教主オリビア⑧
強引に俺がオールを漕ぐことをオリビアさんに納得させたあとは、再びゆっくりとボートを動かし始めた。チラホラと他にもボートに乗っている観光客が見えるが、湖自体がかなり広いのでぶつかったりすることもないだろう。
オリビアさんは俺が先ほど言った『景色を楽しんでください』という言葉を律儀に実行しており、視線を動かしながら景色を眺めていた。
「……不思議なものですね」
「うん?」
「私は友好都市の代表として、友好都市にある観光施設はすべて記憶しています。この公園に関しても、なにも見ずに案内図を描ける程度には知識を持っています」
そう呟いたあとで再び景色を眺めながら、オリビアさんはどこか感慨深げに告げる。
「ですが、私は……なにも知らなかったのですね。地図の上から見るのと、実際に目にするのではまったく違うのだと、いま実感しました」
「そういうのは結構あるかもしれませんね。知識があるのと実際に経験するのでは違う……なんというか、知識と経験両方伴って初めて、それを『知った』と言えるのかもしれませんね」
「知識と経験が伴って初めて知ったと言える。なるほど、耳が痛いお言葉です」
例えば俺の知り合いの中で一番いろいろなものを知っているのは、アリスだと思っている。それはアイツはただの知識としてではなく、多くの経験の上で様々なものを知っている。
たとえば単純な知識量というのであれば、全知全能のエデンさんとかの方が上回るのだろうが、経験を伴った知識という点においては、アリスが一番だと思う。
オリビアさんもきっと知識は凄いのだろう。だけど、そこに経験が伴っていないので、ここまでのようにいろいろな部分で戸惑っているような、そんな気がした。
「……情けない話です」
「情けない?」
「私は神族と比べれば若いですが、それでもミヤマカイト様の50倍近い年月を生きてきました。ですが、私は知らないことが多すぎます。ミヤマカイト様に教わってばかりで、少々自己嫌悪しています」
大げさではあるが、オリビアさんはとことん真面目で融通が利きにくい性格っぽいし、いろいろと気にしてしまうのだろう。
「なにも情けなく無いですよ。だって、『今知らないだけ』でしょ?」
「……え?」
「誰だって知らないことぐらいありますよ。俺だって山ほどありますし、例えばシロさんだって知らないことはあります。それは別に情けないことでもなんでもないと思いますよ。これから知っていけばいいだけですしね」
こちらに視線を向けるオリビアさんに微笑みかけながら、俺は言葉を続けていく。
「それに、人それぞれ知ってることが違うからこそ互いに教え合ったりできるんじゃないでしょうか? オリビアさんは俺に教わってばかりと言ってましたが、この公園のことを教えてくれたのはオリビアさんですし、俺の方だって教えてもらってますよ」
「……ミヤマカイト様」
オリビアさんは悩んでいるように見えるが、それはむしろいい兆候だと思う。少しずつではあるが、オリビアさんに変化が起こり始めているのだろう。
オリビアさんは俺の言葉を聞いて、少し考えるような表情を浮かべたあとで、小さく笑みを浮かべた。
「……そうですね。未熟なこの身ですが、よろしければいろいろとご指導いただければと思います」
「少し大げさな気もしますが……こちらこそいろいろ教えてくださいね。そういえば、この公園を出たあとはどこに行きましょう?」
「もし、ミヤマカイト様がよろしいのであれば……出来れば足を運んでみたいと思える場所が思い浮かびました」
これには少し驚いた。というのも、ここまででオリビアさんの方から要望を出してきたのは初めてであり、やはり確実に変化は起きているのだと実感した。
「是非行きましょう。それで、行ってみたい場所っていうのは?」
「……勇者の丘と呼ばれる場所です。都市の代表として、もっとも有名な観光地であるあの場所には足を運んでおきたいと思いました」
「なるほど……でも確か、勇者の丘って都市から少し距離がありますよね?」
「はい。丘の麓に向かう馬車が日に数本出ていますが、この時間帯にはありません。ですが、問題ありません転移魔法で向かおうと思います」
「じゃあ、大丈夫ですね。了解です。公園から出たあとは、勇者の丘に向かいましょう」
次の目的地も決まり、着実にオリビアさんと親しくなれている実感を感じながら、再び俺はボートを漕ぐ手に力を入れた。
シリアス先輩「ふと思ったんだけどさ」
???「なんすか?」
シリアス先輩「勇者の丘って、友好都市から距離があるんだよね?」
???「まぁ、そこそこの距離ですね」
シリアス先輩「……そこって友好都市の範囲に含まれるの?」
???「含まれないっすね」
シリアス先輩「……読めた。おんぶか抱っこか……そこが重要だ」




