『さようなら』
郊外の小高い丘にある霊園。景色の綺麗なところがいいだろうと、おじさんとおばさんがここに両親の墓を作ってくれた。
俺にとっては、本当に……子供のころから数えきれないほど足を運んだ場所でもある。
――はいけい、お母さん、お父さん。今日は、誕生日でした。おじさんもおばさんも、おめでとうと言ってくれたけど、ぜんぜん嬉しく思えなかった……どうして? なんだろう?
ゆっくりと霊園を歩いていると、幼い声が聞こえ……半透明の小さな子供の背が見えた。涙でシワだらけになった日記帳を手に持ち、まるで読書感想文の発表会のように墓の前で音読している。
……思えば、このころはまだ俺は両親が死んだということの意味を、ちゃんと理解できていなかったんだと思う。
母さんと父さんは、簡単には会えない遠い場所に行ってしまっただけで、いつか帰ってくるのだと……だから手紙を書くように日記を書き始めた。
いつしかソレが癖になり、日記の始まりには『拝啓』と付けるようになった。
――はいけい、お母様、お父様。今日もネットゲームをプレイしました。ハイビスくんっていう初心者と知り合って、いろいろ教えてあげることになりました。そう、出会いはたしか……。
また少し歩くと、先ほどよりも少し成長した少年と青年の間ぐらいの同じく半透明の男が見えた。分厚い日記帳を手に持ち、墓に向かってそれを一ページずつ読み上げている。
思えば、このころから……一日分の日記の量がどんどん増えていたような気がする。それこそ、暇さえあれば日記を書いていた。些細な会話から、その時の自分の心境まで思い浮かぶすべてのことを……。
ネットゲームを始めたのも、もしかしたら……母さんと父さんに報告するための話題作りという面が大きかったのかもしれない。
だから、かなりガッツリプレイしていたはずなのに、ハイビスくん……葵ちゃんとの思い出以外は、それほど印象に残っている出来事もない気がする。
――拝啓、お母様、お父様。大学に合格しました。俺には特にコレと言って目標もなく、叶えたい夢も無く、結局選んだのは近場の大学でした。お母様は沢山の夢を持っていた人でしたね、いろいろな夢を叶えてみたいと……叶えたい夢をつづった小さなメモ帳を持っていたのは、いまも覚えています。ただ、俺にはどうしても夢というものは見つかりません。欲しいものもなく、やりたいこともない……こんな空虚な気持ちのまま、体だけが成長して大人になっていってます。
墓の前にしゃがみ、日記を開きながら語り掛けるように読む……ほんの少し前の俺の姿。こうして客観的に見てみると、本当によく分かる。
俺が両親の死を全く受け入れられてなどいなかったということが……山のような日記を書いた。一冊書き終わるたび、霊園に足を運んで、母さんと父さんの墓の前で一ページずつ読み上げた。
返事なんて返ってこないと、とっくに分かっていたはずなのに……。
たぶん、怖かったんだろう。日記を書くことを辞めてしまえば、記憶に残る母さんと父さんとの思い出が色あせてしまうんじゃないかって、だから俺は日記を……亡き両親に宛てた手紙を書き続けた。塞ぎ込んだままで繰り返しでしかない、代わり映えの無い日々を、それでも書き続けた。
――異世界は平和でした
だけど、ほんの一年前から……内容なんてあってないようなものだった日記に、彩が現れ始めた。
――物語が始まりました
本当にそれは、止まっていた時計が動くように……ゆっくりと、それでいてハッキリと……。
――誰かに甘えることができたのは……
そう、きっかけはあった。手も引いてもらった。
――恋をした
それでも、俺はちゃんと自分で選んで歩き始めた。
――クロに近付けていると……
いつからだっただろうか? 時間が足りなくて、一日の内容を書き切れなくなり始めたのは……。
――幸せなことだと思う
いつから、だっただろうか? 日記を書くことに使う時間が減りはじめたのは……。
――友達から恋人へと
いつから、かな? 日記を書いていると懐かしい気持ちになるようになったのは……。
――この笑顔を守っていきたい
いつの間にか、母さんと父さんが思い出へと変わり始めていた。
――ただいまと口にすることができた
欲しいものなんて無かったはずだった。夢なんて持ってはいなかったはずだった。
――心は繋がっているから
だけど俺は、異世界で……大切な……宝物を見つけた。
――この世界で生きていくつもりだ
過去しか見てこなかった目が、いつの間には未来に向いていた。
――自分の力で掴みとれたからだと思う
大切なものは、両手で抱えられないほど増え続け、望む未来はどんどん明るく輝いていく。
――強くなれたと思うから
それでも、まだ、俺の心にはずっと抱えてきたソレが残り続けていたんだと思う。
――絆って呼ぶんだろう
いつかは、必ず向かい合わなくてはならないものだった。だけどずっと、ソレと対峙する勇気が湧いてこなかった。
――膝を折らずに立っていられるよ
たくさんのものを貰った。数えきれないほどの優しさに触れた。前に向かって歩く勇気を……思い出した。
だから……うん。だから、俺はもう大丈夫。向かい合おう、ずっと目を逸らし続けてきた過去と……。
いつの間にか聞こえていた幻聴は止み、俺は目的の場所へたどり着いた。
そこに、なにが待ち受けているのかは分かっていた。この仮想世界の住人が黒いゾンビに置き換わったとき、忽然と姿を消したふたり……。
ここに待ち受けているのは、そのふたりしかいないだろう。
「……母さん……父さん」
俺の声を聞き、墓の前に立っていた母さんと父さんはゆっくりとこちらを振り返る。優しく温かな微笑みを浮かべたままで……。
「……快人、帰ろう?」
「あぁ、父さんと母さんと一緒に、家に戻ろう」
そういう風に声をかけてくるだろうということは分かっていた。それでも、心の奥底に隠れていた幼い俺が小さく悲鳴を上げる。
その手を掴みとれと、母さんと父さんの下へ行けと……。
「ここには全部があるんだよ。私が居て、お父さんが居て、快人がいる。だから、それでいいんじゃないかな? もう頑張らなくても、幸せな夢にずっと浸っていたっていいと思うんだ」
「……もし、快人が気にするなら、シャローヴァナル様に頼んで時間を戻してもらおう。あの時、あの事故があった時まで……そして、また家族三人でやり直そう。きっと幸せなはずだ」
母さんと父さんが語る言葉は、本当に甘く優しいもの……かつての俺なら、きっとすべてを投げ出してその手を掴んでいただろう。
異世界にきて、クロに救われてからも……「もし母さんと父さんが居たら」と、考えたのは一度や二度じゃない。
すべてをやり直す……それはきっと、ずっと俺が願い続けてきたものだろう。ずっとずっと、起こってほしくてたまらなかった奇跡だと断言できる。
「……母さん、父さん」
諦めてもいい、頑張らなくてもいい。ふたりの手を取れば、すべての俺の望むままの、幸せな夢の世界が待っている。
「……ごめん」
だけど、俺にはその手を取ることはできない。
「大切な人たちがいるんだ。俺の帰りをずっと待ってくれてる、絶対に失いたくない大切な人たちが……だから、俺は母さんと父さんの手を取ることはできない」
「……」
「……」
「……夢の中でも、こうしてまた母さんと父さんに出会えてよかった。本当に嬉しかった。いまでも、いや、これからもずっと……俺は母さんと父さんのことを愛してる。ふたりの息子として生まれてこれて、本当に幸せだって、心から思ってる」
瞳から涙が零れるのを自覚しながら、それでも俺はゆっくりを足を進める。そして、ふたりの間を通り……あの時、言えなかった言葉を口にした。
「……だから、『さようなら』……母さん、父さん」
あの時には言えなかった別れの言葉。覚悟を持って告げた俺の未来の選択。その言葉の直後、背中にふたつの手が触れた。
「……え?」
誰の手かは分かっている。だけど、それは決して俺を引き留めようとしている手ではなかった。そしてふたつの手は、ゆっくりと俺の背中を押した。
「……それでいいんだよ、快人。それでこそ、私の自慢の息子だよ!」
「おいおい、僕たちの、だろ? だけど、本当……立派になったな」
「……母さん? 父さん?」
驚きながら振り返ると、そこには有紗たちがそうだったように光の粒子に包まれながら、満面の笑みを浮かべている両親の姿があった。
「快人、残る試練はひとつだよ。大変な試練だと思うけど……それでも、私は快人ならきっとやり遂げるって信じてる!」
「あぁ、行きなさい、快人。お前を待つ、お前の大切な人たちの下へ……」
ふたりの姿が、足元からゆっくりと消えていく。
「快人、ずっと愛してる。私の息子として生まれてくれて、立派に育ってくれて……ありがとう」
「僕たちにできるのは、少し背中を押すぐらいだが……こうして、少しでも親らしいことができて、良かったよ」
「ッ!?」
母さんは力強くサムズアップをし、父さんは優しくこちらに手を振り……ふたりは同時に光の粒子となって消えた。
「……ありがとう。行ってきます」
俺の背中に、温かく力強い手の感触だけを残して……。
シリアス先輩「……全話通しても珍しい、快人が主人公っぽい回だった」
???「おいこら、エセシリアス。なに、カイトさんのシリアスシーンになにちゃちゃ入れてんすか、黙ってねぇと、ぶっ殺しますよ?」
シリアス先輩「理不尽!?」




