専用ブラシの購入⑲
明日は私用で家に帰れないので、次の更新は明後日になります
幸運と不幸、相反する様でそれは両立することもある。ある意味では幸運で、ある意味では不幸と言える事態……それはコーネリアの精神状態に他ならない。
コーネリアは割と限界だった。エリスほどの精神的強度が無い彼女にとって、怒涛の事態は大きな負荷となり、もう間もなくキャパシティオーバーといっていい状態だった。
仮にここでもう一押しなにかがあれば、コーネリアは限界を迎えて意識を手放していただろう。だが、そうはならなかった。
そもそもではあるが、現在の会話には時間制限がある。そう、楽団の演奏開始時間という時間制限が……。
「マグナウェル様、お話の途中に申し訳ありません。時間的にそろそろ、入場したほうがよろしいかと……」
「おぉ、そうじゃな。長々と話をして演奏の開始に遅れてしまっては本末転倒じゃな」
エインガナがそろそろ入場をしたほうがいいと声をかけたことで、話は中断されることになった。これを気絶せずに済んだと取るか、気絶して逃げることが出来なかったと取るかによって、幸か不幸かは分れるところだろうが……とりあえずコーネリアは、会話がひと段落したことにホッとしていた。
「おお、そうだ。カイト、席はどこだ? 俺が隣に座るつもりだからな」
「え? いや、指定席では?」
「おう! だから、お前の席を聞いて隣のやつに穏便に『変われ』って交渉するつもりだからな」
「……交渉?」
どう聞いても命令して交代させるようにしか聞こえない内容に、快人がなんとも言えない表情を浮かべるのを見ながら、コーネリアは静かに思考を巡らせる。
(私はカイト様の隣の席ですし、私が変われば一番穏便に……いえ、待ってください。その場合だと、本来メギド様が座る場所に私が座ることになると……隣はマグナウェル様では? そ、それは流石に、心臓が持たないというか……)
メギドと席を交代することはあまりにもリスクが大きいため、コーネリアはとりあえず何も言わないことにした。メギドに交代を求められたら応じようと、そう考えながら……。
だが、メギドがコーネリアに交代を要求することはない。メギドの感覚ではコーネリアは快人とデート中であり、快人のデートを邪魔する気は無いため、コーネリアとは逆隣の席に座るつもりだった。
「で、どこだ? 角席なら後ろに座るが……」
「えっと、この席ですね」
「うん? おぉ、なんだ、俺の隣じゃねぁか! それなら手間が省けるな!」
上機嫌で頷くメギドを見て、快人はふとそのチケットを売りつけてきたアリスのことを思い出していた。恐らくアリスのことだから、この状況を想定した上で席を用意したのだろうと……それとあの時の、悪戯をするような笑みの理由も分かった気がした。
偶然ニーズベルトとエインガナとカフェで会ってなければ、席に座ったタイミングでメギドやマグナウェルとの遭遇になっていたので、それは確かに驚くだろうと……そんなことを考えつつ、コーネリアたちと共にコンサートホール内に入っていった。
そしてその光景を離れた場所から見ていたアンネは、ハミングバードを取り出して、シャロン伯爵家に緊急連絡を行った。
シャロン伯爵家の執務室では、当主であるシャロン伯爵と側近であるアンネの旦那が商会関連の仕事を行っていた。
「最近はロード商会の動きが活発だな……注意しておかないと、経済に大きな動きがあるかもしれん」
「そうですね。噂ではハミルトン侯爵家との取引も考えているとか……うん? 失礼、妻からハミングバードが……」
「今日はコーネリアの護衛についているはずだが……緊急事態か?」
言うまでもなくアンネは優秀なメイドであり、シャロン伯爵からの信頼も厚い。少なくとも業務中に私的な連絡を行うという事は無い。となると、帰宅してからの報告ではなくいますぐに伝えておく必要があると判断したということであり、内容はかなり重要なものと推測できた。
「……えっと、コーネリアお嬢様が……は? え?」
「どうした?」
「あ、えっと、その……コーネリアお嬢様が、戦王様、竜王様、天竜様、海竜様と遭遇し、ミヤマカイト様からの紹介もあって家名を名乗った上での挨拶を許されたと」
「……待ってくれ……ちょっといま、脳が理解を拒んでいる……ど、どど、どういうことだ!? コーネリアは確か、ミヤマカイト様をヴィクター商会に案内するために出かけていたはずでは……なにがどうなったら、戦王様と竜王様が出てくる!?」
「わ、分かりません。恐らくこれから順に詳細の報告が届くとは思いますが……」
「と、とりあえず、この後の予定はすべてキャンセルだ! 場合によっては我々も大きく動く必要がある!」
快人をヴィクター商会に案内している筈の娘が、六王ふたりに六王幹部ふたりと遭遇して、自己紹介まで許されているというのは、シャロン伯爵では経緯を想定することすらできなかった。
背筋に冷たい汗が流れると共に、シャロン伯爵はある出来事を思い出していた。ほんの数時間前、ハミルトン侯爵家で行われるはずで、中止となった話し合いの場で、リッチ男爵夫妻を心底心配した様子で見ていたハミルトン侯爵とエリスの姿……もしかしたらいま、己はリッチ男爵と同じような状況にあるのではと……そんな予感に、身を震わせていた。
シリアス先輩「あ、そっか、アンネはコンサートホールに入らずに連絡を行うって手が取れるのか……」