閑話・氷鬼の涙 中編
一度自覚してしまえば、そこからの行動は流石戦王配下というべき早さだった。イプシロンは雅のいない生活に耐えることはできず、雅を蘇生しようと考えた。
まずもって単純な死者の蘇生程度であれば、伯爵級最上位の実力を持つイプシロンにとってはさほど難しいことではない。だが、本来蘇生には制限時間というものが存在する。
正確なところまでは不明だがおおよそ死亡から1ヶ月、そこを越えてしまうと蘇生は不可能であるというのが常識だ。
世間には知られてはいないがこの要因にはトリニィアのおける輪廻転生とでもいえるシステムが関係している。トリニィアにおいて死者の魂は一定の期間ののちに神界に移動し、生命神ライフの神殿の最奥にある特殊な空間に収容され、細かな魂の粒子に分解されて他の死者魂と混ざり合い溶け合った後、新たな生命の魂として生まれ変わる。
故に一定期間……一ヵ月を過ぎた魂は、消滅すると表現しても間違いではなく、それゆえに死後一ヵ月が経過した存在の蘇生は不可能であり、イプシロンも細かい原理までは知らずとも一定期間が経過した死者を蘇生することはできないとは知っていた。
だが、不思議となぜか雅に関しては蘇生できるような……そんな確信に近い予感があった。
そして、それは……正解である。というのも雅に関しては、いくつかの奇跡的な要素があった。
まず雅は異世界人であり、トリニィアの輪廻転生のシステムの範囲外と呼べる存在だ。というのも、シャローヴァナルとマキナの契約により、トリニィアで死んだ異世界人の魂はマキナの世界に返却されることとなっていた。
これはシャローヴァナルやマキナが手作業で魂を移動させるというわけではなく、勇者召喚の折に死後に魂がマキナの世界に戻るという要素が付与されており、それにより魂はマキナの世界に帰る……そう、本来であれば……。
天童院雅は、勇者役において初の移住者であり、ノインを除き始めて異世界人でありながら魔法を習得した存在だった。故にまだこの時は、異世界人が特殊な魔力適正を持つことは知られていなかった。
ノインが錬成魔法に極めて高い適性を持つのも本人の才能と認識されていたし、雅に関してもわざわざ特殊な魔法に適性があるかもしれないと調べたりすることなど無かった。
雅には、『言葉に魔力を乗せて効果を発揮する魔法』……いわゆる言霊のような魔法に対して極めて強い適性があった。ただし格上に効果を及ぼせるようなものではなく、普段接する相手も戦王配下ばかりでほぼ格上だったこともあり、雅がこの魔法適正に気付くことは無かった。
そして、雅はなにも知らぬまま今際の際に口にした……『肉体が滅んだとしても、魂は共にある』と……。
そう、本来であれば元の世界に帰るはずだった雅の魂は、その言葉の影響によりイプシロンの傍に留まり続けた。そして、彼女の魂はトリニィアのシステムの対象外……その要素が噛み合った結果、雅の蘇生は可能であった。
だが、単純に蘇生させたところで意味はない。雅は怪我や病気で死んだのではなく、寿命を迎えて死んだのだ。単純に蘇生しただけでは、すぐに再度の死を迎えてしまう。
故になんらかの対策が必要であり、そのことに関してイプシロンは頭を悩ませた。
一番最初に思いついたのは蘇生した雅を若返らせることだ。これに関してもかなり高度ではあるが時空間魔法の応用で行えることは行える。
だが、時間の巻き戻しは時空間魔法が得意なものでもかなり難しく、イプシロンはどちらかと言えば時空間魔法に関しては苦手としていて、細かなコントロールが行える自信が無かった。
例えば100年という期間は、数万年を生きるイプシロンにとっては誤差レベルではあるのだが、人間である雅には影響が大きすぎる。ほんの少し加減を間違えてしまえば失敗してしまうというのは、実行をためらうには十分な要因だった。
そしてなにより、仮に成功したとしても結局いずれまた寿命の差という問題には直面する。ならばそもそもそれを根本的に解決してしまうほうがいいのではないかと……。
そして辿り着いたのが死者の魂を別の種族として転生させる方法。そういった術法が存在するということはイプシロンも知ってはいたが、それは禁術と呼ばれる類のものであり禁忌の魔法のひとつだった。
さらにそういった禁術の類は、噂や伝承こそ多少は残っているものの、資料や書物など具体的なことが書かれたものは、まるで誰かが意図的に処分しているかのようにほぼ存在しないと言っていい。
禁書の断片や壁画などが時折オークションなどに出ることはあるが、完全な状態の禁書は世界に『ほぼ』存在しないと言っていい……そう……ほぼだ。
チリチリと皮膚を炙られるような感覚に、伯爵級最上位の実力者であるイプシロンをもってしても重圧を感じる凄まじい魔力。
それに晒されながら、イプシロンは深く頭を下げていた。
「お願いします! 蘇生魔法に関連する禁術の書かれた禁書を、どうか閲覧させてください!」
「……別に……構わない」
イプシロンの訴えに淡々と応えたのは死王アイシス……詳細な理由は不明ではあるが、禁書を処分しているものも迂闊に手を出せない存在だからなのか、彼女は世界でほぼ唯一と言っていい禁書を完全な状態で所有する存在だった。
まだ快人と巡り合っておらず、人界などもにも死の象徴として広く認識されたばかりと言っていいこの頃のアイシスは常に不機嫌であり、イプシロンであっても相対するのにはかなり緊張があったが無事許可を得ることが出来て目当ての禁書を閲覧することが出来た。
さすがに禁術と呼ばれるものだけあってかなり難解であり、読み解き実行の可能なレベルまで理解するにはイプシロンであっても半年以上がかかったが、雅を想う一心で読み解き理解した。
そして、様々な準備を整え……複雑かつ膨大な魔法陣をミスの無いように時間をかけて作り上げ、雅を転生させる術式を完成させ、後は実行するのみとなった。
ひとつ、忘れてはいけないことがある。死者の魂を別の存在へと転生させることは禁忌とされる魔法であり……禁術に指定されているということは、つまるところ……『それを禁じた存在が居る』ということでもある。
では、それは誰か? トリニィアの輪廻転生の仕組みの根幹を預かり、あらゆる生命の法則を司る最高神……ライフであった。
単純な蘇生であれば問題はない。死者の魂が輪廻に戻る前にある程度の猶予があるということは、彼女は蘇生についてはある程度の制限は付けつつも許容している。
だがしかし、死者の魂を別の存在に作り替える。世界の輪廻転生のシステムを介さない転生は、神の領分に踏み込む行為であり、許容範囲外である。
故にライフは魔界に赴いた。目的はもちろん禁術を用いて死者転生を行おうとしているイプシロンへの警告……場合によっては『粛清』である。
しかして、魔界に降り立ったライフの足は、思わぬ事態に止まることになった。
「……なぜですか? なぜ、貴女が出てくるのですか?」
「まぁ、いろいろありましてね。ライフさんにもいろいろ事情はあるでしょうが、悪いんですが……今回だけは見逃してあげてくれないっすかね?」
ライフと向かい合うように立つのは、黒いローブに身を包んだ六王の一角……幻王ノーフェイス。まさか、幻王が出てくるとは思わなかったライフは、忌々し気な表情を浮かべる。
口調こそ申し訳なさそうにしているのだが、肌を刺す殺気が雄弁に物語っていた……場合によっては力尽くでも止めると……。
幻王は最高神最強であるフェイトと互角に渡り合える存在であり、ライフであっても後れを取る可能性が高い相手だった。
それだけではなく、ここで最高神である己と六王であるノーフェイスがぶつかり合えば、それは場合によっては友好条約にヒビを入れる行為にもなりかねない。
「今後も全部見逃せってわけじゃないんですよ、今回の一回だけってことで……」
「…………仕方ありませんね。今回だけは、貴女の顔を立てて見逃すことにしましょう。ただし、彼女の実力ではあの術式を完璧に実行することは難しく失敗の可能性が高いでしょう。一度失敗したなら、二度目は許しません」
「ええ、その時は私も邪魔はしませんよ。一度だけチャンスをあげてほしいだけなので」
「……少し意外ではありますが、個々の考えに私が口を挟む意味も無い。それでは、私はこれで失礼します」
なぜノーフェイスがイプシロンを庇うように現れたのかは分からなかったが、ライフにとってはその辺りの交友関係や思惑などはさして興味のあるものでもない。
二度目は見逃さないと告げた後で、神界に帰っていった。
ライフが去ったあと、誰もいなくなった空間を見つめながらノーフェイスは苦笑しつつ寂しげに呟いた。
「……なんか、昔のこと思い出して、つい手助けしちゃったよ……私もなんだかんだで甘いよね……イリス」
???「ところでシリアス先輩は?」
マキナ「ああ、なんか、少しだけでいいから寝てても本編の様子を見えるシステムを解除して欲しいって言ってきて、解除したら喜んで寝始めたよ」
???「……哀れな。けど、疑問ですね。なんであんな普通であれば実行不可能なレベルの、神の領域と言えるような禁術の記された書物が存在してるのか……これどう考えても、あの元凶が関わってるでしょ?」
マキナ「うん。昔はいろいろ試してたみたいで、その手の神の権能を術式で再現するような、いわゆる禁術系の書物を作って、魔界に適当にばら撒いてたみたいだよ。それを知らない神族が世界への影響を考えて、禁術指定した後で慌てて回収したり処分したりしてたみたいだけど、アイシスの持ってるものは回収できなかったみたいだね」




