遅れた祝福
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放牧 7日後 昼
場所:ローズ家育成牧場 放牧地
語り:俺
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俺は空をこうして眺めている。
最近の俺のマイブームは空に浮かぶ雲を数える事。
・・何と言うか・・暇だ。
ここは育成牧場だから一歳馬の馴致や二歳馬の調教をやってるみたいだ。
そういう時は柵越しに見物してるけどタイミングが合わなくて見れない事の方が多い。
そうなるとこうして空に浮かぶ雲を見るくらいしかできない。
確かにリナが言った通りここのエルフ達は優しいし、カイバの味も悪くない。
それと俺は手間がかからないという事でここでの評判は悪く無い様だ。
運動も軽い乗り運動やウォーキングマシーンを使った散歩をしているだけだ。
ウォーキングマシーンは夢がある言い方をするなら、実際の馬がメリーゴーランドみたいにくるくる回るわけだが、身もふたもない言い方をすれば奴隷の集団に石臼を回させる作業に似ている。
そういや昨日ウォーキングマシーンの所でジュリアを見たな。
別に挨拶するわけでもないけど知ってる馬を見るとなぜかホッとする。
それと忘れちゃいけないのが温泉だな。
やっぱり温泉は人でも馬でも気持ちが良いもんだ。
これは全身に染み渡る心地良さだ。
あーでも笹針治療が無くてよかった。
日本では、使い込んだ馬に筋肉痛とか出たら笹針治療が行われる事がある。
それは笹の葉に似た形の針で悪い所を刺してドス黒くなった血を出させてリフレッシュする治療法で、針によって開いた傷口には塩を擦り込むそうだ。
効果はあるんだろうが、何か想像するだけでも痛そうだ。
こっちではやらないみたいだけどな。
俺の場合はまだ症状が軽かったし、こうして最低限の運動以外はのんびりすることで自然に血の入れ替えも進んでいくんだろう。
こっちの世界に来た時は正に生きるか死ぬかって所だったから、あの頃の俺からすればこんなのんびりした日々が来るなんて考えられなかった。
まあ休むのも仕事の内だと思う事にしよう。
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同日 昼下がり
場所:貴族街 カフェ
語り:エリス
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今日はヴィルマに呼び出されました。
何の為に私を呼んだのかは大体想像がつきますが・・・
そう言えばここはミストラル騒ぎの時に使ったカフェです。
色々あったせいか、あれから随分経った様な気がします。
私が店に入るなり、「エリス。こっち。」とヴィルマが手を挙げて私を呼びました。
呼ばれて向かったテーブルにはヴィルマ一人だけ。
幸い周りの席には誰もいません・
今日はそれほど気を使わないで話ができそうです。
所でケイトはどこでしょうか?
「どうしたの?」
左右を見回す私に対してヴィルマがさも不思議そうに聞いてきました。
「いえ。ケイトは・・」
「ケイトはいないわよ。
それとも私だけじゃご不満?」
不満と言うよりはヴィルマと二人でお茶する謂れが無いと言った方が正しいのかも知れませんが。
「まあいいでしょう。」
「何か引っかかるわね。」
私がウエイトレスに適当に注文を済ませると、ヴィルマは早速身を乗り出して尋ねてきました。
「そっちにはラージワンが行ったそうね。」
「そちらにはフランジャーが行ったと聞きましたが。」
「お互いよりによって因縁のある相手が来たわけよね。」
「全くです。お父様達の考える事はわかりません。」
ランカスターカップの時にラージワンは最後の直線でナイトと火の出るような叩き合いを演じましたし、フランジャーは終始グラジエーターを外から抑えていました。
「まあ馬に罪は無いというのはわかるんだけど・・・」
「そこは敢えてという事でしょうね。」
「厩舎にまだ空きがあるので今は良いですけど、いつまでもというわけには行きませんわよね?」
「あの馬達は国内の馬主が買うには抵抗があるだろうから、外国の馬主に売る事になりそうだよ。」
「ええ。それが良いでしょう。」
実際に外国からの引き合いが幾つか競馬会に来ているそうです。
でもヴィルマが居候の話題で終わるとは思えないのですが・・・
「所で国王杯はどうするの?」
来ましたか。間違いなくこちらが本題でしょう。
「ハインケルとグローヴァーを出しますわ。」
「そうじゃなくて。ナイトよナイト。」
「グラジエーターとレスターは出るようですね。」
「当然。うちはグラジエーターをちゃんと出すわよ。
でもナイトは未定だって聞いたから。」
「それでわざわざ私を呼び出したわけですか。」
「あのねえ。国王杯は真の決着戦だと私は思っているの。
ランカスターカップのエリスの馬の勝利にケチをつける気は無いけど、ミストラルのバカのせいで色々と台無しになったでしょ?。」
「そうですわね。」
それは私自身が誰よりも感じている事です。
「だからナイトには出て欲しいのよ。うちのグラジエーターとどっちが強いのか是非決着つけようよ。
今度はおかしな奴らが紛れ込む心配も無いんだし。」
「それはまだお返事できません。」
「どうしてよ?ナイトの実質的な責任者はあなたでしょう?」
全くこの娘は・・・
一週間前のお父様との議論をここでもう一回繰り返す必要が出て来るとは・・・
「グラジエーターは次で今年何戦目でしょうか?」
「次で4戦目ね。レスターは6戦目かな。
あっ!レスターはナイトと同じじゃない!」
「同じ6戦目でもナイトは未勝利を勝つまでずっと順調さを欠いてましたし、全てがハードな戦いでした。
これでも出せと仰るの?」
「そうかあ。つい忘れちゃうけどあの馬は年明け最初の未勝利でも大差負けしてたんだよね。
それがいきなり次の未勝利勝ってから4連勝でランカスターカップまで勝っちゃった。
トライアル勝ちからの本番制覇も初めてだし、はっきり言えば非常識よね。」
「他に言い方は無いのですか?」
言わんとする意味は分かりますが、本当に人聞きの悪い。
「非常識ついでに出す気はないの?」
「今検討中ですわ。それ以上は何も決まっていません。
それに今度は古馬も出るのです。状態の整わない馬を出しても通じないでしょう?」
「その分斤量は軽いし3歳は勢いがあるわよ。
特に今度のコースは高低差がかなりあるから斤量差がモノを言うコースなんだし。」
「良かったですね。それならパワーのあるグラジエーターには向いてるでしょう。」
「ナイトはどうなのよ?非力というわけじゃないでしょう?」
「確かに非力というわけではありませんが・・・」
どちらかと言えばレスター辺りの方が向いてる気がします。
「でもランカスターカップの勝ち馬はその年の花だもんなあ。
出せって圧力は強いと思うわよ。」
一週間前に先生がご心配されてた事をこの娘も言うという事は、外出も最低限に控えるべきかも知れませんね。
「話はそれだけですか?」
これ以上用事が無いなら帰ります。
家でやるべき事が幾らでもあるのです。
私は席を立ちました。
「あっ待ってよ。その・・・まだ言ってなかったから。」
「何をです?」
「ランカスターカップ優勝おめでとう。
まああんな結末だったけど、私達は堂々と戦ったんだし、うちのハンスもエリスの所のアニーもレースで全力を尽くした事には変わりは無いんだから。
私やケイトの祝福は素直に受けなさいよね。」
「そうですわね。ありがとうございますヴィルマ。」
「でも次は負けないからね。馬が戦える状態になったら国王杯に絶対に出しなさいよ。」
「善処しますわ。」