アルクレシア帝国建国記念祭⑤
快人の存在に衝撃を受けつつも、令嬢は努めて冷静な表情を取り繕いながら、それでも高速で思考を巡らせる。
(お、おお、落ち着くのです。厳しい淑女教育を思い出してれ、れれ、冷静に……迅速に状況を整理しましょう。ミヤマカイト様に対して、貴族が迂闊に接触することは禁じられています。ただ、それはあくまでミヤマカイト様が社交界などに関わることをよしとしていないからであり、この場合において禁じられているのは、己の利益のためにミヤマカイト様と繋がりを持つことのはずです)
快人に対して茶会や夜会に招待したりという行為は、各国の王家より硬く禁じられている。それはそういったものを許せばキリが無くなるのと、快人自身がそういったものを望んでないことが理由だ。
また快人を政治的に利用するのも、もちろんアウトだ。それこそそんなことをしようとしたら幻王に消されるだろう。
(ですが、いまの私はあくまで偶然ミヤマカイト様の店に立ち寄っただけなので、この遭遇はセーフであると考えていいでしょう。ただ、ここで自己紹介などを行うのは駄目でしょう。あくまで客と店員の立場であり、自己紹介などは不自然です。さらに聞き及んでいるミヤマカイト様の性格上、ミヤマカイト様が店員を務めていること知られて騒ぎになるのは望まないはず)
令嬢は革新派に属する侯爵家の娘であり、基本的に快人のことを好意的に認識している派閥である。保守派の貴族のようにエデンにきつく脅されたわけでもない。
令嬢自身もアルクレシア帝国だけでなく各地に大きな変化をもたらしている快人を、好意的に感じていたし、なんなら憧れに近い感情も抱いていた。
(護衛のメイドは貴族ではない。ミヤマカイト様の名は知っている可能性がありますが、姿絵などは見ていないはずですし、私がミヤマカイト様の名を呼ばない限りは気付かれる心配はないでしょう。であれば、大丈夫なはず……む、むしろ、ミヤマカイト様の出店で買い物できる機会に恵まれたと考えれば、本当に幸福です)
令嬢は表情にこそ出していないが、感応魔法を持つ快人にとっては表情を取り繕ったところであまり意味はない。令嬢の焦りや混乱といった感情は、しっかり快人に伝わっていた。
だが、あくまで快人は感情を読み取るだけであり、心を読めるわけでは無い。そのため、令嬢から感じる困惑などの感情に関して『アメルの前に並ぶ奇妙なグッズに困惑している』と認識した。
「そちらのグッズ類以外にも、こちらに陶磁器やアクセサリーも置いてますよ」
「あ、そうなのですか? では、拝見させていただきます」
「ええ、どうぞゆっくり見てください」
快人に声をかけられて、緊張でやや視界の狭くなっていた令嬢はアメルの前に並ぶ品々から、快人の前に並ぶ品に視線を動かす。
(購入自体は問題ないですが、問題はいくつ買うか……ミヤマカイト様の出店の品とあれば、可能な限り購入したいという思いはありますが、それは迷惑をかけてしまいますし、なにより後に他の貴族が知った場合に足を引っ張ることしか能の無い連中が文句をつけてくる隙になってしまいます。購入は1点か2点にするべきですね)
冷静に思考を巡らせながら、令嬢は快人の前にある美しい木箱に入ったティーカップのセットに目を留めた。
「……これは、美しいティーカップですね。かなり名のある職人が制作されたのでしょうか? しかし、このマークは初めて見ますね」
「ああ、それはうちで作ったものでして、区別がつくようにマークを入れているんですよ。普段売ったりしていない品なので、見覚えはないと思います」
「ッ!? そ、そそ、そうなのですか……」
穏やかに微笑みながら告げた快人の説明に、令嬢は驚愕の感情を隠し切れなかった。
(ミ、ミミ、ミヤマカイト様の家で製作した、ミヤマカイト様のブランドのティーカップ!? と、とと、とんでもない品ではありませんか、こ、これを所持しているだけで我が家の立場も上がるかもしれないというほどの……それを抜きにしても、このティーカップは素晴らしい完成度ですし、見たところ4つで1セットになっている模様。購入点数を絞りつつも複数の品を手に入れられると考えれば、最善の選択かもしれません……問題は、果たして持ち合わせが足りるかという点ですね)
様々な陶磁器を見てきた令嬢の目から見ても、そのティーカップはあまりにも洗練されており、出店で売られているのが信じられないような逸品だった。
そうなると、相当に高価であるのが予想できて、令嬢は現在の所持金を考える。
(マジックボックスの中には白金貨2枚と金貨と銀貨が5枚ずつ、あとは出店を楽しむように持って来た小銭ぐらい。果たして足りるでしょうか? 場合によっては、家に使いを出して……い、いえ、それでは他の貴族が気付く可能性もあるので、手持ちで足りなければ……惜しいですが、別の商品を買いましょう)
思考をまとめた令嬢は、やや緊張した面持ちで快人に向かい合う。果たして予算は足りるのかと、緊張に喉が渇くのを感じながら快人に対して質問する。
「……あの、このティーカップのセットは、おいくらでしょうか?」
「4つ1セットで1000Rです」
「なるほど、1000R……うん? あ、あの、失礼ですが、金額をお間違えでは……10000Rではなくて、1000Rですか?」
「はい。1000Rですね」
「……………………なるほど」
令嬢は困惑していた。ハッキリ言って手元のティーカップの品質は素晴らしい。快人のブランドという付加価値を抜きにしても、10000Rは下らないと思えるほどであり、皇室御用達の高級店でもなかなか見ないレベルで美しい陶磁器だった。
そこに快人のブランドという付加価値が加われば、更に10倍……いや50倍の金額に跳ね上がっても不思議ではないと、そう思っていたのだが……告げられたのは1000Rである。
あまりに予想外な金額にヒクヒクと頬が引き攣るのを感じつつ、再び胃の痛みを覚えながら令嬢は「これを買います」と快人に告げるのだった。
???「なかなか、有望な胃痛戦士候補ですね。カイトさんに対して自己紹介をしなかったので、名前なしのモブのままですが、再登場すれば名前が与えられる可能性は十分にあります」
シリアス先輩「その倍更なる胃痛もセットになるんだけど……けど、快人から見れば、溺愛しているネピュラ作のティーカップを賞賛して、購入してくれた相手なわけだし、印象はいい筈だよな……あり得なくもない……のか?」