広がる余波⑱
マリーが困惑している間に話は進み、結局服とブローチと購入する形で纏まった。その際快人が金額を尋ねることは無かったので、マリーは緊張した面持ちで会計の様子を凝視していた。
店員が用意したトレーに、快人は白金貨を一枚取り出して置いており、それを見たマリーの背には冷たい汗が流れる。
(は、白金貨……い、いえ、落ち着いてください。まだ、細かいお金を持っていなかったという可能性も……)
白金貨での支払いを見て、ほぼほぼ快人が最初に提示した金額が、マリーが縋るように願った銀貨3枚ではなく、金貨3枚であるとほぼ確定した。
しかしそれは同時に、巨大なクリムゾンルビーのブローチの値段を釣銭を見てある程度予想できるという事にもつながる。
程なくして、店員が会計トレーに乗せて快人に差し出したのは……金貨2枚だった。
(……金貨2枚のおつり……つまり、このブローチは、き、きき、金貨5枚……な、なな、なるほど……あ、あ~よかったです。私が男爵家の四女で、社交界のパーティとかに縁が無いので「下級貴族が生意気な服を」とかって展開にはならないので、本当に……あ、あ~いや、そもそもパーティドレスじゃなかったですね。ドレスが、服で……服が金貨で……あれ?)
大きな精神的ストレス……胃痛に晒された時、それに対応する者たちの反応は様々だ。例えば、いまでこそ慣れによりこらえられるようになってしまったが、リリアは以前はそういった事態の際は気を失っていた。
エリスは貴族としての矜持や持ち前の精神力で、心の中では悲鳴を上げながらも全力で耐えて表面上は微笑みを維持していた。
コーネリアは、一度後回しにしたり、エリスのように耐えようとしたり、いろいろな方法で精神的負荷を軽減しつつも、耐えられなければ短期間なりとも意識を手放すという形だった。
そして、そんな三者と比較して、経験や精神的な強さも劣っているマリーが襲い掛かる巨大な胃痛に対してとった行動は……。
(……あっ、そうか……『これは夢』ですね!)
……現実逃避だった。
(いやですね、夢に決まってるじゃないですか……貧乏男爵家の四女の私に、こんな高級な服や装飾品が贈られるなんて、そんなことがあるわけないですよ。まぁ、私も高位貴族のご令嬢のように高い衣服などを身にまとって、煌びやかな~という感じのものにも憧れがありましたし、そういう憧れで変な夢を見てしまってるんですね。ええ、夢です。これは絶対に夢……)
それも、コーネリアのように一時的に後回しにして目を逸らすというような話では無く、現実に背を向け全力ダッシュによる渾身の逃走だった。
もちろんあくまでこれはただの現実逃避であり、逃げたところで現実は追いかけてくるし、いずれは追いつかれて蓄積した負荷が巨大な胃痛となって襲い掛かってくるだろう。
だが、追いつかれるまでは全力で逃げる……それが、マリー・リッチが無意識に出した選択だった。
(夢……なんですし、せっかく心の奥で憧れていた状況なんですから、素直に楽しまないと損ですよね)
そして同時にそれは、彼女の精神にある変化をもたらした。
「カイト様、重ね重ねありがとうございます。これだけ高級な衣装を手にすること自体が、男爵家の四女の私には本来ありえないことですが……その、正直そういった高級な服を着たり、綺麗なアクセサリーを身に付けたりというのに憧れていた部分もあるので、カイト様の厚意に甘えきった形ではありますが、その憧れが現実になってとても嬉しいです」
まず前提として、マリーは別に精神的負荷で壊れたりしたわけではない。あくまで、精神的負荷になりそうな現実から全力で目を逸らした結果、一種の超楽観的思考ともいえる状態になった形だ。
いまの彼女は無意識に己を守るため、特定の……考えれば胃痛に繋がりそうなことは自動的に思考からシャットアウトする状態となっており……いまの彼女は、一時的に精神的ストレスを受けない一種の無敵モードと呼べる状態に到達していた。
ストレスになりうる要因を思考から徹底排除した結果、憧れだった高級な衣装を手に出来た喜びや、快人に服やアクセサリーをプレゼントしてもらえた嬉しさのみが表に出てきており、純粋な気持ちで心からのお礼を口に出来た。
……そしてそれは……ある意味では最悪のかみ合わせを生んでしまう。
例えば、以前快人と出かけたコーネリアは、途中で限界を迎えて取り繕うことが難しくなったところで、快人が感応魔法によってそれを察して気遣ったりフォローを入れたりという形に移行することが出来た。
だが、いまのマリーは負の感情を全て自動シャットアウトしており、超楽観的思考によって喜びなどだけが表に出ている。
快人は感応魔法を持っており、相手の魔力に乗っている感情を読み取ることが出来るが……深く心が読めるわけではない。
つまり、マリーが現実逃避していることなど気付きようがなく、マリーの様子を見て「凄く喜んでもらえている」と判断したのは当然の帰結だ。
そして、そういった純粋な喜びと感謝を伝えられると、嬉しくなるのが人の心というものでもある。
「……マリーさん、もしよかったらもう一着とかどうですか? 予備とかもあったほうがいいんじゃないですかね?」
「それは、私にとっては魅力的な申し出ですが、カイト様のご負担になったりはしないでしょうか?」
「全然問題ないですよ。本当に無駄にお金はたくさん持ってるので……」
「甘えてばかりで本当に申し訳ないですが……カイト様がそう言ってくださるのなら……実は試着した中にもう一着気になった服がありまして……」
唐突な快人の提案にも、全力で夢だと思い込み、超楽観的思考で夢なのだから楽しまなくては損だと考えているマリーは、軽いやりとりの後で素直に快人の厚意に甘えることにした。
……だが、忘れてはいけない。彼女はいま現実逃避しているだけなのだ。いずれ冷静になる時が……現実が追い付き夢から覚める時が来てしまう。
その時には、無意識に後回しにしまくったすべての負債が、胃痛となって襲い掛かってくるのだが……いまのマリーがそれに気づくことは無く、快人の気遣いに嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
シリアス先輩「おい馬鹿! 待て、マリー! 止まれ!! 現実から逃走した結果、死地に全力疾走してるんだけど!? チャージタイプって……そういう……一定以上の負荷で、無敵モードという名の『全自動後回し状態』に移行して、蓄積した胃痛を後でまとめて受けるってことなのか……」




