閑話・王と救済者④
シャルティアとの出会いから二万年近くの時が経過しても、パンデモニウムは空っぽのままだった。彼女が変わらないままでも、世界は変わり、その在り方にも変化が訪れた。
魔界に秩序が生まれ、六王と爵位級高位魔族という言葉が常識へと変わり、三つの世界で友好条約が結ばれた。
パンデモニウムも担当をシンフォニア王国の情報統括者へと変え、シャルティアとあった時以来一度も名乗っていなかった本名であるイルネスという名前で、王城のメイドとして勤めるようになった。
しかし、彼女の心に変化は訪れない。いまも変わらず、なにも求めずに捧げるだけの生き方を続けていた。
「イルネス! 聞いてください! 私、武術大会で準優勝したんですよ‼ その、決勝でジークに負けちゃいましたけど……でも、次は勝ちます!」
幼いころから面倒を見ている王女……リリアンヌがそう告げてきた時も、彼女が己の基準にのっとって対応をした。
頑張った相手は笑顔で褒めてあげるのが正しいだろうと……。それによってイルネスが満たされることはない、しかしリリアンヌは満たされる。ならば、それでいいのだと思った。
「お願いします! イルネス! 公爵としての立ち振る舞いはある程度わかりますが、使用人の指導とかそのあたりはまったくで……私についてきてくれるのは、騎士団出身の者が多く、メイドとしての仕事の経験のある者が少なくて、どうしたらいいかわからないんです!」
地に頭を擦り付けるように頼むリリアンヌを見て、イルネスが思ったのは『これだけ必死に頼まれたのなら、考慮するのが正しいことだろう』という感想だった。
だから彼女は主であるシャルティアに確認を行った。独断で決定することは正しくない行為だと思ったから。
彼女はどちらでもよかった。ただ他者が示した道を、己の基準で歩き続けるだけ……。
そんな空っぽでなにも求めないイルネスに転機が訪れたのは、それから四年後だった。
使用人を集め、リリアンヌ……いまはリリアと名前を変えた当主が強い言葉で宣言する。この屋敷初めての男性の滞在人は、リリアの大切な客人であり害することは許さないと……。
しかし、その言葉はイルネスには届いていなかった。彼女はただ、その客人である男性……宮間快人だけを
見続けていた。いつもの焦点の合っていない目の焦点を合わせ、食い入るように見つめていた。
生まれて初めて美しいと感じた存在……快人を見て、彼女の心にはある感情が湧き上がった。
(……見たいぃ。そんな不安そうな顔じゃなくてぇ、彼の笑顔を~幸せそうな表情を~見てみたいですぅ)
それはなにも求めず己を捧げ続けていた彼女が、『初めて求めたもの』だった。幸せでいてほしいと思った、悲しい表情を浮かべないでほしいと思った……快人の幸せを願った。
それはイルネスに劇的な変化をもたらした。快人に尽くしたいと、自ら専属を買ってでた。できるだけ早く快人が屋敷に馴染めるようにと、陰に日向に手助けを続けた。
そして……。
「パンデモニウム、新しい任務です。屋敷に居る異世界人、ミヤマカイトの情報を可能な限り詳細に集め、逐一私に報告してください」
「お断りいたしますぅ」
「……なんですって?」
「たしかぁ、シャルティア様は~最初にこう言いましたよねぇ。『命令を拒否する自由も許す』と~ならばぁ、私はその権利を~ここで使わせていただきますぅ」
率直に言って、その言葉にシャルティアは少々驚いた。なにせ配下になってからいままで、ただの一度も文句も不満も行ったことがないイルネスが、明確に任務を拒否したのだ。
彼女は従順すぎるほど従順だった。それがいまは、たしかに強い意志で拒絶していた。
「……理由を聞いても構いませんか?」
「とくに~特別な理由はないですよぉ。ただ~私はぁ、シャルティア様より~カイト様を~優先したいだけですぅ。不敬だとは思いますがぁ、私は~今後~カイト様を~最優先に動きますぅ」
「……見つかったんですね。貴女の献身を捧げる相手が」
「はいぃ」
ハッキリと答えるイルネスを見て、シャルティアは薄く笑みを浮かべた。
「……なるほど、それならしょうがないですね。他の方法を用意することにします」
「処罰はぁ?」
「ありませんよ。貴女は私が与えた権利を正当に行使しただけ、咎める理由がありません。私が言うのはただ一言だけ……おめでとうございます」
指示に逆らったイルネスに対し処罰はないと告げ、祝福の言葉を告げたあとでシャルティアは軽く手を振って姿を消した。
イルネスは去ったシャルティアに対して、ただただ深く頭を下げていた。
たまたま快人に過去の話をしたからだろうか? イルネスは耳掃除をしながら、かつてのシャルティア……アリスとのやり取りを思い出していた。
本当に変われば変わるものだと、そんな風に感じながら……。
「カイト様ぁ、今日は~この後ご予定などはありますかぁ?」
「え? いえ、特になにも無いです」
「もう少しでぇ、耳掃除も終わるのですがぁ……カイト様さえ嫌でなければぁ、もう少しこのままの体勢では~駄目でしょうかぁ?」
「へ? あ、い、いえ、大丈夫ですが……えっと、そうなると快適でうたた寝とかしちゃう可能性も……」
「大丈夫ですよぉ。その時は~夕食が近づいたら起こしますのでぇ」
他者になにも求めない、なにも期待しないと言われた頃とはまるで違い、こうして自然と己の要望を口にするようになった現在。戸惑いはあるし、まだ己の変化に適応しきれてはいない。
だがそれでも、イルネスはいまの自分が嫌いではなかった。快人のことを心から愛し……いまのように、一緒にいて尽くせる状況があまりにも幸せで、なにかを求められるようになったことを嬉しく思う。
(しかし~本当にぃ、際限がないのは~困りものですねぇ。カイト様に願いを叶えてもらってばかりなのも~心苦しく思いますぅ。なにか~お返しが出来ればいいのですがぁ……)
シリアス先輩「いい話だった。イルネスへの理解が深まったな……よし、次のエピソードに行こう! 次は数日空いた昼とかからのスタートでいいぞ!」
???「おや? 先輩がフラグを建てたってことは……」
シリアス先輩「フラグを建てたつもりなんて無いんですが!?」




