閑話・縁の下の力持ち
六王祭六日目の祭りを楽しみ、日が沈みかけた頃にリリアたちは宿へと戻ってきた。宿というよりはもはや豪邸と呼ぶべき建物ではあるが、さすがに七日も過ごしていれば慣れてもくる。
入り口で専属使用人に荷物を預け、リリアたちはそれぞれの部屋に移動していく。
リリアの部屋は、本人の強い希望……主に胃が痛いという理由でルナマリアとジークリンデの親友三人での同室となっている。
部屋に戻って椅子に座るリリアを見てから、ルナマリアとジークリンデも椅子に座った。主従である以前に親友同士でもある三人は、プライベートの時間にはこうしてよく三人でテーブルを囲んで雑談をする。
「今日は、比較的平和で本当によかったです」
「そうですね。昨日みたいに順番待ちで何時間も並ぶこともなかったですし……」
穏やかに微笑むリリアに対し、ルナマリアが深く頷いて同意する。ジークリンデは近くに寄ってきたペットのセラスを抱き上げ、膝の上に乗せて、マジックボックスから紅茶を取り出し、ふたりの前に置いた。
「……でも、リリがそんな風に油断した顔をしていると、これからなにか起こるんじゃないかと思ってしまいますね」
「あぁ、わかります。リリは本当に苦労を引っ張り込む体質ですからねぇ~」
「やめてください! 縁起でもない……」
いまはルナマリアもリリアを普段の『お嬢様』という呼び方ではなく、愛称である『リリ』と呼んでおり、気心知れた親友同士だからこその穏やかで心休まる時間が流れる……かと思ったが、直後に控えめなノックの音が聞こえ、リリアの肩が小さく跳ねた。
「……え?」
「おや? さっそく、なにかあったのでしょうか? 流石リリですね」
「……アオイさんか、ヒナさんでは?」
これからなにか起こるかもなどと話をした直後だったこともあり、三人は驚きながら顔を見合わせる。そして、リリアがどこか祈るような……厄介事じゃなくてほしいという願いを込めつつ、口を開く。
「は、はい……どうぞ」
「失礼いたします。アルベルト公爵様にお客様です」
「……来客ですか?」
「はい。『イルネス』様という方でございます」
「イルネスが? ……わかりました。通してください」
入ってきた専属使用人から告げられた名前が意外だったのか、リリア一度首を傾げてから、部屋に通すように伝える。
専属使用人が一礼して下がったあと、1分ほどして再び扉がノックされた。
「どうぞ」
「失礼します~」
やや舌足らずな独特の声が聞こえ、アルベルト公爵家のメイドであるイルネスが部屋に入ってきた。
「急に押しかけてしまって申し訳ありません、お嬢様ぁ」
「……どうかしたのですか? もしかして、屋敷の方になにかが?」
「いえ~屋敷の方に問題はありませんよぉ。ただぁ、二点ほどお嬢様に確認していただきたい手紙がありましてぇ、お届けに上がりましたぁ」
屋敷に居るはずのイルネスが訪ねてきたことで、なにかトラブルがあったのかと思ったリリアだったが、イルネスは首を横に振って二枚の手紙を取り出した。
「私観になりますが~早めの返事が必要だと判断しましたぁ。確認しておいてくださいぃ」
「わかりました。目を通しておきます」
「はい~あとぉ、屋敷の方はご心配なくぅ。滞りありませんよぉ」
「そうですか……すみません、イルネス。私が留守の間の代役まで頼んでしまって……疲れたりしていませんか?」
「このぐらいまったく問題ありませんよぉ。どうぞ~お嬢様はぁ、屋敷のことは気にせずお祭りを楽しんでくださいぃ」
「……助かります。本当にいつもありがとうございます」
「お気になさらずに~」
イルネスはアルベルト公爵家の中でも、最古参……いや、そもそも彼女は元々『王女だった頃のリリアに付いていたメイド』である。
非常に優秀なメイドであり、公爵として独立する不安を抱えていたリリアが、必死に頼み込んで勧誘した存在でもあった。
二日ほど考えさせてほしいとは言われたが、最終的にリリアの願いを聞き入れアルベルト公爵家に付いてきてくれた。
他の使用人の多くは自ら進んでリリアに付いてきており、リリアが頼み込んで付いてきてもらったのはイルネスのみ……そういう意味でも、アルベルト公爵家においては異色の存在だった。
そして、実際にその手腕はリリアの期待以上であり、アルベルト公爵家が僅か数年で非常に安定しているのは彼女の功績が大きい。もっとも、本人は目立つことを嫌っており、それを表立って口にすることはない。
しかし、リリアやルナマリアとジークリンデを含めた屋敷の人たちからの信頼は絶大であり、リリアが留守の際には代役を任されている。
派手な仕事よりも、雑務を進んで行い、そのどれもほぼ完璧といっていい仕事っぷり。まさに、アルベルト公爵家の縁の下の力持ちといえる存在だった。
「ルナマリアもぉ、楽しんでいますかぁ?」
「え、ええ……イルネス様もたまには、羽を伸ばして参加してもよかったと思いますが……」
「くひひ、私とお嬢様が両方参加してしまってはぁ、他の使用人の負担が大きくなってしまいますからねぇ」
単純な立場で言えば、平メイドのイルネスより当主専属メイドであるルナマリアの方が上ではあるが、ルナマリアはイルネスを様付けで呼ぶ。
というのも、ルナマリアを含め屋敷のメイドの大半はイルネスからメイドのイロハを教わっている。つまり、ルナマリアにとってイルネスは師匠ともいえる存在であり、彼女にしては珍しく緊張した様子で受け答えをしていた。
「ジークリンデも~おやぁ? くひひ、可愛らしいペットを連れて楽しんでいるようですねぇ」
「はい」
「それはなによりですよぉ」
ジークリンデにも一声かけて頷いたあと、イルネスは綺麗なお辞儀をしてから口を開く。
「……それではぁ、私は屋敷に戻りますねぇ」
「わざわざ、すみません。貴女には頼りっぱなしで……」
「いえいえ~お嬢様が不在の間の出来事はぁ、時系列順に纏めておきますのでぇ、戻られたら目を通してくださいねぇ」
「わかりました。本当にいつもありがとうございます」
リリアとのあいさつを交わしてから、イルネスは退出していった。
そして少しの間沈黙が流れたあと、最初にルナマリアがポツリと口を開いた。
「……相変わらずとてつもない方ですね。平時の仕事量だけで並のメイドの10倍はこなしているのに、お嬢様の代役まで……いや、本当に、いつになってもあの方には勝てる気がしませんよ」
「それに、カイトさんからベルちゃんとリンちゃんの世話も頼まれてますからね」
しみじみと告げるルナマリアに、ジークリンデも深く頷く。
っとそこでふと、ルナマリアはなにやら意地の悪い笑みを浮かべ、チラリとリリアを見てから大げさな動きで話始める。
「それだけ優秀で大量の仕事をこなしているというのに! 給料も立場も平メイド……お嬢様はなんて鬼畜なんでしょうか……あぁ、これではいつか愛想をつかされて辞められてしまいますよ」
「恐ろしいことを言わないでください!?」
ルナマリアの言葉に、リリアは青ざめた表情で叫ぶ。実際、イルネスがいなくなってしまえばアルベルト公爵家は……傾くとまではいわないものの、大きな打撃を受けるだろう。
彼女一人分の仕事を他の者が補おうとすれば、どれだけの人数が必要になるか想像したくもなかった。
「というか、私だって何度も昇給を持ちかけてるんですよ! だけど、本人が『固辞』するんだから、仕方ないじゃないですか!?」
「まぁ、たしかにイルネス様は欲がまったくありませんよね」
「……唯一希望したのは、当時立場が弱かったカイトさんの専属になること、ぐらいですからね」
そう、別にリリアは好きでイルネスを平メイドにしているわけではない。彼女の働き相応の給料を払おうとしたことだって何度もあった。
しかし、それはすべてイルネスが拒否しており……現状イルネスは、平メイドの同じ給料と立場ということになっていた。
「……私は、イルネスさえその気になってくれたら、すぐにでも彼女をメイド長にしますよ。というか、現メイド長ですら、頻繁に『私ではなくて、イルネス様のほうがメイド長にふさわしいのでは?』とか言ってますし……でも、全然了承してくれないんですよぉ」
「まぁ、そうでしょうね。というか、屋敷の使用人のほぼ全員が、イルネス様こそメイド長にふさわしいと思ってますからね」
「……思ってないのは、本人だけですね」
非常に有能で、心から頼りになる……リリアが全幅の信頼を置く存在ではあるが、唯一目立つ立場を嫌うという点だけは、非常に彼女の頭を悩ませていた。
まぁ、もっとも……そんな苦悩は、いつかイルネスの正体がパンデモニウムであると知った時の胃痛に比べれば、あまりにも軽いのだが……。
~当時の会話~
お嬢様「お願いします、イルネス! 公爵としての立ち振る舞いはある程度分かりますが、使用人の指導とかその辺は全くで……どうすればいいかわからないんです! お願いですから付いてきてください」
イルネス「はぁ……(いやぁ、私の役割はシンフォニア王家への潜入なんですがぁ)」
お嬢様「他に頼れる人がいないんです!? 付いてくると言ってくれた人のほとんどは元騎士ですし、そういうのが分かる人がいないんです!!」
イルネス「お話は分かりましたけどぉ、すぐにはちょっと決められませんのでぇ……少し考えてもいいでしょうかぁ?」
お嬢様「ありがとうございます!!」
イルネス「……(とりあえずぅ、シャルティア様に確認して~許可が下りればぁ、ですかねぇ? 代わりの要員も手配しなければいけませんがぁ……まぁ、ここまで頼まれたのなら少しは力になりたいものですがぁ)」
かくして、パンデモニウムはアルベルト公爵家にやってきました。
自ら気絶のネタを引き込む、苦労人の鑑……そして、あれ? パンデモニウム……意外とまともな性格してるんじゃ……




