閑話・恐怖の警告
見るからに高級品と分かる家具が置かれた部屋のソファーで、高級そうな服に身を包んだ恰幅のいい男性がワインを飲んでいた。
明らかに上機嫌と分かる様子で、時折にやけるような笑みを溢しつつワイングラスを傾けている彼は、アルクレシア帝国のとある子爵家の当主だった。
そのままひとりでワインを楽しんでいると、ノックの音が聞こえ、少しして部屋の中にドレスを着た40代ほどの女性……彼の妻である子爵夫人が入室してきた。
「……あら、ずいぶん上機嫌ですわね? こんな、昼間からワインなんて飲んで、なにかいいことでもあったのですか、旦那様?」
「ああ、正しくはこれからだが……どうだ、お前も飲まないか?」
「それでは、ご一緒させていただきますわ」
上機嫌な様子の子爵に首を傾げつつも、夫人は誘いに応じて夫の隣に座り一緒にワインを飲み始める。大恋愛というほど大げさなものではないが、10代の折に夜会の席で知り合い政略ではなく恋愛を経て結婚してもう20年以上連れ添った最愛の妻に対し、子爵はどこか楽し気に上機嫌だった理由を話し始める。
「いやなに、少々美味しい情報を掴んでな。リッチ男爵家がなかなか面白い状況になっているみたいでな、当家も是非一枚噛ませてもらおうと、そう考えていたのだよ」
「……あら? 大丈夫ですか? 私も少しだけ、その噂は耳にしましたが……あの異世界人の方に関わる案件でしょう? 皇帝陛下からもあの方が関連する事柄には、迂闊なことはしないようにと各家に忠告があったのでしょう?」
「ははは、問題はないさ、別に悪事を働こうというわけではない。あくまで、リッチ男爵家の事業に少々協力させてもらうというだけの話さ。なに、リッチ男爵家にはいくつも恩を売ってあるからな、嫌とは言えんだろうさ……領地が近いとはいえ、あんな貴族とも呼べんような貧乏人とある程度貴族付き合いをしてやってたんだ。多少は美味しい思いもさせてもらわんと割に合わん。ふふ、貧乏貴族も役に立つことがあるのだと感心したよ」
「そんなに美味しい話なの?」
多少は酒の影響もあるのだろうが、上機嫌に話す子爵に夫人も楽し気な笑みを浮かべる。
「ああ、相当の利益が見込めるだろう」
「あら、それは素敵ね。じゃあ、新しいアクセサリーでも買ってもらっちゃおうかしら?」
「ははは、任せておけ! ドレスや部屋の魔法具も新しくして構わんぞ」
「まぁ、素敵!」
子爵の言葉に目を輝かせた夫人は、ワイングラスをテーブルに置いて子爵に愛おし気に抱き着き、子爵もますます上機嫌になって笑みを深める。
そのまま少し甘えるように子爵に抱き着き、少しして夫人はゆっくり名残惜しむように体を話しつつ、甘く囁くように子爵の耳元で声をかける。
「……幻王ノーフェイス様はその件を許容しません。実行するつもりなら相応の覚悟を」
「!?!?」
信じられない言葉に一気に酔いも覚め、子爵は驚愕の表情で夫人の方を向くが……夫人はキョトンとした顔で首をかしげる。
「旦那様? どうかしましたか?」
「お、お前、いま……」
「いま? ……なにか気に障ることしてしまいましたか?」
「……あ、いや……な、なんでもない……」
「そうですか? あらあら、旦那様、凄い汗……大丈夫ですか? 少し飲み過ぎなのでは?」
全身から汗が噴き出し、子爵は体中から熱が抜け出していくような感覚を味わっていた。目の前にいるのは、間違いなく己の妻だ……妻のはずだ。笑い方も口調も、表情も仕草もなにもかも、間違いなく20年以上連れ添った最愛の妻……の……はずだ。
だが、先ほどたしかに妻の声で告げられたのだ……警告を……。
分からなかった。果たして目の前にいるのが本当に本物の妻なのか……分からない、なにも分からなかった。
幻王配下が妻に化けているのか、それともそもそも妻が幻王配下だったのか、はたまた先程の一瞬だけ精神操作系の魔法で操られたのか、もしくはあくまで子爵の耳にだけ妻の声を真似て警告が届いただけなのか……どれが正解なのか、まるで分らなかった。
ただひとつハッキリしているのは……子爵の考えなど幻王にはすべて筒抜けであり、この警告に従わなかった場合、次は首が飛ぶこと。
最愛の……最も信頼している相手だったはずの妻が、いまの一瞬で得体のしれない存在に変貌したような、言いようのない恐怖に身を震わせ、子爵は深い後悔と共に企みを全て白紙にすることを決めた。
今回の件以降、この恐怖が常について回り疑心暗鬼となることこそが、愚かなことを考えた己に下された罰なのだと、そんなことを考えながら……。
シリアス先輩「……怖っ!?」
???「いや~流石アリスちゃんは、陰ながらフォローが上手いですねぇ。ちなみに件の子爵は知りませんが、今回の正解は②、夫人は元々ウチの配下だったが正解ですね~」
シリアス先輩「なんなら、エデン同伴で脅しかけるより怖いレベルというか、トラウマになりそう……」