後が怖いと……
自室に戻ってきて時計を確認すると、23時……かなり遅い時間だ。
唇に残る甘い感触を感じつつ、上着を脱いでハンガーにかけて着替えようとすると……景色が『空中庭園』に変わった。
「……は?」
夜の自室だった筈が、一瞬で青空の広がる空中庭園……う、うん。この場所には見覚えがあるけど、これはいったいどういうこと?
ここが間違いなく神界の最上層、神域……シロさんの住む場所であることは分かるが、なぜ俺が突如ここに呼ばれたのか分からない。
唖然とする俺の耳に、相変わらず抑揚の無い声が聞こえてくる。
「神界に夜はありません。夜にすることは出来ますが……」
「……な、なるほど、ところで、シロさん? なんで急に……」
振り返ると当然の如くそこにはシロさんが居て、無表情で告げる。
その声に振り返りつつ、俺はなぜ急に強制的に呼びだしたのかと聞いてみるが、シロさんは俺から視線を外しテーブルと椅子を出現させる。
「お茶をします」
「……へ?」
「お茶をします」
「な、なんで急に……というか、俺これから寝ようと……」
「お茶をします」
「い、いやだから……」
「お茶をします」
「……はい」
無限ループに押し切られ、俺はガックリと肩を落としながら椅子に座る。
すると目の前には紅茶をクッキーが現れ、お茶をする用意が整う……しかし、それ以上に気になることがあった。
「……あの、シロさん? 俺の気のせいかもしれないですが……なんか『機嫌悪く』ないですか?」
シロさんの感情を感応魔法で読み取ることはできない。だから俺にはシロさんの感情に関しては、ほんの僅かな変化と経験から察するしかないのだが……なんとなく、機嫌が悪そうに感じた。
たぶん原因は、このあまりに突発的なお茶……シロさんは確かに唐突で天然ではあるが、基本的にこちらが尋ねれば理由は説明してくれる。
しかし今回は説明もなく「お茶をする」と押し切られ、その原因が機嫌にあるのではないかと思っていた。
「はい。私はいまとても不機嫌です」
「……な、なるほど」
あっさり己が不機嫌であることを認めるシロさん。いや、相変わらず表情にも声にも変化がないので、普段との違いはほとんど分からないんだけど……。
で、でも、やっぱり不機嫌らしい……な、なんで? も、もしかして俺、気付かない内になにかまずいことをしたんじゃ?
「いえ、違います」
「そ、そうですか……それは良かった」
もしかして俺ってシロさんの気に障ることでもしたかなと思ったが、シロさんの口から違うと告げられたことでひとまず安心する。
しかし、その安心は……紅茶を一口飲んでから呟いたシロさんの言葉によって、粉々に砕かれた。
「……私でも出来ました」
「……え? な、なにがでしょう?」
「……私でも『快人さんと魔王をクロの元に転移させられました』……」
あれ? なんかもの凄く雲行きが怪しくなってきたぞ……お、おかしな。なんか背中から大量の汗が流れ始めている気がする。
言いようのないプレッシャーを感じつつ、俺は静かに次の言葉を待つ。
「私はまったく、欠片も、これっぽっちも気にしていませんが……快人さんは『地球神を頼って、私を頼ってくれませんでした』」
「……」
す、拗ねてるうぅぅぅ!? シロさん、完全に拗ねてる! だってその言い方、滅茶苦茶気にしてるやつだからね!?
「いえ、私は気にしていません……快人さんは、宝樹祭でブラックベアーに襲われた時も、戦王の配下に襲われた時も、誘拐された時も、クロの時も、公爵の過去に関わる犯人を捜す時も、運命神に他国へ連れて行かれた時も、地球神の件でも、今回の件でも……私を頼ってくれませんでした」
「……」
だ、だいぶ前から気にしてた!? 結構長いこと溜まりに溜まった不満が、今回の件で表面化した感じがする。
い、いや、別にシロさんに頼る気がないというわけでは無くて……シロさんの力が強大すぎて、迂闊に頼むと大変なことになるので控えているだけで……。
「クロも地球神も私と同等の力を持っています」
「うぐっ……そ、それは……」
「快人さんは私を頼ってくれません」
「い、いや、だから、今回の件は……」
「快人さんは私を頼ってくれません」
「え、えと……」
「快人さんは私を頼ってくれません」
「……」
「快人さんは私を頼ってくれません」
「じ、実はシロさんにお願いしたいことがあったんです!」
「仕方がないですね。私はいま大変機嫌がよいので、なんでも言ってみてください」
こ、怖ぇぇぇぇ!? ……駄目だこれ、なにかお願いするまで延々と続く感じのやつだ。
現にいま反射的にお願いがあると言えば、普段より少し大きく口角が上がった。
とりあえず、今日のノルマはお願い一つだ……考えろ、なにか、なにかないか? シロさんを納得させられるようなお願いは……そ、そうだ!
「……じ、実は今回シアさんに非常にお世話になりまして……なにかお礼を用意したいんですが、俺はシアさんのことをよく知らなくて……そ、相談に乗っていただけると嬉しいなぁ~って……」
「分かりました。災厄神は辛い食べ物が好きです」
「あっ、やっぱりそうなんですね……じゃあ、激辛の食品を……」
「しかし、既存の激辛食品は『甘すぎる』と文句を言っていました」
「……」
ハイドラ王国の時からそんな気はしてたが、やっぱりシアさんは辛いものが大好きみたいだ。
……あんな火を吹くぐらい辛いお菓子を食べながら、甘いとは……味覚ぶっ壊れてるんじゃなかろうか?
「困りましたね。それだけ辛いものが好きなら、味にはうるさいでしょうし……う~ん」
「任せてください」
「……え?」
「……どうぞ」
「なんですかこれ?」
俺はどちらかというと、辛いものより甘いものの方が好きなので、なにを選べばいいのかと首を傾げていると……シロさんがなにかの果実を出現させる。
オレンジ程の大きさのそれは、ルビーのような深い赤で美しく感じる。
「現存する激辛調味料の1000倍の辛さを誇る果実を『創造』しました。種を植えれば『三日』で育つようにしてあります」
「……」
なんか新しい食材創造してきた!?
「今日は機嫌がいいので特別です」
「あ、ありがとうございます……」
シロさん、貴女……つい数分前まで不機嫌だって言ってましたよね? そ、そんなに俺になにか頼って欲しかったんですか?
「はい」
……今後は、なにか定期的に相談に乗って貰ったりしよう。不満がチャージされると、世界の法則を歪めかねないよこの方……。
「……ち、ちなみに、コレを俺が食べたらどうなりますか?」
「おそらく悶絶して気を失った後、『丸一日は味を感じなく』なるでしょうね」
「……」
もうそれ、食材じゃなくて兵器じゃない? こ、こんなの贈って大丈夫なんだろうか? ま、まぁ、シアさんは根っからの辛党だっていうし……意外と平気だったりするかも?
ちゃんと送る時に、辛さの度合いを説明してから渡すことにしよう。
「では、お茶を再開しましょう」
「あ、はい」
とりあえず、俺の願いを叶えたことでシロさんの機嫌も直ったみたいで、口角を微かに上げながら提案してきたので、俺もそれに頷いてお茶を飲む。
その後一時間ほど雑談をしながらお茶を飲み……自室に戻った時には、すっかり日付が変わっていた。
拝啓、母さん、父さん――本日の最後はシロさんによって締めくくられた。うん、なんというか……よく学習した。シロさんに不満を募らせると――後が怖いと……。
創造神様は頼られたい




