船上パーティ開始前②
六王配下幹部、それは世界的に見ても非常に有名な存在であり一般人にも広く知られている……というのは、陣営によってかなり差異がある。いや、最近配下を得始めたばかりの死王陣営は除くとして、それ以外に関しては正しくは幻王陣営と冥王陣営のみが特殊と表現するべきだろう。
例えば戦王五将、七姫、四大魔竜に関してはかなり有名であり、雑誌に特集などを組まれることもあり、直接顔を合わせることは稀でも姿絵などを目にする機会はある。
四大魔竜に関しては竜としての姿が広く知られているので、人化した姿では一般人にはわからない可能性があるが、戦王五将や七姫などは一般人が見てもすぐに気付くだろう……ごく一部、きわめて影が薄いせいで気付かれないという特性を持つ幹部もいるが……。
対して冥王陣営と幻王陣営は違う。まず、冥王陣営は幹部というくくり自体が存在しないため、冥王陣営として有名な者は複数あれど、どこまでを幹部と定めるかは不明であり、幹部というくくりで行動を行ったり勇者祭に参列したりといったこともないため、名前や通り名は聞いたことがあっても姿は知らないという一般人が多い。
幻王配下幹部の十魔もそれに近い。十魔に関してはコードネームや通り名は広く知られているのだが、そもそも幻王陣営自体が隠密性の強い組織であり、通り名やコードネームは知られていても、顔などは知られていないものが多い。
モロクやリリムにしてみても、それぞれ表の顔である大商会サタニア商会のトップ、現皇帝の母親という意味ではある程度顔や名を知られていても、彼女たちが十魔であることを知るのはごく少数だ。
(ど、どなたでしょう? ものすごく大きな角……魔族の方でしょうか? 黒一色ですが細部をよく見ると高級感のあるドレス……社交界ではこういったドレスが流行りだったりするのでしょうか……ああいえ、そうではなく……この独特の凄みのある女性が何者かという点が重要ですね)
グリンがそうであるように、十魔の顔を知らない一般人は非常に多い。ただし、ティアマトに関していえば、彼女は十魔に属することを広く知られている存在のひとりではある。
(……す、凄まじい魔力。私も魔力量には自信があるほうでしたが、完全に桁が違います。爵位級高位魔族の方でしょうか? 大きな角……青味の入った黒髪……あれ? どこかで聞いたような……う~ん。思い出せませんね)
アンの種族であるクルーエル族は祖先が魔族とも言われていることもあり、彼女も幼いころに少しだけ魔界に伝わる「黒い森の怪物」の話を聞いたことがあるのだが、本当に少しだけだったのと……現在のティアマトは人化しており特徴的な蛇の下半身が無いため、気付けていなかった。
ちなみに余談ではあるが、仮にこの場にいたのが魔界の一般市民であれば、ティアマトの顔を見た瞬間逃走している。彼女は魔界でも屈指の危険生物として認識されており、巨大な二本角、青みがかった癖のある黒髪、縦に長い瞳孔の金瞳……これだけで、大半は全力で逃走する程度には危険と認識されている。
「……どうしました?」
「あ、いえ、えっと……」
「お話が聞こえてきましたが、部屋の場所をお探しですか? よろしければ鍵を確認させていただいても?」
「あ、はい」
とても美しく優しい笑みのはずだが、なぜか背中がゾクッと寒くなるような感覚を覚えつつ、グリンとアンは鍵をティアマトに見せる。
「ああ、なるほど、この部屋番号でしたら三階の部屋ですね。ここからほど近い場所なので、部屋の近くまで案内しますよ」
「え? あ、ありがとうございます。でも、お手間をおかけすることに……」
「お気になさらず、困っている相手に手を差し伸べるのは当然のことですから……さっ、こちらですよ」
独特の不気味さはあるものの、道案内をしてくれるというティアマトに若干戸惑いつつもグリンとアンは続く。雰囲気こそ不気味さはあるのだが、実際の発言や行動や善意によるものであり、不気味さもあくまで感覚的なものなどで言及はし辛い。
結果そのまま特に会話が無いままティアマトの後に続き、階段を上って三階へ移動、ふたりの部屋が近くなったタイミングでティアマトが振り返って微笑む。
「……この先が貴女たちの部屋です。扉に部屋番号が書いてあるので、鍵と照らし合わせて確認してください」
「わざわざありがとうございました……あっ、名乗りもせずに申し訳ありません。私は――え?」
お礼を言って自己紹介をしかけたアンだったが、それよりも早くティアマトがアンの口の前に掌を突き出して、言葉を止めるような仕草をする。
その行動にアンが言葉を止めて戸惑った表情を浮かべると、ティアマトは小さく微笑みながら口を開く。
「……私に名乗ってはいけません。知れば、もっと知りたくなってしまうから……私の名を聞いてもいけません。知られれば、もっと知ってほしくなってしまうから……私と親しくなってはいけません。親しくなれば私はきっと、別れたくなってしまうから……」
「「……」」
その言葉にはどこか有無を言わせない圧力があり、アンもグリンも何も言えずにティアマトを見る。
「今日の私との出会いは、泡沫の夢……一時の偶然として……『忘れなさい』」
ティアマトの両目が怪しく光ると、アンとグリンの眼が焦点を失う。それを見てもう一度微笑んだ後、ティアマトはふたりに背を向けて来た道を戻り、二階に向かう階段に差し掛かるタイミングで小さく呟いた。
「清く優しく、真っ当で……私がその気になれば簡単に殺せてしまう人は……私のような化け物と関わるべきではない……私は、そう思います」
黒い森の怪物……ティアマトこと、メディア・レヴィアタシ。彼女は好意と同時に殺意を抱く、親しい相手を殺したいという欲求を持つ異常者だ。
そう、異常者であることは……間違いない。だが、アリスの指導の賜物か……彼女は己が歪んでいると理解しており、それが世間的に異常であるとも分かっている。
彼女は間違いなく異常者ではあるが、その心が邪悪かと問われれば、是であるとは言えないかもしれない。少なくとも、道に迷って困っていたふたりに手を差し伸べたのは欲望ではなく、純粋な善意からだったのだから……。
そうしてティアマトの姿が見えなくなって数秒が経ち、アンとグリンがほぼ同時にハッとした表情を浮かべた。
「あっ、グリンさん、申し訳ありません。私、少しボーとしていたようで……やっぱり緊張しているのかもしれません」
「私も同じですよ、アンさん。お恥ずかしながらあまりの豪華さに気圧されてしまったのか、受付からここまで移動する間は意識が散漫になっていたようです」
「ははは、お互い様ですね。ですが、なんとかこうして『誰にも聞かなくても』部屋にたどり着けたのはよかったですね」
「ええ、意外となんとかなるものですわね。それではそれぞれの部屋に……ひとりで行くのはちょっと恐ろしいので、ふたりで一緒に部屋を確認しませんか?」
「賛成です」
そういって苦笑しあうふたりは先程あったティアマトのことは完全に忘れており、他愛のない会話をしながら割り当てられた部屋に向かっていった。
シリアス先輩「そうなんだよなぁ。ヤベェ奴ではあるんだけど、他のヤベェ連中に比べて、ある程度マシに見えるのは、やっぱりティアマト自身が己を異常者だって認識してるからだよなぁ」
???「余談ですけど、黒い森の怪物に関しては、ティアマト本人に頼まれてわた……アリスちゃんが魔界に広く浸透させました。できるだけ心優しい者が己と関わらなくで済むようにって、あの蛇なりの一種の対策ですね……まぁ、変態であることは間違いないんすけどね。しょっちゅうフェニックスぶっ殺して、恍惚としてますし……」