専用ブラシの購入⑰
メギドとのやり取りに快人が助け舟を出してくれたこと自体はありがたいが、自己紹介のタイミングを逸してしまったのも事実である。
(……ど、どうすれば、カイト様との話が終われば当然私が挨拶をしないわけにはいきません。しかし、家名を名乗ってしまっていいのでしょうか? カイト様は特殊として、私自身が家名も含めて名乗れば貴族家としての付き合いを期待しているかのように取られる可能性も……いや、でもこの場合で名前だけというのも、カイト様の紹介から外れてしまうわけですし……う、うぅ、正解はいったいどっちですか……)
あくまで現時点のコーネリアは快人の友人という立場であるからこそ、六王ふたりとの対面を許されている状態であり、シャロン伯爵家の代表として六王の前に立つことを許可されたわけではない。家名も含めて名乗れば下心があるように伝わるかもしれないが、メギドはシャロン伯爵家を知っているようだったので、ここで家名を省くのも不自然になりそうだと、コーネリアは頭を悩ませていた。
すると、快人とメギドの会話がひと段落したタイミングでマグナウェルが静かに、威厳ある口調で告げる。
「……さて、ミヤマカイトの友人であるのなら、こちらとしても相応の配慮はすべきじゃろう。ワシらに対して、家名も含めて名乗ることを許す。メギドもそれで構わんな?」
「あん? ……ああ、そういうことか……いいぜ、カイトのダチなんだし、俺もそれで構わねぇよ」
マグナウェルはコーネリアが迷っていることを察して、家名も含めて名乗ることを許すと告げ、メギドにも確認を取った。粗暴ではあるが頭もいいメギドも、すぐにマグナウェルの意図を察して頷く。
「寛大なお言葉に、心より感謝を……改めて、偉大なる魔界の王に挨拶を申し上げます。シャロン伯爵家長女、コーネリア・シャロンと申します」
「うむ。マグナウェル・バスクス・ラルド・カーツバルドじゃ、マグナウェルと名で呼ぶことを許す」
「メギド・アルゲテス・クレインだ、よろしくな。俺の方もメギドってよんでくれりゃあいい」
コーネリアの挨拶にマグナウェルとメギドが言葉を返すと、快人がふと不思議そうな表情を浮かべた。
「あれ? メギドさんは、家名的なやつはアルゲテス・ボルグネスじゃなかったですっけ?」
「うん? いや、アレは家名じゃねぇぞ。ボルグネスってのは、普段俺が行動してる時の姿の名前だ。この姿がクレイン、他にカイトが見たことがある人化がプレシオンって名前だ」
「ああ、形態の名前だったんですね」
「おう、まぁ、メギドの方だけ伝わってりゃ、他はどうでもいいがな」
そんなやり取りを行うメギドと快人を横目に、コーネリアはなんとか動揺している心を落ち着けようとしていた。
(エリス様の言葉の意味を痛いほどに実感しました。カイト様の友人というだけで、家名を名乗ることを許され、六王様を名で呼ぶ許可まで……影響力が凄まじすぎます。少なくとももう、ただの伯爵家長女には場違いなレベルの立ち位置にまで引き上げられてしまいました。と、とにかく、家名を名乗った以上、ここから先の言動はシャロン伯爵家にも影響があると思って、心してかからねば……)
コーネリアは家名を名乗ることを許され、シャロン伯爵家の者であるとマグナウェルとメギドに名乗っている。そのため、ここから先のコーネリアの行動はシャロン伯爵家の評価にも影響が出てくるだろう。
己の行動ひとつで家の評価が変わってくると、そう身構えるコーネリアだったが……甘いと、そう言わざるを得ない考えだった。
いや、考え方自体は間違ってはいないのだ。だがまだそれでも経験の浅いコーネリアは甘く見てしまっていた。快人から評価が高いという事が、どれほどの影響力を及ぼすのかを……。
「しかし、シャロン伯爵家か……最近は安定したってことでもあるが、挑戦的なことはあんましなくなってパッとしねぇと思ってたが……そうか、いまのシャロン伯爵家にはカイトが気に入るような奴がいるのか……」
「え? あ、あの、メ、メギド様?」
「ふむ、シャロン伯爵家といえば魔法具商会を持っているところじゃったか? 少々興味が湧くのぅ……じゃがそれはそれとして、ミヤマカイトよ。今日はわざわざこの都市まで演奏を聞きにきたのか?」
背筋が凍るような思いだった。メギドもマグナウェルも、快人が親しくしているという事でシャロン伯爵家にも少し興味を抱いている様子であり、コーネリアの胃が痛みと共に警告を行っていた。
だが、そんな思いも束の間、更なる一撃がコーネリアを襲うこととなる。
「ああいえ、コーネリアさんの紹介で、ヴィクター商会っていう魔物関連の商品を取り扱ってる商会に行ったついでですね。魔物の専用ブラシを作ってる商会で、実質的にコーネリアさんのシャロン商会の傘下みたいな商会らしいです」
「……ほぅ、それは興味深いのぅ。そのブラシというのは……」
何気ないマグナウェルの言葉に快人が答える形で会話が始まっていたが、その内容にコーネリアは全身の血がすべて抜けるような感覚を味わっていた。
(カイト様? カイト様ぁ!? い、いま、言い回しがおかしくなかったですか? いまの言い方だと、私がシャロン商会内で高い立場にいる様に聞こえませんか? 私は、ただの伯爵家の長女で、シャロン商会は伯爵家が持つ商会で……私は別に、そんなに多くの権限を有するわけでは……い、いや、たしかにカイト様にその辺りを詳しく説明はしていないのは、誤解してしまうのも仕方ないとは思うのですが! 思うのですが!!)
そんな魂の叫びが快人に届くことは無く、またマグナウェルと快人の会話に割って入れるわけもなく、訂正のタイミングを失ってしまったコーネリアはなんとも言えない表情を浮かべていた。
シリアス先輩「これ、事前情報なしの初手遭遇で気絶できてたらこの辺は全部回避できてたと考えると、気絶封じをしてきた胃痛の悪魔の悪魔具合が際立つな……」