方針会議
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国王杯 3日後 朝
場所:ローズ家 エリスの私室
語り:エリス
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今日はナイトの今後の方針を決める会議があります。
オーエン先生の所に出向いて、リナやアニーも交えて話す事になるでしょう。
それにしても、2月には未勝利のまま引退させることさえ考えた馬が、G1を勝つなんて想像もしませんでした。
世の中何が起こるかわからないものです。
前走は負けてしまいましたが、あれは仕方ありません。
そんな事を考えながら身支度をしていると、手伝ってくれているレイがこんな事を言ってきました。
「随分ご機嫌がよろしいようですね。お嬢様。」
「あら、そう見える?」
「ええ。」
子供の頃から私と一緒のレイにはお見通しなのでしょう。
「出来ました。お嬢様。」
そう言ってレイは私を姿見の前に立たせました。
私は姿見の中の自分を一通り見ましたが、何の問題もありません。
これで安心してオーエン先生の所へ出向く事が出来ます。
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国王杯 3日後 昼
場所:オーエン厩舎 応接室
語り:エリス
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「お嬢様、ようこそおいで下さいました。」
そう仰りながら応接室の中からオーエン先生が扉を開けて私を出迎えて下さいました。
「お世話になります。」
こちらもそうご挨拶して応接室に入りますと、意外な顔を見る事になりました。
「お父様。」
何とそこには私の父のローズ公爵がいたのです。
「来たかエリス。さあ隣に座りなさい。」
「はい。」
私は言われるままにお父様の隣に腰掛けました。
ナイトに関しては私に一任して下さっているはずですのに一体?
そう考えていますと、オーエン先生はテーブルの向かい側のお父様の正面に一礼してから腰掛けました。
そしてノックと共にリナが部屋に入ってきて、4人分のお茶をテーブルに置いてから一礼して私の正面に腰掛けました。
心なしかリナの表情が硬い様です。
何かあったのでしょうか?
オーエン先生はその場にいた全員の顔を見回してから
「では始めます。」
と仰いました。
「お待ちください先生。」
「どうかなさいましたか?お嬢様。」
「アニーがまだ来てませんわ。」
主戦騎手無しで進められる話もあるのでしょうが、やはりアニーにはいて欲しい。
「アニーはいいんだ。」
「お父様?」
先生ではなく、なぜお父様がお答えに?
私は先生やリナを見ましたが、二人とも一様に表情が硬い。
やはり何かあったのです。
「ナイトに何かありましたの!?」
「それはこれからオーエンから説明がある。まずは落ち着け。」
私の声は自然に大きくなっていたようです。
私の肩に手を置いたお父様からそう窘められました。
「よろしいでしょうか?まずナイトの様子ですが、現状ではとてもレースには出せません。
食欲も落ちていますし、これまでの疲労が一気に表に出てきた感があります。
今回はランカスターカップ直後の疲労や調子落ちとは比較になりません。」
とオーエン先生からナイトの現状について説明がありました。
「まあ激戦が続いたからな。」
私もお父様と同意見です。
本当にきつい戦いでしたから。
「申し訳ありません。私が至らないばかりに・・」
とリナが立ち上がって私たちに頭を下げました。
「いや、リナのせいではない。これは仕方が無い事だ。
本来ならば休ませるべき所をレースに使ったのだから。」
「そうだぞリナ。公爵様の仰る通りだ。
責任を問われるとすれば私だ。」
お父様とオーエン先生は、そう言ってリナ落ち着かせてから席に座らせました。
私は今一番知りたい事をお尋ねすることにしました
「ではどのくらいの休養が必要ですの?」
「そうですねえ・・もちろん経過によりますが、最低でも4ヵ月くらいでしょうか。その後のトレーニング期間も入れれば秋は全休すべきでしょう。」
「でもナイトはまだ3歳です。まだ来年もありますわよね?」
「それは・・・」
そう言ったきり先生の表情は曇ってしまいました。
「引退だ。」
「お父様?」
先生ではなく、お父様からまさかこんな言葉を聞かされるなんて・・
お父様の表情からは、これが冗談などではなく本気だという事が読み取れました。
私は先生やリナの表情を見ましたがやはり同じ。
引退の方針はもう決まっているようでした。
「なぜですの?」
私の声が随分低くなって怒気をはらんでいる事に、その場の全員が気付いたようです。
「一体なぜですの!?さっき申し上げましたように、あの馬はまだ3歳です!!
秋のG1にだって来年挑戦すればいいんです!!
それに春シーズンの古馬G1だってあるのでしょう!?
それをなぜ引退させなければならないのです!?」
「それについては帰って話そう。」
お父様はそう仰いましたが、私だって納得がいきません。
「ここではいけませんの!?」
「その通りだ!引退が決まってオーエン達も忙しい!邪魔にならない様に帰るぞエリス!」
お父様の決意は揺るぎの無いものでした。
私はお父様に従うしかありませんでした。
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国王杯 3日後 昼
場所:酒場
語り:アニー
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今日の会議にアタシは呼ばれなかった。
その代り会議が始まる一時間前くらいに、オーエンのオッサンにアタシだけ呼ばれてあいつが引退する事を知らされた。
だからこうして昼間から酒場でちびちびと飲んでるわけさ。
騎手が馬に関わるのは、競馬場でのレース本番と稽古をつける時以外殆ど無い。
だからアタシにはもう何の関りもない。
あいつの引退は仕方ないと思う。
この間の国王杯は出られただけで奇跡だった。
それなのに無理したせいで本当にガタガタになっちまった。
あれを立て直すのは相当な時間と手間が必要だろう。
そんな事を思いながらグラスを傾けていると、「よう。久しぶりだな。」とキースのオッサンが話しかけて来た。
「ああキースのオッサンか。何か用か?いつも競馬場とかで会ってるだろうが。」
「相変わらず口が悪いなお前は。この酒場でって意味さ。
それにこっちはまだ約束の酒を奢ってもらってないんだぜ?」
オッサンは冗談っぽくそう言ってきたが、条件特別でハナを譲ってもらって、そういうやりとりをしたのは事実だ。
約束と言うよりは軽口の一つだが、オッサンがあの時無理に競ってこなかった事には感謝してる。
丁度バーテンも側にいるし奢らせてもらうか。
「なあバーテンさんよ、このオッサンにここで一番いい酒を注いでやってくれ。」
とアタシが言うと、バーテンは頷いて早速酒を用意し始めた。
「おい。いいのかよ?あの酒は本当に高いんだぜ?」
「いいんだよ。気にすんな。」
そう言ってアタシは金をカウンターに置いた。
必要なのはこれの倍だな。
そう思いながらポケットを探していたら「じゃあその代金の半分は僕が払うよ。」と聞きたくない声がして、残りの金額をアタシの金の上に重ねたやつがいた。
「ハンス余計な事すんな。」
流石にこんな所で怒鳴るわけにもいかないから、普通に睨みながら言ってやった。
「僕だってキースさんにあの時約束したんだ。別にアニーの為じゃない。」
「おいおい。お前らこんな所でよせよ。俺としちゃありがたいが目の前でケンカされたんじゃ酒が不味くなる。」
「オッサンは一杯だけでいいのか?二人分の二杯要るんじゃないか?」
「これでいいよ。充分だ。だから喧嘩はよせ。」
まあオッサンがそう言うなら良いけどよ・・・
ハンスのやつはどういうわけかアタシの隣に座りやがった。
並びは左からオッサン、アタシ、ハンスのバカ。
席も空いてるし座るならオッサンの横にしろっての。本当に鬱陶しい。
暫く三人で無言で飲んでいたら、ハンスがこちらの様子をちらちらと伺っている。
こいつは本当に・・言いたい事があるなら早く言えよ。
そう思ってたら口を開きやがった。
「ナイトの引退は残念だったね。」
「仕方ねえだろ。決めるのはオーナー達だ。」
ん?そんな事より・・・
「何でお前が知ってるんだよ!!」
アタシは片手でカウンターをバンッと叩いて立ち上がった。
「落ち着けよアニー。周りを見ろ。」
キースのオッサンの言う通り周りを見ると、テーブル席の客が全員此方を見てる。
カウンターは随分離れた所に客が一人いるだけ。
ハンスのバカが口走った事は、誰にも聞かれてなさそうだ。
いや。一人だけいるぞ。
そう思ったアタシは目の前の還暦位のバーテンを見た。
「安心しろアニー。この人は俺が若い頃からここで働いていて口が堅いので有名なんだ。無論俺だって喋らねえしな。」
キースのオッサンの言う通り、バーテンは我関せずという感じでグラスを磨いていた。
「わかったよ。この人の口が軽かったらキースのオッサンはとっくに競馬界から追放されてそうだもんな。」
「おいおいアニー。人聞きの悪い事を言うもんじゃねえよ。」
ただハンスのやつが聞き捨てならない事を言ったのは本当だ。
確かめないとな。
「何で知ってるんだ?」
今度は周りに注意して声も控えめにして聞いてみた。
「お嬢様から聞いたのさ。」
「はあ?アボット家のか?」
「そうだよ。ローズ家やオーエン厩舎の動きがおかしいし、ナイトの状態も悪そう。
それともう一つの事情からそうせざるを得ないだろうって話だったよ。」
すげえ地獄耳だな。あの緑髪のお嬢様は諜報局にでも勤めたら、相当出世するんじゃねえか?
それよりも気になる事があるな。
「もう一つの事情だと?」
そうだよ。そんなものはアタシだって聞いてない。
「今から話すけどこれは内密にして欲しい。」
「わかったよ。」
秘密にすべきことだから、アタシにも知らされなかったんだろう。
「キースさんもいいですか?」
「ああ、わかってる。」
とオッサンも真剣に答えてた。
その後ハンスから聞いた話は確かに驚くべき内容だった。
アタシはあいつの引退が、これで絶対に避けられないものなんだと改めてわかった。
あいつの状態が早く回復しようが何だろうとな。