エピソード7 虹を渡る日
雨が、酷くなる。
その中で向かい合う、フリューゲルとシャックス。
フリューゲルは大弓ガーンディーヴァを構え、エルナとフランカに返す。
「ごめんね、遅くなって。でも今度こそ、決着をつけるから。」
その時だ。
フリューゲルの周囲に、アークルの激流が生まれる。
その激流はフリューゲルの体に吸い込まれてゆく。
アークルの制御がまだ完全にこなせないフリューゲルには余るほどのアークルが、彼女を取り囲んでいる。そしてアークルの激流は、エルナ、フランカ、そしてハーゼをも、やさしく包み込んでゆく。
「フリューゲル、これって……! なぁ、フランカ!?」
「はい。痛みが引いていくのを感じます。」
フランカは赤く腫れた場所にそっと手を添え、エルナは傷だらけの両手を見やる。足の震えもいつの間にかなくなっていた。
「……っう、っつつつ……!」
そしてハーゼも、小さくうめくと目を覚ます。フェンスに叩きつけられた痛みも感じている様子はない。
フリューゲルの姿、回復してゆくハーゼたちを見て、シャックスがうろたえ、叫ぶ。
「な!? バカな! アークルがあふれているだと? ……小娘。何故それほどのアークルを!? ありえない。それ程のアークルをわしは見たことがない!」
「わたしのアークルだけじゃないよ。」
すると、フリューゲルの姿は変貌してゆく。
大弓ガーンディーヴァの幻想的な装飾は過多にななり、手甲の形状のパーシュパタは美しいブレスレットへと変化する。虹色の翼は一対から二対になり、衣装は白いドレスとストール、エナメルシューズになる。頭には宝石が散りばめられた銀色のティアラが飾られた。
その姿をひと言で現すなら、『お姫様』。女の子なら一度はあこがれる、とてもきれいでかわいらしい、幻想世界のお姫様。
そんなお姫様のような姿のフリューゲルは、砂金のようにきらめくアークルをまといながらシャックスに答えた。
「知ってる? このビルには、本屋さんと市立図書館があるんだぁ。」
「ぬ? それがどうしたと言うのだ。」
「うん。このビルに来ている人やたくさんの本たちから、少しずつアークルを分けてもらったんだ。」
すると頭を抱えて上体を起こしたハーゼが、何かを思い出したように言った。
「フリューゲル! それってさっき言ってた……!」
「そ。ビルに訪れている人だけじゃない、ここにある本からもアークルを少しずつ分けてもらえないかって思うんだ。」
「だけど、人ならともかく本からも……?」
「うん。本にはたくさんの想いが詰まってるよ。その本を作った作家さんの想い、本を仕上げた職人さんの想い、そしてその本を読んできたたくさんの読者さんたちの想い。たった一冊の本に、たくさんの想いが込められてる。それだけその本にアークルが眠ってる。」
そのフリューゲルの発想には、ハーゼも驚きを通り越して呆然としている。もはや驚きの限度を越えてしまっている。
ダメージとは別に、頭がふらふらしてきたハーゼ。フェンスにもたれかかると、フリューゲルの背中をあきれ果てた様子で見つめ、そして微笑んだ。
「何と言うか、番人から正式に魔法を習っていない人の発想ってのは、すごいなぁ……」
そして、ふたりは衝突する。
先手はシャックス。彼は杖の順手の剣身の先から赤黒い光球をいくつも放ち、フリューゲルに向けた。だがフリューゲルはその全てを大弓ガーンディーヴァを盾代わりにして防ぎ、刺突剣パーシュパタで叩き落とす。そして間合いを詰めたシャックスは杖でフリューゲルに切りかかろうとするも、フリューゲルは弓で受け止めて反撃する。
「てい!」「ぬっ!」
一度、二度、三度。杖と弓と剣が衝突する。
フリューゲルとシャックスが踏み込む水たまりも強く波打つ。
「何度でも言うよ、シャックス!」
「どれだけわしを怒らせるか、小娘!」
「誰かの夢を犠牲にして、つかめるものは何もない!」
「黙れ! 魔法も人間も、すべて滅べばよいのだ!」
四度。凄まじいアークルの爆発が、フリューゲルとシャックスを吹き飛ばしてしまう。それでも彼らはコンクリートの地面にしっかりと足をつけ、互いの武器を向け合う。シャックスの銀色の髪は乱れ、毛先から滝のように雨が滴り落ちる。
「戦争だ! 戦争がすべて悪いのだ! リディアの友達を、その友達の親を、ひいてはリディア自身の命を奪ったのだ! 老い先長くないわしの代わりに未来を作ってくれる、そんな孫の世代が、戦争によって失われたのだ! 魔法によって失われたのだ!」
「でも、だとしてもっ!」
シャックスの一撃をフリューゲルは再び弓で食い止め、魔法の衝撃波が雨や屋上の水たまりを吹き飛ばす。更に弓でシャックスを押し、距離を取って構える。一方でシャックスも背後で杖を構え、フリューゲルの攻撃の出方を伺う。
「あなたがするべきことは人々から夢を奪うことじゃない。ましてや報復することでもない。そんなことをしたって死んだ人は生き返らない。リディアさんの命も笑顔も戻ってこないんだ。
だから、失った人にできることはたったひとつ。それはいけないことだ、人から宝物を奪うことはいけないことだってちゃんと教えること。悲しい思いをした人だからこそ人に教えられる、少ないけれどとっても大切なことなんだよ!」
「分かっていないのは貴様のほうだ! 貴様の言っていることなど所詮は戯言だ! 平和を訴えて何ができた? 何もできん。正論は権力の前に虐げられ、浮力の前にねじ伏せられてきた。
わしもそうだ、リディアもそうだ! ならばその代償として貴様らの夢を明け渡せ! そのすべてはリディアのために! そのすべては戦争のない未来のために!」
「……そう。なら、」
フリューゲルはパーシュパタをブレスレットに戻し、ガーンディーヴァの弦に左手を添える。光の矢が現れ、その矢が乗った弦を思いっきり引いた。
「わたしはこの魔法の力で、あなたが戯言と言った夢を通すだけだよ!」
だがシャックスはフリューゲルの言葉に耳を貸すことなく、自身の周囲に赤黒い光球を無数に出現させる。そして右手には、エルナの両腕を痛めつけ、フランカの長剣を叩き割った杖を構える。
対するフリューゲルの得物は大弓一式。アークルが続く限りいくらでも射られるといっても、一度の攻撃に一本しか放てない。フリューゲルはどう立ち向かうのか。
「貴様ごときにやれるものなら、やって見せろ!」
シャックスは光球のすべてを、フリューゲルに向けて放つ。
雨を割って、吹き飛ばして、フリューゲルに襲い掛かる赤黒い魔法の光球。そしてそれら全てがフリューゲルに命中する。
音を立てて立て続けに起こる爆発。
雨や水たまりを吹き飛ばしてしまう衝撃波。
とうとうフリューゲルの姿は、アークルの赤黒い光と雨だった白い霧に飲まれて見えなくなってしまう。
「フリューゲルゥーッ!」「そんな、フリューゲル……!」
エルナとフランカが叫ぶ。ハーゼも魔法で応戦しようとしたが間に合わなかった。掲げた右手のひらの前に集めた魔法の光は、アークルの粒となって消えてしまう。
だが、ハーゼは勝ち気の表情を浮かべた。
「……大丈夫、フリューゲルは無事だ。」
爆発のあとに残された、白い霧のようなアークルの煙が、晴れてゆく。
何とフリューゲルは、二対四枚の翼で自身を包むようにしてシャックスの攻撃から守っていた。アークルの煙や白い霧とともに、たくさんの虹色の羽根がふわふわと浮いている。やがてその羽根もアークルの光となって消えてゆき、フリューゲルの姿が鮮明になってゆく。
「無事だったか、フリューゲル……!」
「ふふっ、さすがフリューゲルですね。」
さすがに無事ではなかった。二発、右頬と左腕に一発ずつ受けており、唇の右側からは緋色の筋が流れている。だが眼差しは強く、的であるシャックスから目を反らそうとしない。左腕も一発でもあざができるほどの強いダメージを与えられるというのに、震えることなく光の矢を構えたままでいた。
「な……!?」
――バカな! あれを防ぎきったと言うのか!?
――あの小娘……っ! 貴様は一体、何者なのだ!
驚きを隠せないシャックス。当たり前だ、一発でも大ダメージを与えられる攻撃魔法をあれほどまともに受けて立っていられる訳がない。それでもフリューゲルは立ち続けていたのだから。
そんなシャックスに、フリューゲルはいっそう強くなった視線を向ける。
「……次は、こっちの、」
フリューゲルはもう一度弦を強く引き、
「番だよ……!」
シャックスめがけて、矢を射る。
「ぬ!?」
すると光の矢はもはや矢ではなく、一筋の閃光となってシャックスに襲い掛かる。
シャックスはとっさに円盤状魔法陣をいくつも展開して光の矢を防ぐが、フリューゲルの矢はその全てを叩き割ってしまう。そして光の矢は、シャックスの杖の逆手の剣身を握りの根元から射落としてしまった。
「なっ……!?」
――何故だ!?
――何故わしの魔法をまともに受けて、これほど立ち回れる!?
――アークルの外部蒐集といい魔法の扱いといい発想といい、全てが桁違いだ!
冷たい雨に打たれながらも、ふたりは再度、至近距離でぶつかり合う。
長い髪が、ドレスやローブが、互いの武器が、雨に濡れながらもうなりを上げる。
「こんな、こんな小娘などに!」
「小娘なんかじゃない! わたしは!」
フリューゲルは左腕を大きく振るい、パーシュパタが残されたシャックスの杖を払い落とす。
「なっ!?」
シャックスの武装は、解かれた。
「魔法少女、フリューゲルだ!」
そしてフリューゲルは、ガーンディーヴァの弦に左手を添えた。そこから現れたものは光の矢ではなく雷のような紫色の閃光をまとう、さしずめ雷の矢だった。
「きっ、貴様……! どれ程の力を!?」
しかしフリューゲルはシャックスの問いに答えることなく、静かに弦を引き、そして矢を放った。
シャックスはとっさに魔法陣でフリューゲルの矢を阻む。すると矢からはじけ飛ぶ雷は光の龍なって四方八方に広がり、コンクリートの地面を這いずりまわって空へと伸びてゆく。バチバチとすさまじい音が鳴り響き、それはフリューゲルやシャックスだけではない、エルナたちの耳にも届く。
「この程度で、くたばるわしでは、な……」
ない、と言いたかったはず。
しかしフリューゲルの雷の矢は、とうとう魔法陣の壁さえも突き破ってシャックスの右肩に命中する。命中と同時に矢は爆ぜ、空気も雨もすべてを引き裂く雷となる。
「ぎは……!」
炸裂と感電、ふたつの衝撃に襲われたシャックス。それまでの戦いの疲れとダメージも蓄積し、さらに雷の矢によるダメージを受け、シャックスはとうとうガクリと両足を折り、コンクリートの地面にひざを着いてしまった。
「こんな、こんな小娘に、小娘などに、わしは……!」
フリューゲルに奪われた杖は、魔法で変化させる前の状態の短剣に戻っている。ひび割れた短剣は、強い雨に打たれながら、コンクリートの地面に横たわっていた。
決着はついた。
フリューゲルの勝利だ。
雨は、まだ降りやまず。
フリューゲルは、お姫様の姿から普段着姿に戻った。
シャックスはとうとうひざで立ち続けることもできず、崩れ落ちようとしていた。
「シャックス!」
そんなシャックスの体を、フリューゲルは慌てて受け止める。そしてフリューゲル自身もゆっくりしゃがみこみ、満足に動けないシャックスを支えた。シャックスの両目からは鷹のような鋭い眼光は失われ、彼の表情はうつろなものになっていた。
「こんな、こんなところで、わしは……!」
それでもなお戦おうとするシャックス。
「……ううん、もうがんばらなくていいんだよ。」
そんな彼に、フリューゲルはやさしく言葉をかける。
「シャックス。あなたは失った宝物を取り戻すために、たくさんがんばった。たくさんたくさん、悲しい思いをした。戦争を憎み、戦争に力を貸した魔法使いたちを憎んだ。憎みきれないくらい、あなたは悲しくて悔しい思いをした。」
そんなフリューゲルのそばに、エルナ、フランカ、ハーゼも歩み寄った。
「失った宝物はもう戻らない。……でもね。」
そしてフリューゲルは。
そっと、優しく、シャックスを抱きしめた。
「その宝物は、あなたと一緒にいた時間を、とても幸せに思っていたよ。」
フリューゲルに抱きしめられ。
フリューゲルの優しい声に諭され。
シャックスの虚ろな瞳から、大粒の涙が流れ出した。
「さびしかったんだよね。でももう、さびしくないよ。」
何かをつかもうとしていたシャックスの腕力が抜ける。
自分の全てをフリューゲルに預ける。
「……ぉぉ、うおぉぉ……」
枯れた声で、号泣する。
震える声で、慟哭する。
「おぉぉぉ…… リディア、リディアよ…… 帰ってきてくれたのだな……」
そんなシャックスの背中を。
フリューゲルは、やさしく、やさしく、抱きしめていた。
「リディアは、帰ってきたよ……?」
すると。
「……っ?」
フリューゲルはシャックスを抱いたまま、何かに気付いたように空を見上げる。
そんなフリューゲルの様子を見たハーゼたちも、フリューゲルの視線を追う。
「フリューゲル、これって……!」
ハーゼが小雨にさえ溶けて消えるような声でつぶやく。
そこに、柔らかく微笑んだフランカも。
「ええ。神様はわたくしたちを祝福してくれているみたいですね。」
少年のように元気に笑うエルナも。
「だな。フリューゲルばかりか、エリック先生も渡りたかったって言ってた。」
そんな三人の言葉に、フリューゲルもうなずいた。
「うん。あの向こうにあるんだ、わたしやエリック先生が見たい景色が。」
東の空、いまだ灰色の雲が漂う中。
雲が消えつつある西の空、その雲の合間か太陽が顔を出す。
虹。
エルデの空に架けられた光の道。
きっとそれは、神話の世界へと続く空の架け橋。
エルナが言う。
「フリューゲル、どうする? 今のあんたなら飛んでいけるよ?」
「……ううん、今はいい。」
その意外なフリューゲルの言葉にエルナは驚いた。フランカも、そしてハーゼも。
「どうしてさ?」
「今飛んじゃうと、もったいない気がする。」
「もったいない、ですか?」
そんなフランカの言葉に、フリューゲルは小さくうなずく。
「虹を越えてゆく。それはわたしだけの夢だと思ってた。でもね。今はエリック先生とも一緒に越えてみたいと思うんだ。もちろんみんなとも。今は、ハーゼとも。」
「フリューゲル……」「……みんなと一緒に、ですか。」
「うん。それに、まだまだたくさん未来はあるよ。いつかまた空に虹が架かったとき、エリック先生も連れて一緒に越えよう。」
フリューゲルは、エルナ、フランカ、ハーゼの方に振り返り、飛び切りの笑顔で言った。
「わたしたち、五人で!」
その日の夕方。
総合エルデ厚生病院。
シャックスはそこに運ばれていた。
六人分のベッドがある病室、その窓際のベッドにシャックスは寝かされている。フリューゲル、エルナ、フランカの三人は点滴につながれて深く眠っているシャックスのそばに腰かけ、彼の様子を見つめていた。
エルナとフランカも早急に手当てされた。ふたりとも傷薬のほかに炎症を緩和する塗り薬で腫れを抑えられ、ガーゼを貼られてその上に包帯をぐるぐる巻きにされている。一番症状が軽いフリューゲルでも右頬と左腕には腫れができたため、大きな湿布とその上に保護テープを張っている。
そこに、ハーゼがやってくる。彼もまた、湿布にガーゼに包帯だらけ。民族衣装は包帯の上からまとい、シャックスの魔法媒介である腕輪を手にしている。
全員そろって、ボロボロだ。
「ハーゼ!」
「みんな、お待たせ。みんなの夢は取り戻せたよ。シャックスも目を覚ます頃には正気を取り戻していると思う。」
「やった! じゃあエリック先生も!?」
真っ先に椅子を立ったフリューゲルはここが病室であることを忘れて叫ぶ。だがハーゼは困った顔をしながらも咎めることなく、フリューゲルに答えた。
「心配ない。だから座って。」
ハーゼもシャックスが横たわるベッドのそばに座る。だがせっかく奪われた夢を取り戻せたと言うのに、ハーゼは浮かない顔をしている。それに気付いたエルナが尋ねる。
「ハーゼ、どうしたんだ?」
「うん。多分シャックスは数週間…… 酷くて半年は目を覚まさないと思う。」
その言葉に、誰もが驚く。
「シャックスは夢を奪う魔法で最初に夢を失った人だ。夢を失った人は誰もがうつろになる。でもお孫さんを復活させたいという純粋で強い欲望だけが、シャックスを突き動かしてきた。そしてその欲望のみによって動かされてきた心と体は、相当の負荷を負っていると思う。夢を取り戻した分目を覚ますのは少し早くなると思うけど、今のシャックスには静養が必要だ。」
「そっか。……何っつーか、悲劇だよなぁ。」
「そう。夢を失うことは悲劇だ。」
そう言ってハーゼは、シャックスの枕元にある棚の上に、彼の魔法媒介である腕輪を、そっと置いた。彼の表情は、やるせなさでいっぱいだった。
すると、フランカが言う。
「……『グリーフ・ワーク』。」
その言葉に、誰もが顔を上げる。
「えっ?」
「心理学の言葉です。大切なものを失い、悲しみに暮れた人は、その失ったものを取り戻し、悲しみを振り切るための行動を起こします。その行動こそ、グリーフ・ワークなのです。
きっとシャックスは、お孫さんだけではなく自分の魔法によって失ってしまった夢を取り戻すため、果てしないグリーフ・ワークに身を投じたのでしょう。お孫さんを死に追いやった戦争をこの世界から消し去りたいという願いも、きっとあったと思います。」
「悲しみからの再起、グリーフ・ワーク。……そっか。そう考えたことなかったなぁ。僕、シャックスの暴走を止めることばかり考えてた。シャックスがどれだけ悲しい想いをしていたかなんて、そんなのは後回しだった。いや、考えてあげる暇もなかったかも。」
「シャックスが目を覚ましたら、私たちでできることをしてあげましょう。リディアさんの代わりにはなれませんが、私たちでシャックスを支えてあげましょう。」
その言葉に。
「そうだね。」
「だな。」
フリューゲルもエルナも、笑顔でうなずいた。
総合エルデ厚生病院、屋上。
ハーゼは、フリューゲルと向かい合う。エルナとフランカも一緒だ。
「それじゃあ、僕はこれで帰るよ。シャックスの暴走は終わったけど、まだまだ戦争に加担している魔法の番人たちを食い止めなきゃいけないから。」
「帰るって…… ねぇ、もう少しゆっくりしていってよ。怪我も治っていないんだし、ハーゼとは魔法や戦うことじゃないことでもっとお話がしたいよ!」
フリューゲルはそう言うが、ハーゼは嬉しそうで困ったような笑顔を横に振る。
「戦争はドイツだけで起こっているんじゃない。世界各国で内戦やテロが起こっている。そんな戦争に魔法の番人が関わっているとしたら、僕はその見習いとして、魔法使いとして、彼らを止めなきゃいけない。」
「でも、でも! だとしたらそんな大規模なことハーゼひとりにできるわけないよ! いろんな人を頼ろうよ。せめて怪我を治してから帰ってよ。それまで一緒にいてよ!」
「ありがと、フリューゲル。」
感謝の言葉を言いながらも、その向こう側でそれを拒否している。
ハーゼはその気持ちを込めて、フリューゲルに笑いかける。
「それでも、僕にはやらなきゃいけないことが山ほど……」
その言葉をさえぎったのはフリューゲルではなく。
「バーカ!」
エルナだった。包帯だらけの右拳でハーゼの頭を思い切り叩く。
「でっ!」
「っつつ~。こっちも痛いわ。」
そんな右手をさすりながら、エルナは言う。
「ひとりでカッコつけてんじゃないって。フリューゲルの言うとおり、あんたは休め。休みながらあんたにできることをしろ。あんたが本当にやりたいことは、戦争に加担する魔法の番人を止めることじゃないだろ?」
その言葉に、フランカも続いた。
「ええ。シャックスがそうしたかったように、なすべきは世界から戦争そのものをなくすことです。たとえ魔法の番人から魔法を取り上げても戦争がなくならない限り、シャックスやリディアさんに降りかかったような悲劇が終わることはありません。」
「エルナ、フランカ……」
「ですから、ここはひとまず休養です。ハーゼは案外、無茶しすぎですよ?」
その言葉に、ハーゼは困ったような笑顔で返す。
「……参ったなぁ。分かったよ、みんな。もうちょっとだけお世話になるよ。」
それから、半年後。
季節は、冬の只中。
総合エルデ厚生病院。
フリューゲル、エルナ、フランカは病院へと駆け込んだ。そこにハーゼの姿はなく、代わりにエリックがフリューゲルたちを待っていた。
「お前たちか。待っていたぞ。」
ベッドの上に横たわるシャックス。ひじ掛けのタッチパネルの操作で、上半身をベッドごとゆっくりと起こす。彼の右腕は今も点滴が打たれている。
病室の奥、シャックスのベッドのそばに歩み寄るフリューゲルたち三人。フリューゲルたちはコートとマフラーに手袋といった姿だが、エリックだけはやはり白い胴着に紺色の袴、そして長いマフラーだけ。奇妙ないでたちの男がひとりだけいるがシャックスはそこに触れず、彼女たちの顔を順々に見て、それから窓の外を眺めた。
「……雪、だと?」
「うん。シャックス、半年間も夢の中にいたんだよ。」
「夢…… そうだ、ウサギの目は、どうした……?」
「ハーゼなら戦場に戻ったよ。戦争に加担する魔法使いや魔法の番人たちを食い止めるって。そして世界中の戦争そのものを終わらせるって。」
「……そうか。」
そこに、エリックが割って入る。
「シャックス・トロヴァドルとやら。フリューゲルたちから聞いたぞ。俺の、そしてエルデの町の人々の夢を奪っていたらしいな。」
「然様。すべては孫娘、リディアのためだ。」
「今更咎めはしない。だがシャックス、これからどうするつもりだ? お前も夢を取り戻した今、無闇に人から夢を奪ったりすることもあるまい。」
「ああ。……夢も何も、わしの夢はもう失われた。」
砂時計の砂が時を刻むように、水滴となって落ちてゆく点滴。
それを見つめながら、シャックスはつぶやく。
「リディアと共に幸せに暮らすことだけが望みだった。だが、もはやリディアは帰ってこない。だからわしは、わしにできることをすることで償ってゆくつもりだ。夢は返せても、失った時間までは返せるものではないからな……」
シャックスは再び、しんしんと雪が降り続ける外の景色を眺める。灰色の雲が空を、真っ白な雪が地上を、一面覆い尽くしている。そんな真っ白の世界を、フリューゲルたちも見つめる。
「ウサギの目…… ハーゼ・エーデブルーメと共に、戦争をなくすために何かをしよう。こんな老いぼれにできることは、少ないだろうがな。」
病院をあとにする。
フリューゲル、エルナ、フランカ、エリックは、レーヴェンクラウ大学までの帰り道を歩く。車はタイヤにチェーンを巻き、人々はスパイクをつけた靴で行き交う。こんな中、自転車やバイクを走らせる人はいない。
手袋をはめた両手で、フリューゲルは白い雪ウサギを作っていた。そしてそれが完成すると、道端にちょこん、ちょこんと置いて、また新しい雪ウサギを作ってゆく。そんな子どもじみた遊びをしている彼女に、エルナは尋ねた。
「なぁ、フリューゲル。」
フリューゲルは雪ウサギを作るのをやめて彼女の方に振り向いた。
「ふぇっ?」
「ハーゼ。あいつ、今頃どうしてっかな?」
「う~ん。……分からないなぁ。ひと口に戦争をこの世界からなくすって言ったってわたしにはイメージ湧かないし、魔法使いとしての戦争をなくす活動っていうのもどうやるのかも分からない。でもね。」
フリューゲルはまた雪の形を整えてゆく。
「きっと大丈夫だよ。ハーゼとはまた会おうって約束もしたからね。心配だけど、不安じゃない。」
「はぁ? どゆこった、それ。心配だけど不安じゃない? 矛盾してね?」
だがその言葉に、フランカは小さく微笑んで返した。
「いえ、何となく分かりますよ。どんなに遠くにいても、どんな危ないところに出向いても、きっとハーゼは帰ってきます。……ですよね、フリューゲル?」
「うん!」
フリューゲルは、完成した雪ウサギをまた道端に置く。
その白い雪ウサギは、背中に翼を持っていた。
ドイツより遠く離れた、とある国。
枯れ葉や乾いた土だけが覆うだけの、さびしい景色だけが広がる。
豊かとは言えない、だが文化から取り残されたと言うわけでもない、発展途上の国。レンガ造りの民家は古く、町には瓦礫が散らばり、多くの争いの跡が見える。人々は内戦の戦火におびえながら、陰で身を寄せ合っている。
そんな町の空を、一頭の始祖鳥が飛ぶ。背中には鞍を載せ、自らを操る乗り手に従って灰色に曇った空の下を泳いでいる。
「……魔法の残滓がある。ここも魔法の番人や魔法協会が手を回してるな。」
その始祖鳥、グンターを操るのは、ハーゼだった。
「よし、ここから片付けていこう。」