでの戦いを通じ、イプシロンはいまようやく答えに辿り着きつつあった。ポラリスの強さの秘密は、その肉体だ。イプシロンの予想では、ポラリスの体はいままで幾度となく、それこそ数えるのも馬鹿らしくなるほどの回数、壊れている。何度も壊れ、そのたびに修復されてきた。
そしてその肉体は修復の際の治癒魔法の魔力を受け、修復のたびにほんの少しだけ強くなり続けていた。
それは本当に誤差レベルの小さな変化だ。10度繰り返したとしても実感はできず、100度繰り返しても違和感すら感じない程度……だが、ゼロではない。小数点以下であっても、砂粒程度であっても少しずつ強くなり続けていた。少しずつ彼女は進化していた。
決して立ち止まらず膝を折らず、壁に拳をぶつけ続けたポラリス……小さな砂粒はいつしか砂漠と呼べるほどにあつまり、限界などと言う壁は根こそぎ飲み込んでしまった。
「……限界? はて、申し訳ないがそういったものに遭遇した覚えはいまのところないよ。地獄とやらを見た覚えもね。『道を塞ぐ邪魔な壁』ならいくつか壊したが、その程度だね」
「……」
その返答を持って、イプシロンは完全に理解した。目の前のポラリスはやはり紛れもない『凡才』であると、しかし彼女は同時に、努力のみで限界という壁を打ち破った『超越者』でもある。
百の努力で足りぬなら千の努力を、千の努力で足りないなら万の努力を……凡人にして超越者、決して歩みを止めぬ努力の怪物……それが、ポラリスという存在だ。
「……素晴らしい! まさに自己研鑽の極致! 貴殿と巡り合えた幸運に感謝しよう!!」
「感謝って顔かね? それ……」
高揚したような声で、まるで牙をむき出しにするような笑みを浮かべるイプシロン。すると直後に氷でできた二本の角が現れ、目に青い炎が現れた。
「楽しくなってきた。しかし……ここまで派手に戦いすぎたか……」
そう呟きながらイプシロンはチラリと、無人島の周囲に広がる海へ……いや『海底に居る存在』に視線を向ける。
そして同時にその存在……竜王配下幹部四大魔竜の一角にして、魔界の海を統べる『大海に座す水竜』に向けて、魔力を用いて通信を行った。
(……『エインガナ』殿だな。これ以上、竜王様の領域である魔界の海に被害が及ぶようなら見過ごさないと、そう言いたいのは理解できる。しかし、申し訳ないが『あと一手』だけ、目を瞑ってもらえないだろうか?)
(……)
(感謝する)
その通信に対する言葉での返答はなかったが、水面が微かに揺らいだ後で静かになり、ややあって気配が遠ざかる。
どうやらイプシロンの希望は聞き入れられたようで、イプシロンは笑みを浮かべたままポラリスに告げる。
「さてポラリス殿といったな。貴殿は素晴らしい強者だ。叶うのなら力果てるまで戦い続けたいところではあるが、こちらにもいろいろと事情がありそれは難しい。故に、次の一撃で決着としたいのだが、構わないだろうか?」
「うん? あぁ、構わないよ。私の方としても、今後の課題の確認もできたし、もう十分だ」
次の一撃で決着……それにポラリスが頷くのを確認したあと、イプシロンは手に持っていた薙刀を消した。二本の角が淡い光を放ち、右腕に氷の籠手が現れる。
そして右手をゆっくりと引いて構えながら、イプシロンは口を開く。
「……私にはひとつ、戦いにおける『美学』がある」
「ふむ?」
「私は本気で戦うにふさわしい相手と相対した時のみ『真名』を名乗ることにしている。出し惜しみなく全力で戦うという意思表示のようなものだと思ってもらえればいい」
「……」
「では……種族は『氷鬼』、真名は『イクスニルヴァ』……全霊の一撃で参る!!」
「う~ん、ここは同じように返すのが礼儀かな? 種族は『ウィッチ』、名前は『ポラリス』……受けて立とう!」
互いに宣言し合い、なにもない無人島の上で拳と拳がぶつかり合った。
夜に煌めく星と……なにもない無人島でソレを見上げながら、ポラリスは静かに呟いた。
「……なぜ? 貴女様の配下となれるだけの力は得たはずなのに……なぜ、見える未来の貴女は悲し気に泣いているのでしょうか? まだ、力が足りないのでしょうか? 私の時は……まだ満ちてはくれません。一刻も早く、貴女様に仕えたいのに……」
星は眩しく輝いている……しかし、彼女が求めた月は……いまだ雲に隠れたままだった。
【ポラリス】
鍛え過ぎたことで肉体が悲鳴を上げまくりながら進化しまくった存在。見た目や恰好は魔法使いで種族もウィッチなのに、フィジカルモンスターという一種の詐欺。
魔法も使うし肉弾戦もする万能型なんだけど、なぜか脳筋に見える不思議。才能がないならとりあえずレベルを上げてステータス上げまくればいいやと言うタイプ。
完全な天才型であるウルペクラちゃんとは対極の存在。
【絶氷さん】
普段は冷静で落ち着いてるように見えるけど、コイツも戦王配下なので普通に戦闘狂。戦いのは大好きだし、強敵との戦いはもっと好き。戦いの美学は、本気で戦う時にのみ本当の名前を名乗る。
「刃が全然通らないので防御魔法が得意なんだと思ったら、ただわけわからないぐらい体が硬いだけだった。割と意味が分からない。今回引き分けだったので、また戦いたい」
【デカい海蛇】
……お前らマジ、海のないところでやるか結界貼ってやれよ。マグナウェル様に怒られるの誰だと思ってんだ……。
【変態】
他の六王幹部だとか伯爵級がクローズアップされるたびに株の上がる人。もちろん『フィジカル面でも伯爵級最強』である。
実際アリスちゃんも性癖には匙投げつつも、手放すって発想はゼロなレベルで超有能。アリスちゃん不在の際は幻王兵団の全権与えてるし、なんなら自己判断で幻王のふりすることすら許可するレベルで信頼もしてる。唯一にして最大の欠点は変態であるということだけ……
超絶美少女「……マジで性格がマトモなら、迷うことなく一番信頼する腹心で右腕ですとか言えるんですけどね」




