プロローグ とある少年の決意
空から白い粉が舞い、駆ける自分の身体に付着しては溶けていく。季節は冬、今までの感覚なら雪が降っていると認識するはずだが、今のご時世ではそんな感覚は消え果てている。神の代行者の作り上げた生物兵器による拡散攻撃の前触れだ。この一撃でオーストラリアが崩壊した。
己の死が目前に近づいている。その現実を前にしてもなお、これと言った恐怖が湧いてこないのはなぜだろうか。
答えは簡単だ。今まで生きてきた中で、少年は今、最高の興奮を感じているからだ。脳から全身へアドレナリンが分泌され、息も荒い。この興奮が、己の死の恐怖を良い具合に打ち消してくれている。
ではこの興奮は一体何からもたらされるのか。少年は腕に抱えた輝くそれに目を落とした。
蒼に輝くの水晶体。これこそが少年が興奮する所以だ。
こんな話を聞いた事がある。神の代行者が使役する異形の怪物はある結晶によて生成されていると。その結晶は現代に存在する物質ではなく、一説では宇宙から持ち込まれていると聞いたこともある。
この地球上に点在してあるらしいそれは、現在はほとんどの数が代行者が保有しているが未だ彼らに発見されていないものもあるという話だ。
そう。今、少年の持つ蒼の水晶こそ、件の結晶だ。
こんな状況でどう興奮を抑えればいいのか、胸の高まりははやるばかりだ。
くつくつと口から笑いが零れ落ちる。
ようやく彼奴らに報復ができるのだ。
目の前で父が殺され、母が殺され、兄が殺され、友が殺され。
負け犬のように生き延びた。いつか復讐してやろうと、奴らを皆殺しにしてやろうとその胸の内を黒くたぎらせ生き延びてきた。
そしてついに手にした。手にしたのだ。
神の代行者なごと謳う下賤な連中に、それこそ神が与えたかのような奇跡。
少年は手の色が変わるほど強く強く結晶を握りしめた。
そこまで考えて、少年は意気消沈する。
先ほどよりも白い粉の量が増えてきている。自分の命も、残り数十分だろうか。
「クソ……クソ……ッ」
今更どうしようもない。仮に結晶から生物兵器が使えたとして、どうやってやる。時間がない。圧倒的に時間が足りない。
神の奇跡はこんなことでつぶれてしまうのか。それがあまりにも悔しい。対抗手段はあるのに、手も足も出ないこの状況がただただ歯がゆくて、悔しい。
涙をこらえていた少年を捉えたのは、重々しい浮遊音だ。釣られて空を見てみれば、大きな海月のような物体が遥か上空で飛行していた。
触手のようなものの先から、白い粉をまき散らすそれはまさしく神の代行者の操る生物兵器だった。
ビルに切り取られた空を隠さんばかりのその傘の中、人がいた。黒いローブに身を包むそれは、地上には目もくれずにただ一点を見据える。
「あれが代行者……」
白い粉の一粒一粒が発光し始めた。殲滅の予兆だろうか。
もうここも持たない。壊滅は秒読みだった。
しかし、少年はそんな事は歯牙にも向けない。
「やってやる……」
手にある結晶を強く握り締め、己に言い聞かせるように呟いた。
「お前らが神の代行者っていうなら、お前らを潰した後で神様だって殺してやる。こんなしみったれたもの送り付けて満足してるような神様なんか、こんなくだらねぇ世界なんか」
負け犬の遠吠え。そう言われても構わない。
少年はこの不条理な世界に向かって、咆哮をあげた。
「俺が全部壊してやる! それまでせいぜい楽しんでやがれェ!」
西暦2115年 日本、壊滅。これを持って各先進国首脳は全面的な降伏を選択するkととなり、世界は神の代行者が統治することとなった。