特典SS『始まりの少し前』
今日はどうしても執筆の時間が取れないので、十巻の特典SSのお話を掲載します。
快人がトリニィアを訪れるほんの少し前のお話です。
一年中雪が降り続け、すべてが凍てつく極寒の地。魔界に住む者たちからは死の大地と恐れられるその場所に、たったひとつそびえ立つ死王アイシスの居城。
数多の本で埋め尽くされた書庫の一角で、この城の主たるアイシスは買ったばかりの本……『籠の王女と青い花』というタイトルが書かれた本を小さなテーブルの上に置き、近くの窓から見える景色に目を向けた。
するとそのタイミングで、書庫の扉が開き紙袋を抱えた少女が入ってきた。
「アイシス、新作のお裾分けにきたよ~」
「……クロムエイナ……うん……ありがとう……そこに……置いておいて」
笑顔で告げる冥王……クロムエイナの言葉に、アイシスは振り返ることもなく窓の外を見たまま、淡々とした声で答える。その様子を見て少し寂し気な表情を浮かべながら、クロムエイナはテーブルの上にベビーカステラの入った袋を置いた。
いつからだろうか? 彼女が、アイシスの表情から笑顔が完全に消え去り冷め切った表情を浮かべるようになったのは……。なぜそうなったか、原因は分かり切っている。だが残念ながらクロムエイナには、アイシスが抱えている孤独を癒す術はない。
そのことを家族として歯がゆく思いつつも、それ以上なにも言うことはできず、クロムエイナは窓の外を見つめ続けるアイシスの背をもう一度だけ見てから身を翻しながら呟くように告げた。
「……そういえば、シャルティアを探してるんだけど、いまどこにいるか知ってる?」
「……わからない……二年ぐらい前に一度……ここに来たけど……いまどこにいるかは……知らない」
「そっか、ありがとう……じゃ、またね」
「……うん」
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あまり多くの言葉を交わすこともなくアイシスの居城の外に出たクロムエイナは、ふとそのタイミングでこの場に転移してくる知り合いの魔力を感じた。
直後に雪に覆われた大地に木が生え、界王リリウッドが姿を現した。
「リリウッド、奇遇だね」
『おや? クロムエイナ……貴女も、アイシスに会いに?』
「うん。少しだけね……そういえば、リリウッド。シャルティアがどこにいるか知らない?」
『いえ、申し訳ありません。私は前回の勇者祭以降一度も会っていないので、いまどこにいるかは……』
幻王ノーフェイスことシャルティアは、六王の中で唯一決まった住居を持たない存在であり、世界各地を転々としている。その上、変身魔法や認識阻害魔法の達人であるため連絡を取るのも困難であり、勇者祭から次の勇者祭までの十年間、一度も六王の前に姿を現さないこともよくある。
「う~ん、そっか……じゃあまた幹部の子に連絡を取ってもらうしかないね。それじゃあ、ボクはこれで……アイシスのことよろしくね。最近また少しピリピリしてるみたいだけど、リリウッドといれば少しは気が休まるだろうから」
『だと、いいのですが……根本的な解決に繋がらないのは、歯がゆいですね』
「……そうだね、難しいものだね。まぁ、次の勇者祭が終われば、また少し時間にも余裕ができるし、その次の勇者祭までに一度くらい、皆で集まれたらいいね」
クロムエイナが口にする皆とは、いまは離れて暮らす家族……六王のことである。三界の友好条約が結ばれてから、よくも悪くも六王の活動範囲は広がり以前よりも全員で集まる機会は減っている。
『そうですね。例によってシャルティアを呼ぶのが一番困難でしょうがね』
「あはは、本当にね。油断するとすぐ姿をくらませちゃうからね」
苦笑を浮かべるリリウッドに、同じく苦笑を返したあとでクロムエイナは軽く手を振ってその場から転移していった。
****
ところ変わって人界、シンフォニア王国。王都の一角にあるアルベルト公爵家の屋敷では、当主であるリリアがどこか緊張した様子で書類を眺めていた。
そこには近く行われる勇者召喚の予定や手順などが、こと細かに記されていた。
「まったく、大役なのは分かりますが……いまからそんなに緊張していてどうするんですか」
「ルナ……ええ、頭では理解してるんですが、どうにも不安で……」
どこか呆れた様子で声をかけてきたルナマリアに言葉を返しつつも、やはりリリアの肩には力が入っており緊張しているのが伝わってきていた。
「まぁ、リリはまだ駆け出しの公爵ですし、知名度を上げるという意味ではいい機会でもありますね」
「ええ、少しずつでも貴族としての力を得ていければ、いつかは……世界樹の果実を……」
「……」
書類を見つめながら呟くリリアの言葉を聞いて、ルナマリアは複雑そうな表情を浮かべた。しかし、すぐにその顔を明るいものを変えて口を開く。
「とはいえ、いまから気を張り過ぎてもなんにもなりませんよ。真面目過ぎるのも考えものですね」
「むぅ、確かにその通りですが……」
「とりあえず、紅茶でも淹れてきますので、ソレを飲んで一息ついてください。緊張しすぎていては、上手く行くものも行きませんよ」
「……そうですね」
ルナマリアと話したことで少しは緊張が解けてきたのか、リリアの肩からほんの少し力が抜ける。それを確認してから、ルナマリアは一礼して紅茶を用意するために部屋から出ていった。
昼の日差しが差し込む廊下を歩きながら、ルナマリアは静かに思考を巡らせていた。
(おそらく今回、リリが勇者召喚の責任者に任命されたのは、国王陛下が手を回してくれたのでしょう。陛下もリリの目的は知っているでしょうし、少しでも貴族としての実績をという配慮ですかね)
リリアは単純な知名度という意味では、国内いや人界でも有名人といっていい。しかし、それはあくまでその圧倒的な戦闘力……戦士としての名声であり、貴族としては新参もいいところである。
少なくとも現時点のリリアには、世界樹の果実を購入する財力も無ければ、情報を手に入れるための伝手も不足しているため、コネクションの構築は急務とも言えた。
(……けれど、難しい、ですね。たしかに召喚責任者というのは栄誉ある役職ではありますが、勇者祭は来年で百度目……正直、大した実績にはならないでしょう)
そう、勇者召喚は人界の三国が持ち回りで行う。つまりシンフォニア王国だけで考えたとしても、初めの勇者祭からいままでに三十回以上は召喚を行っているわけだ。故に、伯爵以上の地位の貴族家であればどこも大抵過去に勇者召喚の責任者になったことはある。
(それにやはり国内では、どうしても兄君である陛下の威光のおかげと侮られることも多いでしょう。理想はアルクレシア帝国やハイドラ王国、あるいは魔界や神界といったシンフォニア王国以外の場所にコネクションを築ければ、リリの発言力も強まるのでしょうが……)
そこまで考えたところで給湯室に辿り着き、ルナマリアは慣れた様子で紅茶の用意を始める。ただし、一度始めた思考は止まることなく回り続けていく。
(飛竜便や商店もある程度は軌道に乗っていると言っていい。四年でこの状態なら、むしろいいペースだと思えますが……世界樹の果実、そしてもうひとつの目的には、長い時間をかけなければ到底届かない)
状況は悪いわけではない、しかしいいわけでもない。目的の場所はひどく遠く、とれだけの時間がかかるかも分からない。
リリアとジークリンデは互いに罪悪感を抱えており、関係はどこかぎこちない。ルナマリアはこの四年ふたりの間に入り、可能な限りのことをしてきたつもりだ。しかしそれでもいまだ、光明は見えない。
(……いつまで続くんでしょうね。いつになったら、昔みたいになんの負い目もなく三人で笑い合える日がくるのでしょうか……もしかしたら、もう二度と……)
当たり前のことではあるが、決して彼女は……ルナマリアは部外者ではない。彼女もまた当事者であり、かつての事件に心を痛めている者のひとりである。
だから、だろうか? ひとりになると、不意に弱音が心に湧いてくる。もう二度と、かつての楽しかった関係には戻れないのではないかと、そんな不安が胸を締め付ける。
「……誰か……助けて」
蚊が鳴くような小さな声が零れ、握りしめた手に一滴の涙が落ちる。いっそ幼子のように泣きじゃくってしまえば、少しは気持ちも晴れるのかもしれない。しかし、それは選べない選択だった。
少しの間顔を伏せて沈黙したあと、ルナマリアは顔を振って気持ちを切り替える。
(……ここで折れては駄目です。私が折れたら、本当にギリギリのところで保っているものまで崩れてしまう。どんなに辛くても、苦しくても……私だけは、笑顔でいなければ……)
彼女も……ルナマリアも四年前から今日までずっと戦い続けてきた。明るい笑顔を浮かべ、道化のように振舞い、親友たちがいま以上に悪い方向に進んでしまわないようにと、その心を支え続けてきた。
だからこそ、先が見えずともここで折れるわけにはいかない。そう決意を新たにしたルナマリアの耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「すこしぃ、湯の温度を~上げ過ぎてはありませんかぁ?」
「イルネス様!? い、いつの間に……」
「いま来たところですよぉ」
驚き振り返るルナマリアに対し、いつも通りの口調で答えたあと、イルネスは給湯室の中の品を点検し始めた。
「……在庫の確認ですか?」
「はいぃ。買い出しに行くつもりですのでぇ、必要なものを~確認していますぅ」
「そうですか、えっと……」
「ルナマリアはぁ、なにか必要なものは~ありますかぁ?」
イルネスが先ほどの呟きを聞いていたかどうかまではわからなかったが、どちらにせよ追求をするつもりはないみたいだった。そのことに少し安堵しつつ、ルナマリアは口を開く。
「……そう、ですね。最近お嬢様が気を張っているみたいなので、なにかリラックスできるようなものでもあれば」
「なるほどぉ、では~アロマキャンドルでもぉ、買ってきましょうかぁ?」
「あ、はい。そうですね、そうしていただけると助かります」
「分かりましたぁ。では~私はこれでぇ」
在庫の確認が終わったのか給湯室から立ち去ろうとするイルネス。その小さな背中を見て、ルナマリアはつい反射的に口を開いていた。
「……イルネス様」
「はいぃ?」
「お嬢様の目的は、達成できると思いますか?」
「どうでしょうねぇ。不可能だとは~言いませんがぁ、それでも~長い時間がぁ、必要になりそうですねぇ」
「……はい」
イルネスの答えはルナマリアが考えていたものとほぼ同じだった。
「ただし~ひとつ目に関してはぁ、巡り合わせ次第とも言えますねぇ」
「巡り合わせ、ですか」
「どこにどんな縁が転がっているかはぁ、分かりませんからねぇ。ある日突然~お嬢様が界王様と知り合うという未来がぁ、絶対にないとも言い切れませんからねぇ」
「……そう、ですね」
「だから~貴女もぉ、あまり考え込み過ぎないようにぃ」
「……はい。ありがとうございます」
「いえいえ~それではぁ」
イルネスの言葉を聞いて、少しだけ気持ちが軽くなったのかルナマリアは微笑みを浮かべ、去っていくイルネスの背を見送った。
そのあとで用意した一式をカートに乗せ、リリアが待つ執務室に向けて歩き出す。
(たしかに、楽観視するべきではありませんが、同時に悲観し過ぎる必要もありませんね。ある日突然、救世主のような方が現れるようなことが、絶対起こらないとも限らない。私はただ、『いま』出来ることを頑張っていくとしましょう)
先ほどまでより少し軽くなった気持ちを実感しつつ、廊下を歩いていたルナマリアは、不意になにかを思い出したように足を止め窓の外へ視線を向けた。
(……そういえば、良縁のひとつでもあればとリリに強引に受けさせた恋愛神様の祝福……結局いい出会いはありませんでしたね。まぁ、こればかりは巡り合わせなので仕方ないですが……あれ? しかし、祝福の効果が受けてからピッタリ一年というのであれば……一応、まだ数日間は効果の範囲内。奇跡をアテにするのは馬鹿馬鹿しいですが、願うだけならタダですよね)
そこまで考えたところで、ルナマリアは窓から視線を外し再び歩き出すと同時に、小さく呟いた。
「……願わくば、苦しんでいる親友に奇跡的な出会いを……」
****
年末の活気に包まれるシンフォニア王都の大通り歩き、慣れた様子で買い出しを行っていたイルネスは、不意に足を止め路地に視線を動かした。
そしてそのままスッと、景色に溶け込むように姿を消し、人気のない路地裏に移動してから静かに呟いた。
「お久しぶりですぅ、冥王様ぁ」
その呟きに呼応するかのように、視線の先の景色が歪みクロムエイナが姿を現した。
「うん、久しぶりだねパンデモニウムちゃん。急に魔力で呼びかけて、ごめんね」
「いえいえ~お気になさらずぅ」
「けど、ここで見つけられたのは助かるね。王城を訪ねる手間がはぶけたよ」
「四年ほどまえに~配置が変わりましてぇ、いまは~アルベルト公爵家に~仕えていますよぉ」
「え? そうなの!? ならなおさら、偶然ここで見つけれてよかった」
「それで~今回はぁ、どのようなご用件ですかぁ?」
軽く首をかしげながら尋ねるイルネスに対し、クロムエイナは苦笑を浮かべながら本題を告げる。
「シャルティアを探してるんだけど、見つからなくてね。悪いけど、連絡を取ってもらえないかな?」
「かしこまりましたぁ」
クロムエイナの用件にふたつ返事で頷いたあと、イルネスはマジックボックスを出現させ、その中から五つの穴が開いた棒状の魔法具を取り出した。
それは幻王配下の幹部、十魔のメンバーにだけ渡されている王であるシャルティアに直接繋がる通信用魔法具である。
続けてイルネスはマジックボックスの中から巨大な鞄を取り出し、ソレを開く。その中には数百はあろうかという色とりどりの魔水晶が綺麗に並べて収められていた。
「……また数増えてない?」
「増えましたねぇ。シャルティア様はぁ、用心深い方ですからぁ」
十魔に渡されている通信用魔法具は、五つの魔水晶を装着して使用する。そう、数百の魔水晶の中から、特定の五つの魔水晶を決まった順番で装着した場合にのみシャルティアに通信が繋がる。ちなみに、その魔水晶の組み合わせと順番も『不定期かつ高頻度』で変わる。
イルネスは手慣れた様子で五つの魔水晶を取り出して装着し、魔法具に魔力を流す。
『はいはい、どうしました?』
「シャルティア様ぁ、冥王様が~連絡を取りたいとのことですぅ」
『おや、クロさんが? それはそれは、いったいなんの用件なんでしょうねぇ~』
通信用魔法具から聞こえてくる言葉を聞いて、クロムエイナはどこか呆れたような表情を浮かべ、一度溜息を吐いてから口を開いた。
「相変わらず意地が悪いというか、用件は分かってるでしょ?」
『あ~まぁ……そうですね。んじゃ、ちょっといくつか片付けて……三十分後にそっち行きますよ』
「了解、よろしくね」
簡単なやり取りで通信を終えると、クロムエイナはもう一度大きなため息を吐いてからイルネスの方を向いて口を開く。
「……パンデモニウムちゃん、ありがとう。手間かけてごめんね」
「いえいえ~」
「本当にもう、ボクが探してることなんてとっくに気付いてたくせに、こっちから連絡を取らない限り出てこないんだから、意地が悪いよね」
「ある意味~シャルティア様らしいですがねぇ」
「……まぁ、たしかに」
****
イルネスに礼を言って別れたあと、クロムエイナは少し周辺を散策して、とある広場の中央にある噴水の淵に腰かけ紙袋を取り出す。
「……食べる?」
「じゃ、ひとついただきますかね」
クロムエイナが紙袋を左方向に差し出すと、景色がブレ幻王のローブに身を包んだシャルティアが姿を現した。人通りもかなり多い広場ではあるが、シャルティアの強力な認識阻害魔法により誰も六王ふたりがその場にいることには気付いていない。
シャルティアはローブのフードを外し、受け取ったベビーカステラを口に運びながらクロムエイナの隣に腰かける。
「というか、シャルティア。いい加減どっかに拠点構えてくれないかな? 毎回探すのが手間なんだけど……」
「前向きに検討して善処しますよ」
「それ、やらないやつだよね?」
「まぁまぁ、それで、ご用件は?」
「いくつか売ってほしい情報があるんだけど……」
「ふむ」
そのままふたりはいくつかの情報をやり取りし、それがひと段落したところで、クロムエイナが町行く人たちを眺めながら呟くように告げた。
「……ねぇ、シャルティア」
「なんすか?」
「最近さ、いろいろなことがいまいち噛み合ってない気がするんだ。個人的な話とかじゃなく、世界全体が……」
「あ~友好条約からそろそろ千年……発展あとにやってくる停滞ってやつですね」
「うん。魔界でも何度かあったね……よく言えば安定してるってことなんだろうけどね」
夕方と言っていい時間になり、空に赤味が差してくるどこか哀愁を感じる景色を見つめながら、クロムエイナは少し寂し気な表情を浮かべる。
「……シャルティア……勇者召喚の魔法陣ってさ、いまも昔と同じ場所にあるのかな?」
「うん? ええ、場所は一度も変わってませんよ」
「……魔法陣への魔力蓄積って、いつ終わるんだったっけ?」
「もう終わってますよ。分かりやすく一年って言ってますが、実際は三百五十日ほどで再使用可能になりますからね。それが、どうかしましたか?」
「……ううん。なんでもない。なんとなく……気になっただけだよ」
「……そう、ですか」
どこか思いつめたかのようなクロムエイナの表情を見て、シャルティアはなにかに気付いたようだったが……それを口にすることは無く、ただ無言でクロムエイナが見ているのと同じ夕日を眺めた。
その数日後、クロムエイナの手によって召喚魔法陣に過剰ともいえる魔力が注がれ……そして、『世界の特異点』が現れることとなった。
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「二十一歳⁉ 確かなんですか?」
「はい。パンデモニウムからの情報なので、間違いはないかと……」
配下であるパンドラからの報告を聞き、シャルティアは珍しく心から驚愕した様子で聞き返した。それもそのはずだろう。過去千年、ただの一度も二十代の異世界人が召喚されることは無かった。
世界の神たるシャローヴァナルが調整を加えた召喚魔法陣……召喚する人数が増えただけでは、絶対に現れないはずのイレギュラー。そしてそれを引き寄せた原因がなにか、ソレを正確に分かっているからこそシャルティアは少し悩むように思考を巡らせたあと、パンドラに声をかける。
「……パンドラ、この件は私が預かります」
幻王配下筆頭パンドラ……彼女は十億以上の配下を持つシャルティアが、ただひとりだけ己の代理を務めることを許した存在である。性格、それも極めてプライベートな部分に関して難こそあるが、それ以外……特に仕事関係では、彼女は文句のつけようもないぐらい有能な存在だ。
故に彼女は、シャルティアが短く告げた言葉だけで己が行うべきことを正確に理解した。
「かしこまりました。では、別途指示があるまで、私は幻王ノーフェイスとして振舞います」
「ええ、頼みます。あとこの件は最重要案件とします」
「はっ、幹部に関しても必要以上の情報は伝達しないように徹底します」
パンドラに細かい指示や説明は必要ない。故にシャルティアは最低限のことだけを伝えて、その場から姿を消し、パンドラは幻王のローブを身に纏ってノーフェイスとしての行動を開始した。
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シンフォニア王国王都の道を、クロムエイナは少しだけ罪悪感のある表情を浮かべながら歩いていた。彼女がシンフォニア王都を訪れているのは、今回追加で紹介されてしまった異世界人についての情報を得るためだ。
己のワガママで召喚してしまった異世界人には最大限のフォローを行うつもりだ。場合によってはシャローヴァナルに頭を下げ、一年の期間を待たずとも元の世界に帰れるように手を回そうとも考えている。シンフォニア側の混乱が落ち着けばすぐに国王と会って異世界人の状況について尋ねるつもりで、現在は王都を歩きながら一緒に来た家族からの連絡を待っていた。
そしてその最中、クロムエイナは……『己の魔力の欠片』の気配を感じ取った。それに導かれるように移動し、たどり着いた広場……偶然にも数日前、シャルティアと会話をした時己が座っていたのと同じ場所に座っている青年を見つけた。一番初めに抱いたのは己の魔力の欠片を宿す青年への罪悪感だったが……その気持ちは、すぐに別の感情で覆い隠されてしまうことになる。
彼女は、クロムエイナは……かつてシャローヴァナルにこう語った『雛鳥の中でも特別な子には、ビビッとくる』と『運命を感じるのだ』と……。
そう、その瞬間たしかに彼女は感じたのだ。表現の難しい……目の前に居る青年が、自分にとって『特別』な存在になりうる予感を。
「どうかした? なにか困っているみたいだけど?」
かくして、停滞しかけていた世界は特異点という歯車を得て大きく動き出した……『宮間快人』というひとつの物語を中心にして……。




