閑話・極北星~月に手を伸ばした少女~
申し訳ありません。ちょっとスランプ気味といいますか、どうにも筆の進みが悪いので、先に海水浴のあとでやる予定だった閑話を書かせてください。
全部で3話程度で終わると思います。
それは……魔界においては、ありふれた悲劇といえた。幻王によって魔界に秩序がもたらされる以前から、幾度となく起こっている一種の事故。
高位魔族、爵位級、六王。魔界と言えばそんな、強大な力を持つ存在たちのことが思い浮かぶ。しかし、当たり前のことではあるが、戦う力を持たない弱者というのも存在する。
故にそう、それほど珍しい事象ではないのだ。毎年一定数は起こりえるであろうありふれた、しかして当人にとっては悲劇としか言えない……『弱者が魔物に襲われる』という事故。
それが……およそ一万八千年前に、ひとりの少女の運命を変えるきっかけになった。
少女は決して特別な存在ではなかった。魔界の中でも比較的多い種族に生まれ、平凡ながら幸せに生きていた。
家族にも愛され、友にも恵まれ、なに不自由なく生きてきた。だが、そんな少女にある日悲劇が訪れる。
町の近くにある森にひとりで散策に赴き、その道中に魔物に襲われた。本来なら町からほど近いその森は当然ながら定期的に町の高位魔族が魔物の駆除を行っており、危険な魔物など生息していない場所。仮にいたとしても、少女でもどうにか対処できる程度の下級の魔物程度のはずだった。
一言で表すなら、少女は『運が悪かった』。そう、たまたまその日、不運にもいくつかの要因が重なってしまった。
遠い地から縄張り争いに敗れた手負いだが強い魔物が流れてきて、その森で傷を癒していた。
その日の町の警備担当の高位魔族が、ほんの少しだけ広域を探知する魔法が苦手であり、弱っていた魔物の魔力を感知し損ねた。
そしてその魔物が潜んでいる場所が、たまたま少女の散策コースに重なっていた。
偶然重なった複数の要因は、命の危機という脅威へと変貌し少女に襲い掛かってきた。少女は不運ではあったが、決して愚かではなかった。
その魔物を見て、己では対処が不可能だと認識し、即座に身を翻して逃げ出した。町まで逃げれば助かると、微かな希望を抱きながら……。
だが、現実とは非情なもので、少女は魔物に簡単に追いつかれてしまった。力の差は歴然であり、迫りくる死の恐怖に、少女はただ涙を流して震えるしかなかった。
本来ならばそこで少女の命は消えていたはずだった……たったひとつの奇跡が起こらなければ……。
死を覚悟した少女の視界の端に、氷の花が咲き――死王アイシス・レムナントが姿を現した。アイシスがその場に現れたのは、これもまた偶然だった。
彼女の趣味である記念品の収集。その目的となる品があるのがこの森だったというだけだ。
登場は偶然ではあったが、アイシスは着いてすぐに状況を理解し、少女に襲い掛かろうとしていた魔物を文字通り一瞬で排除した。
そして逃げる途中で転んだのか、怪我をしていた少女に治癒魔法を施し問いかけた「……大丈夫?」と……。
その行いに対する少女の返答は……『絶叫』と『逃走』だった。アイシスの声を聞いた瞬間、少女は喉が枯れるほどの悲鳴をあげ、アイシスに背を向けて逃げ去ってしまった。
それは、当然の結果であり、死の魔力を纏うアイシスにとっては……いままでも幾度となく見てきた光景だった。
だからこそ、アイシスはほんの一瞬悲しそうな表情を浮かべたが、すぐにいつものことだと思考を切り替え、改めて記念品を探すために移動した。
救った側にとってそれは、なんの変哲もない『日常の出来事』だった。
しかし救われた側にとっては、それは一生に一度起こるか否かの『非日常な事件』であり、のちに『強い後悔』となるものだった。
少女は逃げ延びた町の中で、猛烈な自己嫌悪に苛まれていた。
助けてもらった、命を救ってもらった、傷を癒してもらった……なのに、その恩人に対して、己はなにをした? 悲鳴を上げ、礼のひとつも告げずに逃げ去った。そんな恥知らずな行いが許されていいのだろうかと……。
だが、いくら後悔しても、死の魔力によって感じた根源的恐怖は少女の中に強く残っており、あの場に再び戻ろうと思うことはできなかった。
事件から数年の月日が流れ、少女は人生の分水嶺に立っていた。
己を救ってくれた存在が誰であるのか、なぜあの時自分は逃げ出してしまったのか……その答えは調べれば簡単に知ることができた。
アイシスは魔界でも有名な存在である。少し調べれば彼女が死の魔力を纏う王であり、最低でも爵位級高位魔族並みの力が無ければまともに言葉を交わすこともできない存在であると知ることができた。
謝りたかった……あの時、逃げてしまったことを。そしてちゃんと、命を救ってもらったことに対して礼を言いたかった。
手紙などで伝えるという方法も一応考えはした。しかしただの魔族でしかない少女に、魔界の頂点の一角たる六王に手紙を届けるような伝手はなく、また彼女自身の意見としてもそんな……恩人であるアイシスの死の魔力から逃げるような方法を取りたくはなかった。ちゃんとアイシスの前に立ち、自分の口で伝えたかった。
となれば、それを実現するためには、少女は最低でも爵位級高位魔族と呼ばれる領域に辿り着かなければならなかった。
だが、爵位級という名は決して軽いものでは無い。爵位級の中でも一番下である男爵級でさえ、たどり着けるのは『一部の天才のみ』である。
その上の子爵級にはその天才たちの中でも『さらにごく一部の選ばれた者』だけが到達でき、さらに上の伯爵級ともなれば、広大な魔界においても数百年に一度現れるかどうかというレベルの『怪物』だ。
あるいはもうその時には、少女の持つ『限定的な未来視』は発現しかけていたのかもしれない。だからこそ、理解することができた。
少女は『凡才』である。決して天才と呼ばれるような才は与えられていない。故に彼女はそのまま必死に鍛錬したとしても、爵位級には到達できない。そう『必死』では『足りない』のだ。
いま、少女の前にはふたつの道が用意されている。ひとつは明るく温かな道……ほんの少しの罪悪感から目逸らせば、平凡ながら満ち足りた幸せがある。
もうひとつの道は……一歩先すら見えぬ暗闇だ。果たしてその先に道が続いているのかどうかすら分からないまま、手探りで進むしかない。報われる保証などどこにもない地獄。
数年、迷った。迷い続けた。その上で、少女は選択した……その身を先の見えない暗闇へ投じることを……。
己の命を救ってくれたのはアイシスだから……この命はすべて、アイシスに捧げようと……。
そして、少女は家族に、友人に、すべてに別れを告げて旅立った。
繰り返しになるが、少女は凡才であり爵位級に至れるだけの才能は無い……だから彼女は、『他のすべてを捨てた』。
彼女は100の努力をしたとしても爵位級には到達できない。必死では足りない……食事も睡眠も、家族も友も、趣味も嗜好も、なにもかも捨て去り……心に狂気を宿してようやく、ほんの僅かな可能性が生まれる。
その日から、後に『極北星』と呼ばれる少女――ポラリスの戦いは始まった。
【極北星・ポラリス】
伯爵級の中でも極めて珍しい、完全な凡才が努力で成り上がった例。強いて言えばもっとも才能がある部分かつ六王幹部級まで魔力を鍛え上げた上で、【限定的】にしか未来視を行えないレベルの才能しか持たないが、努力で無理やり肉体や魔力の限界を突破した。
特殊能力は殆どないが、基礎ステータス値がバグってるタイプ。




