777話記念特別番外編
お待たせしました。実は今回記念すべき777話というわけで、なにか番外編をやりたいなぁと思っていたのですが……これといってネタが思い浮かばず、苦戦しておりました。
結局Twitterで雑に「どこで」「だれと」「なにをする」という形でアンケートをとり、お題を決定させてもらいました。
投票の結果お題は『現代日本』で『イルネス』と『キスをする』話に決定しましたので、今回はそのお話です。
ちなみに設定としては『快人とイルネスが恋人同士になってからの出来事』という、番外編では定番の未来のお話です。
イルネスとのイチャイチャは何気に初めてかもしれませんね。
後なんか、最近砂糖不足だった気がするので、先輩を砂糖で埋めなきゃという使命感のもと『全編砂糖仕様』にしました。終始いちゃついてます。
冬の乾燥した空気を感じながら、最近ではひどく懐かしいと感じるようになった道を歩く。
久しぶりの日本……一種の帰郷のような感じだろうか、少ししんみりとした気持ちが湧き上がってくるような気がした。
「カイト様ぁ、今日は~私のワガママを聞いていただきぃ、ありがとうございますぅ」
「いえ、このぐらいはお安い御用ですよ」
聞こえてきた声に視線を動かすと、俺と手を繋いだイルネスさんがこちらを見上げ微笑みを浮かべていた。
今日のイルネスさんは、白いタートルニットのインナーに黒のロングスカート、靴は茶のショートブーツ。アウターには淡い色合いの……たしかダッフルコートという種類のコートを着て、こちらの世界に合わせた服装になっている。
イルネスさんの身長は120cmほどとかなり小柄なのだが、冬に合わせた暗めの色合いながら重たく感じ過ぎないコーデや、落ち着いた雰囲気に細かな仕草もあり、大人っぽさを感じるのがすごいと思う。
そもそもなぜイルネスさんと共に日本に来ているのかと言うと……端的に言ってしまえば、イルネスさんが希望したからだった。
イルネスさんと恋人になってから何度目かのデートの行き先を相談している際、希望を尋ねたところ……叶うのなら以前俺が住んでいた世界へ行ってみたいと……。
珍しいともいえるイルネスさんの願いとあっては叶えないという選択肢はなく、こちらの世界の神であるエデンさんにもしっかりと許可をとった上でこうして一緒に日本にやってきていた。
「イルネスさん、どこか行きたい場所……って言っても、こっちの施設とかのことは分かりませんよね。えっと、こんな感じの場所に行きたいとかってありますか? なければ一般的に定番の場所とかに案内しますけど」
「そうですねぇ、こちらの景色は~なにもかもが新鮮で~目移りしてしまいますがぁ、もし~私が選んでいいのであればぁ、連れて行っていただきたい場所がありますぅ」
「もちろんどこへでも連れて行きますよ。遠慮せずに言ってください」
「ありがとうございますぅ」
お金も十分に用意しているし、時間もある。さすがにいきなり北海道だとか、外国だとか言われると俺個人の力では難しいが……なんとかしてみせるつもりだ。
しかし、そんな俺の意気込みに反して、イルネスさんが口にした希望は……少し意外な内容だった。
イルネスさんと手を繋ぎながら歩くのは、なんの変哲もない住宅街。商店街というわけでもなく、別に珍しい建物や穴場的な名店があるわけでもない。
少し歩けばそれなりに大きな通りがあり、そこに行けばカラオケやゲームセンターなどもあるが、そういった場所を目指すわけでもない。
俺にとっては歩きなれた道……『家から大学までの通学に使っていた道』をのんびりとイルネスさんとともに歩く。
なぜそんな場所を歩いているのかと言うと、イルネスさんが『俺がこの世界に住んでいた際に、よく通った道やよく行った場所に連れて行ってほしい』と希望したからである。
なのでこうして一緒に、住んでいた家から大学までの道を歩いているわけなのだが……本当になにも珍しいものはないのでイルネスさんが退屈してないかと心配してしまう。
しかし、感応魔法で伝わってくるイルネスさんの感情はとても楽しそうだ。
「あっ、ちょうどこの辺りですね。俺がトリニィアに召喚されたのは」
「そうなんですねぇ……ここが~」
俺の言葉に反応して足を止めたイルネスさんは、どこか幸せそうに感じる様子でなにもない道を眺め続ける。
う、う~ん。俺にはよく分からないけど、楽しんではくれているみたいだ。
「……えっと、イルネスさん?」
「はいぃ?」
「イルネスさんは……あっ、いえ、すみません。なんでもないです」
イルネスさんは騒がしい場所が好きではないので、できるだけ静かな場所を選んだつもりだったが、本当にこんな場所でよかったのか? 気になって尋ねようとしたが、どうにも上手い聞き方が思いつかない。俺にとっては飽きるほど見た光景とはいえ、異世界の住人であるイルネスさんにとっては普通の住宅街でも物珍しいといえば物珍しいはずだ。
こちらの世界の人たちの生活風景を知りたいと思っているのなら、イルネスさんが楽しそうな理由にも納得がいく。ただ、このあと何処に連れて行こうかという話になると……頭を悩ませてしまう。
俺がこの世界に住んでいた時によく行った場所……一番行ったのは、間違いなく母さんと父さんの墓があった時風霊園だが、まさかデートで都心から離れた霊園に連れて行くわけにもいかない。
大学も、もうすでに自主退学している身で中に入るわけにもいかないし、それ以外だとよく言った場所となると……コンビニだとか、飲食チェーンの店ぐらいしか思い浮かばない。
そんな風に考えていると、イルネスさんは俺の方を向き、微かに苦笑を浮かべながら告げた。
「理由が~気になりますかぁ?」
「え? あっ、えっと……はい」
イルネスさんの問いかけは、なぜ自分があんな希望を出したのか気になるかというもので……実際に意図が分からず首をかしげていた俺は、頷いた。
「とても~ワガママでぇ、身勝手な理由ですかぁ……見て見たかったんですよぉ」
「うん?」
「私と出会う前の貴方がぁ、私が知る前の貴方がぁ。見てきた風景を~私もぉ、見て見たかったんですぅ」
「……」
「カイト様とぉ、出会えていなかった過去を~後悔してしまうほどにぃ、私はぁ。カイト様と~一緒に居られる今がぁ、幸せなんですぅ。だからですかねぇ? 貴方が~この世界に居た時に見ていた風景を~見たくなってしまってぇ、ついつい~ワガママを言ってしまいましたぁ」
そう言ってイルネスさんは、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべるが……そんなのは全然ワガママのうちに入らないと思う。
言ってみればこれは、イルネスさんなりの少し遠回しな「貴方のことをもっと知りたい」というメッセージであり、なんというかただただ嬉しかった。
「全然ワガママなんかじゃないですし、むしろそう言ってもらえて嬉しいぐらいです……ちなみに、えっと、俺がこの世界に居た時に一番足を運んでいたのは、両親の墓があった霊園なんですけど……次は、そこに行きますか?」
「はいぃ、カイト様さえ~よろしければぁ、是非ぃ」
母さんと父さんの墓があった時風霊園は、位置で言うならギリギリ同じ都道府県で都心からは少し離れている。田舎というよりはベッドタウンという表現がしっくりくるような場所で、昼に訪れると最寄り駅周辺も少し閑散としている雰囲気だ。
駅から霊園までは少し距離があるのでバスやタクシーを利用するという手もあるが、俺が両親の墓参りに来るときはいつも駅から歩きだったので、今回も同じようにイルネスさんと共に道を歩く。
途中で少し大きめのスーパーがあり、その中にある花屋でお供え用の花をいつも買っていた。そのスーパーと花屋も以前と変わらず営業しており、せっかくだからと少し覗いていくことになった。
今回は別にお墓参りではない……というか、母さんと父さんはトリニィアで元気に生きている。なのでお供え用の花ではなく、いろいろな花を見ていると、イルネスさんの視線がある花に動くのが見えた。
「……そういえば、イルネスさんって、薔薇の花がお好きなんですか?」
そう尋ねながら俺はいま首に巻いているマフラー……以前イルネスさんがバレンタインに俺に贈ってくれたマフラーに軽く触れる。
このマフラーの裏地には三本の赤い薔薇の刺繍がある。いや、このマフラーだけではなく、イルネスさんが手編みして贈ってくれたケープや、ひざ掛けなどにも裏地に赤い薔薇が三本刺繍されており、いつか聞いてみようと思っていた。
俺の言葉を聞いたイルネスさんは、薔薇の花を見つめたままで穏やかに告げる。
「そうですねぇ、いまは~一番好きな花と言ってぇ、間違いないですねぇ」
「なるほど……せっかくですし、買っていきますか?」
「いえ~やめておきますぅ。荷物になってしまいますしぃ、それに~『足りません』からぁ」
そう言って微笑んだあとで、イルネスさんは別の花に視線を動かす。なんというか、少し変な言い回しだったような気もするが、楽しそうなイルネスさんを見ているとそれ以上突っ込んで聞く気にはならなかった。
そのまま少しの間花を眺めたあとで、俺とイルネスさんはスーパーの方へ移動する。
「イルネスさん、この辺りはあんまり飲食店とかないですけど、お弁当かなにか買っていきますか?」
「一応お弁当を用意してきましたがぁ、いかがでしょうかぁ?」
「え? 作ってきてくれたんですか?」
「はいぃ」
なんとありがたいことにイルネスさんはお弁当を作ってきてくれたみたいだ。これは正直、かなり嬉しい。実は、イルネスさんの手料理というのはちょっとだけ貴重だったりする。
というのも、イルネスさんは家事万能で料理もプロ級なのだが、基本的に屋敷で出す料理に関しては料理長に任せており、クッキーやケーキなどの菓子類は別にして、意外とイルネスさんの手料理を口にする機会は少ない。
そしてなにより、恋人が自分のために手作りのお弁当を作ってきてくれたというのは嬉しいものだ。
「ありがとうございます。すごく嬉しいです。じゃあ、飲み物だけ買って……少し歩いたところに大き目の公園があるので、そこで食べましょうか」
「はいぃ」
スーパーでペットボトルのお茶を購入したあと、イルネスさんと共に公園に移動して並んでベンチに腰掛ける。この公園は自然公園みたいな感じで、遊具などは殆どなく代わりに緑が多めで景色がいい。
「お口に合えばいいのですがぁ」
そう言いながらイルネスさんが取り出してくれたお弁当は、おにぎりやサンドイッチの入ったいわゆるピクニック弁当ではなく……二段重ねの小さめの弁当箱におかずとご飯を分けて詰めた。なんというか、これぞ手作りのお弁当といった感じのものだった。
準備のいいイルネスさんのことだから、事前に葵ちゃんや陽菜ちゃん辺りに聞いて、こちらの世界風のお弁当を用意してくれたのかもしれない。
「ありがとうございます! すごく美味しそうですね」
「喜んでいただけたのならぁ、私も嬉しいですよぉ」
実はあえて口にすることでもないのでいままで言うことはなかったが、早くに両親を失って中学や高校ではぼっちだった俺としては、こういう家庭的なお弁当にちょっとした憧れみたいなのがあったりする。
しかもそれが可愛らしい恋人の手作りとあっては、思わずテンションが上がってしまうのも致し方ない。
卵焼きにミートボール、ポテトサラダ……あっ、タコの形に切ったウィンナーもある。これは食べるのがもったいなくなってしまうぐらい美味しそうだ。
そうなことを考えながらイルネスさんの方を向くと、イルネスさんは上品さを感じる動きで自分の腿の上にハンカチを敷いてから、俺のものよりも少し小さめのお弁当箱を取り出していた。
う~ん、こういう細かな仕草にも大人っぽさが出るのは、本当にすごいと思う。
「それじゃあ、いただきます」
「はいぃ。どうぞ~召し上がれぇ」
軽く手を合わせ、備え付けの箸を使ってお弁当を食べるが……うん、滅茶苦茶美味しい。イルネスさんの料理の腕がいいのはもちろんだが、なんというか絶妙に俺の好みに合わせてくれている。
甘めの卵焼きはあえて少し固めに焼いてあるし、ミートボールは少し濃い目の味付け、逆にポテトサラダはやや薄目の味付け……最高である。
さらに可愛らしい恋人の手作りであり、こうして景色のいい場所で並んでの昼食……爆発しろと言われても仕方がないぐらいに素晴らしい。まさに憧れだったと言っていい、シチュエーション……幸せである。
これで「あ~ん」とかしてもらえたらさらに素晴らしいのだが、それは欲張りすぎだろう。いや、たぶんと言うか、間違いなく頼めばしてくれるだろうけど……さすがにそれを頼むのは恥ずかしさの方が強い。
とそんな風に考えていると、イルネスさんがチラリと俺を見たあとで微笑みを浮かべ、口を開いた。
「カイト様ぁ」
「はい?」
「私にはぁ、量が多すぎたみたいで~よろしければぁ、少し食べていただけませんかぁ?」
「え? あっ、はい」
思わず俺が頷くと、イルネスさんは器用に箸を使って自分のお弁当箱から卵焼きを一切れつまみ、落ちないように片手を添えながらこちらに差し出してくれた。
「あ~ん」
と、そんな一言を添えながら……なんだろう、聖母かな?
どうも先ほど俺が考えていたことはイルネスさんにはお見通しだったみたいだ。気恥ずかしさも感じるが、それ以上に幸せな気持ちが溢れてくる。
イルネスさんが食べさせてくれた卵焼きは、不思議とさっきまで食べていたものよりずっと甘いように感じられた。
昼食を食べ終えたあとは、お茶を伸びながら少し食休み。季節は冬だが、今日は天気もよくて風もほとんどないので、暖かめで過ごしやすい。
このあとの予定も時風霊園に行くだけなので、まだまだ時間も十分にあるし、ここでしばらくのんびりしていくのもいいかもしれない。
「ふぁ――っと、すみません」
「くひひ、いい天気ですしねぇ、眠くなるのも仕方ありませんよぉ」
お腹も膨れたことで少し眠気がきて欠伸をしてしまったが、イルネスさんは気にした様子もなくむしろ楽しそうである。
いまとなっては可愛らしいと感じられるようになった特徴的な笑みを浮かべたあと、イルネスさんは自分のスカートを軽く手ではたきながら優し気に告げた。
「よろしければぁ、少し休まれますかぁ? 寝心地がよいかは分かりませんがぁ、簡単な枕ならぁ、ご用意できますよぉ」
「それはつまり……」
「はいぃ。カイト様さえ~よろしければぁ」
どうやら俺が望むのなら、イルネスさんは膝枕をしてくれるらしい。なんという魅力的な提案……抗うのは難しい。というか、抗う必要も感じない。
公園には見える範囲に人影はなくふたりっきり、ベンチもそれなりに大きく十分横になれる。そして、天気もよく隣には優しく母性的な恋人……シチュエーションは完璧と言っていい。
「えっと……では、お言葉に甘えてもいいですか?」
「はいぃ、どうぞぉ」
結局俺はイルネスさんの厚意に甘えることにして、少し緊張しながらもイルネスさんの腿に頭を乗せる。ふわっと香ってくる心地よい香りと、幸せな柔らかさ。
油断すると一瞬で意識を手放してしまいそうな極上の寝心地の膝枕……なんとも贅沢なひと時だ。
俺が寝転がると共に、イルネスさんはそっと手を伸ばし優しく俺の頭を撫でてくれた。いや、本当に前々から思ってはいたけど、イルネスさんは包容力と言うか母性みたいなのが凄い……やっぱり聖母かな?
そんなことを考えつつ、心地よいまどろみを感じていると……ふいにイルネスさんの声が聞こえてきた。
「カイト様ぁ、以前~六王祭でぇ、私が歌った曲を~覚えていますかぁ?」
「……小さな物語ですよね?」
イルネスさんの声はいつまでも聞いていたくなるような、とても優しいもので、それが眠気を加速させていくが、なんとか堪えながら聞き返す。
イルネスさんは俺の頭を撫でる手を止めないまま、言葉を続けていく。
「なかなかぁ、歌のようには~いかないものですねぇ」
「うん? それは、いったい……」
「私も~ずいぶんとぉ、欲張りになってしまったみたいですぅ。貴方の物語のぉ、読者でいられれば~それでいいと思っていましたがぁ……駄目ですねぇ。いまの私はぁ、貴方が笑顔になれる物語にぃ、貴方と一緒に~描かれたいとぉ、思ってしまっていますぅ」
「……」
どこか少し自嘲気味に、しかし後悔しているような感じではなく……戸惑いつつもその変化を楽しんでいるかのような声で、イルネスさんはまるで歌うように言葉を紡いていく。
「私は昔と比べぇ、ワガママで~欲張りに~なってしまいましたがぁ……貴方はぁ、それでもいいと~言ってくださいますかぁ?」
「……あたりまえじゃないですか。というか、言っておきますけど、イルネスさんは全然ワガママでも欲張りでもないですからね。むしろ俺としてはイルネスさんは、もっといろいろ要求してくれていいと思ってますよ」
「くひひ、もっとですかぁ……それは困りましたねぇ。私は~カイト様と一緒に居るとぉ、すぐに幸せで胸がいっぱいになってしまうのでぇ、これ以上は~ちょっと思い浮かびませんねぇ」
「あはは、そう言ってもらえると俺も嬉しいです。けど、本当にもっといろいろお願いとかしてくれていいですからね?」
「はいぃ。では~なにか思いついた時にはぁ、よろしくお願いしますぅ」
「はい」
「くひひ」
そう言って幸せそうに笑ったあと、イルネスさんはそれ以上は言葉を続けず優しく俺の頭を撫で続けてくれた。そして俺も、その心地よく幸せな温もりに包まれ、意識をまどろみへ沈めていった。
少しの間仮眠をとったあとは、改めてイルネスさんと共に時風霊園に向かった。小高い丘の上にある霊園を目指して、階段を上り目的の霊園に入る。
やっぱり平日だからか人の姿は全然なく、少し歩けばすぐに目的の場所に辿り着いた。
「……ここに、母さんと父さんの墓がありました」
「そうなんですねぇ」
「まぁ、いまはないんですけど……ここが、俺がトリニィアに行く前、一番多く足を運んだ場所で、一番多く見ていた景色……ですかね」
実はいまはもう、ここに母さんと父さんの墓はない。本人たちが嫌がった……というか、すでに生き返っているのにおじさんやおばさんに墓の手入れをしてもらうのが申し訳ないと言ったので、俺がエデンさんに頼んでおじさんとおばさんに事情を説明したあとで、なんとかしてもらった。
細かい方法はよく分からないが、エデンさんは全知全能の神なので、その程度の調整は容易いとすぐに動いてくれ、かつて母さんと父さんの墓があったところは、いまは場所が空いている。そのうちこの場所にも誰かの墓が作られるのだろう。
それは、決して悪いことではない。母さんと父さんは別の世界で俺と共に生きているし、この場所になにかいい思い出があるわけでもない。
「……情けない話ですけど、本当に呆れるぐらいここにきました。いまになって思い返してみれば、結局俺は両親の死を受け入れることができなくて、ふたりの面影を探していただけだって分かるんですけどね。長いこと、それに気付けませんでした」
「……」
「まぁ、いまとなってはそのおかげで大切なことに……俺の周りで、俺を支えてくれていた大切な人たちの優しさに気付けたので、遠回りでしたがよかったと思ってます」
なにもない空き地にしゃがみ、かつてそうしていたように軽く手を合わせる。この感覚はなんだろうか? 寂しさとは違う、悲しさとも違う、墓が無くなったことが嫌だというわけでもない。
ただそれでも、何度も見た景色が変わっているということに少し哀愁を覚えているのかもしれない。
そんな説明が難しい感情を抱えながらなにもない空間を見つめていると、不意に影が差す。顔を上げて見ると、いつの間にか移動したイルネスさんが俺の目の前に立っていた。
そしてイルネスさんは、少し身を屈め、しゃがんでいた俺の頭を抱えるように……優しく抱きしめてくれた。
「イルネスさん?」
「同情しているわけではありませんよぉ。ましてや~慰めているわけでもありません~」
あまりにも柔らかく心地よい感触に、鼻腔をくすぐる優しい香り、包み込まれるような温もりが……どうしようもないほどの安心感を与えてくれる気がした。
「ただ私がぁ、貴方を抱きしめたかっただけですぅ。私の~ワガママですねぇ」
「……なるほど」
「先ほど~もっと要求していいと許可をいただきましたのでぇ、しばらく~こうしていてもいいでしょうかぁ?」
「……はい」
これはなんとも、ズルいワガママである。俺自身、自分の中にある感情を説明しきれなかった。寂しいわけでもなく、悲しいわけでもなく……ただ、少し、ほんの少しだけ人の温もりに飢えているような感覚。
イルネスさんはそれを察してくれたのだろう。だから、同情でもなく慰めでもないと、そう告げた。自分のワガママに付き合ってくれと、そう言いながらこうして俺に温もりを与えてくれる。
この優しいワガママは、本当にズルい……こんなのは、甘えたくなってしまうに決まっている。
どのぐらい時間が経っただろうか? イルネスさんがそっと俺の頭から手を離したときには、先ほどまでの胸のもやもやは綺麗さっぱり消えてしまっていた。
というか、冷静になってから考えて見ると、あの安心感はなかなかに危険である。イルネスさんの母性が半端ではないので、油断すると甘え癖が付いてしまいそうな気がする。
少しの気恥ずかしさを感じつつ、再びイルネスさんと手を繋いで霊園を後にする。いまは冬ということもあって、空は夕暮れと言うほどではないが微かに赤味がかっているように見えた。
霊園は高台にあることもあって、昼から夕方に切り替わる直前の街の景色がよく見える。思わず霊園からの階段の途中で足を止め、景色に見入ってしまった。
本当に数えきれないほどにこの霊園へは足を運んだが……こんなに景色が綺麗だとは思わなかった。いや、気付けていなかった。
心の持ちようが違うだけで、見慣れていたはずの景色が違って見える。そしてそれに気付くことができるのは、とても幸せなことなんじゃないかと……そんな風に感じられた。
すると不意にそのタイミングで、イルネスさんが繋いでいた手を放し、振り向く俺の前でいま降りてきた階段を、一段だけ上がった。
「イルネスさん?」
「そういえば~カイト様にぃ、大切なことを~伝え忘れていましたぁ」
「大切なこと、ですか?」
イルネスさんは、首をかしげる俺の正面の位置に移動して微笑みを浮かべる。イルネスさんと俺の身長差は50㎝近く、イルネスさんが階段を一段上がってもなお、俺を見上げるような形になる。
「カイト様はぁ、先ほど~私にぃ、薔薇の花が好きか~と尋ねましたよねぇ?」
「え? あ、はい。聞きましたね」
「薔薇の花は好きですよぉ。特に~赤い薔薇が好きですぅ……ご存知ですかぁ? 薔薇の花はぁ、色によって花言葉が違って~なかでも赤い薔薇はぁ、誰かに贈るときはぁ、その本数によっても~花言葉が変わるんですよぉ」
「そうなんですね。知りませんでした」
それはここに来る前に花屋で交わした言葉の続きともいうべき内容で、イルネスさんは話しながらそっと俺の方に手を伸ばし……「失礼します」と一言告げてから、俺が首に巻いていたマフラーを解く。
そしてその裏地に刺繍されている三本の赤い薔薇をゆっくりと指さしながら、穏やかな声で説明してくれた。
「一本ならぁ、『一目惚れ』。二本ならぁ、『この世界は二人だけ』。といった具合に~それを誰かに贈るときはぁ、本数によって~意味を変えるんですよぉ」
「なるほど……えっと、じゃあ、三本なら?」
イルネスさんの説明を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、三本の薔薇を贈る際の花言葉についてだ。なぜなら、いままでイルネスさんから貰ったものの多くに、三本の薔薇が刺繍されていたから……。
俺が訪ねると、イルネスさんは優し気な笑みを浮かべ、目の焦点をハッキリと俺に合わせながら口を開く。
「赤い薔薇を~三本贈るときのぉ、花言葉はぁ……」
「え? あっ……」
「……んっ」
そこでイルネスさんは手に持っていたマフラーを軽く引っ張った。それは決して強すぎる力ではなく、抵抗しようと思えばできるほどの優しい引き……。
下へ引っ張られるような感覚に導かれ、俺がほんの僅かに身を屈めるのと、イルネスさんが背伸びをするのはほぼ同時だった。
そしてまるで引き寄せられるように、俺とイルネスさんの唇が重なった。
初めに感じたのは驚くほどの柔らかさと微かな温もり、次に感じたのは不思議と甘いような感覚と…‥大きな愛情。
一瞬で頭が痺れ、他のことなんて考えられなくなるような感覚の中で、優しくそれでいて深いキスは続いていった。
どれぐらいの時間キスをしていたのかは分からないが、イルネスさんがゆっくりと顔を離す際には、夕日に照らされて名残惜しむように互いの唇を繋ぐ銀の糸が見えたような気がした。
もっとあの幸せな感触を味わっていたかったと、そんな微かな寂しさと共に頭が少しずつ冷静さを取り戻していく中、イルネスさんは眩しいほどの笑顔で告げる。
「……『あなたを愛しています』」
それは、三本の赤い薔薇に籠められた花言葉であり、同時に控えめな彼女がいままで遠回しな形で伝えてくれていた想いの籠った言葉。
夕日に照らされながら笑うイルネスさんの顔は、いままでたくさん見てきた彼女の表情の中でも……とびきり綺麗だと、そんな風に思った。
「……イルネスさん、ひとつ聞いてもいいですか?」
「はいぃ?」
「なんでさっき、花屋で足りないって言ったんですか? 三本なら赤い薔薇、あったと思いますけど……」
そんな俺の言葉を聞いて、イルネスさんは心の底から幸せそうな笑顔を浮かべながら答えてくれた。
「カイト様とぉ、恋人になるまでならぁ、三本で足りてたのですがぁ……いまはぁ、『百一本』贈りたい気持ちなのでぇ、足りなかったんですよぉ」
「……百一本だと……どんな花言葉になるんですか?」
「……『これ以上ないほど愛しています』ですよぉ」
「なるほど……だったら俺も、イルネスさんに赤い薔薇を百一本贈りたいですね」
「くひひ、それでしたらぁ、いつか~互いにぃ、贈り合いましょうかぁ?」
「いいですね、是非」
真っ直ぐにこちらを見つめながら可愛らしく笑うイルネスさんを見て、なんとなく互いに幸せを共有しているような……彼女がここに来ることを望んだ『同じ景色を見たい』という感覚が、理解できた気がした。
だからきっと、必然だったのだろう。
互いに笑い合ったあとで……俺が再び身を屈め、イルネスさんがもう一度背伸びをしたのは……。
【書籍版第九巻の発売予定日と表紙を活動報告で公開しました】
シリアス先輩「うあぁぁぁぁぁぁぁ!? ぎやぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
???「……水着回本番で砂糖展開になるから、まだもう少しギャグ展開が続くはずだと油断させ、先輩に本編に出演させるという飴を与えてからの……ここで、不意打ち気味に糖度高め……なにがなんでも先輩を砂糖漬けにするという熱い意志を感じますね」
シリアス先輩「こんなのってないよ! あんまりだぁぁぁぁぁ!! よりにもよって、ヒロイン力の暴力で殴ってきやがった! 私がなにしたってんだ!?」




