閑話・氷鬼の涙 後編①
時間が足りずに書ききれなかったので、後編はふたつに分けます。
すべての準備を整えて転生術式を実行する段階になったイプシロンではあったが、その禁術が己の能力を遥かに超えたものであることは理解できていた。
確実に神の領域の魔法であり、六王であっても完璧に実行できるのはクロムエイナぐらいではないかと思うほどだ。
高度な魔力操作技術も足りてはいないが、それ以上になによりイプシロンの力では出力が足りていない。
そう、イプシロンは理解していた。己ではこの禁術を『なんの犠牲もなく成立させることは不可能』であると……禁書を研究する段階ですでに気付いていた。己は差し出さなければならない……雅とこれから先の未来を歩むために、対価となるものを……。
作り出した魔法陣の前に立ったイプシロンは、全ての力を解放する。すると彼女の頭には氷鬼としての青い双角が出現する。
そしてイプシロンは躊躇なく……己の角をへし折り、魔法陣の中心に置いた。氷鬼としてのイプシロンの力の核を宿した二本の角、それを術式の媒体として捧げる。
これにより禁術完了後イプシロンは二度と本来の姿に……本気の姿になることはできなくなる。
長い年月をかけ、鍛え上げ磨き抜いてきた己の力の一部……だが、それを差し出しても悔いは無いと思えるほど、イプシロンにとって雅は大切な存在だった。
過ごした時間の長さではない。通じ合わせた心と、なによりこの先の未来に共にありたいという願いの前には、この程度の対価は軽く感じられた。
対価によって足りない出力を力尽くで補ったことで……禁術は成立し、雅の魂は新たな肉体を得て転生する。
捧げた対価が氷鬼としての力の核だったためか、氷の力を持つ魔族へ……髪の色だけは薄い水色に変化していたが、それ以外の見た目は生前の若いころのもの、イプシロンと出会った時の姿で雅は再誕した。
「……ミヤビ……私が、分かるか?」
条件は整えたつもりだった。それでもかなり無理やりに成立させた禁術であり、イプシロンは不安を感じながら呼びかける。
その声に雅はゆっくりと目を開け……キョトンとした表情を浮かべた。
「……あれ? イクス様? なぜ? 私は死んだはずでは……あれ? なんか体がやけに軽いような……」
「ミヤビッ!」
「はわっ!? あわわ……イクス様が私を抱きしめて……え? なんで急にそんなご褒美が……あれ? これ夢? ああいや、死んで天国に来たんでしょうか? え、天国ってこんなサービスまで完備……ううん?」
声も話し方もずっと会いたいと望んだ雅のものであり、感極まったイプシロンは復活した雅を強く抱きしめて涙を溢す。
対して雅の方は、もちろん死んでいた間の記憶は無いので、状況に理解が追い付いていないのか慌てた様子でキョロキョロと視線を動かしていたが、それはそれとしてイプシロンに抱きしめられているのは嬉しいのか、戸惑いつつも自然と手をイプシロンの背中に回して抱き返していた。
そのまましばらくイプシロンが泣き止むまで待った後で、雅はイプシロンから一連の話を聞いて己が魔族に転生したということを知った。
雅としてはこれからもイプシロンと共にいられるのは喜ばしく、己が人間から魔族になったことも別に問題とは感じておらずすぐに受け入れて納得した。
「……ミヤビ、体の調子などはどうだ? どこかに不調はないか? かなり難しく、強引に成立させた術式だったので、なにかしらの影響があるかもしれない」
「そうですね。体はむしろ若返ってて絶好調なぐらいですし、他に不調は……う~ん……あれ? んん? えっと、イクス様、私って過去の勇者役で……元異世界人ですよね?」
「ああ、そうだが……」
「あ~えっと、異世界に居た時のことが思い出せないですね。こちらに来てからの記憶は全部思い出せるんですが、それ以前の記憶がすっぽり抜け落ちてるような感じですね」
「なっ、そんな……記憶に影響が……」
「ああでも、全然問題は無いですよ。こっちに来てからのことは全部覚えてますし、他に欠けてる記憶もないので大丈夫です」
強引に成立させた転生術式の影響により、一部のトリニィアに来る前の記憶を失っている様子の雅だったが、本人にしてみればどうせもう戻れない世界のことなのでさほど気にしてはいなかった。
しかしイプシロンの方は責任を感じているようで、表情を歪めていた。彼女は雅から元の世界の話も聞いており、優しくしてくれた祖母が居たという話なども聞いていた。
よくない思い出の方が多かったのかもしれないが、それでも大切な記憶もあったはずだと、それを己が未熟なばかりに消してしまったことを悔やむような表情を浮かべていた。
その表情を見て、雅は少し慌てた様子で話題を変えようとして……不意にイプシロンの頭に目を向けて、驚愕した。
「……え? イ、イクス様? その、角、折れてませんか……」
「うん? ああ、これか……これは禁術の対価に捧げた。もう二度と元に戻ることは無い」
「は? え? えぇぇぇ……き、禁術の対価……じゃ、じゃあ、私を蘇らせたから、イクス様は角を……」
今度は雅が表情を曇らせる番だった。イプシロンの角が本気の姿の際に出現するものであり、その角によって特殊な冷気で武具を作り出して行使することができて、それがイプシロンの切り札だと知っていた。
角が二度と戻らないということは、その切り札をイプシロンは使うことが出来なくなったということであり、責任を感じていた。だが、イプシロンの方は気にした様子も無く微笑む。
「気にしなくていい。得難い友の対価としては、むしろ安すぎるぐらいだ。失ったものは確かにあるし、完璧にこなせなかったことに悔いもあるが……それ以上にまたこうして、ミヤビと会えてよかった」
「イクス様……はいっ……私もまた、罪悪感以上にイクス様と一緒に居られる喜びが大きいです」
互いに罪悪感や悔いの残る部分はあった。それでも、それを塗りつぶすほど再び会えた喜びが大きく、イプシロンにとっても雅にとっても納得できる結果となった。
しかし、この時はこれで一件落着と言える結末ではあった。しかして、それからしばらくの後、世界に特異点たる存在が現れたことにより、イプシロンと雅の運命が再度動くことになる。
快人の誕生日を祝うために作られた特殊な世界……その一角で、イプシロンは深く頭を下げていた。かつて雅に教わった、彼女の故郷において最上位の謝罪を示す土下座の姿勢で平伏していた。
「……そもそも、なんでこのタイミングで呼び出したかっていう話をするとね。私ってこれでもしっかり約束は守るタイプなんだよ。シャローヴァナルとの契約やクロムエイナとの約束があるから、私はトリニィアにおいてはそれなりに配慮してた。不敬とかも一度なら許すしね……でも、この世界は『トリニィアじゃない』」
空間が軋むほどの圧力……かつてメギドがカナーリスに対して口にしたように、イプシロンと目の前の存在に戦いは成立しない。
それこそ、目の前の存在が抑えている気配を解放しただけで、その存在そのものの圧力によってイプシロンは押しつぶされて消滅するだろうと確信できるほどの圧倒的な力の差……。
「とりあえず顔は上げていいし、ここから先は自由に発言することも許可する。けど、発する言葉ひとつひとつが、己の生涯最後のものになるかもしれないってことはしっかり考慮して、考えて発言するように……」
淡々とした声の主、イプシロンをこの場に呼び出した圧倒的上位者の言葉を受け、イプシロンはゆっくりと顔をあげる。
なにひとつ目の前の存在の言葉に誇張はない。この先イプシロンが言葉を間違えれば、それはイプシロンにとって今生最後の言葉をなるだろう。
「じゃあ、まずは質問から……なんで私に呼び出されたか、分かる?」
畏怖の表情を浮かべるイプシロンを……虹色の瞳の神が静かに見下ろしていた。
マキナ「どう? 私カリスマ溢れてるでしょ?」
???「まぁ、マジでぶっ殺しに来そうなシリアスさはありますね。とはいえ、イプシロンさんの名前覚えてる時点で、その結末にはならなかったんでしょうし安心感はありますね」
マキナ「ちなみに余談だけど、イクスニルヴァがポラリスとの戦いで見せた本気の姿に、神界決戦でなってなかったのは、単純にこの時にその力を失ってたからだね」




