ミストラル始末記
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ランカスターカップ当日 夜
場所:警察署 取調室隣室
語り:ケイト
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私は取調室の隣室からマジックミラーを通して3貴族の当主と一緒に取り調べの様子を見ている。
ミストラルの連中は数々の物証や証言で今回のランカスターカップに対する妨害行為と競馬法違反の容疑は固まっているから間違いなく起訴されるだろうけど、警察や検察からすれば本人から聞き出すべきことが山ほどありそうだ。
他にも色々とやってるだろうからな。
ここで取り調べを受けているサミュエル・ブラウンはその中心人物とみなされて数人の中堅どころの警察官から特に厳しい追及を受けている。
「お前は競馬の賞金の山分けや星の貸し借りが違法なものだと知っててやっていたな?」
だがサミュエルはふてぶてしい。
「さあ?」
と答えてそっぽを向いた。
「とぼけるな!!お前の仲間が次々吐いてるぞ!
厩舎関係者もな!」
「はあ?仲間?厩舎関係者?何のことで?」
「お前はミストラルという名の馬主連合を作って数々の違法行為を行っていただろう!!」
「馬主連合?ただの飲み仲間の集まりですが?」
こいつは・・・喋り方も遜ってる様に見えて実際は相手をバカにしている事が見え見えだ。
「まあまあみんな落ち着け。そうじゃないとこの人が喋りたくても喋れないだろう?」
そう言いながら取調室に入って来たのはかなりのベテラン刑事だった。
「でもこいつは・・」
「いいから。ここは儂が代わるよ。」
そう言って今まで取り調べを行ってた刑事を退かせてサミュエルの正面にはその刑事が座った。
ベテラン刑事は手に何か紙束を持っている。
何かの資料だろうか?
ただこの刑事が部屋に入って来てからサミュエルの様子がおかしく落ち着きがない。なぜだ?
「お前さんの顔はどこかで見た事があるなあ?サミュエル?どこかで聞いた名だなあ・・・
お前さんはひょっとして10代の頃に窃盗や強盗や管理売春をやらかして捕まってたあのサミュエルか?」
サミュエルはさっきまでと違って相手の目すら見ようとしない。
ベテラン刑事はまじまじとサミュエルの顔を見直した。
「間違いないな。あのサミュエル坊やだ。」
「その名はよせ。」
そう答えた途端にサミュエルはしまったという感じの顔になり、ベテラン刑事はニヤリと笑った。
「今回もえらい事をしたもんだな。」
「何のことかわからねえよ。」
「ほう?お前さんは司法取引というものを知ってるか?知らないはずが無いよな?なんせお前さん自身が昔使ったわけだし。」
ここでサミュエルの眉がピクンと動いて反応した。
「あの時お前さんに売られた売春組織のボスの事を思い出したか。
お前さん大変だったそうだな。服役していた少年院にまで刺客を送られて結局出てから何年も国外逃亡だろう?
そのボスが死んだ5年前にようやく帰ってこられたみたいだが・・」
「それがどうしたよ。」
「いやなに因果は巡ると思っただけだよ。
お前さんがやった様にミストラルのメンバーや調教師や厩務員や騎手に至るまで様々なやつが司法取引を申し出ている。」
「そんなはずは・・」
「金で黙らせられると思ったか?それともお互いが脛に傷持つ間柄だから平気だとでも思っているんだろう?」
「・・・。」
ベテラン刑事に畳みかけられてサミュエルは絶句している。
「それとお前さんには致命的に人望が無いな。」
ベテラン刑事は持参した資料を捲りながら唐突にそう言った。
「人望?そんなもん。何か関係あるのかよ?」
「まあお前さんらしい。お前さんは金さえ出せば万事どうとでもなると思ってそうだな。」
「ああそうだよ。悪いかよ。」
「ちゃんと払ってればまだいいんだがな。」
「何が言いたい?」
「お前さんの所で厚遇されてる従業員は一部だけで、それ以外の従業員は規定時間が終わっても何時間も平気でタダ働きをさせてるそうだな?」
「そんなもん。うちだけじゃなくてどこだって一緒だろうが?
それに労働問題だったら警察じゃなくて別の役所の管轄だと思うがな。」
「その通りだ。だが今の国王陛下は不正や弱い者いじめが何よりお嫌いだ。
お前さんの様なやり方に対しては情状酌量の余地すらないと仰るだろう。
立場を利用して人をタダで働かせるのはその相手の財布から金を抜き取っているのと同じだと」
「だから何だ?窃盗罪だと言いたいのか?それとも強盗か?
俺は路上で刃物を使って金を脅し取ったわけじゃないぜ?
あくまでこれは労働局の管轄だろうが?
あんたにどうこう言われる謂れは無いぜ?」
「そう言うだろうと思ったよ。
だがなお前さんの冷遇されてる部下達から儂らの管轄に触れるような証言が山ほど得られたのさ。」
「そんなバカな!」
そう叫んだサミュエルからは完全にふてぶてしさが消えていた。
「例えばこんな感じだな。ちょっと読み上げるぞ。」
証言22:『あのオーナーは気に入った女には手当を弾んだりするけど、俺らなんかには最低限の金しか渡さないし無理強いやタダ働きの強要も酷い。』
証言23:『気に入った女ってのもよく変わる。愛人にした上で有能ならマネージャーにしたりするけど、飽きた上に無能だったら外国や闇の娼館に売り飛ばしたりするからなあ。』
それを聞いてサミュエルは明らかに動揺していた。
「人身売買は明らかに禁止されてる行為だし、こいつは明らかに儂らの管轄だ。
言っておくがお前さんが言ってる労働局も黙ってないぞ?税務署も動き出してるしな。」
「何だと!!」
サミュエル立ち上がってそう吠えた。
確かに拝金主義者のこいつにとっては税務署はどこよりも怖い存在だろう。
「まあそんなわけでお前さんには色々と聞かなきゃいかん。
まずは今日お前さんたちが実際に妨害したランカスターカップについて聞くぞ?
最後に段取りを決めたのは、お前さんの持ってる建物で行われた二週間前のパーティでのことだったな?
間違いないか?」
「知らねえな。」
ここまで聞いた所で、私の耳元で「ケイト様こちらに来てご準備を。」とレイに囁かれた。
「レイ?いつの間に来たんだい?」
そう言いながらお父様の方を見るとその目が行けと言っていた。
何やら良くない予感がするのだが・・・
私は手を引かれてレイと別の部屋へ移動した。
後でお父様から聞いた話だと私とレイの準備が済むまでの間に、ベテラン刑事とサミュエルとの間で様々なやり取りがあったそうだけど、サミュエルは頑として口を割らなかったそうだ。
「やれやれ強情だな。」
とベテラン刑事が呆れた時に若い刑事が取調室に入ってきて、「準備ができたそうです」と知らせに来た。
実は私は隣室でサミュエルがそのまま吐いてくれる事を祈っていたのだが、そうも行かないようだ・・
「なあお前さん、これが最後だ。吐くなら今だぞ?」
「だからさっきから知らねえって言ってるだろう!?疑うなら証拠を出せ!ちゃんとした物証をな!」
ベテラン刑事が若い刑事に目配せをすると、私が録音したあの日の連中の相談事がその場に流れた。
『おいおい、余興は良いがさっきの話の方が大事だろ?ランカスターカップの本番でチャンスのある馬を本気で生贄にする気かい?』
・・・・・・
『俺達ミストラルは組織で1つだ。
誰が勝とうがレースが終わった時にトロフィーがミストラルに来ればいいのさ。
レースの賞金や種馬にした馬の権利だって名義そっちのけで会員全員に分配してるだろ?
俺は誰が勝とうが構わないぜ。
サムのラージワンだろうがあんたのバイエルだろうが。
俺にとっちゃ名誉なんて質にも取ってくれねえもんなんてどうでもいい。
そんなものを有り難がるのは貴族や頭の固い老人どもだけで充分だ。』
・・・・・・
「明らかな証拠だな。」
とベテラン刑事は観念するように促した。
「で・でっち上げだ!こんなもんお前らが作ったんだろ!!」
「お前さんの往生際の悪さは記念物ものだな。仕方がない、証人にご登場いただこうか。」
私はその声を聞いてレイと一緒に取調室に入った。
忌々しいあのスタッフユニフォームを着こんでウイッグを着けてアンジェとして。
「お・お前達は!?」
サムは私達を見て随分驚いている様だ。
「さてお嬢さん。証言をお願いできますか?
これはミストラルの相談事をあなたが録音したものですね?」
とベテラン刑事に尋ねられたので、「はい。」と私は正直に答えた。
「てめえ!裏切りやがったな!!あれだけの金を渡してやったのに!!」
そう叫びながらサミュエルは私に飛びかかってきた。
私はカウンターでサミュエルの鳩尾に蹴りを入れてアゴに掌底を叩き込んだ。
吹っ飛ばされたサミュエルは自分が座っていた椅子に逆戻りして机の上に突っ伏した。
そして若手の刑事が素早くサミュエルの両腕を後ろに回して手錠をかけた。
それにしてもこいつはバカか?
裏切るも何も私がこいつの所にいたのはあの日限りだし、こいつに対しては義理も何もない。
「まあ今のは正当防衛ですな。」
とベテラン刑事が私に言った。
これで少しは気が晴れたかもしれない。私だけごめんよエリス。
「どうもありがとうございました。これでランカスターカップにおけるこいつらの関与は確実になりました。」
「いえ。お役に立てたのでしたら何よりです。」
ベテラン刑事の感謝に私はそう答えた。
こちらこそウサ晴らしの機会を与えて頂きありがとうございました。
口には出さなかったけど、私はそう感謝した。
「く・くそう・・覚えてやがれ・・シャバに出たら・・・お前ら・・絶対復讐してやるからな・・・」
息も絶え絶えにサミュエルはそう言って来たけど、私はこんな奴に負ける気は無いし
「悪いがそれは無理だな。」
とベテラン刑事が言った。
「な・なんだと・・」
「お前さん自分でやるつもりか人にやらせるつもりかはわからんが、外国に送り込んでケイン中尉を殺す気だったろう?」
「けっ、それこそ戯言だ。」
「だが出たんだなあ死体が。」
それを聞いてサミュエルの顔がみるみる真っ青になった。
「ケイン中尉の前にそこで他にも殺してるな?
お前の店のマネージャー。つまりお前の今の愛人が司法取引を条件に洗いざらい吐いたぞ。
そこに2人の男を送り込んだけど帰ってきた人はいないってな。
更にそこにはもう一つの死体があってそれは女のものだそうだ。
多分今行方不明の前のマネージャーだな。
それを知った今のマネージャーは金庫の番号でも何でも喋ると言ってる。」
「・あのアマ・・」
「儂にとって競馬は長年唯一の楽しみでな。思い出深い馬も一頭や二頭じゃない。
それをお前たちは寄ってたかって食い物にした上に汚した。
だから普段以上に気合を入れてこれからもビシビシと追求させてもらうからな。」
呆然としているサミュエルにベテラン刑事はそう宣戦布告した。
これは恐らくベテラン刑事の一方的な勝利になりそうだ。
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ランカスターカップ当日 夜
場所:警察署前
語り:ケイト
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お父様達はまだ用事があるそうなので、私とレイは先に警察署を後にした。
私は勿論元の服に着替えている。
「どうしても気になる事があるんだ。」
「何でしょう?」
「馬主席でサミュエルが手に持っていたのは何なのか?あの瞬間にはエリスの馬が勝つ確率も高かったのに何でやったと叫んだのか?」
「そうですね。サミュエルが持ってた物は私も存じませんが、叫んだタイミングについては公爵様も不思議に思われていました。
もしお教え頂けるようならお知らせいたします。」
「頼むよ。」
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後日談
語り:ケイト
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後日レイから聞いた内容はこうだった。
ベテラン刑事からの質問にサミュエルはこう答えたそうだ。
「はあ?そんなの決まってるだろ。あの時点では馬券が当たってたからさ。
エリスズナイトが勝つ可能性があったのにって?
別にそれでもいいんだよ!俺が買ってたのはラージワンとペドロの複勝だからな!」
・・・・・・
「配当が安い?!そんな事言ってるやつは一生貧乏から抜け出せないぜ?
いいか?あの時点ではグラジエーターが消えてるから複勝と言えどもそれなりの配当はあるんだ。
それにだ。高い倍率を追いかけるロマンチストも結構だが、確実性の高い所に纏まった金額を集中しても利益は上がる。
だから俺は複勝派なんだ!」
因みにサミュエルが馬主席で手に持っていたのはただのペンだったそうだ。
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ランカスターカップ翌日 朝
場所:オーエン厩舎
語り:俺
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あれから競馬場でぶつけた所を念入りに診て貰ったら、俺の症状は打ち身程度のもので重症では無かった。
もし今痛みがあっても数日で消えるだろうとの事だった。
とりあえずは一安心という所か。
そして翌日俺はようやく厩舎に戻ってきた。
馬運車から降りると俺の事を心配したエルフ達が次々と俺の様子を見に来てくれた。
本当に気のいい奴らだ。
でもみんな表情は一様に複雑そうだ。
そうだろうな。
それは今回のレースがすっきりしない結末だったからだ。
厩舎でエルフ達の話に聞き耳を立ててみると、こんな内容だった。
結果として上位3頭の俺とグラジエーターとレスターの着順には変更は無し。
だがあの馬主連合の出走馬は落馬したラージワンも含めて全て失格。
この件に関係した馬主も調教師も厩務員も騎手も全員逮捕された。
軍にも協力者がいて、そいつはどうやらミストラルに買収されていたらしい。
バカなやつだ。
ジェイク同様使い捨てにされるだけだろうに。
そういや検量室から騎手や調教師が何人か連れ出されてたな。
ひょっとするとキースもか?
俺としてはあの酔っ払いのオヤジが何でダートコースにいたのか、その辺りを詳しく知りたいところなんだがな。
当然の事だが今回の件は国中で大騒ぎになって、次の競馬開催の目途も立たなくて来週の開催はとりあえず中止が決まったそうだ。
3歳と古馬を交えたマイルG1があったそうなのに、そこの登録馬にもミストラルの馬が少なからずいたらしい。
こうなっちまったら馬主は資格剥奪の上に追放されるだろうし、調教師も同様だろう。
だから相当数の厩舎が消えてなくなる事になる。
厩務員や騎手はどうなるかわからないが、もし違う厩舎や馬主の下で復職できてもやり辛いだろうな。
気になるのは馬だ。
当然の事だが馬には何の罪もない。
ろくでもない馬主に買われて、ろくでもない調教師に預けられてただけだ。
だが競争馬は経済動物で維持には結構な金がかかる。
新しい馬主が見つかれば良いけど、そうでなければ殺処分されてしまうかもな。
俺がもしラージワンにでも入ってしまっていたら今頃大変な事になってた。
今実際にこの厩舎にもマスコミは押しかけてきているけど、俺の事よりあのミストラルとか言う馬主連合に関する事ばかり聞かれるらしい。
そんなもんはこっちじゃなくてあいつらの馬を預かっていた厩舎に聞きに行けよと思ったけれど、その厩舎関係者が一斉に逮捕されたから聞く相手がいないんだな。
だから今は厩舎の周りにロープを張って関係者以外通さない様にしてる。
どうやらこの騒ぎは何日も続きそうだ。