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エピソード1 夢見る翼とウサギの目

 ドイツ。

 自然と現代建築の調和が取れた、近代的な町、エルデ。

 古めかしさが残る町、そして受け継がれてきた文化。街路樹や緑あふれる公園、たくさんの魚が泳ぐ川。いまどき珍しい路面電車。森の向こうへと続くローカル鉄道。

 しかし、そんな町に走るのは、やはり古めかしいデザインの乗用車のほか、未来的なデザインのエコロジー自動車、電機で走る話題の日本車など。

 町行く人は近代的なデザインの携帯電話を持ち歩き、電話一台で買い物やID認証などたくさんのことをこなす。電話を持ち歩く人は、流行を押さえた若者や兵隊アリのように動き回るサラリーマンまでいる。

 そんな町に、『国立レーヴェンクラウ大学附属総合学校』という学校がある。

 大学附属学校とはいえ、とてつもなく広い敷地を頑丈な城壁が囲い、校舎は古めかしくも美しく堂々たる姿。それもそのはず、もともとは大きなお城だった建物の内装を大幅に改築し、学校としての設備を導入している。

 この学園では大学としての役割はもちろん、ドイツの四年制基礎教育を受けさせる『基礎教育科グルントシューレ』と、その先の進路、大学入学を前提とした八年制の『高等教育科ギムナジウム』、また職業訓練を受けることのできる『職業訓練科ハウプトシューレ』の役割をすべて請け負っている。

 だが、高等教育を受けている学生全員が大学に通うために勉強しているわけではなく、学力と共に、人間性と広い将来性を育てることを校風としている。もちろん名門としてある程度の学力は児童たちに求めるが、学力以外では比較的厳しくないこの学園で学生たちは自由を謳歌している。


 季節は夏。

 レーヴェンクラウ大学附属総合学校、ギムナジウム。

 校舎は、お城の東側。

 大きなホワイトボードとひな壇の席のある、三年二組の教室。

 今年で十三歳になるその少女は、今まさに授業中だというのに窓際の席にて教科書とノートだけ広げながら窓の外を眺めていた。今まさに難しい数学式がホワイトボードに書かれているというのに、それを解くどころか書き写すこともせず。

 手から流れ落ちる砂金のように美しい金色の髪は腰にまで届くほど長く、深い海のように透き通った青い瞳を携えている。肌の色は白く、体格も高等科三年生にしては小柄。静かに窓の外を見つめる少女は、とてもはかなげで、完成された人形のようだった。

 少女が見つめるのは、空。

 果てしなく広い、晴れ渡った空。

 綿をちぎって水面に浮かべたような雲が、悠々と流れてゆく。

 雲の向こう側を行く飛行機の後に、飛行機雲はない。明日はきっと、晴れるはず。

 すると。

「ぎゃふん!」

 少女は唐突に、高いところから落ちたネコのような悲鳴を教室中に響かせた。

 それもそのはず。今の授業を担当している教師に、丸めて筒状にした教科書で頭を叩きつけられていたのだから。

「フリューゲル・ヴェンティル、ちゃんと授業を聞くんだ。」

 低い声で威圧するように、男性教師が言う。

「ふぇう……」

 その男性教師は鎧のような筋肉を持ち、体格もかなり大柄。教師であるにもかかわらずシャツにネクタイにスラックスではなく、着物に袴、足元は草履という、日本風のいでたちだった。眼光は鋭く、とても厳格そう。

「また空想にふけっていたのか?」

「ごめんなさい……」

「まったく、お前はいつもそうだ。最初の方はちゃんと人の話を聞いていたかと思うとすぐこれだ。反省の色が見られないな?」

「その、してるんですけど、いつものクセで……」

「ではもっと反省してもらえるように、あの問題を解いてもらおうか?」

 もちろん解けなかった。


 数学の授業が終わる。

 教室がガヤガヤと騒がしくなり、生徒たちはカバンからそれぞれの弁当箱を取り出すか廊下に飛び出す。今から食欲を抑えきれない男子生徒は「今日の食堂の目玉メニューは、特大ソーセージのホットドッグだ!」と叫びながら、走ってはいけない廊下を走り出して食堂に向かう。

 そんな中、フリューゲルはひとりカバンに勉強道具を詰め込んでいた。荷物をまとめて席を立ったそこに、先程フリューゲルの頭に教科書を叩きつけた数学担当の男性教師が声をかけてくる。

「よう、フリューゲル。」

「あはは、エリック先生!」

 エリック・ヴァン・リヒトホーフェン。彼の名前だ。

「一緒に昼飯でもどうだ? エルナとフランカも呼んでおいたが。」

「さっすが先生! わたしのコミュニティー分かってるぅ!」

「何を言う。普段から勉強についていけてないお前に、あのふたりに今日の授業の要点をお前に教えるために呼んだんだ。それにお前にとって気の置けない友達に教えてもらった方が、俺が教えるよりも覚えられるだろ。」

「そんなことないですよ。エリック先生のアーチェリーもとっても楽しいですから。」

「授業ではなく部活の方だがな。授業となるとからっきしじゃないか。ほかの科目の授業でもどうせそうなんだろ?」

 その言葉に、フリューゲルはうなだれた。そしてエリックも言う。

「まぁいいよ。お前はアーチェリーの素質はある。もっと上達すれば大会でいい成績を残せると思う。優勝、全国大会出場も夢ではないかもな。勉強もがんばってほしいが、アーチェリーの方も応援してるぞ。」

「ありがとうございます、先生。……そうだ!」

 フリューゲルはカバンを背負うと教室の窓枠に両手を置き、ふたたび空を見上げた。エリックも彼女に倣って、彼女の隣で空を見る。

「先生には、子どもの頃に想い描いてた夢ってありますか?」

「夢だと? うーん……」

 その言葉を聞き、エリックは右手をあごに添えて唸る。

 並ぶと、小人と巨人のように対格差がある。そんな巨人のようなエリックを小人のようなフリューゲルが見上げていると、ポツリとエリックは漏らした。

「……フリューゲル。虹は、渡れると思うか?」

 突然そんなことを聞いてきたエリックに、フリューゲルは、えっ? と返す。そんなエリックは、空を見上げたまま、楽しそうに言葉をつむぐ。その横顔ははたから見たら、授業中にもかかわらず空を見上げてばかりいる、フリューゲルのそれにそっくりだった。

「虹、ですか? ……はい、わたしは渡ってみたいです。空に大きく架かる光の橋の上から、エルデの町や、できたらドイツ全土を眺めてみたいですね。」

「お前くらいのときの俺もそう思っていた。だから虹が掛かる日をいつも待ち焦がれていた。そして虹が現れたとき、俺は仮病を使って学校を飛び出したりして虹を追いかけた。すべては、虹を渡りたい、その想いだけで。」

「そんなことが、あったんですね……」

 フリューゲルは、意外そうな顔でエリックの横顔を見上げていた。この厳格な教師にも、夢を想い描く少年時代があった。少し考えれば当たり前だが、その性格からはまったく想像できない、彼の過去だった。

「だが、理科の授業でお前も習っただろう。虹とは空中の水滴が太陽の光をプリズムと同じ働きで分裂させ、光のスペクトルを順に並べただけの気象現象に過ぎない。当然、渡れるはずもない。それでも夢を見ていた俺はそんなことなどお構いなしに、虹のふもとを目指して自転車を走らせた。だがたどり着く前に虹は消え、迷子になって親に心配までかけてしまった。」

「先生がそんな。意外です……」

「今考えると、ほほえましいやら恥ずかしいやら。いつも空を見上げているフリューゲルのことを強く言えたものではない。お前が授業中に空想にふけっているのを見ると、たまにそういうのを思い出す。」

「でも素敵な夢だと思います。実はですね、先生。わたしも先生と同じようなこと、何度も思ったんですよ?」

 エリックが振り向き、ふたりは見つめ合った。

「わたしはその虹を渡るだけじゃない、飛んでみたい、飛び越えてみたいって思っています。いつかわたしの背中に翼が生えて、大きく翼をはためかせて、空の上から虹を見上げるんです。そしてさっき言ったみたいに、虹の橋のてっぺんから町を見下ろすんです。そうしたらどれだけ気持ちがいいかなぁって考えて、それでいつも先生に頭を叩かれて。それでもまた空を見上げちゃうんです。あの空を飛んでみたいなぁ、って。」

 フリューゲルはまた空を見上げる。エリックもまた、彼女と共に。

 ふたりそろって同じ空を見上げる。虹を渡ってみたかったエリックと、虹を飛び越えてみたいフリューゲル。厳格な巨人と夢見る小人は、実は似たもの同士だった。それがおかしいのか、フリューゲルはくすっと笑ってしまう。

 そしてフリューゲルは、教室の窓を開けた。

「きっと、できますよ!」

 その言葉に驚いたエリックは、えっ? と聞き返す。

「虹を渡ることも超えることも、きっとできます。わたしならできます。わたしいつか絶対に、虹の上から広い世界を見渡して見せます!」

 そう言うとフリューゲルは、窓枠に手を乗せて力を込めて教室の床を蹴って飛び上がり、右足を窓枠に置く。

「それじゃあ先生。先に行って席を取って待ってますね!」

 それだけ言うと、フリューゲルは両足で窓枠を蹴って大きく外に飛び出した。

「おいフリューゲル! ここ三階だぞ!?」

 だがエリックの制止はもう遅く、フリューゲルが外に飛び出したあとだった。

 そしてフリューゲルは、重力のしがらみから開放されたかのように大きく両手を伸ばして宙を舞った。自由に舞い踊るフリューゲルはそのまま馬小屋の屋根に着地し、また走り出したかと思うと屋根の縁から大きくジャンプする。またしても空中を泳ぐと、クルッと一回転しながら左足、右手、右ひざの順に地面に着地し、食堂に向かって走り出してしまった。

「相変わらずだな……」

 そんなアクロバット技を披露したフリューゲルの後姿を、エリックは呆れ果てながら見つめていた。そして小さくため息をつくと、ほんのり微笑を浮かべてつぶやく。

「……はぁ。本当にお前は、自由な子だ。」


 レーヴェンクラウ大学付属総合学校。

 中央党の北側にある食堂は大きなホールのようになっており、多くの職員や学生たちが押し寄せていた。全校から集まっているため、初等科から高等科、職業訓練科に大学の各科の学生たち、そして職員まで、利用者の年齢層は幅広い。

 フリューゲルは食堂ではなく、西棟の南側に設けられた青空の下のオープンテラスに席を取っていた。食堂はあっという間に満席になるため、ギムナジウム生とハウプトシューレ生が席を取ることは難しい。雨の日でなければ、オープンテラスの方がまだ席がとりやすいのだ。

 オープンテラスの席は、ひとつの大きな円形テーブルに四人まで腰掛けられるように四つの椅子がセットになっている。日差しの強い日は大きなパラソルも設置される。それが何基も設置されていた。

「メールの送信、完了っと!」

 フリューゲルは携帯電話のメールアプリケーションのボタンを押す。あて先欄には、三人の項目が登録されている。

 そしてフリューゲルは携帯電話とは別の端末を操作する。どうやらオーダー用の端末のようだ。液晶画面には様々な料理の写真が並んでいる。

「んーと、じゃあエビ入りメンチカツのハンバーガーと、から揚げとサラダの盛り合わせLサイズ。これならみんなでつまめるかな。」

 しばらく待たされても平気なように、手元にはジュースのボトルがある。フリューゲルは端末を一度閉じると椅子を後ろに引きずって、また空を見上げ始める。

 今日はよく晴れている。雨が降らなければ虹は見られないが、それはそれでいつも通り、気持ちよく空を眺めることができる。

 そんなフリューゲルに、元気な声をかけてくる人物がいる。

「やっほー、フリューゲル。待たせちゃったね。」

「注文はもう取ってくださいましたか?」

 そこにいたのは、フリューゲルと同年代のふたりの少女。その後ろにエリックもいる。

「エルナ! フランカ! んーと、ふたりの好みから選んどいた。エルナはマルガリータピザMサイズと、フランカは赤ワインソースのグリルチキンとシーザーサラダでよかったよね?」

 フリューゲルの真正面に座った活発そうな少女、エルネスティーネ・クラヴィア。通称エルナ。ショートカットの黒髪で、襟足だけを長く伸ばしてふたふさにまとめている。服装はパンクな雰囲気で、エレキギターを持てばそのままステージにいそう。

 フリューゲルの右側に座ったお嬢様風の少女、フランカ・エオリーネ。明るい栗色の髪を花のバレッタで留めている。とても品のあるワンピースと裸足にミュールといういでたちに、肩にチェック模様のストールをかけている。

「問題ないよ。ありがと、フリューゲル!」

わたくしもそれで大丈夫です、ありがとうございます。フリューゲルのことですから、ほかにはいつものドリンクと大皿を頼んでくれているはずですし。」

「成る程。では俺もいつも通り、特大ハンバーガーを注文しよう。」

 かつてこの大学が城だった時代から使われている厨房は近代的にリニューアルされ、機能も充実しており、種類も量もたくさんの料理が作れるようになった。とは言え大勢の学生や教員が押しかけては座席も一瞬にしてパンクし、すべての注文を提供できない。

 そのため学校の敷地内に三十軒以上ものファストフードチェーンが店を開き、全校の人々に食事を提供している。多くの店がスピーディーに注文を受けられるよう、一台でどの店舗に注文を送れる無線端末などを各テーブルに用意している。

 から揚げとサラダの大皿をパラソルのそばに置かれるなり、フリューゲルとエルナは早速から揚げの争奪戦を繰り広げていた。フランカは行儀よくフォークとナイフを使い分け、サラダとグリルチキンを口に運ぶ。エリックも料理を運んできたアルバイトの女性に電子マネーですばやく代金を支払うと、誰よりも遅く自分の食事にありついた。

「さて……」

 食事が始まってすぐ、エリックは切り出す。

「またしても授業中上の空だったフリューゲルに教えるべき本日の授業内容だが。」

 その言葉に、から揚げをほおばり次のから揚げをフォークで突き刺していたエルナと、フォークとナイフを置いて唇をナプキンでぬぐったフランカが向き直った。その隙にフリューゲルが大量に自分の皿に持ち去ってゆく。

「数学では教科書の四七ページ第三項目から、次ページの第六項目。展開と因数分解の説明と、問題を解くまでのところだな。この前やった2進数、8進数、16進数のところもできているかのチェックも頼む。」

「えーっ!? 先生、あたしでも何進数のところとか怪しいのに、更にフリューゲルの勉強の面倒も見てやるとか今回きびしいですよー!」

 エルナはそう言うが、ため息交じりにから揚げをつまみながらエリックは言った。

「すまないが俺もいろいろ抱えているものが多くて、ひとりひとりにつきっきにりはなれないんだ。まぁそれが進路相談などの悩みだったら聞こう。お前たちは範囲を確認して、あとはフリューゲルがサボらないかだけを見てくれればいい。」

「『英雄ジークフリード』は辛いよ、うん。」

「……すまん。俺の剣道が趣味だったらその時間を削ってもいいんだが、各メディアに期待され学校の看板も背負っているとなると、鍛錬の時間もゆずれないんだ。」

 エリックがそう言っている間にも、みんなに面倒を見られる側のフリューゲルはハンバーガーを半分も平らげ、山のように積んだから揚げとサラダも少しずつついばんでいる。そしてナイフとフォークを置くと、にこやかに答えた。

「そうそう、勉強はひとりでもできるし分からなくなったら学年首位のフランカに聞くし。大丈夫、わたしこう見えても集中力はあるほうだから。」

「だったらその集中力を授業時間に回せ! あんたがいつも空想ばかりしてっから、そのお鉢があたしらに回ってくるんだ! あと取りすぎたから揚げ、あたしにもよこせ!」

 こうして食事の間にも不毛な争いが展開する。あまり食事に執着しないフランカはそんなふたりのやり取りを楽しそうに眺めているが、エリックはもう少し落ち着いて食事ができないのかと頭痛をこらえるように頭を抱えていた。


 その日の放課後。

 すべての授業が終わり、フリューゲルはエルナとフランカと昇降口で合流する。

 学校の敷地はとても広い。お城の北側の大きな昇降口から南側にずっと、レンガを敷き詰めた大道がある。

 その大道の途中に大きな噴水があり、横道十二星座をモチーフにした動物や女神の石膏像が飾られている。それを取り囲むようにベンチも並んでおり、帰り際にそこで雑談する学生も多い。

 学校の敷地内にはロータリーもあり、そこでは学生の送り迎えをする自家用車を駐停車することができる。また学校敷地内の寮から徒歩で通学する学生もいる。

 フリューゲル、エルナ、フランカは、大学敷地内にある寮を使う寮生だった。多くの寮生が徒歩で通う中、エルナはスケートボードに乗って登下校している。

「じゃーフリューゲル。帰ったら早速、教科書の範囲のおさらいね。一応あんたもテラスで説明聞いてたはずだから、基本的にはひとりでできるでしょ?」

「一応ページと項目は覚えてるけど、そもそも因数分解って何なのさ……?」

「それ聞く? そこ聞いちゃう? それは因数分解を発見した数学者に聞いてよね。そもそも因数分解って何、じゃなくて、その公式を覚えてひたすら解く! 解く! 解く! あんたはあたしらと違ってスタート地点にすら立ってないんだから、まずはそこから!」

「厳しいよ~。とりあえずがんばってみる……」

 すると脇道に一台の車が見えた。その車は出張コンビニであり、荷台にはそのコンビニチェーンが販売している商品が積まれている。

 出張コンビニは、近頃は珍しくない。それどころか出張コンビニや移動式ファストフードショップなどが、学校敷地内で店を運営している。中には本棚を道端にまで並べて運営している出張本屋まである。

 このような出張店舗で、足りなくなった文具、勉強の合間に食べるビスケット、インターネット通販で注文したものを買う人は多い。フリューゲルたちはそこにフラッと立ち寄り、新しく出たお菓子などをチェックしてゆく。

「あたしラムネ買った~!」

「では私は、氷砂糖にしましょう。」

「わたしはどうしよ。あ、綿菓子だって。これにしよー!」


 ……すると。

 フリューゲル、エルナ、フランカの背後で、まるで爆弾が爆発したかのような轟音が鳴り響いた。レンガの破片が飛び、土煙が舞い、それらが周囲の人々に襲い掛かる。

「ひぁ!」「うわっ!」「きゃあっ!」

 思わず首をすくめるフリューゲルたち。周囲の人々も、驚き、腰を抜かしたり腕を掲げて身を守ったり避難したりする人が多くいた。幸い、フリューゲルたちに破片が当たって大きな怪我をするということはなかった。

「何なの!?」

 フリューゲルたちは振り返る。

 レンガが敷き詰められた大道のど真ん中にはクレーターが出現しており、その中には土煙に包まれた黒く大きな影がある。それは生き物なのだろうか、静かにうごめき痙攣けいれんし、低い鳴き声をもらしている。

 そして土煙が止んで現れた、黒い影の正体。

 それを見てフリューゲルがつぶやく。

「始祖鳥……?」

 緑や黄色など鮮やかな色合いの羽根、鋭いカギ爪を持つ翼、普通の鳥にはない牙を持つくちばし、尾羽の生えた長い尾。そう、よく科学図鑑で見る恐竜から鳥類へと進化する過程で誕生した種、始祖鳥。それにそっくりだった。

 うめく始祖鳥と思われる生物。それを見つめるフリューゲルたち。もちろん中には怪物が現れたと逃げ惑う学生たちもおり、教師たちは保健所や軍隊に連絡するために携帯電話を取り出す。

「……はっ、そうだ! みんな、とりあえず逃げよう! 襲ってくるかもしれない!」

 茫然自失していたフリューゲルは我に返ると、周囲の人々に呼びかける。そしてそれまで店を経営していた出張店舗も大慌てで店を閉め、いつでも出発できる準備をしていた。

 そこに新たに舞い降りる者がいた。

 それは、黒いローブとフードに身を包んだ素顔のうかがい知れない背の高い男と、くすんだ色の民族衣装をまとった銀色の髪とすみれ色の双眸を持つ少年だった。

 共に空を飛べるのだろうか。近くに彼らを吊るせるような大きな建物、またロッククライミングに使う器具も見当たらない。だが未来型SF映画で見るホバーボードや翼を広げて空を舞うカイト、グライダーなども見当たらない。ならばそれこそファンタジー映画で見る魔法でも使ったというのか。

 背の高い男は少年に言う。しゃがれた声からして老人のようだ。

「『ウサギの目』。貴様、どれだけわしの邪魔を続けるつもりだ。あまつさえ維持する力もバカにならぬグンターをもこのような目に遭わせるとは。決して許さんぞ。」

「そっちこそ! お前がやっていることは未来を壊すことだ! 事情は分かる、だけどそのために『人の夢を犠牲にして』いいわけがない、それをいい加減に分かってくれ!」

「事情は分かるだと? 寝言も休み休み言え、この若僧が。」

 すると、老人はしわが刻まれた右手をローブの袖から伸ばして「ウサギの目」と呼んだ少年に向けた。その掌の前に現れるのはとてつもない圧力を誇る、それは純粋なる『力』だった。

「何? 何なの、あれ!?」「知るかよ!」「でも、危険です!」

 フリューゲルが叫ぶが答える者はいない。もちろんエルナにもフランカにも答えられない。まるで魔法映画のような展開に、多くの人が騒ぎ出す。

「さあどうする、ウサギの目。お前にこれを弾き返すだけの力が残っているか?」

「魔法の存在は人々に明かしてはならない。そのしきたりさえ破るのか!」

 魔法。

 その言葉にフリューゲルの心は高鳴った。

 ――『魔法』……?

 ――それっていわゆる、幻想の力……!? それが本当にあったなんて!

 だがそんなフリューゲルの右手をエルナがつかんだ。

「状況がマジだ、逃げるよ!」

「えっ? あ、う、うん……!」

 その時だ。

 老人は少年めがけて赤黒い光を帯びた禍々しい力を解き放った。

 しかしそれは一直線に彼を襲わず、彼の手前で八つの光球に分裂して様々な方向から彼を同時に襲撃する。だが少年はそれを冷静に回避し、ひとつ目の光球を右手の拳、ふたつ目のそれを左ハイキックで消滅させる。

 そして少年はほかの光球には目もくれず、一直線に老人めがけてつかみかかる。すでに彼の右手には、青白い光のみで構成された長剣が現れていた。

「てい!」

「ぬるいわ!」

 少年は強い踏み込みと同時に老人に斬りかかる。だが老人はゆらりと揺らめく陽炎のように彼の攻撃を回避し、再び右手に赤黒い光を現した。少年が振り切った残り六つの光球も、意思を持っているかのように彼に襲い掛かる。

 ――お見通しだ、ウサギの目。

 だが少年は突きを繰り出したばかりの剣を翻し、老人の右手に現れた光を爆発させる。そして襲い掛かってきた残りの光球も、光の剣で立て続けに四つ消し去った。

 だが。

 ――ヤバい、足がもつれた!

 姿勢を崩したせいでふたつの光球に剣が届かない。少年は何とか絡まった足を振りほどくと、空中で姿勢を立て直して左腕で防ぐ。一発目の魔法の光球をそれで何とか防いだが、爆発の影響で左腕全体が軋む。

 だが、残りの一発が少年に襲い掛かってくることはなかった。

「えっ!?」

 その、残る一発は。


「フリューゲル、危ない!」


 フランカが叫ぶ。

 それでも、フリューゲルが気付いた時にはもう遅かった。

「え……」

 赤黒い光球は振り向いたフリューゲルの右肩に直撃。彼女の左腕を引っ張っていたエルナも巻き添えにして、大道の脇の芝生に吹っ飛ばされてしまう。

「きみ!」

 少年は叫ぶ。そして少年に光球を叩きつけようとしていた老人は、爆発の影響で軋んだ右手を左手で押さえながらギリッと歯を鳴らす。

「ちっ……。指の付け根の筋を痛めてしまったようだ。」

 老人はフリューゲルを巻き添えにしたことをどう思っているのだろう。少なくとも完璧に無関心というわけではなさそうだが、魔法の存在を知らしめてしまったことも含めてまずいことをしてしまったという認識はなさそうだ。

 老人は魔法を繰り出す右手を、少年は左腕全体を、大きく負傷している。そしてこの戦いを多くの人々が遠巻きに眺めている。フリューゲルもその細い体に魔法を直に受けて痛みに耐えている。戦いが長引けば、もっと多くの被害が予想される。

「……ふん、仕方がない。ひとまず退散するとしよう。グンターがこのままでは『蒐集しゅうしゅう』もままならん。」

 老人は独り言のように言い放ち、そして踵を返した。彼が歩み寄る先はあの始祖鳥のすぐそば。グンターとはおそらくこの始祖鳥のような生物のことだろう。

 すると。

「待てよ。」

 そんな老人に声をかけるのは、フリューゲルの下敷きになっているエルナだった。フリューゲルは痛みに耐えるので精一杯のようだ。

「ん?」

「逃げんなよ。フリューゲルにひと言わびてから帰れ。この学校を騒がせたことも謝ってから帰れよ!」

「そうか。それは済まないことをした。しかしわしには時間がないのだ。巻き込んだことは悪く思うが、すべては我が悲願のため。そしてわしから大切なものを奪った魔法の番人たちへの報復のためなのだ。」

 そう言うと老人は左手を始祖鳥に向け、魔法の力を与え始めた。それまで力なく伏せていた始祖鳥は大きく目を開き、ダメージを受けていたのが嘘のように立ち上がった。

「報復だかなんだか知らないが、あんたそれでも大人か! 自分勝手な行動で人に迷惑かけといて、頭ひとつ下げないのが大人かよ!」

「そうだ!」

 老人は大声でそれを肯定した。その正面切っての言葉にエルナは酷く驚いたが、子ども心ながらに目の前の大人に怒りを露わにした。

「そこの娘よ、覚えておけ。大人というのはずるいものだ。自分だけよければそれでよい。自分たちに襲い掛かる火の粉は他人を盾にしてでも払いのける。面倒ごとがあれば切り捨てる。そうやって、わしの大切なものも奪われたのだ。……わし自身、醜いことをしているのは百も承知。しかし、何も行動せぬ者につかめる希望は存在しないのだ!」

 それだけ言うと老人は始祖鳥の鞍にまたがり、あぶみに両足を通し、手綱を両手で持つ。魔法爆発の影響で腫らした右手は、ローブの袖を巻きつけている。そして始祖鳥は老人を乗せると、大きく翼をはためかせて飛び立とうとする。

 だが少年は始祖鳥を逃すまいと、魔法のダメージで軋む背中を何とか奮い立たせながら右手をかざしてひとつの魔法を展開する。

「……僕は、僕はお前を!」

 掌の前に集約される光の粒。

 その色は、太陽。

 まるで少年の掌の前に太陽があるかのように、その光はまぶしく直視できない。エルナもフランカも、そして野次馬たちも、思わず腕で目を守る。そしてその太陽を、少年は一気に解き放つ。

「帰さない!」

 そして太陽は解き放たれた。

 しかしそれは始祖鳥にも老人にも当たることなく、軌道を外れて飛んでゆくと、経営者が逃げて無人となった移動式の駄菓子屋に落ちた。太陽の魔法はそのまま爆発、消滅し、駄菓子という駄菓子はすべて吹っ飛んだ。

 エンジンからはオイルが漏れ出し、とても危険な状態。そしてとうとうバチッと火花が走ったかと思うと、更なる大爆発を起こしてしまった。

 不幸中の幸いにも野次馬は遠い場所におり、被害者はほとんど出なかった。だが、魔法を放った少年、戦いの巻き添えを受けたフリューゲルとエルナ、彼女たちを心配するあまり逃げ遅れたフランカの四人が、その爆風と炎に、巻き込まれてしまうのだった。

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