閑話・リリア~もうひとりの母親~
【今回の更新に関して】
まずは本編の続きではなくて申し訳ありません。作者が『ハートフル病』という、ハートフルな話を書きたくて仕方ない、ハートフルな話をかくまで続ぎが書けない、という病にかかりました。
なので今回は、リリアの過去編をちょこっとだけ掲載します。
病は無事完治したので、次回は普通に本編の更新です。
シンフォニア王国17代目国王であるロータス・リア・シンフォニア。そして王妃であるダリア・リア・シンフォニアの子として、その少女……リリアンヌ・リア・シンフォニアは世に生まれ落ちた。
長く子宝に恵まれず、石女と陰口すら叩かれた王妃の待望の第一子として生まれたにも拘らず、リリアンヌの立場はとても微妙なものだった。
というのも、リリアンヌが生まれたのは側室の子であるライズ・リア・シンフォニアが結婚し、正式に王太子として、次期国王として任命されたばかりと言っていい時期だったのだ。
王宮とて一枚岩ではない。正妻の子であるリリアンヌを次期国王に据えるべきだと主張する勢力が生まれ、少しばかり王宮を騒がせることになった。
とはいえ、リリアンヌは生まれたばかりの幼子であり、王族として長く教育を受けてきたライズには敵わないという意見も多く、次第にリリアンヌを次期国王へという声は小さくなっていった。
それだけなら、王族にはよくある継承権のゴタゴタ程度で片付いただろう。しかし、リリアンヌが4歳になるころには、再び彼女を国王にという声が強くなった。
そう、ある意味では皮肉なことだが、リリアンヌ・リア・シンフォニアは――『天才』だった。それも、生半可な天才ではない。彼女は人界の歴史を見ても、他に類を見ないほどの圧倒的な才能を持っていた。
本を読めば容易くその内容を理解し、礼儀作法もダンスも、一度教えられるだけで軽々とこなして見せた。それどころか、彼女は5歳になるころには魔法を使えるようになっていた。
後に彼女は『魔法の習得には3ヶ月ほどかかった』と語っている。それは人間としては早い部類……などという次元ではない。そもそも、前提が違うのだ。
いや、確かにリリアンヌは魔法を発動できるまでに3ヶ月かかった……『独学』で。そう、その時にはまだ幼い彼女に対し、魔法の指導は行われていなかった。
リリアンヌは誰に教えられることもなく己の体に流れる魔力という存在に気付き、ソレを独学で行使できるようになり、周囲を戦慄させた。
そしてそのことに頭を悩ましたのは、国王であるロータスと王妃であるダリアだった。ふたりは子も生まれたライズに、そろそろ王位を引き継ぐ準備をしている段階だったが、リリアンヌの才能が明らかになるにつれリリアンヌ派の声がどんどん大きくなってきていた。
繰り返しになるが、リリアンヌは天才だ。それも歴史の中でも類を見ないほどの……一度読んだ本の内容を軽々と暗記し、礼儀作法も講師が舌を巻くほどに完璧、一度見た動きを簡単に再現するなどというのも日常茶飯事だ。
当初は少数だったリリアンヌを次期国王にという声は、王宮を二分するほどに大きくなり、ふたりはその対応に日々追われることとなった。
しかし、変化があったのはなにもそこばかりではない。リリアンヌ本人にも、悪い意味で変化が訪れ始めていた。
幼いリリアンヌの目から見て、周りの人間は『無能ばかり』だった。大人であっても自分に敵わない、自分が簡単にできることを、周囲の大人たちは苦戦している。
忙しい両親と接する時間も減り、周囲は彼女を天才と褒め称える者ばかり……それらが相まって、リリアンヌの心には他者を見下す傲慢さが芽生え始めていた。
そのままであれば、リリアンヌの性格は歪んでいただろう。力を振りかざす傲慢な人間に成長していたかもしれない。
そのことにいち早く気づいたロータスは、長い付き合いの親友でもあるエルフ族の魔導士レイジハルトを宮廷魔導士として迎え入れ、その娘であるジークリンデをリリアンヌの友人とし、彼女の孤独を癒し他者を思いやる気持ちを忘れさせないために動いたが……リグフォレシアから家族ごと引っ越しをするには、少し時間がかかる。
リリアンヌの心に芽生え始めた傲慢さが、確かな形をもつまでに間に合わないと思っていた。
しかし、そんなリリアンヌを叱った人物がいた。
「……リリアンヌ様ぁ、めっ、ですよぉ」
「な、なにをするんですか、イルネス!」
そう、リリアンヌの専属として付いていたメイド……イルネスだ。
イルネスに軽く額を突かれたリリアンヌは、当然ことをながらそれに反発した。なぜ、自分が怒られなければならないのかと……。
「周りを~見下すようなことを~言ってはぁ、いけませんよぉ」
「……じ、事実です。イルネスだって、私には勝てません。私の方がすご……」
「そうですか~? 私はぁ、全然凄くないと思いますけどぉ?」
「な、なぜですか!?」
リリアンヌはあまり叱られた経験はなかった。それもそのはずだろう。王女であり、稀代の天才と謳われる彼女を叱れる人物など、そうはいないのだから……。
しかし、イルネスは彼女を叱った。そして、優しく諭すように話しかけた。
「誰かを~傷つけるなんてことはぁ、少しも凄くないんですよぉ。それは~誰にでもぉ、出来ることですぅ。本当に凄いのは~力ない者をぉ、認め~守ってあげられることですよぉ」
「……」
「たしかに~リリアンヌ様はぁ、凄い力を持っているのかもしれません~。ですが~それを~誰かを傷つけるために使うならぁ、貴女は~どこにでもいるぅ、悪い人ですぅ。力を~正しく使えてこそぉ、立派な人物になれるのですよぉ」
「……うっ、でも……」
イルネスは焦らずゆっくりとリリアンヌに語り掛けた。力の使い方、大きな力を持つ者の責任、いずれ人を守る立場になったら必要なこと……。
リリアンヌは聡明だ。イルネスの言葉が正しいということを理解するまで、それほどの時間は必要なかった。
しかし、それでも納得しきれない部分もあったが……イルネスが告げたある言葉で、彼女は考えを改めた。
「……もし~リリアンヌ様がぁ、悪い大人になったらぁ、私は~貴女を『嫌いになります』よぉ」
「そ、それは……嫌……です」
その時点でリリアンヌはまだ、傲慢だったわけではない。そういった兆候が見え始めていただけ。そのタイミングで叱られたこと、そして物心ついた時から自分の世話をしてくれている……一番多く言葉を交わしているイルネスに嫌われたくないという思いは、彼女に考えを改めるきっかけをもたらしてくれた。
そして、その後にジークリンデという優しい友人も得たことで、リリアンヌは他者を思いやる心と優しさを忘れることなく成長することが出来た。
リリアンヌは心優しき王女として成長していく過程で、兄であるライズとの関係も改善することができた。その結果として、ライズが重度のシスコンになってしまったのは想定外だろうが、家族を大切だと認識できるようになった。
もちろん、そうなれたことには彼女が心優しい性格だったこともあるが、それ以上に……イルネスという存在が大きかった。
リリアンヌが14歳になるころには、彼女の才能は王国中どころか、他国にまで知れ渡っていた。だからこそ、初出場の武術大会で準優勝した時には、驚く者は少なかった。
さすがは天才、リリアンヌ・リア・シンフォニアと……多くの人が彼女の才覚を褒め称えた。当の本人も、そんな言葉には慣れているのか、王族としてお手本のような微笑みを浮かべて礼を述べた。
ただ……例外は存在する。
「イルネス! 聞いてください! 私、武術大会で準優勝したんですよ!! その、決勝でジークに負けちゃいましたけど……でも、次は勝ちます!」
闘技場で優雅な微笑みと共に礼を述べていた時とは違い、心から嬉しそうな笑顔で話すリリアンヌを見て、イルネスは掃除の手を止めてニタ~と笑みを浮かべる。
「くひひ、そうですか~おめでとうごさいますぅ。リリアンヌ様ぁ、『よく頑張りました』ねぇ」
「え、えへへ……そ、そんなことないです。私は、まだまだです」
「それでも~立派ですよぉ。ご褒美に~ケーキでもぉ、焼きましょうかぁ?」
「あ、ありがとうございます! 嬉しいです!」
イルネスは……リリアンヌのことを一度たりとも『天才』とは呼ばなかった。いつも彼女の才能ではなく『努力を誉めてくれた』。リリアンヌは、それが嬉しくてたまらなかった。
優しく頭を撫でられる感触と、ご褒美に焼いてくれる優しい味のケーキが、大好きだった。
リリアンヌにとってイルネスは『もうひとりの母親』だった。もちろん実の母親も愛している。忙しい仕事の合間に会いに来てくれたことには感謝しているし、王位を兄が引き継いでからはよく一緒にお茶もするようになった。
しかし、それと同じぐらい。幼いころからずっと傍に居て、間違った時には叱ってくれ、頑張ったときには褒めてくれるイルネスが大好きだった。
だからこそ、リリア・アルベルトと改名し、公爵家の当主となる際に、必死に頭を下げてイルネスについてきてもらった。
それはイルネスが優秀でありメイドたちの指導をしてほしい……などというのは、建前の理由だ。
リリアンヌ――リリアは、不安だった。
声を失った親友、公爵という立場、これから先のこと……それらがどうしようもなく不安だったからこそ、イルネスに……『もうひとりの母』に傍に居て欲しかった。
アルベルト公爵家の執務室。夜遅くまで仕事をしていたリリアは、ノックの音に手を止める。
入室を許可すると、カートを押しながらイルネスが入ってきた。
「お嬢様ぁ、まだ~お仕事をしているんですかぁ?」
「え、ええ、少しだけ……いえ、本当に少しだけですが、片づけておきたい仕事があったので……」
イルネスの言葉を聞き、リリアは悪戯がバレた子供のような表情で、少し目線を逸らして頬をかく。すると、イルネスはカートを置き、リリアに近づいてから、軽くその額を指でつついた。
「……めっ、ですよぉ。頑張るのは~結構ですがぁ、ほどほどにしてくださいねぇ」
「あぅ……はい」
根を詰め過ぎていた自覚はあるのか、リリアはイルネスの言葉に素直にうなずく。
それを見て満足そうな表情を浮かべたあと、イルネスは再びカートの方に移動して口を開く。
「差し入れに~ケーキを焼いてきましたがぁ。いかがですかぁ?」
「ありがとうございます。いただきます」
「はい~」
公爵家の当主という立場もあり、夜会や茶会などで、リリアはいままでたくさんの種類のケーキを食べてたことがある。
しかしそれでも、彼女はイルネスが焼いてくれるケーキが、一番好きだった。
表現は難しいが、心温まる優しい味わい。リリアにとっての『おふくろの味』とでも言うべきものだ。
イルネスが用意してくれたケーキを、幸せそうな表情で食べながら、リリアはポツリと呟いた。
「……イルネス。私は、その、立派な当主に……なれているんでしょうか? 皆を、ちゃんと、守れているのでしょうか?」
小さく零した不安。それを聞いたイルネスは、いつも通りニタ~と独特の笑みを浮かべ、そっと座っているリリアの頭に手を置いた。
「大丈夫ですよぉ。お嬢様は~ちゃんとぉ、頑張ってますぅ。立派になって~私はぁ、嬉しいですよぉ」
優しく頭を撫でられる感触、じんわりと心を包み込んでくれる優しさ。初めは少し怖かったが、いまとなっては大好きになった独特の笑顔を見ながら、リリアは嬉しそうに微笑んだ。
「……でも~頑張り過ぎはぁ、駄目ですからねぇ?」
「うぐっ……で、でも、イルネスの方がよっぽど……」
「私は~魔族だからぁ、大丈夫ですぅ」
「……伯爵級ですもんね」
「ですねぇ~くひひ」
「ふふふ」
事実、リリアという少女のこれまでの人生を見てみれば、彼女が歪んでしまう要因はいくつも存在していた。
兄との確執、圧倒的な才覚、忙しくあまり自分にかまわない両親、才能ばかりを見て己自身を見ない周囲……ひとつ間違えば、彼女は恵まれた才能を間違った使い方で行使していたかもしれない。
だが、彼女は周囲に恵まれた。
リリアはまだ、イルネスの正体がパンデモニウムであると言うことは知らない。だが知ったとしても、驚きこそすれ、彼女との関係を変えることはないだろう。
伯爵級であろうと、六王の幹部であろうと……リリアにとってイルネスがもうひとりの母親であるという思いは、色あせたりしないのだから……。




