今夜寝られないかもしれない
人生とは常に予想外の事態に遭遇するものだ……だけど、俺の予想外は、何故かお湯のある場所に集中している気さえする。
正直、分からない……なぜ、今、こんな状況になっているのか……
コテージの木造りの風呂で入浴していた俺の前に、タオル一枚だけを巻いたリリアさんが、真っ赤な表情で現れた。
一瞬、幻覚でも見ているんじゃないかと考えてしまう程、あまりにも想定の範疇外……だって、リリアさんは物凄く恥ずかしがり屋で、それこそ恋人になって数日とは言え、二人きりで話すときでさえ真っ赤になっているような人なのに……なにがどうなったら、俺が入っている風呂場にやってくるんだろう?
「……あ、あの、リリアさん?」
「は、ははは、はい!?」
「い、一体何を……」
「よ、ようやく、覚悟が出来ましたので……」
覚悟? なんの? ちょっとまって、本当に待って!?
タオルによって隠されながらも……いや、タオルで一部が隠されているからこそ、白魚のように美しい肌の色がやけに鮮明に目に付いた。
リリアさんって、着やせするタイプなんだ……思ってた以上に、その、膨らみが……って、俺は一体何を考えてるんだ!?
混乱する俺の前で、リリアさんは何度か深呼吸をしてから中に入って扉を閉める。
そして、スポンジを手に取りながら真っ赤な顔で口を開く。
「あ、あの、カイトさん……で、出来れば、あまり見ないで……下さい」
「あ、は、はい! すみません!」
リリアさんの言葉を聞いて、慌てて浴槽の中で反転し、リリアさんに背を向ける形になる。
すると体を洗い始めたのか、お湯の流れる音やスポンジが動く音が聞こえてくる。
やばいやばい、コレ完全に流されてる。状況が全く分からないままで、成すがままになってる!
というかコレ、いまだかつてないほど危険じゃないか? だって、このお風呂って別に温泉って訳じゃないから、濁り湯とかではないし……そもそも浴槽があまり大きくない。
つまりそれは……それは……
「……お、お待たせしました」
「ッ!?」
恐ろしい事に状況は俺の思考が落ち着くのを待ってはくれず、震える声と共に湯が動き、背中に気配を感じた。
二人入るとやや狭い浴槽に背中合わせで入り、どうしようもないほどの緊張を感じる。
「……か、カイトさん……こ、こっちを向いて下さい」
「え? えぇ!?」
「だ、だだ、大丈夫です。か、覚悟は出来ています」
だからなんの覚悟なんですか!? コレもしかして、のぼせた俺が見ている夢とかなんじゃなかろうか……なるほど、夢か……
いや、それとも疲れが溜まり過ぎて幻聴を聞いているのではなかろうか? 成程幻聴か、幻聴なら仕方ない……
「……カイトさん?」
「ッ!?」
幻聴だ。これは幻聴なんだ……リリアさんが全裸で俺の後ろに居るとか、そんな夢みたいなシチュエーションがある筈が無い。
そうだ、ここで言葉通りに振り返ったとしても……なにも居な……い?
「!?!?」
「……は、恥ずかしぃ……です」
「~~!?」
なんだこれ、俺、死んだの? ここが天国? 物語に出てくるお姫様のような美女が、一糸まとわぬ姿で湯の中に居る。
恥ずかしげに大事な部分だけを手で隠し、真っ赤な顔で潤む目をこちらに向けるリリアさんを見て、俺の思考は完全に真っ白になった。
言葉が出ない、状況が理解できない、しかし目を離す事も出来ない……湯によるものか、緊張からか、微かに桜色に染まった肌、手で押さえられ形を変えている膨らみ……ごくっと、自分の喉が鳴る音が聞こえた気がした。
油断すれば肌が触れてしまいそうな程近くに居るリリアさんを、見ながら俺は死に物狂いで理性を総動員させ、絞り出すように声を発する。
「……り、リリアさん……な、なんで……こんな事を……」
「……え?」
少なくとも俺のイメージではリリアさんは自分からこんな事をする人では無い筈で、だからこそこんな状況になるまで思考が止まり、事前に制止する事が出来なかった。
実は俺が勝手に勘違いしていただけで、リリアさんは積極的な人なのかもしれないが……現状の真っ赤な顔で俯き、必死に羞恥を堪えている姿を見れば、それが違う事は自明の理。
人間とは危機に瀕すれば頭の回転が早くなるもので、今俺の頭はパソコンも真っ青な高速回転をしてこの状況を打破する手段を模索している。
そんな俺の思考が導き出した答えは、リリアさんは何かを勘違いしているのではないかという事……リリアさんは事恋愛に関しては驚くほどに初心であり、もしかしたら聞きかじっただけの知識を元に行動しているのかもしれない。
そう思いながら必死に告げた俺の言葉を聞き、リリアさんは何故か戸惑うような表情を浮かべる。
「……だ、だって……わ、私とカイトさんは……こ、恋人同士……なんですよね?」
「は、はい。それはその通りですか?」
「……こ、恋人は、必ず混浴をしなければならないのです……よね?」
「……はい?」
ナニヲイッテルンダロウコノヒトハ?
恋人になったら必ず混浴をしなければならない? この世界特有の恋愛観とか? いや、それは無い。
確かに俺は今まで、クロにアイシスさんと恋人二人と混浴を経験してはいる……しかし、ジークさんとはそういう事はしていないし、恋人同士が混浴しなければいけないなどという話は初耳だ。
「……リリアさん? 恋人が、混浴しなければいけないって……そんな妙な話をどこから……」
「え? だ、だって、ルナが……恋人同士になったら、必ず混浴をしなければならないって……混浴しなければ、真に恋人になったとは言えないって……」
最悪の所から情報を仕入れてた!? 最も信用しちゃいけない人でしょ、その人は!! しかもそれを信じちゃうって……天使かこの人は……純粋すぎる。
俺の反応を見て、自分の行動が何か違ったという事を察したのか、リリアさんは真っ赤だった顔をどんどん青く変えていく。
「リリアさん、あの、物凄く気の毒だとは思うんですけど……それ、嘘ですからね」
「……え? だって……そんな……わ、私……カイトさんとちゃんと恋人になりたくて……それで……恥ずかしかったけど勇気を出して……え? えぇ?」
「り、リリアさん!?」
「だ、だってそれじゃあ、私、え? は、はだ、裸を……あ、あぁぁぁぁ……きゅ~」
「ちょっ!? リリアさん!!」
致命的な勘違いを理解したリリアさんは、真っ青に変わった顔で、風呂に入った事によるものではない汗を大量に流し始め、その青い瞳がまるで、目の中に渦でも出来ているのではないかという程激しく動き……そして気を失った。
繰り返すが、気を失った……そしてここは浴槽である。
「リリアさん、しっかりして下さい!! っ!? し、失礼します!!」
気を失ってしまったリリアさん、今まで大事な部分を隠していた手が離れる事を気にする余裕もなく、俺は慌ててリリアさんが湯に沈む前に体を掴んで抱き起こす。
柔らかくすべすべな肌にふれ心臓が強烈に跳ねるのを感じながらも、リリアさんの背中と膝下に手を移動させ、その体をお姫様だっこで抱えて、視線を下に動かさないように必死に耐えながら風呂場から出る。
そして脱衣場の床にリリアさんの体を降ろし、大きめのバスタオルをかけるが、その際に少し見てしまったのは不可抗力なので許して欲しい。
しかし、これ、どうしよう……このままじゃ、リリアさん風邪ひいてしまう……か、体拭かないといけないのかな?
い、いや、それは最終手段だ。それより前に呼びかけてみよう。
「リリアさん! リリアさん!! 起きてください!」
「……うっ……んん……」
このままでは大変な事になってしまう。主に俺の理性が……なのでなんとかリリアさんに必死に呼びかけると、その願いが通じたのかリリアさんは身をよじり、ゆっくりと瞼を開ける。
「よ、良かった……気が付いたんですね」
「……あれ? カイトさん? 私は――ッ!?」
そして目を開けたリリアさんはゆっくりと体を起こしかけ、目を見開いて硬直する。
「……」
「……」
俺は己が重大な失敗を犯していた事に気が付いた。
リリアさんを運ぶのに必死で、自分の事を全く考えていなかった……つまり、なにを言いたいかと言うと、現在俺は全裸である。
リリアさんは俺の方を見て完全に硬直し、直後にボンッと爆発音が聞こえそうな勢いで顔を真っ赤に染める。
「きゃあぁぁぁぁぁ!!」
「ッ!?!?」
そして絹を裂くような悲鳴と共に、物凄い勢いで脱衣所から逃げて行った。
拝啓、母さん、父さん――旅にハプニングは付き物と言うけれど、今回はまたとびきりハードなやつだった。リリアさんが純粋すぎるのがいけないのか、ルナマリアさんが全部悪いのか……ともかく、今も脳裏にはリリアさんの姿が強烈に焼きついていて――今夜寝られないかもしれない。
また耐えやがった……化け物かコイツ。
ノクターンへの壁「そう簡単に通さんよ……」
ノクターン版なら悪戯していた。