専用ブラシの購入⑭
シャロン伯爵家長女、コーネリア・シャロン。彼女の貴族令嬢としての能力は中の上から上の下といったところであり、高位貴族の娘として確かな教育と本人の努力もあって大抵の相手よりは優秀ではあるが、エリスのような上澄みのレベルには届いていない。
少なくとも彼女にエリスほどの知識や情報対応力は無く、現在の状況に的確に対応するというのは難しい。だが、彼女もまた貴族社会でそれなりに経験を積んできており、まったくなんの対応策も無いというわけではなかった。
(ニーズベルト様とエインガナ様がヴィクター商会に興味を持たれたような発言をなさっていましたね。顔の血が全部無くなったかのような気分ではあります。これから先のことを考えると、いまにも胃に穴が開きそうですが……これは私に対応できる範囲を超えていますので……考えるのは後回しにしましょう。後に向かい合わねばならない事態だとしても、時に一時的に目を逸らすことも、己を守るためには必要なのです)
そう、コーネリアにいまこの場で様々な事態に対する考えを纏めるだけの能力はない。故に彼女は、大半の事柄は後で考えることにして目を逸らした。もちろん一種の逃げではあるのだが、それでもニーズベルトやエインガナとヴィクター商会に関する今後などをいま混乱する頭でアレコレ考えずに済むため、彼女の精神には余裕が生まれる。
もちろん時として初動が重要となる案件もあり、目を逸らすことが出来ない事柄も存在する。今回の件だって、結局伯爵家に戻った後で家族と共に頭を抱えることにはなるのだが……少なくともこの場でアレコレを状況に翻弄されて混乱したままで思考を巡らせるよりはマシであると割り切ることにした。
(とりあえずいま私が考えるべきなのは、カイト様とアレグラシンフォニーの演奏を聴くこと、いまこの場で結論を出す必要がないことは全て後回しにしましょう。そうすれば取るべき行動も見えてくるはず)
いくつかの思考を後回しにしたことで余裕が生まれたコーネリアは、静かに視線を動かし時計を確認してから快人に声をかける。
「……カイト様、お話し中に申し訳ありません。そろそろ開演の30分前となります」
「あっ、そうですね。まだ少し時間はありますけど、そろそろコンサートホール前とかに移動しておいたほうがいいかもですね」
そう、元々このカフェには少々中途半端に時間があるという状態での時間つぶしに立ち寄っており、長話をするほどの余裕があるわけではない。
実際はコンサートホールはすぐ近くなので、15分ほど前に動き出しても十分に間に合うのだが、多少の余裕をもって入場しておいた方がいいのも事実であるため、自然と六王幹部ふたりと会話という状況を終わらせることが出来る。
(ニーズベルト様とエインガナ様相手に、緊張と集中しつつ会話を続けるのはかなり大変ですし、ここで切り上げられるのは助かります。しかし、カイト様の会話術は本当に見事なものですね。計算などは感じさせず自然とニーズベルト様とエインガナ様を心から楽しませるような会話が行えています。社交界などに関わる身としては参考にしたいところですが、計算などではなく思いやりかつ自然体で行えていることがなによりも凄いので、真似するのは困難というか……無理と考えたほうがよさそうですね)
非常に楽しそうだったニーズベルトとエインガナの様子を思い浮かべ、快人のコミュ力の高さに感心していたコーネリアだったが、意図して真似できるような者でもなさそうだったので、純粋に感心するだけにとどめた。
感情の変化が顔に出やすい快人ではあるが、会話の際の思考や言葉選びの計算は、表情にでない。それは元々ではなく、ある要因により獲得したものだ。
快人が様々経験により成長したのもそうだが、それ以上に……微かな言葉のチョイスミスが即暴走に繋がる『危険物の様な神』と週5頻度で会話している影響で、快人の会話によるコミュニケーション能力に関しては、高速思考しつつ自然体というのが可能になっており、コーネアからみても手放しに賞賛できるレベルだった。
もっとも、喜怒哀楽を含む感情の機微などは、相変わらず分かりやすいぐらい顔にでるので、腹芸などが上手くなったわけではない。
強いて言うなら、元々得意だった相手の好感度を上げる会話が更に磨かれた感じである。
尚、余談ではあるが、エデン及びマキナに関しては以前は暴走の度合いをフェーズ分けして判断していたが、最近はもっと細かく……例えば暴走ゲージの様なものがあって、それが最大になると暴走すると仮定するなら、最近の快人はその数値をほぼ読み取れるようになっており、暴走の兆候、あとどれぐらいで暴走するかが分かるようになってきた。
さらに割と最近ではあるが、暴走の予兆を見極め、適切に話題を切り替える事で暴走を阻止する事も可能になった。
まぁ、即暴走や、止めようとしても止まらないパターンや、登場時点でほぼ暴走状態などもあるので、阻止できる確率は3〜4割といったところである。
ともあれ、そんな時折爆発物処理でもするかの様な会話を幾度も行う事で、快人の会話を行う際の思考力は爆発的に成長しているのである。
「そうですね。我々もそろそろコンサートホール前に向かう必要がありますので、店を出ることにしましょうか」
「……そうだな。約束の時まではまだ猶予はあるが、万が一にもお待たせするわけにはいかぬし、我らが先に到着して待つべきだな」
「ええ、気にされることは無いでしょうが、我々の方が気にしてしまいますからね」
「うむ……さて、戦友よ、我らも店を出るが、目的地は同じコンサートホールだ。共に向かわないか? おそらくここで一度別れてもすぐに会うことにあるだろうしな……」
「うん? コンサートホールに一緒に行くのは問題ないですよ。コーネリアさんもいいですか?」
「え、ええ、大丈夫です」
コンサートホールに一緒に向かおうというニーズベルトの言葉に快人と共に返答しつつ、コーネリアは背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
まずコンサートホールに一緒に行くという流れは、予想通りだ。同じ場所を目的地としているのだから、ワザワザここで一度別れる必要もない。
だが、問題はそこではない……。
(……いま、ニーズベルト様は、待たせるわけにはいかないと……つまり、コンサートホール前で誰かと合流する予定ということですよね? しかも、ニーズベルト様もエインガナ様も、明らかに格上の存在を語るような口調で……う、嘘ですよね? そ、そんなことがあるわけ……)
先程のふたりの会話に戦慄しているコーネリアだったが、そのタイミングで快人がコーネリアと同じ疑問を抱いたようで、彼女が聞きたかった質問を口にした。
「……待たせるわけにはいかないって言ってましたけど、おふたりは誰かと合流するんですか?」
「ああ、今回はマグナウェル様とメギド様も共にいらっしゃっており、おふたりとはコンサートホール前で合流する予定なのだ」
「え? マグナウェルさんと、メギドさんも来るんですか?」
「ひゅっ……」
その名を聞いた瞬間、コーネリアは一瞬心臓が止まりかけたような衝撃を受け、絶望の表情で天を仰いだ。
シリアス先輩「始まるか、ついに……」
???「カイトさんの前で、精神に余裕とか出しちゃうから……」
シリアス先輩「それはそうと、すげぇな快人!? あのヤベェ神の暴走を3割ちょい制御できる様になってるとか……相変わらず変なとこで強キャラ感だしてくるな」