広がる余波⑯
マリーは男爵家の四女であり、跡取りでもないんでもないため社交の場などにもほとんど出ることはない。リッチ男爵が後継ぎなどの区別はしつつも、子供は平等に愛していることもあって、あまり格式が高くないパーティなどには偶に連れていって貰えることもあるのだが、基本的に大物と関わることなど夢にも思わない程度の立ち位置であり、経験なども圧倒的に不足している。
……そう、ハッキリ言ってしまえば、マリーの精神的なキャパシティなど、エルンと対面した時点で既に余裕でオーバーしており、己のことでありながらイマイチ現実味の無い夢見心地な感じだった。
現状でもそうであり、強い精神的不可から逃れるため無意識に難しいことは考えないようになっており、若干思考は楽観的な状態になっていた。
(……さすが、貴族御用達の高級店。あちらに居るのは伯爵夫人だったような? あまり貴族の顔に詳しくないので分かりませんが、一生縁など無いと思っていた様な服屋に来れたのは、なんだかんだで少し嬉しいですね。ただ少し緊張しすぎてるのかもしれませんね。カイト様のお言葉を聞き間違えて服の予算が『金貨3枚』と言っているように聞こえてしまいました。ふふふ、少し考えれば可笑しいと分かるのに驚いてしまったのは恥ずかしい限りですね。だってそんな金額、高位貴族の令嬢が記念日などの特別なパーティに着るドレスじゃないですか、男爵家の四女の私に縁なんてないですよ)
彼女の金銭感覚は貴族というより平民に近く、服も基本的に姉のお下がりを着ていることもあって、金貨越えの服など想定の遥か外である。
なので彼女は、快人が告げた予算は銀貨3枚であると思い込んでいた……いや、必死に現実から目を逸らしていたと言っていいかもしれない。
それこそ、よく考えてみればわかるのだ……リプルの返礼に転移魔法具を贈ってくるような相手からの服のプレゼントか、そんな金額に収まるのかを……。
だが、いくら現実から目を背けていても、向き合わなければならない時は来る……そう、店員が候補となる服を持ってくれが、否が応でも現実を直視するしかなくなる。
「こちらの服などは、全体的なデザインは落ち着いておりますが、スタードロップと呼ばれる特殊な糸による飾りを施しておりまして、光の反射で煌めくように見えるようになっております」
「へぇ、綺麗ですね」
「そ、そそ、そうですね。ま、眩しいほどです」
光の加減でキラキラと輝く服を見て快人が感想を口にして、マリーは動揺して目を泳がせながら頷く。
(……スタードロップ? ま、待ってください。お姉様から聞いたことが……確か、数メートル程度の長さで一般的な服の価格を余裕で上回る超高級糸では? それをあんなにたくさん使って……い、いや、だって、それじゃ、どう考えても銀貨単位じゃ……え、えぇ?)
そう、違うのだ。店員が持ってきた服は、どう見てもマリーが想定していたものとは文字通り桁が違うような品だった。
それこそ、マリーにしてみれば雑誌等の記事で眺めるか、店に展示してある品を鑑賞するとか、そんな己の手の届く次元に存在しないはずのクラスの服だった。
「ただあんまり派手な雰囲気だと、マリーさんの目的には合いませんかね?」
「そ、そそ、そうですね。もう少し落ち着いた物の方が……」
「それでしたらこちらはいかがでしょうか? 肌触りに拘り、色合いやデザインは落ち着いた仕上がりの品となっております」
「あっ、こ、これはいいですね。色合いも落ち着いていますし……」
続けて店員が見せてきた服は、全体的に追いついた雰囲気と色合いの上着とロングスカートがセットになったものであり、上品さを感じつつも派手さやドレス感も無く、マリーの好みにも合致していた。
いい雰囲気だと思いつつ、店員が差し出してきた服を受け取ったマリーは、再び内心で動揺することになる。
(……いやあの、とんでもない手触りですよこれ……明らかに並みの素材じゃないですよね? ずっと触れていたくなるような心地よい手触りと柔らかさですし、軽さも凄い……それに近くで見てみると、明らかに素材の品質も……)
ひとつ前の服のような見てわかる煌びやかさは無かったが、触れてみれば明らかに普通の服とは一線を隔す品であるというのは理解できた。
「よろしければ、試着してみませんか?」
「……へ? あ、は、はい」
繰り返しになるが、マリーのキャパシティはとっくにオーバーしている。混乱中の問いかけにまともに思考して答えれるわけもなく、そのまま流されるようにマリーは試着を行うこととなった。
幸いサイズは合っているようだったので、スムーズに着替えることはできたが……着てみれば、ますますとんでもない高級品と理解できた。
(凄いです。肌触りが物凄いです……え? これ、いくらですか? とんでもなくいい服なのは分かりますが、私の知識ではとても価格は……いやでも、カイト様に購入していただく状況で、私が価格を尋ねたりするのは失礼なのでは? ああいや、そもそもこの服を買うと決まったわけでも……)
とりあえず試着は終わったので試着室から出てみると、快人が微笑みを浮かべながら口を開く。
「よく似合ってますね。落ち着いた雰囲気の色合いが、マリーさんに合ってる気がします」
「左様でございますね。ご令嬢のたおやかな美しさには、落ち着いた雰囲気の服がよく似合っておりますね」
快人の称賛の言葉に続いて、店員の女性も笑顔で称賛してくれるが、マリーはなんとも言えずやや引きつった笑みを浮かべていた。
(今までの人生で聞いたことの無いような称賛が……あの、別に私美人でもなんでもないので、服に完全に負けてそうなんですが……い、いや、それよりこの服の値段が知りたいです。カイト様! お願いします! 一言、一言でいいんです!! 「この服はいくらですか?」と店員に尋ねてください。値段が分からないまま、高級品だと思われる服を着てると、心が落ち着かないというか……)
もちろんそんな願いが叶うことは無く、特に快人は値段を尋ねたりはせずに店員の服の説明に耳を傾けていた。
シリアス先輩「たぶんマリーの金銭感覚は香織とかと近いレベルなんだと思うんだが、快人は『貴族である』って一点でかなり高めにレベルを見積もってるよな? 貴族との付き合いの薄さが裏目に……というかコイツ、交流の多い貴族って公爵家当主や侯爵家嫡子、あるいは王子とかって上の方ばっかりじゃねぇか!?」
???「爵位級の時もそうでしたけど、なんかカイトさんって上の方から順番に仲良くなっていくんですよね。ハミルトン侯爵家もアルクレシア帝国では最大級の貴族家ですし、シャロン伯爵家も財力で言えば国内上位クラス……逆にリッチ男爵家だけ、珍しいパターンといえるかもしれませんね」




