理性は崩壊していた
入浴中に現れた、タオルを一枚巻いただけのアリス。
彼女は昼間の勝負に俺が買ったご褒美に背中を流すと言って、真っ赤な顔で風呂場に入ってきた。
「あ、アリス……ご褒美って、その……」
「ご、ご褒美なんです! だ、だだ、だから、早くこっちに来て、座ってください!」
「い、いや、でも……えっと」
タオルだけを巻いている姿は酷く扇情的で、アリスを女の子として意識し始めたからこそ、変にドキドキとしてしまう。
湯さえ少し温く感じるのは、緊張で俺の体温が上がっているからかもしれない。
アリスが持ってきてくれたタオルを受け取り、湯の中でタオルを腰に巻いてから湯船から出る。
木造りの小さな椅子に座り、やけにハッキリと聞こえる足音を聞きながら、待っているとアリスはゆっくりと俺の背に触れる。
「……で、では、あ、洗いますね」
「あ、う、うん」
スポンジの感触が背中に伝わり、柔らかな感触と共に背中が擦られていく。
「……あ、アリス。どうして急に……」
「……うっ、それは……」
突然背中を流すと言いだしたアリス……勝負に俺が勝ったご褒美だというのは、本人が言っていたが……そもそも恥ずかしがり屋のアリスが、なぜあんな風に勝負を持ちかけてきたのか……それを尋ねてみると、背中を擦っていた手が止まり、小さな声が聞こえてきた。
「……あ、憧れてたんです……」
「憧れ?」
「え、ええ……ほら、私は長いこと恋愛しようとして生きてきたわけです」
「う、うん」
背中を流すことについて、アリスは憧れていたと口にする。
「私にとって恋愛するって言うのは、親友の残した遺言で……死ぬために目指していたものでもありました」
「……」
「けど、それでも……時々、考えていました。私がもし、恋愛をして、誰かと恋人になったら……どんなことをするんだろうって……」
「……アリス」
ポツポツと懐かしむような、そんな穏やかな声が聞こえてくる。
長い、本当に長い年月の間。アリスはどんなことを考えて生きてきたのか、なにを願って生きてきたのか。ゆっくりとそれを伝えるように……。
「一緒に買い物をしたり、並んでギャンブルをしたり……お洒落なレストランで、向い合って食事をしたり……一緒にお風呂に入って、おっきな背中を流して、やわらかい温もりに包まれて、一緒に寝て……」
「……」
「夢物語みたいなものだと思っていました……けど、こうして、カイトさんと出会えて、恋人になれて……」
そこでアリスは一度言葉を止め、そっと俺の体の前に手を回して抱きついてきた。
アリスの体の柔らかさがダイレクトに伝わり、心臓が飛び出すかと思うほど大きく鳴る。
な、なんか、柔らかい部分の中に、ちょっと固い個所が……というか、素肌の感触なんだけど、タオルは!?
「……私は、我儘なんです。なので、全部叶えちゃおうって思いまして……」
「そ、そそ、そうか……う、うん。俺もできるだけ、協力する……んだけど……あ、アリス?」
「はい?」
「……タオルは?」
「……え? あっ……」
首だけを動かし、チラリとアリスの方を向くと……やはりアリスはなにも付けていなまま俺に抱きついていて、その下にタオルっぽいものが少し見えた。
そして確認してみると、やはりアリスが意図したわけではなく……タオルは落ちてしまったらしい。
幸いというかなんというか、アリスが俺に抱きついた状態であるため、危ない部分は見えないが……これは非常にヤバい状況である。主に俺の理性が……。
アリスがなにも身につけていないことを認識すると、やけにその胸の感触を感じるというか、大変危険な状況だ。
そしてアリスの方も、現在の状況に気付いたらしく……肌がのぼせ上がったように赤くなっていく。
「あ、あわっ、あわわ……こ、これは違っ……」
「待て! アリス! 俺が前向くまで離れ――あっ……」
「……え? あっ、ひゃあぁぁぁぁぁ!?」
真っ赤になったアリスは、大慌てで俺から離れたわけだが、その行動がまずかった。
何故なら現在俺は、アリスの状況を確認する為に振り向いている状態で、先程まで俺の背中に抱きついていたアリスが離れるということは……つまり、そういうことである。
即座に首を動かして前を向いた……しかし、それでも咄嗟の状況で判断が遅れ……見てしまった。
だから、その……小さな膨らみの上にある桃色の突起を……
「あわ、ひゃわぁ、あぁぁ……わ、わた、私、な、なにも……」
「あ、アリス落ち着け……見てない! 見てないから! とりあえず落ち着いて深呼吸を……」
前を向いているのでアリスがなにをしているか分からないが、相当慌てているのは分かる。
なので咄嗟に見ていないと嘘をつきながら、なんとかアリスを落ち着かせようとして……直後に、ふわりと軽い浮遊感と共に、視界が大きく動いた。
「えっ? うわぁっ!?」
「……ひゃっ!?」
どうやら慌てふためいていたアリスの足が、俺の座っていた木の椅子に当ったらしい。
普通ならそう問題のある状況ではないが……アリスの力で蹴られたわけだ。すると、どうなるか……ダルマ落としみたいに、木の椅子を吹き飛ばされた俺は、重力に従い後ろに倒れる。
そんな勢いで木の椅子がスライドして、俺の尻の皮が悲惨なことにならなかったのは幸運だが……状況は最悪だ。
俺は後ろに向けて倒れた。そして現在アリスは裸でテンパリ、混乱しているせいかまともにタオルも拾えていなかった。
倒れた俺の視線は見上げるように上に向けられる……そうなると、なにが見えるかは明白である。
一秒、二秒、三秒が経過し……アリスの目がぐるぐると回り初め、そして……。
「……」
「あっ、ぁぁぁぁ……きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
「ッ!?」
絹を裂くような叫び声と共に、アリスは浴槽から逃げ出した。
寝転がった状態の俺は、今見た光景が頭から離れず、完全に放心してしまっている。
アリスって……無毛なんだ……いやいや、落ち着け、忘れろ! 記憶を消去するんだ!!
再起動した俺は、頭からお湯……いや、水を被ってから浴槽に浸かり、必死に今見たものを忘れようと必死に首を横に振るが……脳裏に焼きついた映像は、消えるどころか、意識するとますます鮮明に浮かび上がってきて、下半身に血が集まっていった。
のぼせるほど、長い間風呂に入ってから、言いようのない気まずさを感じつつ着替えてからリビングに移動すると……アリスが真っ赤な顔で、俯いた状態で椅子に座っていた。もちろん、既に服は着ている。
「……あっ、えっと……」
「……こです……」
「え?」
「さっきのは事故、事故なんです!! だから、忘れてください!!」
「は、はい!」
茹でダコのような顔で、目に涙を浮かべながら叫ぶアリスに、俺は即座に頷く。
忘れるというのは、正直難しそうだが……なんとか努力することにしよう。
「……で、では、私も……お風呂に入ってきます」
「う、うん。お風呂に……」
「お風呂……」
「……」
「……」
な、なんだコレ? もの凄く恥ずかしい!? ただお風呂って口にしただけで、顔が沸騰しそうだ。
そしてアリスも同様みたいで、真っ赤な顔で口をパクパクと動かした後、無言で風呂場に駆け込んでいった。
拝啓、母さん、父さん――ハプニングはつきものとは言うが、今回のは本当に……本当にヤバかった。あの状況で、もしアリスが逃げてくれなければ、間違いなく――理性は崩壊していた。
すまない……騙すようなタイトルで……本当に……すまない。




