おやすみなさい
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レース後一週間後
場所:オーエン厩舎
語り:俺
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トライアルから約一週間が経過した。
今回は前走より疲れた。
やはり相手が上がると疲れも増す。
今までで一番疲れた未勝利戦の時の主な原因が気疲れだったら、今回は肉体疲労と言う気がする。
それと何と言うか蓄積疲労というものを少し感じる。
でもリナが献身的に俺の世話をしてくれるおかげで、日を追うごとに良くなっている。
本番までに疲れが取れますように。
厩舎のエルフ達の噂によると、イレイザーはトライアルと同日に行われたマイルの条件特別を圧勝した後に放牧に出されたそうだ。
適距離だったら今年の後半戦に大暴れするだろうな。
思い出深い相手だけに頑張って欲しいよ。
同じ馬主の3歳一冠目のエリオットステークス(2000M)を取ったグラジエーターは随分強いそうだ。
レースぶりも安定した先行抜け出しで隙が無く、イメージ的にはバテないイレイザーみたいなものかも知れない。
ハンスも負ける気がしないと言ってるそうだ。
まあ当然か。
それにしても、未勝利の時は休み明けだったレスターもトライアルでは随分強かった。
あれがあの馬本来の力なんだろう。
本番でもいいレースをしそうだ。
そこまで考えて俺は急に可笑しくなった。
こっちに来る前はフリーターやってたけど、仕事(?)の事でここまで考える事は無かった。
仕事が終わったら暗い部屋に帰って電気をつけて、あり合わせの食材で適当に飯を作って食って寝る。
仕事の事なんて考えたくも無かった。
平日はその繰り返しでただただ週末が楽しみだった。
週末の仕事は割が良かったけど、週末の楽しみが無くなったらそれこそ発狂しそうで怖かった。
だから全部断ってきた。
それが原因でクビになった事もあるけどな。
不思議な事に今では競走馬生活もそれほど悪くないと思えるようになってきた。
行きたい所に行けないのは向こうでの仕事中だって同じだし、命令通りに動かなきゃいけないのも同じ。
頑張っても誰も褒めてくれないし、出来て当たり前。
やりたくない事でも頑張らないと自転車のペダル漕ぎと同じで倒れてしまう。
そうやって稼いだ金が無ければ生存だって許されない。
意外と自由なんて無かったんだ。
こっちではリナが毎日世話してくれて頑張ればみんなが喜んでくれる。
今まで外からしか見てこなかったレースを内側から見る事が出来る。
それに自分で考えてレースをして勝てた時の爽快感は向こうでは絶対に味わえないものだ。
だが待てよ?
こちらの俺は競走馬としては最高の血統馬で身体能力も高いと聞く。
要は最高の器を用意してもらってるわけだ。
これは一種のチートかな?
だが向こうでも金持ちの家に生まれたり、宝くじの高額当選をするやつがいて生存の心配のないやつがいる。
同じ事なのかも知れないな。
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レース後一週間後
場所:オーエン厩舎 応接室
語り:アニー
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アタシは今オーエン厩舎の応接室で会議とやらに参加してるんだが、正直苦手だぜ。
でもこれから本番に向けて毎週開くそうだ。
議題はナイトの今後で、参加者はオーエンのオッサン、リナ、お嬢様、ついでにアタシだ。
まあ主戦のアタシには大いに関係ある事だから、出なきゃいけないのはわかるが眠くなりそうだ。
「いよいよ3週間後にランカスターカップの本番ですが、私の方で色々と対策を考えましたので、是非みなさんから忌憚の無いご意見をお聞かせください。」
なんだよ。オーエンのオッサン妙な言い方しやがって気持ちわりいな。
ああそうか。お嬢様が一緒か。
アタシは神妙な顔をしているお嬢様をチラリと見た。
このお嬢様は怒らせたらえらい事になるらしいからな。
この間ジェイクのバカが黒焦げにされてピンヒールで穴が開くほど踏まれたって聞いたしな。
今日は大人しくしていよう。
「まず厩舎の警備ですが、公爵様から私兵の方々を派遣して頂いて、現在の所何事も無く済んでおります。」
「当然の事ですわ。もう二度とあんな事は許しません。
本音で言えば私自ら対応したいくらいです。」
このお嬢様はひょっとして本質はアタシと一緒なんじゃねえのか?
「何ですか?アニー。」
「い・いや何でもねえよお嬢様。」
「ならいいんですけど。」
やべえ。このお嬢様かなり勘が鋭いな。
「報告を続けます。前走のトライアルですが、レスターの奇襲にもよく対応したレースでした。
これは鞍上のアニーによる所が大きいでしょう。」
ちょっとこそばゆいが悪い気はしねえ。
だがどっちかと言うと馬のおかげだがな。
「それとつい先日最後のトライアルレースのオープン特別が行われまして、優先権を持つ最後の一頭が決まりました。
レースぶりを見ましたが、明らかにナイトやレスターが戦ったトライアルよりレベルは下でした。
勿論油断はできませんが、やはり相手はグラジエーター等のエリオットステークス上位組でしょう。
本命は恐らくグラジエーターで間違いないと思われます。
一応強敵になりそうな馬をまとめた物をお渡しいたしますのでご覧ください。」
そう言ってオッサンはアタシ達にそれぞれ紙を配った。
見てみると強敵になりそうな馬の名前とそれぞれ短評が添えられていた。
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1.エリオットステークス組(1~4位)
・グラジエーター
優勝馬(先行抜け出し)
安定感抜群。隙が少なく第一本命
・バイエル
2着馬(逃げ粘る)
またマークが薄ければ再現の可能性あり
・ラージワン
3着馬(直線追い込む)
追込みの破壊力は抜群。次の舞台に向いている
・ペドロ
4着馬(ラージワンと並んで直線追い込む)
ラージワンと同様。
2.トライアル組
・レスター
2着馬(4角先頭)
それ程切れないがバテない(伸びしろは一番ありそう)
3.別路線組
・フランジャー
先行力とレコード駆けのスピードあり
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ピックアップされてるのは一応6頭か。
確かにどいつも強そうだ。
それにしてもやっぱりハンスのバカの馬が本命かよ。
「まあヴィルマの馬はG1馬ですし仕方ありませんわね。」
ヴィルマってあれか?
アボット公爵の娘で、噂ではこのお嬢様が馬主席でいつも喧嘩してる相手か。
でも仲良しって噂もあったな?
男装の麗人を取り合ってるって妙な噂もあったっけ?
一体どうなってるんだ?
「例年の状況を見ましてもランカスターカップにおいてエリオットステークス上位馬が健闘する傾向にあります。
ナイトが勝ちましたトライアルレースですが、勝ち馬の成績は年によって極端な結果を生んでいます。」
「つまり大健闘か惨敗かと言う事ですわね。」
「そうなのです。それとこのトライアルレースからは2着が最高で未だにランカスターカップの勝ち馬は出ていません。
しかしそれは承知の上です。
本番と同じ舞台で勝つ事が出来たと言う事は、この舞台に対する不安が無い事が証明できました。
これはエリオットステークス出走組には無いアドバンテージです。」
「トライアルからの勝ち馬がいないと言う事は、強い相手との対戦経験の有無が本番の成績に影響しているとは言えないでしょうか?」
「仰るとおりですお嬢様。ただこればかりはやってみなければわかりません。
私と致しましては記録を塗り替える気でやらせて頂きます。」
「はい。お願い致します。」
「所でよう。ハンスのバカの馬は今年はまだ2戦しただけだよな?
それに比べてナイトは勝てなかった未勝利も含めて今年4戦してる。
コンディションの面ではどうなんだ?」
「それが一番の問題だアニー。3連勝前の未勝利に関しては殆ど走ってないと言っていい。
だから実質三戦と見るべきかも知れない。
3戦のうちの未勝利は別として条件特別が思ったよりハードなレースになったのが計算外だった。
その分疲労は残ってるかもしれない。」
「まったくもう。ヴィルマが変に絡んできたせいで・・・」
ついでにハンスのバカも加えてくれお嬢様。
「それでも充分許容範囲で済んでいますから、何とか本番までこのコンディションを維持すれば戦えるはずです、お嬢様。
リナ。そこは頼んだぞ。」
「はい、先生。お任せください。」
おいおい、リナいたのかよ?
全然話す様子が無かったからすっかり存在を忘れてたぜ。
「で、調教なんだがどうする?本番までアタシが乗ろうか?
それとも今まで通りにするか?」
「そこは今まで通りで良い。お前が乗るとナイトが本番だと勘違いする恐れがある。」
「そりゃそうか。それに騎手のアタシより助手のリナの方が体重があるからナイトに適当な負荷をかける事も出来るしな。」
リナの方を見るとちょっと赤くなって俯いていた。
こういう反応は見てて面白い。
「所でこの間の提案は受け入れてくれたか?」
「まあ構わんと思う。別に何か害があるとも思えんしな。」
「なら頼むぜ。」
やれる事はやらなきゃな。
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レース一週間後
場所:オーエン厩舎
語り:俺
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遅番のリナがいつも通り巡回に来たのはいいんだが、何か様子がおかしい。
手に大きな紙袋を持っていて、左右を見回している。
そして素早く俺の隣の空き馬房に入って行った。
すると隣からゴソゴソと何か音が聞こえて来て、ツナギがまた壁に掛けられた。
でも今回は待てど暮らせどそれ以外のものはかからない。
ちょっと惜しいかな。
って言うかリナは隣で何やってるんだ?
それから数分後、隣の馬房から出てきたリナを見て俺は目を疑った。
リナは何と青いドレスを纏って俺の前に立っていた。
俺は日頃リナのツナギ姿しか見てないから、ものすごく新鮮だ。
ドレスは素材のせいなのか見る角度によってキラキラと光っていた。
それに胸元が大胆に開いたデザインで大きな胸が強調されていて、俺個人としてはすごく嬉しい。
靴もいつもの作業用ブーツでは無くハイヒール。
日頃作業の邪魔にならない様に編み込んでいる髪は解かれている。
美人なのはわかっていたが、ここまで来ると本当にため息しか出ない。
「似合ってるかな?」
リナは俺にそう尋ねてきた。
ああ当然似合ってる。
「これってね。お嬢様が買ってくれたんだよ。
今日届いたからナイトに見せに来たんだ。」
何とも嬉しい事を言ってくれる。
「ナイトが頑張ってくれたから貰えたの。
ありがとうナイト。」
そう言ってリナは俺の鼻面を撫でた。
リナの役に立てて俺も嬉しい。
良かったな。
「このドレスの色もね。お嬢様が決めてくれたそうなんだよ。
私の髪の色には青が合うからって。」
確かにリナの金髪と青のドレスの組み合わせはよく合っていた。
あのお嬢様流石だな。
それにしてもこんな美人に毎日世話してもらってる俺は幸せもんだよな。
性格だっていいし、飼葉だけじゃなくて飯だってうまく作ってそうだよな。
嫁さんにするならこんな娘がいいんだろうな。
まあフリーターの俺には縁が無いだろうけどな。
そんな事を思っていたらリナは急に照れた様な顔になって、「じゃあ行くね」と言ってから、また隣の馬房に消えた。
数分後に馬房から出てきたリナはいつものツナギ姿で厩舎を出て行った。
今日はいいものを見せてもらいました。
おやすみなさい。