友達になったよ
新年は冬で寒いものと言うのは元の世界の感覚で、この世界の新年の気候は春に近く暖かい筈だが、現在の俺の体は異様な程の肌寒さに包まれていた。
その原因は考えるまでも無く目の前に現れた存在。凍てつく様な、魂が凍える様な感覚を覚える。
クロとのデートの帰り道に遭遇じた異質な雰囲気の女性は、俺に対し「お前は勇者か?」と尋ねて来た。
返答を行わなければならない、この相手に逆らってはいけないと本能が訴えかけてくるにも拘らず、俺の体は小刻みに震えるだけでまともに動いてくれない。
「……繰り返す……貴方……勇者?」
俺が沈黙を続けているのが気に障ったのか、女性は口調を少し強めのものに変えて同じ質問を繰り返してくる。
ソレはまるで見えない手で首を絞められている様な感覚で、圧迫感を含む息苦しさとして俺に降りかかってきた。
「……俺は……異世界人、ですが……勇者では……ありません」
「……そう」
何とか必死に絞り出した言葉に対し、女性は特にこれと言ったリアクションは見せずに頷く。
沈黙が重い。空気が重量を持っているのではないかと感じる。
早く、早くこの地獄の様な感覚から解放されたいと、体の震えがさらに大きくなっていく。
そんな俺に対し、女性は少しの間沈黙した後で握手を求める様に手を差し出してくる。
「……私は……アイシス……アイシス・レムナント……よろしく」
「!?!?」
差し出された手を見た瞬間、俺の心に沸き上がってきたのは強烈な不快感だった。
あまりに大きな……俺の心の許容を遥かに超えた恐怖という感情が、胃の奥から吐き気となって沸き上がってくる。
逃げろ、逃げろ、にげろ、ニゲロ……本能が強烈に叫び声を上げる。
白く美しい筈の手が、死神の鎌に見える。
ソレに触れてはいけない。触れれば死ぬ。抗うな、対峙するな、目を逸らせ……次々と頭に早鐘の如く警報が鳴り響く。
「……」
そんな俺の様子を見て、女性は微かに目を伏せ、その様子を見た瞬間、俺の心に一つの感情が伝わってきた。
深い悲しみと、強い寂しさ……あまりにも強烈な孤独の感情……
俺の感応魔法が読みとったその感情。それを理解した瞬間、俺の心に先程までとは別の想いが沸き上がってきた。
理屈は分からない、明確な理由も根拠も無い。だけど何故か――ここで逃げだせば、一生後悔する様な気がした。
「……!?」
自然と体が動き……気付いた時には、俺は両手で自分の顔を叩いていた。
いまだ体を襲う異様な程の恐怖は消えていない。だけど、浮かぶ考えは全く違うものになろうとしている。
頭を切り替えろ! もう一度ちゃんと考えるんだ!
この方が俺に何をした? 何か危害を加えたり、敵意を向けてきたりしたのか? いや、していない……この方はただ、俺が勇者かどうか尋ね、その後に自己紹介をして握手を求めて来ただけ。なにもおかしな事などしていない。
どこか驚いている様にも見える女性の赤い瞳を見つめ、握手に応じようと手を伸ばしかけると……再び強烈な不快感が襲いかかってくる。
目眩がする程の恐怖と不快感に歯を食いしばりながら、それでも必死に手を動かそうとする。
根拠は何も無い、理由も分からない。どうしてこんなに必死になっているのかそれさえも分からない……だけど、今、ここで、俺はこの方の手を握ってあげなければならないと……そう感じた。
もしこの世界に来る前に同じ状況になったとしたら、俺は間違いなく逃げ出していたと思う。
でもこの世界に来て、クロと出会って……たった一つの好意が、心を救ってくれる事を知った。暗い心の深奥に手を差し伸べてもらえる事が、どれだけ嬉しい事かを知る事が出来た。
だからもし、この方の心の深奥に手を伸ばす事が出来るのが、今この時の俺しかいないと言うのであれば……逃げる訳にはいかなかった。
クロは言った、俺の体は敵意の無い魔力に対して自然と適応しようとすると……もしこの言い様のない恐怖が、目の前の女性の纏う魔力のせいだと言うのなら……馬鹿みたいに震えてないで、さっさと適応しろ!
心からの叫び、それが通じたのか……唇から血が出る程に歯を食いしばりながら、必死に手を伸ばそうとしていると……少しずつ、ほんの少しずつ不快感が和らいでいく。
手の震えが少しずつ小さくなり、スローモーションのようにゆっくりと女性の差し出した手に伸びて行く。
どれだけかかったのだろうか? とにかく馬鹿みたいに長い時間をかけ、ずっと差し出したまま待ち続けていた女性の手に、俺の伸ばした手が届いた。
ひんやりと冷たい手を握り、俺は一度目を閉じて……笑顔を浮かべながら口を開く。
「……宮間快人と言います。よろしくお願いします。アイシスさん」
「……!?!?!?」
手を握った事でようやく恐怖と不快感は消え、自然と言葉を発する事が出来た。
アイシスさんはそんな俺を茫然と見つめた後、一度頷いてから口を開く。心なしかその声は、震えてるようにも、安堵している様にも感じた。
「……ミヤマカイト……カイトって……呼んでいい?」
「はい」
「……カイト……『結婚しよ』」
「ちょっとなに言ってるか分かんないです」
なんかおかしい……ようやく自己紹介したと思ったら、何故か求婚されてた。まるで意味が分からない……間の過程がぶっ飛んでないか?
そんな俺に対し、アイシスさんは心から嬉しそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。
「……手……握ってくれた……嬉しい……嬉しい! ……だから……結婚」
「……」
あれ? おかしいな? 今、何かさっきまでとは別の意味で背中に寒気が走ったんだけど……気のせいだよね?
さっきまでは冷たい印象を感じていたのに、今は焼きつくされるんじゃないかと思う程熱の籠った目で見られてる。
えっと、これどうすればいいんだ? 何か言わないと……えっと……
「ま、先ずは、友達から……とかで、どうでしょう?」
「……」
言葉を選ぶ様に恐る恐る提案してみると……アイシスさんは、頬を赤く染め、嬉しそうに微笑む。
「……友達……カイトと友達……嬉しい」
どうやらお気に召してくれたらしく、アイシスさんはうわ言の様に何度も友達と繰り返す。
うん。あれだ……何というか、中々強烈な方だな……
そのままアイシスさんと少し雑談、特に当り障りの無い会話を行い。かなり周囲が暗くなっていたので、俺がそろそろ帰る事を告げると、アイシスさんは寂しそうな顔で呟く。
「……カイトは……どこに……住んでるの?」
「えっと、今はこの先のアルベルト公爵の家に住ませていただいてます」
「……今度……遊びに行っても……いい?」
「あ、はい。勿論、いつでも来て下さい。家主には俺の方から話をしとくので」
「……迷惑……かからない?」
「大丈夫です。遠慮なんてしないで下さい。俺とアイシスさんは友達なんですから、いつでもいらしてください」
「……あっ……うん」
恐る恐ると言った感じに尋ねてくるアイシスさんに、いつでも遊びに来てくれればいいと答えると、アイシスさんは本当に嬉しそうに微笑む。
こうして見ると普通に可愛らしい女性だ。本当に俺はさっきまで、一体何を恐ろしく感じていたのかと疑問に思う程だった。
アイシスさんは俺の言葉に嬉しそうに頷いた後で、どこからか青い花を取り出して俺に差し出してくる。
「……あの……これ……あげる」
「ありがとうございます。大切にしますね」
「……うん」
氷の様に透き通った青い花弁の花。あまり目にした事がないその花をアイシスさんから受け取り、お礼を言った後でマジックボックスに収納する。
「それでは、俺はそろそろ帰りますね。また話しましょう」
「……うん……ありがとう……カイト……大好き」
「あ、ありがとうございます……それでは、また」
「……またね」
何故か再び不思議な寒気に襲われながら、こちらに小さく手を振るアイシスさんに頭を下げてその場を後にする。
拝啓、母さん、父さん――本当に今日は最後まで色々あった。ある意味、アレだけ頑張ったのは人生でも初めてかもしれない。だけどそのかいもあって、アイシスさんと――友達になったよ。
広大な魔界の一角。何千年も溶けることない氷に覆われ、死の大地と呼ばれている地域。
深い氷に覆われた巨大な城の一室で、死の化身と呼ばれる少女は幸せそうな表情を浮かべていた。
「……カイト……」
惚ける様に今日出会った青年の名前を口にし、恋する乙女の如く頬を染め、死王・アイシス・レムナントは山の様に詰まれた本を見つめながら独り言を呟く。
「……見つけた……やっと見つけた……間違いない……カイト……カイトが……私の『運命の人』……」
呟きながらアイシスは一冊の本……彼女のお気に入りである本を大切そうに抱きしめる。
その本には偶然出会った男性と恋に落ちる少女の物語が綴られており、その少女に自分を重ねる様に頬を染め、想い人の名前を何度も呟く。
何千年も恐れられ続け、孤独の中を歩んできた自分の手を取ってくれた異世界から来た青年の名前を……
この世界の大半から死の象徴と恐れられる死王……彼女の頭の中は、今やたった一人の青年の事で埋め尽くされていた。
公爵家……遊びに行く……あっ……
~捕捉~
死王……身に纏う死の魔力のせいで生物の大半から恐れられており、孤独を拗らせ過ぎてたため、手を取ってくれた快人への好感度が限界突破した方。