敵わないみたい
麗しい美女による熱い抱擁。言葉にすると実に素晴らしいものだが――気絶した身としては、もはやトラウマである。
この世界に来てからベビーカステラにトラウマ、美女の抱擁にトラウマ……何かちょっと自分が情けなく思えてくる。
まぁ、半泣きで何度も何度も、それはもう逆にこっちが申し訳なくなる程謝罪してくるリリアさんの姿を見ては、許さないという選択肢など無かった訳だけど……
ともあれ何だかんだで時の女神との話の席には同席する事になってしまい、今から胃が痛くなる思いではあるが、これに関しては時の女神側の許可が出ない事には始まらない。
たぶん結構高確率で同席する事にはなるだろうが、話は時の女神から対談時期の連絡が来てからという事になった。
日中に色んな事があったせいか日が暮れてからは平和なもので、食事を済ませ楠さん達と軽く雑談を行い、入浴をして部屋に戻る。
「おかえり~」
「……」
ああ、そうだった。そう言えば、夜になると自室に現れる不条理の塊がいたんだった……
しかし悔しいが、そのいつも通りの明るい笑顔を見てホッと安心しているのも否定できない事実。慣れって怖いというか、クロの笑顔はずるいというか……
「今日シロと会って来たんだよね。どうだっ――あれ?」
「うん?」
クロはいつも通り明るい笑顔で話しかけてきたが、話の途中で何故か言葉を止めてまじまじと俺を見る。
そして少しして、珍しい――いや、初めて見る驚いた様な表情を浮かべる。
「クロ?」
「……カイトくん。シロと何かあった?」
「え?」
「いや、シロから聞いてると思うけど、シロに祝福頼んだのはボクなんだけどね。何かボクの予想してたのと違うって言うか……下手な下級神の祝福よりは、適当でもシロの祝福の方が安心だって思ってたんだけど……こんなしっかりと祝福してくれたの? あのシロが?」
どうやらクロが驚いてるのは俺がシロさんから受けた祝福についてらしい。
彼女の予想ではシロさんは俺に適当に祝福をかけるだろうと思っていたらしく、それでも下級神のものよりは優れているからという理由で頼んでくれたらしい。
実際最初シロさんは俺に対して適当に祝福を行った。それは本人が言っていたので間違いないが、その後で一度解除してから再度真面目に祝福をかけてくれ感じだった。
その事を含め、今日あった出来事や会話の内容をクロに説明すると、クロは再び驚いた様に目を見開く。
「……く、くくく……」
「うん?」
「あはははははは!」
「え?」
そして、突然心底楽しそうに笑いだした。
「カイトくん、そんな事言ったの? あはは、まさかシロも人間から『お前には無理だ』なんて言われるなんて、思ってもなかっただろうね」
「えっと……俺そんな変な事言った?」
「変って言うか、凄い事だよ! 自慢したって良いと思う! シロが興味を持つなんて、そうそうある事じゃないよ!」
どこか嬉しそうに見える笑顔を浮かべながら、クロは俺を絶賛する。
え? 俺そんなとんでもない事したのかな? いや、確かによくよく考えてみれば、神様相手の発言としてはかなり無礼なものだったのかもしれない。
クロはそのままひとしきり笑った後、未だよく分かってない俺に対して笑顔を浮かべたままで説明を始める。
「シロってさ、物凄い平等主義って言うのかな? ボクが言っちゃうのもアレだけど、凄く変わっててね~」
「確かに、不思議な雰囲気の方だったけど……」
「例えばさ、普通好きなものと嫌いなものじゃ、大なり小なり差があるよね? ボクを例に挙げると、不味いお菓子より甘くて美味しいお菓子の方が好きだし、当然どっちが好きって聞かれたら甘くて美味しいお菓子って答える」
「うん」
「でも、シロは違う。シロにとっては不味いお菓子も美味しいお菓子も……それだけじゃなく生命も風景も、世界の殆どは『同じ価値』の存在でしかなくて、シロはそこに優劣をつけたりしないんだよ。ある意味で凄く博愛主義で、ある意味で酷く薄愛主義。世界の大半を同列に並べ、同じように見つめる……それがシャローヴァナルって女神」
クロの説明を聞いて俺の頭に浮かんだのは、あの殺人的な不味さのベビーカステラ……酷い味だと表現しながら、まったく気にする様子は無く普通に茶請けとして食べ続けていたシロさんの姿が浮かんだ。
そして最初に戦慄を覚えたあの瞳、俺を見ているのか風景を見ているのか分からない目……アレはつまり、シロさんにとって俺は周りの景色、いわばあの空中庭園に咲いている花や草と同じ価値しかなかったという事で、それはシロさんにとってごく当たり前の感覚。
「でもそんなシロが、カイトくんに対しては『興味を持った』って発言した。これは、カイトくんが思ってる以上に凄い事なんだよ。だってそれってつまりさ、シロはカイトくんって存在を認めた。他の同じ価値しか感じないもの達より明確に上位に位置づけたって事だからね」
「え、え~と……」
「シロが個に対して興味を持つ事なんて殆どないよ。多分片手の指で数えれる程しか存在しないと思う」
何と言うか、どんどん話が大きくなってるような気がする。
次々に告げられる言葉を聞いて、正直俺の頭は結構混乱してきていた。というよりは、シロさん――女神様という存在が凄まじいもので、リリアさん達が俺が紅茶を貰った事にあれ程驚いていた理由を改めて理解し、どこからともなく不安な気持ちが沸いて出てきた。
うん。そうだ……正直自分が凄い事をしたという実感より、これからどうなるんだろうという不安の方が大きい気がする。
「だから、カイトくんの勝ち取ったものは凄いって事……だけど……」
「……え?」
そのまま悶々と思考の渦にハマりかけていた俺に、クロは穏やかな口調で告げた後、不意に俺の手を引っ張る。
身長差もあり下に引っ張られる様な形となった俺は、混乱もあってロクに抵抗も出来ず倒れ込む様に姿勢を崩し、柔らかな感触と共にクロに抱きしめられた。
クロの胸元に俺の顔が触れ、布一枚を隔てて温かい体温と柔らかい感触。甘い香りが鼻孔から脳にまで達し、言い様の無い心地良さを感じると共に、優しい声が響く。
「ボクは、そんな事より……カイトくんが、自分が欲しいものをちゃんと考えて、自分の言葉に出来たって事の方が、ずっと嬉しく感じるよ」
「!?」
「……いっぱい、頑張ったんだね。今のカイトくん、凄くカッコイイよ」
やっぱり、コイツはずるい。
さっきまで感じていた混乱も不安も、何もかもたった一言で全部頭から消し去って、収まりきらない程の温もりと安心感を与えてくれる――当り前みたいに、俺が一番欲しい言葉を口にしてくれる。
今日は色々と気苦労があり疲れていた筈なのに、また頑張ろうって思えてくるから不思議だ。
うぅ、しかし体勢的には幼女に抱きしめられて頭を撫でられているという、何とも恥ずかしいものではあるんだけど……駄目だ。もう少しだけこの心地良い安心感に甘えていたいって思ってる時点で、もう負けの様な気がする。
女神様相手に自分の意見を言う事が出来た。貴族相手に何とか奮起して向かい合う事も出来た。胃の痛くなりそうな対談への参加を覚悟する事も出来た。
だけど、これに抗うのは……ちょっと無理だ。というか、抗おうとすら思えないどころか、抱擁に対してのトラウマなんてのも綺麗サッパリ消えてしまった。
むしろ本当に単純なものではあるが、この抱擁こそが、今日得られた一番の褒賞だと思えて、嬉しくなってしまう。
拝啓、母さん、父さん――今日は色々あって目が回る思いだった。だけどやっぱり、俺はクロには――敵わないみたい。
包容力のある幼女って最高だと思う。