機械仕掛けの神の物語⑩
黒い球体が浮かぶ以外は白一色の空間で、機械の片翼を生やした少女が目を閉じていた。彼女の名はマキナ……人から神になり、ひとつの世界を創造した創造主である。
マキナはアリシアと別れて旅立ってから、数多の世界を巡り己の力を鍛え、いまでは世界の創造主たちの中でも上位といえる力を有し『機神』とも呼ばれる真なる神となった。
そして旅を終え、目的であった世界を創造した。その世界も彼女が導かなければならない幼年期は過ぎ、三つのプログラムコードを中心とした維持観測のシステムも完成した。
それからの彼女は楽園を通じで世界を観測しながら、静かに待ち続けていた。膨大な年月を経て、かつてよりはるかに大きくなった己の愛……それを余すことなく注ぐにふさわしい『愛しい我が子』がいつか現れるのを期待しながら、自らの手を離れて成長する世界を静かに観測していた。
いまとなっては世界にこれといって手を加える必要もなく、全知全能を越える力を持つとさえ言われる彼女に戦いを挑んでくるような愚かな別世界の創造主も居ない。
故に動くこともなく、目を閉じたまま膨大な情報を並列思考で処理していたマキナだったが……少しして目を開いてなにもない空間を見つめた。
すると直後にその空間が縦に裂けるように開き、そこから声が聞こえてきた。
『話の途中で中断してしまい、申し訳ありません』
「……構いません。そちらにもそちらの都合があるのでしょう」
裂けた空間から聞こえてきた彼女にとっては、心底恐れる相手であると同時に友人でもあると認識しているシャローヴァナルの声に、マキナは淡々とした口調で返事をする。
思えばシャローヴァナルとの付き合いも長くなったものだと、そんな風に感じながら……。
『改めて、交渉の続きをしましょうか』
そうシャローヴァナルが切り出すと、マキナは露骨に不快そうな表情を浮かべた。シャローヴァナルの交渉というのは、彼女にとってあまり望ましいものでは無かった。
相手がそれなりに付き合いのある友人であるからこそ一応交渉には応じているが、乗り気とはとても言えなかった。
「私としては乗り気になれませんね。というより、知っているとは思いますが……そもそも私は勇者召喚とて不満なのです。死後に我が子たちの魂はこちらに返却するという条件でしぶしぶ認めているということを忘れないでください」
『えぇ、もちろん』
実はこの交渉に関しては、一度目はにべもなく断った。しかし、シャローヴァナルはなかなか引かず、マキナに対して何度か交渉を持ちかけていた。
「……その上、今度は一時的に我が子の魂を貸し出せとは、貴女とはそれなりに長い付き合いですから、こうして交渉には応じていますが……よい返事は期待しないでいただきたい。そもそも、なぜそこまでするのです? 今回召喚された我が子は、貴女にとってなにか特別なのですか……シャローヴァナル?」
『快人さんは、私の特異点です』
告げられたその言葉は、ほんの少しだけではあったがマキナの心に興味という感情を宿した。
(……本当に、今回はいつになくしつこいというか粘るなぁ。あのシャローヴァナルがそこまで言うなんて、少し意外ではあるけど、面白い変化っていえるのかもしれないね。はぁ、仕方ない。正直気は進まないけど、ここまでお願いしてくるなら、多少は考慮しようか……私にとっても、シャローヴァナルに対して有利な状態で今後なにかを要求できると思えば、利点はある)
そこまで考えたところで、マキナはシャローヴァナルに対して静かに告げた。
「……変わりましたね」
『そうですか?』
「えぇ、以前より感情を感じられるようになっています。そうですか、特異点……ですか……少しだけ、貴女に変化をもたらした我が子に興味が湧きました。調べてみることにしましょう……」
言うまでもなく、マキナには全知の力があり、なおかつこの時点では彼女にとって快人は『愛しい我が子』ではなく『ただの我が子』という認識だった。
彼女にとって快人のことを調べるなど全知の力を使えば容易であり、そもそも『トリニィアを訪れる必要などなかった』。
全知で快人のことを調べ、問題が無ければいくつか条件を付けてシャローヴァナルの交渉に応じようと、この時の彼女の気持ちはその程度だった。
ではなぜ、彼女はトリニィアを訪れることになったのだろうか?
ここで、再びこの言葉を使おう……『前提が変われば本質も姿を変える』。
マキナはシャローヴァナルに告げたあと、手早く全知で快人のことを調べ……そして心の底から驚愕した。表情にこそ出さなかったが、彼女の心はすさまじく動揺していた。
それこそ、神となってから……いや、それまでの全てを考えても、ここまで彼女の心が動揺したことなど無かった。
そう、彼女は快人を全知で調べた。そして……。
(なんで、どうして……なにがあったの!? 貴女は、いったい、いつの間に……そんな貼り付けたような……『悲しい笑顔』を浮かべるようになってしまったの……アリシア!?)
そう、見間違えるはずがない。彼女にとっていまもなお強く記憶に残る大切な、大好きな親友の姿を見つけてしまった。
その親友……アリシアは、かつての眩しいとすら感じられた笑顔ではなく、どこか暗さを宿した表情で笑っていた。
そこからのマキナの行動は早かった。明らかに以前とは違うアリシアの様子に不安を感じた彼女は、即座にかつては行わなかったこと……アリシアに対して全知の力を発動した。
そして、彼女は神となって初めて……心の底から後悔した。
(そう、だったんだ。アリシア……だから、貴女は……なんで、私は貴女の傍に居なかったの! いや、後悔はあとだ。それより、アリシアを……けど、どうする? できるなら、いますぐにでもアリシアの元に行きたい。だけど、それは……)
アリシアのそんな姿を見て、マキナはいますぐにでも彼女の元に向かいたかった。しかし、ことはそう簡単にはいかない。
そう、彼女はシャローヴァナルを友人とは思っているが、同時に心底恐れてもいる……そんな彼女が、シャローヴァナルと結んだ契約の中に『互いが互いの世界を訪れない』という内容のものを加えていないはずがなかった。
むろん契約とはいっても全知全能たる彼女の行動を縛るような力はなく、単なる約束ではある。しかし、ソレを破ると言うことは、相手にも……シャローヴァナルにも契約を破る口実を与えてしまう。
一瞬躊躇した彼女だったが、すぐに頭に……かつて交わした言葉が蘇ってきた。
――約束だね
そう、彼女はたしかに約束したのだ。大切な、大好きな親友と……。
(約束……だからね。いまの私はもう、貴女に助けられるだけど弱い存在じゃないよ。大丈夫、方法はある。むしろいまの状況は、シャローヴァナルの方が交渉を持ちかけてきてる。だとすれば、私の方からも条件を付け加えやすい。さすがに私自身がって言えば、シャローヴァナルも難色を示すだろうけど……)
神として圧倒的な思考速度を持つマキナは、ほんの十秒もかからず思考をまとめ、同時にここから先の行動も考え終えた。
そして、努めて平静を装いながらシャローヴァナルに対して言葉を発する。
「……直接……見定めてみたいですね」
『快人さんを、ですか?』
「ええ、一度こちらに連れ帰っても構いませんか? 私が価値ありと認めたなら、例の件も了承しましょう」
マキナは最初にあえて快人をこちらの世界に連れ帰るということを提示した。互いに互いの世界を訪れることができない契約を結んでいる以上、マキナが直接見定めるなら一番違和感のない方法だ。
しかし、当然それはフェイク、本当の目的のための下準備……それに我が子を利用することに罪悪感を感じつつも、譲れない目的のために交渉を進める。
『……価値なしと判断した場合は?』
「不要なものは『処分する』……ごく、当たり前のことではありませんか? 私の世界の命を私の判断で始末するだけです」
むろん嘘ではある。我が子を心から愛するマキナが、そんなことをするわけがない。だが、シャローヴァナルにはそこまでは分からない。
我が子をマキナが大切に思っているぐらいの認識はあるかもしれないが、マキナが我が子を害さないかどうかまで絶対の自信はもてない。
だからこそ、シャローヴァナルはマキナの望む言葉を口にした。
『……それは許容できません』
そう、その言葉が欲しかった。快人をこちらの世界に連れ帰るのを認めないという旨の発言さえ出れば、この先の交渉は格段にやりやすくなる。
「……では、こうしましょう。私がそちらに赴き見定めます。といっても私の本体が行くわけではありません。専用に作った分体が……ですね」
『貴女がこちらの世界に? それは以前交わした契約に反するのでは?』
「ええ、その通りです。ですから、その契約違反に目を瞑っていただく対価として、私が貴女の特異点を決して害さないことを、新たに契約に加えましょう。それならば、いかがですか?」
『……ふむ』
この交渉は間違いなく通ると踏んでいた。本体が行くわけではなく分体と表現したことで、力を落とした存在……いざというときシャローヴァナルが対処可能な力量の端末で向かうという隠した意味も伝わっている。
そしてシャローヴァナルにしてみれば、己が監視できる世界の方がマキナの動きに対処しやすく、さらにこの提案を受け入れれば己の特異点である快人をマキナが害さないという約束も取り付けることができる。
『……悪くはない内容です。それを了承すれば、例の件に関しても?』
「ええ、前向きにという前提の言葉は付きますが、検討しましょう」
さらにこうして、最初にシャローヴァナルが望んでいた交渉に対しても前向きな姿勢を見せれば、シャローヴァナルにとってはメリットが多くなる。
となれば、当然シャローヴァナルの答えは……。
『わかりました。その条件で構いません……すぐにこちらに来ますか?』
「分体の用意はすぐにできますが、何事にも機というものがあります。タイミングは改めてこちらから連絡させていただきます」
マキナにとって重要なのは快人を見定めることではなく、アリシアを救うことであり、そのためには最善のタイミングを見計らう必要があった。
それは全知によって調べ終えている。己がどのように動けばいいかまで含めて、全て……。
『わかりました……では待っていますよ……地球神』
「……地球神、地球神ですか……地球は世界の名称ではなく星の名ですが、貴女が私という存在を指す呼び名としては……まぁ、悪くないですね」
『貴女が名を教えてくれれば、そう呼びますが?』
「あいにくと、私が神として名乗っている固有の名称は無いのですよ。ですが、そうですね……そちらを訪れる時までに、考えておきます。ではまた連絡します……シャローヴァナル」
『ええ、また……』
シャローヴァナルに言われて思い至ったが、彼女に神としての名前はない。マキナというのはあくまで彼女が人間だった時の名であり、その名前で呼んでほしいのは……彼女にとって唯一無二の親友だけ。
他の世界の創造主には『機神』と呼ばれているが、ソレも別に名前というわけではない。一瞬だけ専用の名前を考えようかとも思ったが……即座に別に必要ではないと思考を切り捨てた。
トリニィアに赴く際には楽園を端末として利用するつもりなので、その名前でも名乗っておけばいいと結論付け、彼女はアリシアを救うための計画を練り始めた。
真っ白な空間に無機質な機械音声が響く。
《プログラムコード《楽園》、個体ナンバー76812は、現時点を持って広域統括観測の任より一時離脱。現時刻を持ってマザーブレインマキナの接続端末となる》
十対二十枚の翼をもつ機械天使の瞳が極彩色に染まり、空間に線が入り異世界への道が開かれる。
《同時に、プログラムコード奈落及び盾との同調を一時解除。十二秒後に世界間転移を発動、転移座標は異世界トリニィア……カウント、開始》
そして、彼女は……真なる神となったマキナは、静かに動き出した。かつて交わした色あせることのない約束、無二の親友を救うために……。
エデンの正体がマキナであり、彼女の目的が快人を見定めることではなくアリシア……アリスを救うことという前提で考えると、謎めいていた彼女の行動の多くに説明がつく。
全知である彼女がわざわざ異世界を訪れて直接快人を見定めようとしたこともそうだが、彼女はこの世界に来てまずクロムエイナと模擬戦を行った。
快人と会って見定めることが目的ならわざわざそんなことをする必要はない。彼女は明らかに最初から、この世界で戦闘を行うことを想定していた。だからこそ、我が子ではないクロムエイナが口にした条件をアッサリと受け入れ、その交換条件として模擬戦を……『手加減を練習する機会』を得た。
その上で快人とアリスが共に居る場所に姿を現した。快人を見定めるというのであれば、アリスも一緒に別空間に連れてくる必要などなかった。
そして彼女は初手でアリスの不意を突き、アリスを十万キロ先へ強制転移させた。十万キロというのは、『人間レベル』で考えれば、とてつもない距離に聞こえるかもしれない。
しかし容易く光の速度を越えられるアリスにとっては、それは大した距離ではない。事実アリスが十万キロの距離を走破し、別空間の壁を破って戻ってくるまでにかかった時間はほんの僅かである。
それはあくまで、アリスの危機感を煽るために行ったこと……快人を守るという意思を彼女に強く持たせ、その心のうちにあるものを引き上げるための下準備。
「――絆を紡げ! ヘカトンケイル!」
仮面を脱ぎ捨て、強い意志の籠った瞳で己を睨みつけるアリスを見ながら、エデンは……マキナは、静かに思考を巡らせていた。
(……そうだよ、アリシア。たしかに貴女の心は一度砕けちゃったかもしれない。だけど、いつまでも砕けたままじゃない。もう貴女の心は輝きを……『希望』を取り戻しかけてる)
過去に縛られて足を止め続けていた彼女が快人を守るため、前を見つめて振るった拳を受けて大きく吹き飛ばされる。
途中でピタリと空中に制止し、エデンはゆっくりと背にある翼を広げる。
(荒療治になっちゃうけど、必ず貴女の心の奥で燻っているかつての……ううん、かつてよりずっと強くなってる輝きを引っ張り上げてみせる! そこから先は……貴女次第だよ……アリシア!)
そうして彼女とアリスは戦い始めたが、見返してみればその戦いにも違和感を感じる部分はあった。
エデンは初手から全力でアリスを排除するのではなく、徐々に攻撃を強くしていった。まるでアリスを『高みへと導くように』、少しずつ攻撃を苛烈にしていった。
実際エデンとの戦いで、アリスは少しずつかつての自分を取り戻していった。大切な快人を守るため、いまの自分よりもっと強く早くと、彼女の原点ともいえる強さを取り戻していった。
アリスの心が強く煌めくたびに、彼女が纏うヘカトンケイルもその輝きを増していく。そして、一度は希望を失い、壊れてしまった心……快人によって拾い上げられ、新たな形へと生まれ変わったその心が、果てなき輝きを放ち……その時は訪れる。
「ここが――この瞬間こそ――我が心の極致――限界を超え――いま、世界を紡げ! ――ヘカトンケイル!!」
流星の如き光がアリスに吸い込まれ、その体が、魔力が……眩いほどに輝き始める。
それは、かつてひとりの少女を暗闇から救い出してくれた温かく……そしてなによりも懐かしい、希望の光。
その輝きを見て、『エデンは』表情を変えなかった。しかしエデンを動かしている『マキナは』……その口元に柔らかな笑みをつくり、噛みしめるように言葉を紡いだ。
膨大な年月を経てもなお、一日たりとも忘れたことのない大切な……大好きな親友の復活を喜ぶ言葉を……。
――――――おかえり……私の……英雄
???「先輩! しっかりしてください!! まだシリアス続いてますよ!!」
シリアス先輩「……うぐぐ……まだ……まだ……」
???「せっかくのシリアス展開なのに先輩がいないなんて……いないなんて……別にいつも通りですね。なんの問題も無かったです」
シリアス先輩「……おい……おい」
???「じゃ、お疲れ様……」
マキナ「それで次は唇なんだけど、ここはもう言うまでもなく我が子の最萌ポイントのひとつだよね! ここに関してはかなり長めに語る必要があるからしっかり聞いてほしいんだけど――」
???「こっちはこっちで、まだやってんすか!? しかも一話挟んでも、まだ顔すら終わってないですし!?」




