数日遅れのバレンタイン番外編③
本日二話目の更新です
明日にバレンタインを控え、どこか街全体が浮かれた雰囲気に包まれる中、アルベルト公爵家もまた例外ではなかった。
なにせ当主であるリリアが、そもそもかなり浮足立っているので、屋敷全体としてそんな……どこかピンク色ともいえる空気になっていた。
そのアルベルト公爵家の廊下を、いつもと変わらぬ様子で歩いていたイルネスは、聞こえてきた声に足を止める。
「……リリ、なぜですか……頭は良いはずですよね? 記憶力も抜群のはずですよね? なんで、去年教えたことをすべて忘れてるんですか……」
「……申し訳ありません」
その声に導かれるようにキッチンを覗いてみると、この屋敷の当主であるリリアが真っ二つになったまな板の前で肩を落としており、少し離れた場所でジークリンデが頭を抱えていた。
イルネスは優れたメイドであり、リリアやジークリンデとの付き合いも長い。キッチンの状況と先ほど聞こえてきた言葉から、すぐに状況を察してキッチンの中へと入った。
「ふたりで~チョコレート作りですかぁ?」
「……イルネス?」
「イルネス様?」
キッチンに入ってきたイルネスに、リリアとジークリンデの視線が向けられる。
「ですが~あまりうまくいってないようですねぇ」
「うぐっ」
いつも通りの口調で告げられたその言葉に、リリアはバツの悪そうな表情を浮かべた。それを見て、イルネスは軽く苦笑したあとで、再び口を開く。
「よろしければ~私もぉ、お手伝いしましょうかぁ? ジークリンデも~自分のチョコレート作りがぁ、あるでしょうしねぇ」
「そ、そうしていただけると私は助かりますが……でも、大丈夫ですか、イルネス様? イルネス様の指導力を疑うわけではありませんが、リリはなかなか強敵ですよ」
「大丈夫ですよぉ」
イルネスの言葉から、リリアへのチョコレート作りの指導を変わってくれるという意味であることを察したジークリンデは、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
ジークリンデは去年もリリアにチョコレート作りを教えたのだが、料理が壊滅的なリリアの指導には非常に多くの時間を要した。
そして今年は去年に比べて、ジークリンデは仕事が詰まっており、あまり時間を取ることができない、故にイルネスの申し出は本当にありがたかったが、去年の苦労を考えるとそれをイルネスに押し付けるのは気が引けた。
しかし、イルネスはいつも通りの様子で大丈夫だと答え、リリアのほうに顔を向ける。
「お嬢様も~それでよろしいですかぁ?」
「え、えぇ、よろしくお願いします」
「はい~。それでは~さっそく始めましょうかぁ」
リリアが了承したのを確認してから、イルネスは流し場に移動して手を洗い、真っ二つになっているまな板を手早く片付けてからリリアへの指導を始める。
「では~お嬢様ぁ、まず始めに~どんなチョコレートを作るかぁ、イメージして見ましょうねぇ」
「イメージ、ですか?」
「はい~お嬢様はぁ、どんなチョコレートを作りたいですかぁ?」
「う、う~ん……カイトさんが、喜んでくれるチョコレート……」
「なるほど~カイト様の好きなチョコレートですねぇ。そうですねぇ、たとえば~カイト様は~生クリームなどのぉ、乳製品の甘さより~果物の甘みが好み見たいですねぇ」
「果物……ですか……」
イルネスの言葉を聞いたリリアは、真剣な表情で考え始める。リリアは決して頭が悪いわけではない、というよりむしろ天才である。
テンパるとその頭のよさはまったく生かされないが、考えるべきことが分かっているなら話は別だ。
「果実をそのままチョコレートに加えるというのは大きくなってしまいそうですし、それならソース状にして中に……果物の種類は……カイトさんはリプルが好きですが、リプルは味があまり強くないですし、チョコレートに負けてしまいますかね?」
「そうですね~上手く調整すれば大丈夫ですがぁ、少し難しいですよぉ?」
「となると、素人の私には難しいですね。ならば他に……あっ、そうです。イルネス、先日焼いてくれたケーキに使っていたクラックベリーはどうでしょう?」
「それはいいですねぇ。酸味のあるベリー系のソースなら~チョコレートへのアクセントにもピッタリですねぇ」
リリアが辿り着いたチョコレートの完成予想図は、一口サイズで中にベリーソースの入ったチョコレート。シンプルな造りではあるが、味のバランスも良くリリアでも作りやすい部類だ。
そのやり取りを見ていたジークリンデは、小さなメモを取り出し、そこに「方向性だけを示して、リリに考えさせる」とメモをしていた。
「……となるとこの辺の材料はいらないですね」
「私が~片づけておきますよぉ」
「助かります」
ジークリンデが頭を悩ませていた要因のひとつである肉や魚といった滅茶苦茶な材料類だが、リリア自身が完成形をイメージできたため、必要なものと不必要なものの判断ができるようになっていた。
「では~次はぁ、チョコレートを砕きましょうかぁ」
「はい! あっ、で、でも、その、私……力加減が上手く」
「お嬢様は~剣で地面を砕くこともできると思いますがぁ、魔物を倒すときに~毎回地面を砕きますかぁ?」
「い、いえ、砕きません」
「では~それと同じ要領でやってみましょうかぁ……そうですね~グレイウールラビットぐらいの硬さだとぉ、想像して~切ってみてくださいぃ」
「わ、わかりました……グレイウールラビット……グレイウールラビット……」
イルネスのアドバイスを聞いたリリアは、包丁をまるで剣のように握り……恐ろしいほどのスピードで振るった。
それこそまな板はおろか、キッチンの床すら切り裂きそうな速度ではあったが……まな板が傷つくことはなく、チョコレートだけが綺麗に粉々に切り裂かれていた。
そしてそれを見ていたジークリンデは、そっとメモに「リリに包丁を使わせるときは、剣だと思わせる」と描き込んでいた。
「ありがとうございました、イルネス! おかげで無事完成しました」
「……本当に、さすがイルネス様……私も勉強になりました」
「いえいえ~お役に立てたのならぁ、なによりですよぉ」
イルネスの指導により、リリアは無事にチョコレートを完成させることができた。去年と比べれば、圧倒的に早い速度で……。
それもリリアの性格をよく知り、どう誘導すればうまくことを運べるか理解しているイルネスが指導したからこその成果だろう。
そのことを理解しているリリアは深く頭を下げてお礼を告げ、ジークリンデも感嘆の表情を浮かべる。
「それでは~私はこれでぇ」
「あ、はい……あれ? そういえば、イルネスはチョコレートは作らないんですか?」
「作りませんよぉ」
チョコレートを作らないのかというリリアの質問に、アッサリと作らないと返答して、イルネスはキッチンをあとにした。
「おやぁ? どうかしたんですかぁ? イータ~シータ~?」
「「イ、イルネス様……その、実は……」」
イルネスはリリアへの指導を終えたあと、ふたたび廊下を歩いていると今度は困った表情を浮かべているイータとシータを見つけて声をかけた。
「なるほど~仕事の調整がぁ、上手くできずに~カイト様へのぉ、チョコレート作りの時間がないとぉ?」
「「……はい」」
「では~今日のあなたたちの仕事はぁ、私が変わりますよぉ。ふたりは~チョコレートを作ってきてくださいぃ」
「え? い、いえ、しかし……」
「それだと、イルネス様に迷惑がかかる……です」
アッサリとふたりの仕事を変わると告げるイルネスに、イータとシータは困惑したような表情を浮かべる。しかし、イルネスはいつも通りの口調で言葉を続けた。
「問題ありませんよぉ」
「「……」」
「貴女たちは普段の仕事も~真面目ですしぃ、サボりたいというわけでもないのでしょう~? せっかくの~一年に一度の行事なのですからぁ、今回はそちらを優先してください~」
「……イルネス様……ありがとうございます! このお礼は必ず!」
「本当に、本当に、ありがとうござい……ます」
「いえいえ~」
イータとシータはイルネスに深く頭を下げ、チョコレートを用意するためにキッチンに向かおうとして……その直前に足を止めた。
「……イルネス様は、チョコレートを作らなくてよろしいんですか?」
「私は~作りませんよぉ」
そしてさらにそれだけではなく……。
「それで~アニマはぁ、なにに悩んでいるのですかぁ?」
「いえ、実はご主人様にチョコレートを贈りたいと多くの貴族から手紙が来ておりまして……ご主人様はそれを望まないと思うのですが、どう断ったものかと……」
「なるほど~ではぁ、いくつか定番の断りを入れた例文を~教えますよぉ」
「そ、それはありがたいですが……イルネス殿の仕事は、大丈夫なのですか?」
「あまり仕事量も多くないので~大丈夫ですよぉ」
快人への手紙の対応に悩んでいたアニマに対し、いくつかのアドバイスを行ったり……。
「……イルネス様。うちの母親の暴走を止めるには、どうしたらいいでしょうか?」
「頭ごなしに~否定するだけではぁ、駄目ですよぉ。ある程度は~妥協点をぉ、提示しましょうねぇ。例えば~」
母親であるノアの暴走に悩んでいるルナマリアの相談に乗り、いくつかのアドバイスを行ったりと様々なことをしていた。
「……なるほど、ありがとうございます。そういえば、話は変わりますが、イルネス様はカイト様にチョコレートを贈るんでしょうか?」
「贈りませんよぉ」
「そうなんですか……あ、いえ、すみません。少し気になっただけなので……」
ただ一貫して、快人にチョコレートを贈るかと問われた時には、「贈らない」「作らない」と返していた。
日付も変わり、深夜といっていい時間帯、イルネスは昼間と変わらない様子で屋敷の廊下を歩いていた。ただし、夜であることを考慮して、足音はまったく立てていなかったが……それ以外は、昼と、いや普段とまったく変わらない様子だった。
しかし、その途中……イルネスはひとつの扉の前で足を止め、扉に向かって深く一礼した。
そしてノックはせずに、ポケットから取り出した鍵で扉を開け、静かに部屋の中に入る。
微かに月明かりが差し込む暗い部屋。その中にあるベッドでは、快人が静かな寝息を立てながら眠っていた。
それを見て少し微笑んでから、イルネスはベッドに近づき、少しだけ乱れている毛布を快人にかけなおす。
「……」
心から愛おしそうに快人の寝顔を見たあと、イルネスは片手で自分の髪を押さえ、そっとしゃがみ込み……快人の頬に、本当に僅かに唇を触れさせた。
「……お慕いしてますぅ。ずっと~これからもぉ」
小さな声に、大きな想いを込めて呟き、イルネスは幸せそうな微笑みを浮かべた。
そして少しの間、安らかに眠る快人の表情を優し気に見つめたあと、部屋のテーブルの上に綺麗に包装された包みを置いてから、部屋から出ていった。
朝、目を覚ましてみると、ベッドのすぐ近くにある小さなテーブルの上に、綺麗な包みがひとつ置いてあった。
まだ少し眠い目を擦りながらその包みを手に取ってみる。
「……軽い? それに、宛名も無し……なにが入っているんだろうか?」
なんとなく奇妙な出来事ではあるが、危険なものならアリスがなにも言わないわけがないので、深くは気にせずに包みを開いてみる。
すると中には……綺麗に編まれた、マフラーと一枚のメッセージカードが入っていた。
『ハッピーバレンタイン。これから先、いつまでも貴方が笑顔であれますように』
心が温かくなるような、簡潔で、それでいてとても優しい言葉……メッセージカードの裏には、控えめな字で『イルネス』と書かれていた。
シリアス先輩「……ヒロイン力たけぇな、おい」
???「本当に、ここまでいいキャラになるとは、登場させたときには作者も予想してなかったことでしょうね」
シリアス先輩「……しかし、なるほど、確かにチョコレートは作ってないし、贈ってないな」
???「そういうことですね」
 




