エピソード2 魔法の番人
レーヴェンクラウ大学敷地内、女子寮『みずがめ座』。
フリューゲルが目を覚ましたのは、二階にある自分の部屋だった。
「うぅ……」
小さくうめき、少しずつまぶたを開ける。
ベッドには大きなクマのぬいぐるみ、ベッドのそばには机と、更にその隣に大きくも小さくもない本棚。部屋のドアの隣には白くきれいなドレッサー。床はフローリング。部屋や寮を歩き回るために、サンダルも用意してある。
壁紙は爽やかな青。天井にはファンがついたライトがあり、電球にはLEDが使われている。窓枠も白で、レースのカーテンもきれいな白。人形や小物、小さなシールなども、机やドレッサーに飾られている。
フリューゲルの部屋はいかにも女の子らしい雰囲気だが、それほど派手でも落ち着きすぎてもいない。インテリアやぬいぐるみなども、とてもきれいにまとめられている。
「あれ……? わたし、どうしたんだろ……?」
「……っ。気がついたのですね、フリューゲル」
フリューゲルのそばには、三脚の椅子に座ったフランカがいた。
「フランカ……」
「心配したんですよ?」
「ありがとう、フランカ。……そうだ。わたし、あの赤く光る魔法を右肩に浴びて、それから…… いたたっ!」
両手を突っ張り起き上がろうとするフリューゲル。だが、右腕全体が痛むようだ。
「無理しないでください! 休んでいなければ。でも大丈夫、ハーゼくんが魔法で痛みを和らげてくれましたから。」
「ハーゼ、くん……?」
「僕のことだよ。」
そこに、あの少年の声が聞こえた。
そう、あの民族衣装の少年だ。彼はエルナの肩を借りてフリューゲルの部屋に入ってきたところだった。
「ごめんね、きみを…… きみたちを僕たちの争いに巻き込んじゃって。僕はハーゼ・エーデブルーメ。魔法の番人の見習いだよ。」
「えっ、あ、うん…… わたしはフリューゲル。フリューゲル・ヴェンティルだよ。よろしくね。」
「そーいや、紹介がまだだったね?」
その少年、ハーゼを来客用の三脚の椅子に座らせたエルナが彼の前に来た。フランカもハーゼの方に向き直る。
「あたしはエルネスティーネ・クラヴィア。エルナって呼ばれてる。」
「私はフランカ・エオリーネ。よろしくお願いいたします。」
四人の自己紹介を終えたあと、フリューゲルは本題を切り出した。先程のように背中と右肩が痛まないよう、左手だけで上半身を起こす。フリューゲルの服はワンピースのパジャマに着替えさせられていた(着替えさせたのはフランカだろう)。
「あの、ハーゼくん。その、何だっけ。魔法、使えるんだよね? 魔法の番人って何? あの男の人は誰なの? それに、それとあと…… あぁ、もうたくさん質問が浮かんで、だけど言葉にできないよ!」
「そーそれ! あたしも聞きたかった!」
「そうですね。私も気になります。」
エルナとフランカもうなずき、ハーゼはうなだれた。
話したくはないはず。だが争いに巻き込んでしまった後ろめたさがあるのだろうか。ハーゼは小さくうなずいた。
「分かった。でもきみたちだけの秘密にしておいてね。」
「約束するよ。」
フリューゲルがすぐに答えた。ハーゼもそれには少し驚かされたようだが、やわらかく微笑むとフリューゲルに言った。
「ありがとう、助かる。……それとその前に言っておかなきゃ。きみを、きみたちを争いに巻き込んで、本当にごめん。こんなことになるはずじゃなかったんだ……」
「気にしないで。わたし結構どんくさいから、しょうがないんだよ。」
フリューゲルのそんなあっけらかんとした言葉に、ハーゼは面食らった様子だ。
エルナは遠慮なくフリューゲルのベッドに腰掛ける。そんなエルナの左肩と左頬にも、かすり傷ができているのか大きめの絆創膏が貼られている。
気を利かせたフランカがお茶を淹れようと、フリューゲルの部屋にあったティーセットを借りて電気ケトルのプラグをコンセントに差し込んだ。そのケトルの駆動音が小さく響く中、ハーゼは語り出す。
「……魔法は、心、体、魂、意識、その全てを世界と一体化させて発動させる、れっきとした技術なんだ。扱いが難しく、習得する人の『心のあり方』と資質に問われる反面、使いこなせれば想像を絶する力を発揮する、便利すぎる代物だ。
それに群がられないために、魔法は選ばれた人だけに伝えられてきた。そして『魔法協会』という国家機関に所属して魔法を管理する人は『魔法の番人』と呼ばれ、魔法を受け継ぐ資質と資格を持つ人を選び、自分が持つ魔法技術の全てを伝えることが許されている。
また魔法の習得者は、番人じゃない人や僕のような番人見習いも含めていわゆる『魔法使い』と名乗れるんだ。見習いでも魔法の師匠の許可さえもらえれば、魔法を行使する重要な職務を任せてもらえる。
……ここまではいいかな? 本来魔法は、存在しさえすれどきみたちのような民間の人たちに知られてはいけないんだ。」
ハーゼのそんな言葉に、フリューゲル、エルナ、フランカは、ただただ首を縦に振るだけだった。その中で、フランカがポツリとつぶやいた。
「ですが…… 魔法って本当に存在したんですね。ファンタジー映画やゲームの世界だけのものかと思っていました。」
「うん。本当の魔法は呪文さえ唱えれば杖が勝手に発動してくれるものじゃない。『アークル』と呼ばれる特別な力を『魔法式』と『イメージ』でコントロールし、局所的な自然現象を発生させてそれを応用して力に変える、ちゃんとした技術なんだ。」
そこまで言うと、ハーゼは自分の右手中指に嵌められている銀色の指輪を左手ではずしてフリューゲルたちに見せた。
「そして媒介も必要になる。」
それは何の変哲もない純銀製のシンプルな指輪かと思われたが。
「自分のアークルの消費を制御し、またさっき言った力をコントロールする魔法式もある程度この中に詰め込まれているんだ。僕は先代の協会の会長だったおじいちゃんが持つすべての魔法と一緒にゆずってもらったんだ。……まだまだ、使いこなせてないけどね。」
そんなハーゼの話に静かに耳を傾けるフリューゲルたち。フリューゲルは体を横に回し、エルナの隣にちょこんと腰掛ける。
「……ハーゼ。魔法が本当にあるってことは分かったよ。だけどわたしたち普通の人に知られてはいけない魔法を、どうしてあなたたちは使ったの? それに、あの男の人も番人なんだよね。どうして番人が学校にまで来て暴れたりするの?」
「そうそれ! あたしも聞きたかった! 何なのあいつ、自分の目的さえ果たせれば他の人がどんだけ迷惑してもお構いなしって態度!」
「私も気になります。どうして番人ともあろう方がそのようなことを。差し支えなければ、あなたたちの間にあるいさかいのこともお伺いしたいのですが……」
その前に、電気ケトルのお湯が沸いた。
「まずは、ひと息ついてからにしましょうか。」
フリューゲルたち三人は紅茶を、ハーゼひとりだけがコーヒーを選ぶ。ハーゼがミルクもシュガーも混ぜずブラックのまま飲むその様子は少女たちを感嘆させ、「大人だ……」と言わしめた。
「ありがとう、フランカ。とてもいい味だ。」
「こちらこそ、ありがとうございます。」
ハーゼはもう一度コーヒーを口にする。フリューゲルたちもフランカが淹れた紅茶を口にした。ちなみにエルナは、ミルクと角砂糖を溶かして飲む派だ。
そしてハーゼは語りだす。彼が語る、魔法の番人との間にあったいさかいとは。
「……魔法は古代から人々の暮らしを支えてきた、便利なものだった。
さっきも言ったとおり、魔法はそもそも、素質がある、そして番人に選ばれた人だけが操ることができる技術。かつてはその力を局所的な自然現象を起こすことに使い、日照の多い季節には雨雲を呼び寄せ、逆に雨の多い季節には季節風をいざない、あるいは大地に力を与えて水害を防ぐ。風が強い日にはその風に干渉して力を抑え、害獣が田畑を荒らそうものなら獣が恐れる草木の魔法で駆逐する。
些細なことかもしれない。それでもその力は確かに便利だった。魔法は人々の生活を守り、作物を育て、家畜の命を支えた。そのおかげで人々はたいした自然災害にさいなまれず、収穫も安定していた。
だけど科学技術の発達によって、魔法の存在意義が薄れてきた。科学の力で収穫はシステム化され、家畜の管理も機械任せ。
確かにゼロになったわけじゃないけど、魔法の必要性が激減したことは否めない。なぜなら魔法使いも人間。魔法を隠匿しつつ魔法協会属して生計を成り立てていたからね。
時代は進んで、番人たちは困った。そして考えたんだ、魔法を新しいことに使えないかと。自分たちが持てる力を今の時代に合った技術に変換してどうにか役立てないか。そうして今の魔法使いと魔法協会がたどりついた答え。……それは、戦争だった。」
戦争。
その言葉を聞いて、フリューゲルたちの表情は凍りつく。
だがハーゼの言葉は続いた。
「人々の生活を豊かにするはずだった魔法を、今の番人は逆におびやかす技術に変換してしまっている。皮肉なことに、僕の力もそうだ。きみたちを巻き込んでしまった挙句、学校の設備や車一台を台無しにしてしまった。
すごく悪いことをしたと思ってる。でも彼らと同じ力を手にしなければ、彼らの暴走を食い止めることはできない。僕はどうしても、魔法の番人だけじゃない、その番人に人生を狂わされたシャックスのことも止めなければいけないんだ。」
すると、フリューゲルが尋ねる。
「シャックス? さっきハーゼと戦っていた、あのローブの人のことだよね?」
エルナとフランカも反応する。
「うん。彼の名前をシャックス・トロヴァドル。シャックスも僕が止めなきゃいけないひとりなんだけど、シャックスもまた、戦争に加担するようになった魔法の番人の被害者でもあるんだ。」
「あの人は魔法の番人に何をされたの? それも番人としての役目を無視してわたしたちの学校で見境なく魔法を使う程の。」
「……シャックスは三年前に起こったドイツの一部の政治団体と過激派反政治団体の戦争に巻き込まれて、お孫さんを失ったんだ。お孫さんは早くにご両親を亡くし、シャックスがひとりで育てていた。お孫さんが死んだのは、ちょうどきみたちと同じくらいの年頃だったと思う。」
そしてハーゼは、もうひと口コーヒーを口にして続けた。
「シャックスはお孫さんを失った怒りで、戦争に加担した魔法の番人たち、そして魔法が使えななくても彼らに協力した協会の会員までも殺そうとした。だけど多勢に無勢、シャックスは打ち負かされた挙句媒介を奪われ、魔法の番人としての資格も剥奪された。
だけどシャックスはそれで終わらなかった。媒介を自作し、更に娘さんを取り戻すための魔法も研究し続けた。そんなシャックスを、僕のおじいちゃんは何度もたしなめた。魔法のことはもう忘れ、民間人として生きろと。
それでも研究をやめなかったシャックスは、とうとうお孫さんを復活させる魔法を開発したみたいなんだ。その内容は分からないけど、それを成功させるには途方もない犠牲が必要なんだ。」
途方もない犠牲。それは。
「何なの、その途方もない犠牲って……?」
「シャックス自身のみにとどまらない。僕やきみら、まったく関係のない民間人から奪った…… 『夢』なんだ。」
その日の夕方。
ハーゼはフリューゲルたちを戦いに巻き込んでしまったことを改めて謝ってコーヒーをご馳走になったお礼を言い、そして三人に連れられて女子寮を抜けて帰り道についた。
寮に続く小道の前でぽつんと並んだフリューゲルたちは、ハーゼがレンガの大道をひとりで行き城門の向こうに消えるまで、ずっとずっと、立ち尽くしていた。
その後。
女子寮みずがめ座、食堂。
寮生たちは寮母が作った食事を平らげ、フリューゲルたち三人は食堂に残って勉強会を開いていた。
フリューゲルは本日の数学の学習範囲にひと通り目を通すがまったく分からない様子。仕方なく学年指折りの優等生フランカに解き方を教えてもらい、その後は自力でいくつかの問題をこなしてゆく。
そして前の授業で習った進数も復習する。とりあえず勉強しているエルナも授業中上の空のフリューゲルとほとんど同じ成績のため、フリューゲルに負けじとがむしゃらになってノートに式を書いてゆく。
だが。
「フリューゲル、また上の空ですよ?」
フランカに注意された。
「おいフリューゲル。自分は集中力がある方だって豪語しときながら五分でそれ? もう少し粘りなよ。」
「うん、ごめんね。本当に集中できる時はできるんだけど、その……」
「まぁ、分かるけどさ。」
エルナのうなずきに、フランカも首を縦に振る。
「今日のことですよね。魔法が実在していたこと、魔法の番人やハーゼくんのこと、シャックスの望み、夢を奪うということ…… 私もそれが気になって勉強が手につきません。」
すると。
「おーい、ちぐはぐ三人組。このテレビ見てみなよ。」
そう言うのは、中等部二年生のジルフィア・アズマ。ドイツ人と日本人のハーフで、金髪碧眼の持ち主だが、目つきや肌の色などは、東洋人の空気を漂わせている。
「テレビですか?」
そしてジルフィアが置いたのは、キーボードドックにセットされたタブレット型パソコン。ディスプレイにはテレビ番組が映し出されている。フランカは向かいのフリューゲルたちの後ろに回ってくる。
テレビで放送されていたのはニュース番組。内容は今日の出来事で、私立レーヴェンクラウ大学附属総合学校で爆発事件だった。印象的な事件であった割に確かなことを述べる目撃者はおらず、誰が何の目的にこのような事件を起こしたのかはまったくの謎とされている。
「実はうちも爆発騒ぎの時に現場にいたはずなんだけどさ。」
「ジルフィア先輩もですか? 気付きませんでした。」
「ってことは、あんたたちもそこにいたんだ? でも思い出せないんだよ。レンガの道と、それから駄菓子屋の車が爆発したことは覚えてるんだけど、爆発の時に何があったのか記憶もあやふやで、そうだね…… 何て言うか、」
そう言うとジルフィアはちょうどそのニュースが終わったパソコンを待機モードにして、ディスプレイをキーボードドックと重ねる。
「あたしだけじゃない、ほかのみんなもそうだけど、まるで『記憶にカギをかけられたか抜き取られた』みたいな感じ。変だよね、これ?」
「そうですね、変ですね。」
容赦なくエルナが言う。
「えーるーなぁ~っ!」
「だってそうでしょ。そんなことありえないですって。多分みんなそろってパニックになったんですよ。だって大学や付属校は厳重なお城の中にあるんですし、警備も万全。そんな大学の敷地で起こった事件ですよ。パニックにならないほうがどうかしてます。」
「そ、そうかなぁ……?」
「そうですって。あたしたちもそろそろ勉強切り上げて寝ますし、先輩たちも早く寝たほうがいいですよ。」
そして三人は勉強道具を片付けると、逃げるように食堂を後にした。
フリューゲルの部屋。
フリューゲルは勉強机の椅子に、エルナはベッドに、フランカはドレッサーの椅子にそれぞれ腰掛ける。
「ジルフィア先輩のあの話……」
エルナが切り出し、フリューゲルとフランカも神妙な表情になる。
「やっぱあれだろ。ハーゼかシャックスが魔法でみんなの記憶を操作したんだ。操作って言うか、本当に忘れさせたか、あの事件に関連する記憶にカギをかけたか。」
「ええ、そうでしょうね。でもシャックスではありません。」
そう言いきるフランカに、フリューゲルは「どうして?」と尋ねる。
「簡単です。シャックスがやったのであれば、私たちもアズマ先輩のように昼間の事件のことを忘れているはずです。でも私たちは覚えています。私たちの記憶だけを消さずにほかの人たちの記憶を消す。それはハーゼくんにしかできないことです。」
「あぁ、成る程ね。でも、そっか。大学構内で遠慮なく魔法を使うシャックスのこった、記憶を消してやろーなんて気を配ってもくれないだろうね?」
すると、フリューゲルがぽつりと言う。
「……ねぇ、エルナ、フランカ。」
ふたりは、フリューゲルの方に向き直る。
「夢を奪われるって、考えたことある?」
ふたりは顔を見合わせる。そして首を横に振って否定するのも同時だった。
「わたしはなかった。わたしはいつも空を見上げて、夢ばかり描いてた。空を飛んでみたい。虹を超えて、虹の橋の上から世界中を見回してみたい。あるいは虹の橋を渡りきった向こう側には神話の世界があって、いつかその神話の世界にも行ってみたい。
……ううん、行ける。わたしなら絶対に、どんな夢でも叶えられる。今は見ているだけだけど、きっとわたしの背中には、今は見えない形もない翼があって、どんなところにも飛んで行ける。わたしはそう信じてる。……でもね?」
すると、フリューゲルはパジャマを脱いでベッドの上に放り投げた。女の子同士なので下着姿でもお構いなし。少しは恥ずかしそうだが。
パジャマの下から現れたのは、ガーゼとそれを固定するサージカルテープ。フリューゲルは右肩に貼られているそれをそっとはがして机の上に置いた。まだ赤く腫れているが、それほど酷くはなさそう。
「ごめん、フランカ。救急箱取りたいんだ。」
「あっ、はい、ごめんなさい。」
「大丈夫だよ。」
救急箱を机の上で開くと、ガーゼに消毒液を浸してそれをサージカルテープで留める。傷のない打ち身ができた右肩には、静かに湿布を張り付ける。
「さすが左利き。あたしなら無理だよ、左手ひとつで反対側の腕に湿布を貼るとかさ。」
「わたしも、右手で左肩に湿布を張るのは無理かな。……そうそう、さっきの話の続き。そういう、夢を見るってことをしなくなったら、わたしおかしくなっちゃうと思う。わたしがわたしでなくなっちゃう、そんな気がする。」
フリューゲルは湿布を貼るとパジャマを羽織り、金色の長い髪を襟の中からさらりとなびかせるように外に出す。
「夢を失う。そんなこと考えたこともなかった。でも、夢を見失うってことはとても怖いことだと思う。」
そんなフリューゲルの言葉に。
「夢を……」
「失う……」
エルナもフランカも、静かにうなずいた。




