約束のお茶会㉝
当然ではあるが、エリス・ディア・ハミルトンとマリー・リッチは同じ貴族令嬢であっても大きく違う。生まれ持った才覚などもそうだが、それ以上に立場と権限が大きく違う。
エリスは侯爵家の嫡子として、幼い頃から厳しい教育を受け社交界など様々な場を経験し、その立場に見合うだけの権限などを有している。
例えば、現在のマリーと同じ状況にエリスが陥ったとすると、もちろん胃は痛めるが、それでもエリス個人の判断で決定できることも多く、初動としてある程度の方針の決定や対応などが可能ではある。
対してマリーは、貧乏男爵家の四女であり、最低限貴族令嬢として恥をかかない程度の教育は受けているが、跡取りでもなく男爵家の事業などを受け継ぐこともほぼ無い立場である彼女に、男爵家の方針などを決める権限はない。
「……む、むむ、無理無理無理、無理ですよ!? 私に判断できる範疇を越えてます。え、えっと、至急お父様とお母様、それとお兄様とお姉様に連絡してすぐに戻ってもらってください。ミヤマカイト様に関わる案件だと言えば伝わるはずです」
両親か、跡取りである長男か、最低でも男爵家の中である程度の権限を持つ長女が居なければ、ロード商会の件も、死王陣営の件も、豊穣の神殿に赴く話も、なにも対応などできない。
しかも、現在両親はハミルトン侯爵に呼ばれて、他の茶会の参加者の親たちと共に首都に赴いていて不在であり、長男も別の貴族家のパーティに参加しており、長女も農園の取引の関係で近隣の都市に赴いている。
とにかく早急に相談したい状況にもかかわらず、相談できる相手がいないため、マリーはキリキリと胃が痛むのを実感しつつ、すぐに連絡を取るようにメイドに指示を出す。
「……と、とりあえず、誰か戻ってくるまでは……先に返礼品の確認ししましょうか。ミヤマカイト様の手紙もあるなら、もしかしたらこの状況の理由などが分かる内容が書かれているかもしれません」
「これは、やはり彼の御方の影響なのでしょうか?」
「そうとしか考えられません。というか、そうじゃなければ、私が名指しされている理由が無いですし……」
リッチ男爵だけでなく、今回連絡のあった三つのすべてがリッチ男爵と共にマリーを名指しで指名しており、そんなことが起こりうる可能性は快人が関わっていること以外にはありえない。
痛む胃を押さえながら、マリーはとりあえず返礼品の確認を行うために、メイドと共に部屋を出た。
アルクレシア帝国首都にあるハミルトン侯爵家の本邸、その中にある会議室にはハミルトン侯爵家の当主であるハミルトン侯爵に、嫡子のエリス……そしてシャロン伯爵やリッチ男爵を始めとする先日エリスが開催した茶会に参加した令嬢たちの両親が集まっていた。
内容としては、今後快人との関りが発生していく上での注意などを話し合う予定だった。だが、間もなく会議が始まろうとするタイミングで、ひとりのメイドが入ってきた。
「失礼いたします。リッチ男爵夫妻様、そちらの従者宛てにハミングバードで緊急連絡が届いたとのことなのでお伝えします。マリー・リッチ男爵令嬢様から『ミヤマカイト様に関わる案件で、己では判断できない事態が発生したため至急帰宅して欲しい』とのことです」
「き、緊急連絡……い、いや、だが、いまから会議で……」
なにがあったのかと怪訝そうな表情を浮かべつつも、リッチ男爵は躊躇うような言葉を返す。リッチ男爵夫妻は、いまこの場に集まっている貴族たちの中で一番下の立場であり、しかもハミルトン侯爵に召集されてこの場に来ているという状況で、会議を放り出して帰るなどありえない状態だった。
しかし、そんなリッチ男爵の思いとは裏腹に、神妙な顔をしたハミルトン侯爵が告げる。
「即座に帰るべきだ。遅くなっては取り返しのつかない事態にもなりかねない……ただちに、転移魔法を使える術者を手配しよう。転移魔法で帰るといい」
「え? こ、侯爵閣下?」
帰宅の許可が出るどころか、転移魔法が使える術者を手配してくれるという待遇にリッチ男爵が驚愕する中、指示を出していたのか、なにやらメイドが持ってきた小瓶をいくつか受け取ったエリスが、それをリッチ男爵夫妻に差し出す。
「男爵夫妻、こちらをお持ちください」
「こ、これは……」
「私がシンフォニア王国のリリア・アルベルト公爵閣下から教えていただいた。よく効く胃薬です……きっと必要になるでしょう。マリー様の分も渡しておきますので、用法用量を守ってお使いください」
「……は、はい……え?」
お土産に胃薬を渡されるという異様な状況にリッチ男爵だけでなく、他の貴族たちも動揺した様子だったが、ハミルトン侯爵もエリスも真剣そのものであり口を挟んだりできる状態でもない。
「……ワインセラーから、ワインを何本か用意してリッチ男爵夫妻に持たせてやってくれ……リッチ男爵」
「は、はい!? なんでしょう、閣下……」
「酒に溺れるというのは愚かな行いだ。しかし、時として一度目を逸らさねば心が持たぬ事態というものも、存在する。逃避のためではなく、一度気持ちを整理して再び前を向くために使ってくれ……」
「……あ、あの……侯爵閣下もエリス様も、な、なぜそんな目を……わ、我々はいったいこれからどんな目に……」
あまりにも異様な待遇ではあるのだが、ハミルトン侯爵もエリスも真剣そのものであり、心の底からリッチ男爵を心配するような目と表情であり、それがリッチ男爵夫妻の不安をこれでもかというほど大きくした。
「……どうか、気を強く持ってください」
「今日の話に関しては後日改めて時間を作る……健闘を祈る」
まるでこれから死地に赴く者を見送るような目に、リッチ男爵夫妻の背には冷たい汗が流れた。なぜだろう? そのすぐ後に聞こえてきた「転移魔法の準備ができた」という声が、死刑執行の言葉のように聞こえた。
シリアス先輩「そうか、エリスとか侯爵のこれまで喰らってきた胃痛を思えば当然の反応なんだが、まだあまり胃痛を経験してないリッチ男爵にしてみれば、異様な状態ってわけか……」