閑話・氷鬼の涙 後編②
異世界の神たるマキナの問いかけに、イプシロンは両膝は地面に付いたまま上半身だけを起こして正座のような形になりながら口を開く。
「今回、地球神様に呼ばれたのは、私がミヤビを転生させた件だと認識しています」
「うん、そうだね。さすがにそこが分かってなかったら話にならないよね」
イプシロンもマキナについては知っている。マキナの姿で行動し始めたのは最近ではあるが、それ以前からエデンとして行動していた彼女のことは知っていたし、快人絡みのいくつかの場面で目にすることもあった。
本音を言えば、もっと早いタイミングで声がかかるものだと思っていた。先程マキナは約束に対する配慮を口にしたが、そのぐらいはマキナの力をもってすればどうとでもなる程度の問題だ。
「分かってる通り我が子に関する話だね。まぁ、肉体はこっちの世界産だから私としてはちょっと微妙に思う部分もあるんだけど、ノインに関しても最初は迷ったけど……魂が我が子なら、我が子って認識することにしたからあの子も大切な我が子だね」
ノインもそうだが、トリニィアで転生した存在は魂はマキナにとって我が子でも、肉体は別の世界で作られたものということで、若干の思うところはある。だがしかし、ならば肉体がマキナの世界で生まれたものでなければ、我が子とみなさないとかと問われればイエスとは答えられない。
魂が我が子なら我が子であると割り切るまでに少々時間がかかったのも、いまになってイプシロンに声をかけた要因かもしれない。
「……誤解しないで欲しいんだけど、私は我が子を転生させたことに関して咎めるつもりはない。トリニィアで死んだ我が子の魂は、本来私の世界に戻ってくるようになってたんだけど、あの子の場合は少し特殊な事情だったし魂云々の話を貴女が知るはずもないから、そこに関してはいいんだ」
「……ッ!?」
どこか穏やかに語っていたマキナだったが、その直後に凄まじい重圧を放った。まるで空気全体が鉛に変わったかのような感覚を覚えつつ、イプシロンは冷や汗を流しながらマキナの言葉を待つ。
「私が咎めたいのは……無様で強引な手段で転生させたせいで、『我が子の魂が破損した』ことに関してなんだよ。私はそれを許容しない。だからここに、我が子の魂を破損させた貴女を呼んだ……なにか、申し開きとか、言い訳があるなら聞こうか?」
雅を転生させたことに関しては咎めないが、その魂を破損させて記憶を失わせたことに関しては許さないと告げるマキナに対して、イプシロンは重圧に晒されながらも真っすぐにマキナの目を見ていた。
マキナが口にした魂の破損……雅の記憶を失わせてしまったことは、イプシロンもずっと気にしていた。雅自身がイプシロンを罪に問う気が無いので口にしたりはしなかったが、いつかは断罪されるべきだと……そう思っていた。
「……いえ、言い訳も申し開きもありません。全ては私の未熟さが招いた失態です。ですがひとつだけ、無礼を承知で口にさせてください」
「うん?」
「どのような罰でも受けるとは申せません。どうか、この身を消滅させることだけはご容赦いただきたい……それ以外の罰であれば、どのようなものでも……」
「……命が惜しいってこと?」
命乞いをするかのような言葉に、マキナの表情が鋭くなる。返答いかんによってはいますぐにでも処分すると、そう言いたげなマキナに対して、イプシロンは静かに首を横に振る。
「いえ、命が惜しいわけではありません。ですが、私が消滅すればミヤビが悲しみます。私はかつてミヤビを失い、言葉で表現するのも難しい悲しみを味わいました。心に大きな穴が開いてしまったかのようなあの思いを、ミヤビにだけは経験させたくない……だから、私は必ずミヤビの元に戻らなければならないのです」
「……」
「どのように罰していただいても構いません。どうか、ミヤビの元に戻れるようにだけはしていただきたいと、そう願います」
伯爵級最上位の力があっても、気を抜けば意識が飛びそうなほどの重圧の中……イプシロンはマキナから目をそらさず覚悟を決めた目で告げた。
ミヤビの元に帰れさえするのであれば、どんな罰でも受けると……。
「……名前……なんて言ったっけ?」
「……イクスニルヴァと申します」
不意に問われた内容に関して、相手が神であることも踏まえてイプシロンという名前ではなく真名であるイクスニルヴァと名乗った。
それを聞いたマキナは一度頷き、少しの沈黙の後で口を開く。
「……結論から言うね。私は我が子の魂の欠損を許さないし、その件に関して見逃す気は無い」
「はい」
「だけど……」
パチンと指を弾く音が聞こえ、その直後にイプシロンは己の体に力が満ちるのを……いや『失ったはずの力が戻ってくる』のを感じた。
「なっ、これは……」
雅を転生させる禁術の対価として捧げたはずの力が戻ってきていることに戸惑いつつも、それを誰が行ったかは理解できた。全能の神であれば、戻らないはずの力を戻せても不思議ではないが……なぜそうしたのかは、理解できなかった。
そんなイプシロンの疑問に答えるかのように、マキナは淡々と言葉を紡ぐ。
「シンプルな話だよ、貴女は禁術を完璧に成功させた。『貴女は力を失っていない』し『我が子の魂は破損していない』……当然、我が子の記憶も失われていない」
「あっ……あぁ……」
「なら、別に……私が貴女を罰する理由もないね」
理解した。つい先ほど、目の前の神によってイプシロンの力だけではなく、雅の魂と記憶も修復されたのだと……。
突然の出来事への驚きと、雅の記憶が戻ったことに関する喜びと、様々な感情が入り混じって呆けたような表情を浮かべるイプシロンに対して、マキナは小さく微笑む。
「イクスニルヴァだったね。名前、覚えておくよ。己のためではなく我が子のために生きて帰ろうとしたことを、私は高く評価して貴女の価値を認める……これからも、我が子と仲良くね」
それだけを告げて、イプシロンに背を向けると直後にマキナは用件は済んだと言わんばかりに姿を消した。少しの間唖然としていたイプシロンだったが、思考が落ち着いてくると即座にマキナが消えた方向に向かって頭を下げた。
「……ありがとうございます!」
逸る気持ちを感じつつ自宅に戻ったイプシロンが扉を開けると、いつも通りの様子で雅の声が聞こえてきた。
「イクス様、お帰りなさい。もう少しで夕食の用意ができますよ。今日は、いい魚が売ってたので……」
「ミヤビ!」
「はい?」
「異世界での記憶は……戻っているか?」
料理をしていたようで、着物をたすき掛けにしている雅がイプシロンを出迎えてくれた。完全にいつも通りという様子であり、記憶が戻ったのかどうか分からずイプシロンが問いかけると……。
「えっと……あっ、はい。たしかに、思い出せますね。あれ? でもなんで急に……」
「ああ、それが……」
召喚前の記憶が戻っていることに気付いて戸惑う表情を浮かべる雅に対して、イプシロンがマキナとのやり取りを簡単に説明し、己の力と雅の記憶が戻ったことを伝えると……雅はパァッと表情を明るくした。
「そうなんですね! 私の記憶はともかく、イクス様の力が戻ったのは本当によかったです!」
「いや、私の力は別にどうでもいい……それよりミヤビの記憶が戻ったことの方が重要だ」
「いえ、イクス様の力が……」
「ミヤビの記憶が……」
互いに自分のことより相手に訪れた変化の方が重要だと主張する形になり、イプシロンと雅は顔を見合わせてほぼ同時に噴き出すように笑みを浮かべた。
「ふふふ、キリが無いですね」
「そうだな。互いによかったということでいいだろう」
シリアス先輩「ふぅ、よく寝た。三話ぐらい寝たかな? どう、私が寝てる間に恋人の誕生日プレゼントは一人か二人消化した?」
マキナ「シリアス先輩、おはよ~。いまちょうど、唐突に始まったシリアスな閑話が一区切りついたところだよ。私大活躍だったね」
シリアス先輩「……は? 待て……ちょっと待って……詳しく……詳しく説明してくれ……いま、私は冷静さを欠こうとしている」
マキナ「別にいつも冷静じゃない気が……ああでも、閑話はもう一話続くらしいよ?」
シリアス先輩「シリアスなやつがか!!」
マキナ「いや、問題は今回で解決したから、次は百合ップルがイチャイチャしてるだけの話になるから、シリアス先輩起きてからやるみたいだね」
シリアス先輩「…………………………」




