うっかりマキナちゃん
穏やかな昼下がり、最近購入したばかりの小さめのテーブルを利用して紅茶を飲む俺の対面には、同じように紅茶を飲むエデンさんの姿があった。
ちなみにこれはよくある光景である。この世界に週という括りはないが、あえて俺の世界の基準でいうならエデンさんは『週6』くらいの頻度……つまるところ、ほぼ毎日くる。
そんなエデンさんと他愛のない雑談をしたり、お茶を飲んだりするのはある意味俺の日課のひとつでもあるのかもしれない。
まぁ、もっとも……『最短1秒、長くても30分』くらいで暴走してクロにぶっ飛ばされてお開きになるので、それほど長時間というわけではない。
ちなみに余談ではあるが、俺もそれなりの付き合いになってきたことでエデンさんの暴走の兆候というのはある程度分かるようになってきた。
スイッチが入れば即暴走といったイメージのエデンさんだが、実際は暴走するまでにいくつかのフェイズがある。
まずフェイズ1、普段は「宮間快人」あるいは「我が子」と呼んでいる俺を「愛しい我が子」と呼び始める。
これは、エデンさんのテンションが上がっている証拠なので、危険信号である。
とはいえまだこの段階だけなら、呼び方が変わるだけでそれ以外に変化はなく、比較的安全な状態ともいえる。
フェイズ2、エデンさんの口数が増え始める。
暴走した時の印象が強すぎるせいか、少し意外ではあるが……平時のエデンさんはどちらかと言うと聞き手側に回ることが多い。
俺の近況などを尋ね、俺の話を微笑みながら聞いたり、時折相槌をうったりしてることが多く、どちらかと言えば口数は多くない。
しかし、エデンさんのテンションが上がってくると、この口数がどんどん増えていき、次第に早口になっていく。こうなると黄色信号ぐらいである。
フェイズ3、エデンさんの表情が深い笑みに変わる。
これも暴走状態のエデンさんから考えると以外ではあるが、普段のエデンさんは穏やかに微笑んでいる状態が多く、表情も優し気だ。
そしてこの微笑みが、まるで肉食獣が獲物を狙うかのような深い笑みに変わると、もう赤信号である。ネックレスに軽く魔力を注いで、クロにエデンさんの暴走が近いことを伝えよう。
伝えなくても駆けつけてくれるのだが、事前にこうしておいた方がやはり対応は早い。
そして最後のフェイズ4、エデンさんの目が濁りどす黒いハートが見え始める。
これはもう完全に、暴走する数秒前というか、もうほぼ暴走してるようなものである。なんというか、ハイライトが消えるとでも表現するべきか、普段は虹のように美しいエデンさんの目が濁りはじめると、エデンさんのテンションがほぼMAXに近い状態であり、極めて危険である。
とまぁそんな感じにある程度段階があるのだが……だからといって、確実にエデンさんの暴走の兆候を察知できるわけではない。
というのもいまあげた四つのフェイズは、必ずしもひとつずつ順番に移行するわけではない。いくつかのフェイズ……なんなら一気に最終段階まで同時に発動することもあるので油断はできない。
もっというなら、それほど高頻度というわけではないが……『現れた時点でフェイズ4』という初手暴走状態もたまにある。こればかりは全く法則が謎なので、予知できないのが恐ろしいところである。
ちなみに、暴走していない時のエデンさんの危険度は皆無であり、会話の内容も俺の近況を聞いたり、俺の体調を気遣ったりというものが多く、表情も優し気で雰囲気も穏やかである。
暴走さえしなければ、むしろ本人の自称通り母っぽい包容力のある感じだ。いや、本当に暴走状態の印象が強すぎてすべてを上書きしてるが、暴走さえしなければ優しい方なのである。うん、まぁ、30分以内に暴走する確率が99%ぐらいあるけど……。
「……という感じで、なんか時々無性にジャンクフードと言うか、そういうものも食べたくなることがあるんですよ」
「気持ちはわかります。そういった変化もまた、食の楽しみのひとつなのでしょう」
「ですね」
他愛のない雑談ではあるが、エデンさんは楽しそうに微笑みを浮かべながら同意の言葉を返してくれる。いや、本当に常にこうならどれだけいいか……。
「そういえば、エデンさんはなにか好きな食べ物とかはあるんですか?」
「そうですね。食事は必須ではありませんが……ハンバーガーを好んでいます」
「……え?」
話の流れで尋ねてみたのだが、あまりにも意外な言葉が返ってきた。エデンさんの好きな食べ物がハンバーガー? なんというか、失礼かもしれないが滅茶苦茶意外である。
というか、ハンバーガー食べてる絵がまったく頭に思い浮かばない。とはいえ、あまり動揺するのも失礼だろうと、俺は驚きの表情を引っ込めつつ口を開く。
「……そうなんですね。俺も好きですよ、ハンバーガー。結構種類も沢山ありますけど、エデンさんはどんなハンバーガーが好きなんですか?」
エデンさんが自分のことを話すのは珍しい。いやもちろん尋ねれば答えてくれるんだろうけど、聞き手側に回ることが多いエデンさんの嗜好を聞く機会はいままで少なかった。
だからだろうか、同意しつつ興味本位でそう尋ねると……エデンさんの目が一瞬輝いたような気がした。
「そうなの!? 我が子も、ハンバーガーが好きなんだ! 嬉しいな、私と一緒だね!!」
「……は?」
あれ? 『声が変わった』? なんか普段の落ち着いた感じじゃなくて、少し幼さを感じる可愛い感じの声……というか、口調も変わってない?
「どんなハンバーガーが好き……う~ん。すごく難しい質問だね。ハンバーガーは沢山種類があるし、どれも趣向を凝らしてあって本当に美味しいから、これってのを選ぶのも難しいよね」
「そ、そうですね」
「でもそれでも考えるとしたら、ハンバーガーを大雑把に分けると肉系かそれ以外かって分け方ができると思う。もちろん、それ以外に関しても魚のフライだったり野菜中心のバーガーだったりって複雑に種類はあると思うけど、ここはやっぱり肉系で考えたいところだね! 肉系の場合は代表的なのは三つ、牛肉を使ったバーガー、豚肉を使ったバーガー、鶏肉を使ったバーガーかな。個人的な感想になっちゃうけど、それぞれの利点を考えると……鶏肉は酸味系のソースやピリ辛な味付けと抜群に合うよね。照り焼き風も美味しいし、そう考えるとソースの味が強いバーガーと相性がいいのかもね。豚肉は幅広さでは牛肉や鶏肉に一歩劣るけど、やっぱり独特の強みもあるね。特にカツレツだとか揚げる系統になってくると豚肉の独壇場だと思う。牛肉は言わずもがな一番代表的だし、やっぱりどっしりした安定感があるよね。これぞ肉って感じで、食べてて幸せな気持ちになれるよ」
滅茶苦茶語り始めた!? けど、いつものような狂気は感じないというか、むしろ好きなものの話題で純粋にはしゃいでいるようなイメージを受ける。
ともかくエデンさんは終始楽しそうな表情を浮かべており、普段より無邪気な表情も相まって、なんだか見た目相応に幼い感じがする。
「――って感じで、やっぱり期間限定バーガーも外せないよね。限定っていう言葉は本当にそそられるものがあるし、挑戦的で新しい味に出会えるのもすっごく幸せだね。けど、やっぱり私は一番好きなハンバーガーはなにかって言われると、最終的に一番シンプルでオーソドックスなハンバーガーを推しちゃうね。思い出の味っていうのかな、やっぱり一番最初に好きになった味が、一番……好きで……」
「……」
ハンバーガーについてこれでもかと言うほど語りつくしていたエデンさんだったが、話をまとめようとしたあたりで急になにかに気が付いた様子で、途端に声が小さくなった。
そして、ギギギっと壊れたブリキ人形かと思うような動きで顔を動かし、俺の方を見る。
エデンさんの顔はドンドン青ざめていき、ものすごい勢いで顔から汗が噴き出し、とんでもない速度でその虹色の目が動きまくっていた。
なんというか、そう……まさに『焦りまくってる』という言葉をそのまま表したような感じになってしまっている。
「……あの、エデンさん?」
「……え、えと、そそそ、そのね……い、いまのなし……とか……駄目……かな?」
弱々しく告げるエデンさんの表情を見て、思わずドキッとしてしまった。
エデンさんはやはりひとつの世界の神だからか、普段はどこか威厳と言うか……そう、どこか自信に満ちているような余裕がある。表現するのなら、自信が圧倒的な上位者である自覚が雰囲気にも表れているという感じだ。
しかしそれがいまは消え失せ、滅茶苦茶不安そうな表情で、なんとかいまの失態を忘れてくれないかと持ち掛けてくる姿は、普段とのギャップがあまりにも凄くて可愛らしく思えてしまった。
「あ、えっと……別に俺も変に追及する気はありませんし、忘れたほうがいいならそうしますよ」
「そ、そっか……ありがとう」
正直、気にならないと言えば嘘になる。なにせいままで抱いていたエデンさんのイメージとまったく違ったのだから……そう、なんというか『うっかり素が出てしまった』とか、そんな感じだった。
ただ、今にも泣きそうな顔をしているエデンさんにそれを尋ねるのはあまりにも申し訳なく、俺は結局追求しないことを選んだ。
するとエデンさんは本当に心の底からホッとしたような表情を浮かべて胸を撫でおろす。普段の狂気に目が行きがちだが、エデンさんは容姿もすさまじく整っているので、なんというか変にドキッとしてしまう。
「……さて、あまり長く話し込んでしまうのも問題ですし、私はそろそろ失礼させていただこうと思います」
あっ、声が戻った。う~んさっきの様子はうっかり素が出たと考えれば納得できるけど、普段と素で明らかに声が違うのはなんでだろう? いや、エデンさんなら自分の声を変えるぐらいは簡単だろうけど……それをする理由が分からない。
とはいえ、追及はしないと約束したばかりだし、気にはなるがそれは心の内に秘めておくことにしよう。
あと何気に、エデンさんがクロにぶっ飛ばされることなく自分から帰るというのは大変レアパターンである。よく見るとうっすら頬が赤くなっている気がするので、間違いなく恥ずかしかったのだろう。
「そ、そうですか、わかりました」
「今回の失態の埋め合わせはまたいずれなんらかの形で……『番犬に便利な全能の球体』があるのですが、『1兆体』ほど差し上げましょうか?」
「……いりません」
全能の球体? なにその聞くからに物騒そうなやつ……少なくとも失態のお詫びにポンと差し出していいものじゃないと思うんだけど……あと、1兆体とか聞こえた気がするんだけど、気のせいだよね? うん、恐ろしすぎるから気のせいって思っておこう。
「そうですか、ではまた別の形で……それでは、失礼します」
「あ、はい。それじゃあ、また」
光に包まれて部屋から消えるエデンさんを見送ったあと、俺はもう一度首を傾げた。新しい一面を見たというのとはまたなんか違うというか、いろいろな意味で衝撃的だった。
けど、そういえば、俺ってそれなりの付き合いになってきたのに、エデンさんのことよく知らないな……う~ん、今後はもう少しエデンさんに趣味だとか嗜好だとかの話題を振ってみるのもいいかもしれない。
というか、いまさらではあるが……エデンさん、アレだけ語るほどにハンバーガーが好きって、なんかイメージと違ってずいぶん庶民的な気がする。
シリアス先輩「……あっ、これ素を打ち明ける展開になったとしても、シリアスにならねぇな……」
???「分かり切ってたことですがね」
シリアス先輩「というか、あの山ほど語るのはテンション上がった時のデフォルトなんだ……じゃあデレデレになっても、いまと大して変わらないんじゃない?」
???「他者を排除するだとか、物騒な発言が減るぐらいでしょうね。愛の大きさは変化ないどころか、さらに大きくなる可能性すらありますし」
シリアス先輩「……それはもう…‥ヤンデレっていっていいのでは?」




