未勝利戦1
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3週間経過 朝方
オーエン厩舎内
語り:俺
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あれから3週間、俺はまだ夢から覚めない。
というかこちらの世界から帰れない。
夜眠る前に早くこの悪夢から覚めろと念じながら眠りについても目が覚めるのは厩舎の中。
どうやら未勝利戦で結果を出さないと俺は切り刻まれて肉屋行きという運命から逃れられないらしい。
俺はリナと共に競走馬としての日々を過ごしていた。
そんな中でオーエンや他の厩務員の話を聞いてて判った事が色々ある。
俺のいるオーエン厩舎はどうやらローズ公爵家のお抱えに近い存在の様で、管理馬の殆どは公爵家がオーナー。
他の馬は公爵の紹介で例外的に入って来てるそうだ。
ローズ家は家柄もさることながら事業においても優秀な業績をあげているそうで、金も名誉もある名門らしい。
それで貴族のたしなみとして自分で生産牧場を持って自分名義で馬を走らせているそうだ。
だから自分の生産馬は人には売らないし、競争生活が終わった牝馬も自分の牧場に引き上げる。
種牡馬は公共性が高いからちゃんと共同で持つそうだがな。
あの赤毛のキツイ女はそこのご令嬢という事だ。
フリーターの俺なんか想像もつかない世界だ。
リナは去年から入った新人で厩務員と調教助手を兼ねたラッドと呼ばれる存在だ。
俺はほぼ毎朝リナと共に調教コースに出て軽い乗り運動やら追い切りを行っていた。
まあ追い切りはしんどいけど終わったらリナが必ず丁寧に手入れをしてくれる。
それに飼葉を毎日作ってくれている。
最初は食うのにかなり抵抗があったけれど今は馬の味覚だからか結構うまい。
桶に半分の飼葉を全部食っても全然足りなかったから、空になった桶をガランガランと鳴らしてたらリナが随分驚いていた。
慌ててもう半分用意してくれた飼葉も全部食べきったらリナは嬉しそうに抱きついてきた。
よくよく考えたらこれってすごく贅沢な事だ。
美人の若いエルフが毎日飯の用意をしてくれて体を拭いてくれるんだぜ?
それを思えば競走馬も悪くないかもな。
でも今週は何やら様子が違う。
今日の追い切りが随分気合が入ったものだったし、何というか俺の周りが騒がしいのだ。
追い切りの後にペンとメモ帳を持った男がオーエンを訪ねてきたり、赤毛のお嬢様が睨みに来たり、美人だけど目つきの鋭い女が俺を見ながらオーエンと何か言ってたり、ひょっとすると未勝利戦は今週なのか?
それから数日後、俺はリナに連れられて馬運車に乗せられた。
ほぼ間違いない。
どこでやるのか知らないが俺は明日か明後日には走る事になりそうだ。
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未勝利戦 パドック周回
パドック
語り:俺
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翌日俺は競馬場に来ていた。
厩舎以外に出たのは初めてだから競馬場の関係者や客を色々と見たのだがエルフしかいない。
アニメだと仲の悪いドワーフ辺りも一緒にいたりするのだが、この世界は完全にエルフのものらしい。
まあそれだけでも十分驚きなんだがな。
俺が出るのは未勝利戦だから午前中の早いレースみたいだ。
リナに馬装を一通り整えてもらってパドックに向かう。
俺のゼッケンに書いてある数字?は今まで見た事が無い物で何番かさっぱりわからない。
前から数えると数字はわかりそうなものだが、気性に問題のあるやつは番号に関係なく一番先か最後にパドックに出されたりするからそうなると余計に混乱する。
俺がパドックに出たら酔っ払いのオヤジが俺に野次を飛ばしてきた。
「おーい公爵家の見かけ倒し!今日も沈めよ!」
それを聞いて周りから呆れたような笑いがこぼれた。
まあ野次なんてどうでもいいがそのオヤジは興味深い物を持っていた。
俺はパドック周回の輪から離れてオヤジに近寄ってみた。
リナは必死に俺を止めているけれど俺の方が圧倒的に力が強い。
俺は構わずオヤジの前に進み出た。
するとオヤジは「な・なんだよ」と強がっていたけれど新聞を持つ手が震えている。
俺が興味をひかれたのは他ならぬその新聞だった。
オヤジが持ってる新聞は上半分の出走馬名や印が打ってある部分がこちらに折れていた。
まあ未勝利だから一面で2レース以上紙面に押し込まれるから見えてる部分がほぼ全てかもしれないが・・・
記事を逆さに見る格好になるけれど贅沢は言えない。
そのまま立った状態だとこちらからは何も見えないからな。
どうやら狙い通り俺の出走するレースの情報が出ているみたいで、距離や他の出走馬に関する情報が手に出来ればと思ったのだが・・・
ふむふむ・・なる程・・わかったようなわからんような・・・
わかったのは
・自分のゼッケンの番号がどうやら6番である事
・出走馬が18頭である事
・コースは内回り一周と最後の直線にちょっと距離を追加して回る必要があるという事
・出走表の馬柱に見た事が無い記号が一杯ついている馬が俺の前を歩いている5番の馬でこいつが本命らしい事
・対抗は1番で本命との二頭に印が集中していて、どうやら新聞では本命と対抗のマッチレースの見解だという事
意外と情報が掴めたともいえるが、肝心な情報がまだ欠けている。
コースが芝なのかダートなのかそれとも未知の何かなのか、更に言えば距離すらわからなかった。
異世界でも話し言葉はわかるのに文字や数字が読めないのは理不尽だ。
そう思ってみたがそれは日本での常識だった。
俺のいた世界でも他国では言葉は話せても書けない或いは読めない人は非常に多いらしい。
それを思うと仕方ないのかもな。
俺は酔っ払いのオヤジの後ろの人物も気になった。
その男は顎に手を当て俺をじっと見つめてパドック横に設置された電光掲示板と見比べている。
釣られて電光掲示板を見るとどうやら単勝オッズが表示されてるみたいで俺のオッズは3桁。
エルフ達の指の数は人間の時の俺と同じ片手5本の両手で10本。
10進法は指の数に応じて作られたという説もあるくらいだから、多分こっちでも10で桁上がりをするんだろう。
俺がいた世界の常識だと単勝万馬券って事で相当な大穴という事だ。
因みに俺以外で3桁はあと2頭。
少なくとも俺は16番人気以下だ。
馬体重も表示されてるみたいで、多分プラスを意味する記号だと思うが、記号の後ろの数値が俺ともう2頭だけ2桁を表していた。
そのうちの一頭は一番前を行く二番人気の対抗馬で太っている様子は全くない。
これだけの体重の増加があって人気を背負うという事は、素質馬の怪我か馬体の立て直しからの復帰戦という事か。
かなりの強敵になりそうだ。
もう一頭はいかにも体が太め残りの仕上がり途上の馬で俺と同じ3桁配当の馬だった。
俺の前を行く本命馬はどうかと言えばプラスもマイナスも数値も何も表示されていない。
増減無しなのか?
それともひょっとしてこいつ未出走なのか?
未出走なら経験馬を差し置いて一番人気になるなんて、こいつは相当な素質馬なんだろう。
馬体もよく出来てるし落ちつきもある。
こいつが一番の敵かもしれない。
俺の行動でパドックはちょっとした騒ぎになっている。
この光景を見てオーエンも飛んできた。
このままだとリナの立場も悪くなる。
このくらいにしておくか。
俺はリナに導かれるまま周回の輪に戻った。
やがて騎手が近寄って来て俺に跨った。
その騎手はこの前オーエンと話していた目つきの鋭い女だった。
体の大きさはリナより小さいが肩の盛り上がりが凄い。
かなりの腕力がありそうだった。
「よろしく頼むぜ。」
そう言いながら騎手は俺の肩をポンポンと叩いてきた。
ああ。こちらこそな。
後で知った話だが、丁度その頃優雅なはずの馬主席でとんでもない言い争いがあったらしい。