なにより嬉しい気がした
風呂は心の洗濯、昔の人は上手いことをいうものだ。騒いで疲れた体を、温かな湯が癒してくれる。あぁ、やっぱり温泉というのは素晴らしい。
「……まぁ、それはそれとして、本当にこの温泉どうなってんの? 毎日『湯の種類』が変わってるんだけど……」
「ゲンセンカケナガシだからね!」
「だからどこに源泉があるんだよ!? というか、源泉かけ流しにそんな効果ないよ!!」
毎日湯の色や香りの変わる温泉に首かしげ、クロの間の抜けた返答に突っ込みを入れて苦笑する。ちなみに今日の温泉は白い濁り湯だ。独特の香りが鼻に心地よい。
翌日に俺と一緒に祭りを回る人が、一緒にお風呂に入るという謎のルールでクロも一緒にいるので、濁り湯というのは幸いだ。
もちろん緊張はしているが、それでも温泉を楽しむぐらいの余裕はある。
そんなことを考えていると、クロがどこからともなく初日にも見た黄色いアヒルのおもちゃを取り出して湯に浮かべる。
「……クロ、それ気に入ったのか?」
「うん! なんか可愛いよね……あっ、カイトくんのもあるよ! はい!」
「どうせまた俺はガチョ――なんか伝説の鳥みたいなの出てきた!?」
ニコニコと可愛らしい笑顔でクロが虚空から出現させたのは、全長1mはあろうかという巨大な鳥……羽の一枚一枚にまで拘った造りであり、色鮮やかな四枚羽に、鋭ささえ感じる顔立ちは一種の風格があった。
いや、待って……クロが浮かべてるアヒルのおもちゃと違い過ぎる!? もうちょっと、デフォルメしてもよかったんじゃないかな? これ、おもちゃというか……湯に浮かぶ彫刻にしか見えない。
「く、クロ? なにこの凄いやつ……」
「カイトくん専用アヒルのおもちゃだね!」
「これをアヒルと言い張るのは無理があり過ぎない!?」
「い、いや、ボクもちょっとはそんな風に思ったんだけど……アイシスが『……カイトのアヒルが……一番……強い』って言って、シャルティアがそれに乗っかって……こうなった」
「あぁ、うん……そっか……」
アイシスさん……アヒルのおもちゃに強さとかないです。あとアリスに関しては……まぁ、いつも通りか……。
伝説の霊鳥AHIRU誕生の経緯に関しては、もうこれ以上ツッコむのはやめておこう。
「むっ!?」
「うん? どうした?」
「ごめんカイトくん、ちょっと待ってて……」
なぜか突然真剣な表情に変わったクロが、右手を温泉からだし……目の前に出現させた黒い渦に向かって振りぬいた。
常識外の力を持ったクロのパンチ……通常であれば温泉ごと消し飛びそうなものだが、その辺は上手く調整しているのかこちらには衝撃は来なかった。
しかし、いったいなにをしていたんだろうか?
「これでよしっと……」
「クロ? いま、なにしたの?」
「え? あぁ、また地球神が……今度は位相をずらした同一空間から入ってこようとしてたから……ぶっ飛ばした!」
「……ありがとう。その調子で、なんとしてもあの方の乱入だけは防いでくれ」
あの方だけは本当に……神の能力を無駄遣いし過ぎてはないだろうか? いや、本当にクロがいてくれてよかった。エデンさんに乱入なんてされたら、いったいどんな目に合うやら……想像するだけでも恐ろしい。
ともあれ、阻止できるのはクロぐらいなので、心から頑張ってほしいと思う。
エデンさんの乱入を阻止したクロは、そのまま流れるような動きでコテンと俺の肩に頭を乗せる。
「うん。もちろん、せっかくのふたりきりの時間を、邪魔させたりしないよ」
「あっ、うん……」
「ねぇ、カイトくん。お酒飲む?」
「えっと……じゃあ、少しだけ」
なんだろう、変に意識してきた。そういえば、クロと一緒にお風呂に入るのはこれで三度目だけど……ふたりなのは初めてだ。
最初の時はアイシスさんが、六王祭の初日は皆がいた。そ、そう考えると、妙に気恥しくなってくる。
肩に触れるクロの柔らかいほほの感触。恥ずかしさからそちらを向くことはできず、ただ胸が高鳴るのを感じつつ景色を眺める。
すると俺の前に盆に乗った熱燗らしきものが出現した。そしてクロはお猪口を俺に手渡し、そこに酒を注いでくれる。
「……はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
クロにお礼を言ってからお猪口の酒を口に運ぶ。辛口の酒は、痺れるように濃い味わいと共にのどを通り、心地よい後味が口に残る。
チラリと少しだけ視線を横に動かすと、俺にもたれかかりながら酒を注いでいたクロと目が合った。そしてクロは、俺に向けて柔らかい微笑みを向けてくれる。
なんというか、やっぱり……クロには不思議な魅力があると思う。明るく満面の笑顔を浮かべ、一緒にいて思わず笑顔になってしまう子供っぽさのある表情。
かと思うと、まるでこちらのすべてを見透かし、受け入れ、包み込んでくれるような大人っぽい表情を浮かべることもある。
子供っぽさと大人っぽさ、そのふたつが絶妙に混ざり合ってるとでもいうのかな? その魅力は本当に強烈で、いま微笑まれたときなんか、顔がものすごく熱くなった気がした。世界中にクロの信者が多くいるというのも、頷ける。
そんな彼女が、俺に対し惜しみない愛情を向けてくれることは、本当に……。
「……ねぇ、カイトくん?」
「うん?」
「……幸せだね」
「ああ……」
まったく同じタイミングで、互いに幸せだと感じる。こういうのを、心が繋がっているというのだろう。
いまは、うん……余計なことを考えるのは止めて、ただ、この幸せを堪能することにしよう。
拝啓、母さん、父さん――子供っぽい可愛らしさに癒されたり、大人っぽい美しさに魅了されたり、本当にクロと一緒にいる時間は幸せだ。そして、なんていうのかな? クロも同じように幸せを感じてくれてるのが分かるのが――なにより嬉しい気がした。
砂糖フェイズ開始
シリアス先輩「なんでや! もっといけたでしょ! あと5話……いや、せめて3話がシリアスムードで押し切れたはずじゃないのか!! なんでそこで止めるんだ! そこで!!」
???「あっ、ちなみにこのタイミング、エデンさんはアリスちゃんと会話してる時でしたからね。流石ひとつの世界の神ですよ。ちょこちょこ因果律に干渉していると思ったら、こんなこと……」
シリアス先輩「知りたくなかった!? え? なに? あんなドシリアスな話してる裏で、ふろ場に乱入しようとしてたのアイツ!? マジでなにしてんの!!」




