閑話・移住者②~大蔵重信~
嫌いなものはなにか? と問われれば、昔の私は迷うことなくこう答えただろう。「嫌いなのは自分自身だ」と……。
昔の総理大臣に似た自分の名前が嫌いだった。可もなく不可もなくといった己の顔立ちが嫌いだった。臆病な己の性格が嫌いだった。
消えてしまいたいと、そう思う程度には、私は昔の自分自身が嫌いだった。
私はかなり大きな会社を経営する裕福な家の長男として生まれた。おそらく、そう、私は恵まれた人間だったのだろう。
幼い頃からお金に不自由した覚えはなかったし、望めば大抵のものは手に入った。ただ、幸せだったかと問われれば、少々頭を捻ってしまう。
私には1歳下の弟がいた。幼い頃は仲良く、なにをするのにも一緒だったような覚えがある。しかし、それが変わってしまったのは、果たしていつの頃からだっただろうか?
父は私と弟に同じような教育を行いながら、たびたび私たちが成人するまでには、どちらかを後継者に選ぶと口にしていた。
つまりは、私と弟は後継者の座を得るために競い合う関係だった。
ハッキリ言ってしまえば、客観的に見て優れていたのは『弟の方』だった。それほど大きな差はなかった。しかし、弟はあらゆる面で私の一歩先をいった。
弟は努力家だったし、同時に野心家でもあった。己が後継者になってやるとギラギラとした雰囲気を纏っていた。少なくとも、気持ちの面においても私は弟に負けていただろう。
……しかし、私が中学を卒業してすぐのタイミングで父親が、私を後継者に決めたと宣言した。
決め手は、『私が長男だったから』と、ただそれだけ。父から見れば私と弟の能力差は誤差の範囲、互いの実力は拮抗していた。なので、長男だった私の方を後継者に指名したというわけだ。
その時の弟の目を……いまだに忘れることができない。粛々と父の言葉に納得しているように見えて、その瞳の奥に強い憎悪を宿らせて私を見ていたあの目が……『お前さえ居なければ』という思いの籠った目が、忘れられない。
あぁ、そうだ、弟よ。優秀だったのも、多くの努力をしたのも、真に後継者に相応しいのもお前だ。大きな差ではなくとも、たしかにお前はあらゆる面で私を上回っていた。
……ただ一点、たった一年だけ私が早く生まれたという一点が、お前の努力を否定した。
弟の想いは理解ができたし、後継者に相応しいのは弟だとも思っていた。それでも、臆病な私には後継者を辞退することも、弟と向かい合うことも……出来なかった。
ただ、叶うのならこの世界から居なくなってしまいたいと思っていた。私さえ居なければ、弟は後継者になれるのだからと……まぁ、自殺するような勇気も当然なかったのだが。
そんな折に、私は勇者召喚によって異世界に召喚された。むろん戸惑いは大きかった。ただ幸い大きな会社の跡取りとして教育を受けていた私は、勇者役としての役割はそつなくこなすことができた。
むしろ重要だったのはそれが終わったあと、元の世界に戻るか異世界に移住するかの選択……私は、異世界に移住することを選んだ。
元の世界に未練がないと言えば嘘になるが、それでも渡りに船のような話だと思った。
……いや、それは言い訳でしかないかもしれない。結局私は、逃げただけなのだ。弟のあの目と向かう合う勇気がなかった。
弟はきっと後継者になることをまだ諦めてはいないだろう。そんな弟と再び競う合う勇気はなかった。いつか、私の目にも弟と同じような憎悪が宿り、互いに憎み合うようになってしまうのではないかと……それがどうしようもなく恐ろしかった。
移住することを選んだ私は、望めば爵位を得ることも出来るという話を丁重に辞退し、ひとりあてのない旅に出た。
いろいろなものから逃げ、なにか目的ややりたいことがあるわけでもない。ただフラフラと根無し草のように放浪する旅人になった。
するとどうだ、類は友を呼ぶというのかいつの間にかひとりきりだったあてのない旅に、同行者が加わった。
特に劇的な何かがあったわけでもなく、ただ立ち寄った酒場で隣の席だったというだけの縁の女性、たまたま気が合ったことであてのないひとり旅があてのないふたり旅へと変わった。
その後も、同行者は増えたり減ったりした。世界中を自分の足で見て歩きたいとエルフの森を飛び出し、フラフラと旅をしていたという変わり者カップルや、どうしても手に入れたい骨董品を探して街から街を旅する古物商など、様々な事情を抱えた旅人たちが集まり、一緒に旅をした。
多い時で10人ぐらいになっただろうか? 増えることが得れば減ることもあった。旅を止めて故郷に帰る者が居た。目的を達して旅を止めるものが居た。立ち寄った街で縁を紡ぎそこを居場所として残ることを決めた者がいた。
多くの出会いと別れを繰り返した旅。結婚し子が生まれ、その子供が大きく成長して巣立ってもなお、私は旅を続けていた。
なぜ? と問われれば答えを出すのは難しい。ただなんとなく、旅を止めた他の皆が得ていたナニカを、『旅を止める理由』をいまだに私は得ていなかったからだろう。
長い、とても長い旅の果て……ハイドラ王国の片田舎に辿り着いた際に、不意に私は後ろを振り返った。そこには、いまもなお私の旅に付き合い続けてくれる最初の同行者……妻の笑顔があった。
その顔を見た時、妻と共に旅をした40年余りの月日を思い出した。なんの目的も、なんの当てもない旅だったが……私が何も得ていないかと言えば、それは違った。
歩き続けた日々には確かな思い出があり、踏みしめてきた足跡はいまの私を形作るたしかなものだと……そんな風に感じた。
己のいままでを振り返り、ようやく『足を止めることができた』私は、妻と共にそのハイドラ王国の田舎を旅の終わりの場所にして、そこで暮らすことに決めた。
縁側でのんびりとお茶を飲んでいると、足音が聞こえ懐かしい顔が見えた。
「やあ、シゲノブ、遊びにきたよ」
「ずいぶんと久しいな、『レイ』」
「……おや? そうかい? 3年ぶりぐらいだろう?」
「お前ら長命種の感覚にはいまだ付いていけんな。私にとって3年はそれなりに長いさ」
長い金髪のエルフ……レイジハルトは古い友人であり、長く共に旅をしていた相手だ。世界中を自分の足で歩いてみて回りたいと、幼馴染で恋人とシルフィアと共に旅をしていた変わり者のエルフだ。
「フィアも着ているのか?」
「ああ、いまはむこうにいるよ」
少し耳を澄ませてみれば、妻の楽しそうな声が聞こえるので、フィアと話をしているのだろう。
「それより聞いてくれ、実はうちの娘に恋人ができてね。といっても、二年ちょっと前の話なんだが……」
「ほぅ、アレだけ溺愛していた娘に恋人が……というわりには、不満そうな顔はしていないな」
「凄くいい子だからね」
隣に座り穏やかな表情で話すレイを見て、あの自由奔放な奴がいまはずいぶんと落ち着いたものだと、そんな関係のないことを思い浮かべた。
「それで、その恋人の子なんだけど……実はシゲノブと同じ異世界人なんだよ」
「勇者役ということか?」
「いや、勇者役の子じゃないよ。前回の勇者召喚に事故があったってのは知ってるかい?」
「知らんな……そんなことがあったのか?」
率直に言ってかなり驚いた。というか、事故が起こったりするような不安定なシロモノなのかアレは? いや、私には世界間の転移などというものは高度過ぎてさわりすら理解できないが……。
「ああ、それで巻き込まれて召喚された子が三人いたんだが、そのうちのひとりがジークの恋人になったミヤマカイトくんってわけさ」
「ほう、興味があるな。どんな子なんだ?」
「凄い子だよ。聞いたら冗談だって思うかもしれないけど……」
久し振りに聞く同郷の者に関する話、興味がないわけもなく、私はそのまま楽し気に話すレイの会話に耳を傾けた。
かつての私は自分自身が大嫌いだった。だが……いまの自分は、そんなに嫌いではない。できなかったことはいくらでもあるし、後悔なんて山ほどある。
いまでこそ、あの時弟から逃げずに向かい合っていれば、違う未来があったのではと思わなくもない。
だが、得たものも数えきれないほどある。最愛の妻に、子や孫、変わり者の友人……少なくとも、刻んだ皴の数よりも多く、幸せな思い出は得ている。
ならばきっと、私の人生は存外、捨てたものではないのだろう。レイの娘の恋人になった同郷の子とも、いつか縁があれば話をしてみたいものだ。
【大蔵重信(おおくらしげのぶ】
87歳でハイドラ王国の辺境に住み、現在は農家としてのんびり暮らしている。
かつては世界のあちこちを旅しており、レイやフィアとも一時一緒に旅をしていた。レイが家を作る際に真似たのは重信の家。
異世界人特有の特性で、やや特殊な状態保存魔法を得意としており、その応用で自身の老化も遅らせているため90近い年齢だが見た目は60代ぐらい。
現在トリニィアに住む異世界人の中では最高齢(ノインは魔族なので除外)
他の異世界人に関しては、茜とは面識がないがもうひとりとは知り合いである。




