勇気ある決断
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レース後当日
場所:オーエン厩舎 夜
語り:俺
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その夜厩舎に帰ってきたばかりの俺はかなり疲れていた。
日頃から追い切りや稽古で鍛えられてると言ってもこっちに来てからの習慣だし、本番は想像以上に疲れた。
リナに誘導されていつもの場所に収まってようやく落ち着く事が出来た。
周りを見回して帰ってきたという実感が湧いて来たら、俺が最初にここに来たあの時と同じ様にリナが俺を抱きしめてきた。
「帰って来てくれたね。ありがとう。」
そう言ってリナはまた泣いた。
でも今回は嬉し涙だろう。
俺はリナの気が済むまでそのままじっとしていた。
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レース2日後
場所:オーエン厩舎 午前
語り:俺
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あれから2日経って随分回復した気がする。
リナが用意してくれる飼葉はいつもうまいけど今日のは格別だ。
何というか材料に何かいいものが入ってそうだ。
「ナイト美味しい?それってお嬢様がわざわざ送ってくれたんだよ。
これからはそれを食べさせなさいって。」
リナは俺の頭を撫でながらそう説明してくれた。
やっぱりか。
あのお嬢様一応いい所あるじゃないか。
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レース3日後
場所:オーエン厩舎 応接室
語り:エリス
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「お嬢様、今日はわざわざお越し頂きありがとうございました。」
オーエン先生はそう言って私に頭をお下げになりました。
「いえいえ。こちらこそ貴重なお時間を。」
と私も返礼致します。
今日は厩舎の応接室で今後の打ち合わせです。
本来はお父様が出席すべきですが、前走からナイトに関して全て私に一任して頂ける事になりました。
私一人で競馬場に行ったのは前回が初めてでしたが、そこで勝ったのだからそうした方が良いとの事です。
勝負事に携わる方は縁起を気にする方が多いので多分これもその一環でしょう。
「さてお嬢様。前回はいい意味でこちらの期待を裏切って・・あっこれは失礼を。」
先生は随分慌てていますが当然です。
他ならぬこの私が一番そう思っているのですから。
「いいですわ。続きをどうぞ。」
「期待以上にエリスズナイトが・・・今更ですがナイトと呼んで良いですか?」
「ええどうぞ。」
厩舎関係者であの馬がどう呼ばれてるかなんてとっくに存じてます。
「ナイトが本当によく走ってくれました。」
「まさかの大穴で大騒ぎでしたわね。」
あの時の周りの唖然とした様子やヴィルマの呆けた顔を思い出すと私も自然に笑みが零れます。
「まあでも未勝利レベルですからこういう事があってもよいでしょう?」
私がそう申し上げると先生は随分真剣な顔に変わりました。
「ただあのレースはとてもレベルが高かったのです。」
「とおっしゃいますと?」
「この時期の未勝利は本来ですと4着に逃げ粘った馬があのまま勝っても何ら不思議ではないのです。
ましてやイレイザーやレスターの様な馬がどちらか一方ならともかく二頭揃う事が珍しいのです。
どちらかが別のレースに回れば労せず勝てる確率が高いわけですからね。」
確かにその通りです。
未勝利なんてどれを勝っても一緒な訳ですから、こんなバカな真似をする必要はどこにもありません。
「最初はレスターだけがあの未勝利戦にでると聞いてましたが、急遽イレイザーが新馬から回ってきまして・・
ただ爵位の関係からレスターの関係者もイレイザーの関係者にやめろとは言えなかったらしく・・」
その時の事を思い出したのか、先生はハンカチを取りだして汗を拭き始めました。
「まあ原因はヴィルマのわがままでしょう。いいのです。
あの様な者にはいい薬になったはずですわ。」
本当に同情の余地もありません。
「では先生。4着になった馬も含めて次の未勝利では勝てる可能性が高いとおっしゃいますの?」
「はい。その通りです。またお互いにぶつからなければですが・・・」
それらの馬を全て破って3馬身半の着差をつけたあの馬はひょっとして強いのかも知れませんが・・・
でも今までが今までですから、なんとも言えません。
私の複雑な表情を読み取られたのか先生も
「やはりお嬢様もそう思われますか?」
と仰いました。
「ええ。」
言葉に出さなくてもお互いわかります。
「あの勝利が前回限りの激走なのか、これからもあてになるのか。
誰もがわかりかねているのです。
確かに大きな勝因の一つとして、本命のイレイザーと対抗のレスターがお互いにマッチレースと踏んでけん制し合っていた事が大きいと思います。
だから思った以上に着差もつきました。
ただナイトの様子が数週間前から明らかに変わりましたから、私は信じてみたいのです。」
「それは私も同意見ですわ。
恐らく次走の結果次第ですわね。」
「実は今日お越し頂いたのはそれなのです。」
「何かありましたの?」
激走の後の故障はよくある話ですがひょっとして・・
「いえご心配される様な事ではありません。次走までの間隔を開けようと思うのです。」
「間隔ですか?」
「はい。4月頭まで一カ月と少々開けようと思います。」
「短期放牧にでも出しますの?」
「いえ。厩舎で調整します。」
「そこで重賞・・は無理ですわね。たかが一勝馬だと除外の可能性が高い。」
「はい。出られたとしても必要以上の消耗を強いることになるかもしれません。」
「では条件戦を使ってそこで勝っても3歳一冠目は・・」
「抽選で出る事が出来るかも知れませんが敢えて見送ります。」
馬主や厩舎関係者は誰でもG1出走に関しては貪欲になります。
それを見送るとなると当然何かあるはずです。
「大体察しはつきますが、理由がありそうですわね。」
「はい。まず大きな理由の一つがナイトの馬体がまだ本来のあるべき姿になってないと言う事にあります。」
「前走のパドックでは随分戻していたようですが。」
「あれで下限ギリギリです。まだまだ足りません。」
「確かに正当な理由ですわね。」
「もう一つの理由は、無理に一冠目に間にあわそうとすると権利取りのために出走間隔が詰まりますから、思わぬ怪我や体調不良を起こす原因となりかねません。」
「これも正当な理由ですわね。」
私の懸念していた通りです。
オーエン先生が目先の欲にとらわれる方で無くて本当によかった。
「ではどういう計画で出走させますの?」
「前走のレース振りを見て私は決めました。
この馬の春シーズンの最大目標を首都競馬場のランカスターカップに置く事にします。」
ランカスターカップは春シーズンの3歳牡馬最大のレースです。
3歳牡馬の最大の目標がここと言っても過言ではありません。
「まず4月上旬の条件戦。そうですね、出来れば特別レースに出走させます。
そこで勝つことを条件に5月上旬の本番と同じコースのトライアルを使って、6月初旬の本番に向かいます。」
「この時期のたかが一勝馬に対して随分と大きな目標ですわね。」
「前走が本物ならそれだけの器だと思います。」
オーエン先生の決意に揺るぎは無いようです。
「わかりましたわ。先生の思われる通りになさってください。
父には私からお伝えしておきますわ。」
「ありがとうございます。お嬢様。」
私は先生と握手して席を立ちました。
でももう一つ肝心な事が。
「あっそうそう。皆さんのご都合をお聞きしなければ。
未勝利戦の祝勝パーティを開きたいと思いますの。
先生も参加して頂けますわよね?」