窒息していく安寧
お昼休みになると皆、それぞれにフィーリングの合う人間と食事しようと互いの席をくっつけたり、他人の席を借りたりなどして自由な昼食タイムを満喫するものだ。
学生という身分ならば勉学に励むのは当然となるが、やはりそれだけでは息が詰まってしまう。
そんな中、ほんの小さな日常というものは何よりの慰謝になるのも事実だったりする。
わたしはというとシスターアナスタシアより用意された弁当を開いて箸をつけていた。
例によってあすみんはわたしの前の席、そこに腰掛けて自作の弁当を開いて食べている。
窓際に位置するわたしの席は春も盛りの日差しを満喫するのには丁度いい。
暖かな陽光でぽかぽかと心地よさを味わいつつ――とりあえず気になってしまってることをあすみんに相談してみた。
当然だけどあの少女のこと。
「――ああ、なつめちゃんか。あんまり気にしないでいいと思うけど」
「なつめさん?」
「そそ、 葛木 なつめ。元々ああいう子なんだよ。自分の領域に知らない人間がいると気にするタイプ」
エビフライを摘んで口に入れるあすみんを見ながら「ほぇ」と間抜けな声をあげた。
「ほら、ね。あの娘――猫っぽいじゃん」
「ああ――猫っぽい」
外見とかじゃなくて雰囲気的なものだけど。無口で喋らない雰囲気。カナちゃんほどじゃないけれど身体も小振りだから余計にそういう印象を受ける気がする。
「中等部の時、あたしも同じような経験あるからさ、あんまり気にしないでいいよ。向こうが慣れちゃったらそんな反応も無くなる筈だから」
ふたりで廊下側の最前列にいる彼女を見つめる。
当の本人はまるで気にする様子もなくひとり、食事もせずに黙々と読書をしていた。
「ほらね」とあすみんが言ってこの話は収束しようとする。
おそらくあすみんの云うことが正しいんだろうと思う。
けどあの時、わたしを見ている瞳はそんなタイプの瞳ではなかった。
わたしを逃がさないように見張る看守の目。
そんな印象を持ったのだ。
けれど、あすみんが云うようにわたしの被害妄想の可能性もある。
昨日の夜――幻想に引きずり込まれたせいか、自意識が過敏になっているのかも。
「かーもね、うん」
忘れたほうがいいのかなと。そう断じて、この話に見切りをつける。
弁当のミートボールを摘んで口に運ぶと一口かじる。柔らかくおいしい肉の触感が口に広がり、それだけで幸せを感じる。
なによりそれをもたらしてくれたシスターアナスタシアに感謝などをしつつ。
――そういえば包帯を代えに行かなきゃいけないなぁ……
保健室で代えてもらった包帯のことを思い出した。
本当はこのくらいの擦り傷、なんともないんだけどそのままにしておくと化膿してしまう畏れもある。
だから清潔に保っておかなきゃいけないわけだけど。
包帯―――保健室で連想される言語。
それで思い出したのが「七不思議」だった。
考えてみると、目の前に学院内では1、2を争う情報通がいるじゃないか。
どうせなら聞いておいても損ではないはず。なのでお米を口に運ぶあすみんに問いかけてみた。
「そういえば、あすみん。あすみんは七不思議の話なにか聞いている?」
「んー? ……えぇぇと。ああ、もしかして例の失踪事件のヤツ?」
「うん、あれって本当なのかな」
「えぇとね、実際に失踪した生徒がいるのはいるよ。たしか今月に入って3人かな」
「今月?」
「先月が2人」
驚いた。そんな風に毎月事件に巻き込まれてるんだ。
「――そんなに頻繁に事件が起こってるの?」
「ううん、そういうわけじゃないけどさ。今回の件って云いにくいんだよねー」
「?」
咥え箸のまま腕組みをし少し悩むような素振りをするあすみん、わたしはどういうことかわからず首を傾げる。
「なんとなく聞いていると思うけど……生徒が一定期間失踪し、家に帰宅するっていうじゃない」
「うんうん」
「その後また失踪するって」
「そういう話だったよね」
「ようするに事件性が薄いってことを云いたいわけでしょ、そのブン屋は」
背後から、いや背後少し下からの声。
振り返ると両手を腰に当ててに直立しているカナちゃん。
「はい、どいて。あたしも座るんだから」
わたしとあすみんの横に位置するところに席を置くと座布団を敷いてその上に座る。
さすがに一個の机に三人が弁当を広げると狭い……。
「いやまあ、カナちんの云うとおりかな」
「けどさ、また失踪しているわけじゃない。なんで事件性が薄いの?」
「失踪が虚言だってことじゃない?」
「はいっ?」
「だから、虚言。失踪じたいが作りもの。エリシオンでの生活が耐えられなくなったから逃げてきて、もう戻りたくないから失踪扱いにしてるってこと」
そうなのだろうか? でもそれなら失踪などせずに退学でいいはず、失踪なんてまどろっこしい真似をするんだろう。
「腑に落ちないって顔ね」
「そりゃ……そうだよ。だってそんなことする自体、面倒じゃない。社会的に抹消されちゃうってことでしょ、面倒を通り越して異常じゃないかな」
「そこについてはあたしも感じてたんだ。んで調べてみたんだけど……」
「はむっ……むぐむぐ……ブン屋もあたしたち聖徒会も同じ結論にたどり着いたわ」
メロンパンを頬張って食べながらキリッと決め顔をするカナちゃん。
締まらない、頬にパン屑付いてる、ていうかかわええ。
「――親たちから失踪届出てないんだよね」
「……は? なんで?」
「実際に家に行って訪ねてみたのよ」
『――はぁ……どこの娘さんが失踪されたのでしょう?』
「てね」
「うむ」
真似るようにいうあすみん、それに腕組みして相づちをするカナちゃん。
「警察にも届け出がないっていう話だし、あたし達は狂言回しに付き合わされたってわけ」
そんな話あるんだろうか、同時期に生徒達がホームシックに陥り、同時期に失踪の虚言を吹張する。
――そんなことって偶然でも出来すぎてる。
けれどその感覚こそがわたしがまだ外部の人間足る所以なのかもしれない。内部の人間ならそれも起こりうると感じてしまうものなんだろうか。
「中には娘さんはいたの? それが肝心なんじゃ」
「うーん、そこなんだよねー……調査してみたけどどうも気配がない」
「本当に、娘なんていなかったように暮らしてるみたいなのよ」
「ふたりともよく調べてるんだね」
「まあ、情報の出所は同じなんだけどね」
「畑刑事はおしゃべりだから――余計なことをブン屋に吹いてくれるのよ」
話を聞くと畑刑事とは女性警官らしい。主に女学校であるエリシオン関係の事件を取り仕切っているみたいだ。
「こっちだって身を切ってるってのー」
わたしは「はぁ」とふたりの口論を聞きながらご飯に手をつける。
「あむっ……まあ、現状それ以上は調べられないから結構、捜査が難航しているみたい」
最後のメロンパンの欠片を小さな口の中に放り込むとコーヒー牛乳で流し込む。両手をあわせて主に祈ると食事を終える。
「ともかく、その件は調べても無駄よ。エリシオンの外で起こってることだからあたし達は触れないし」
「そうだねー……残念ながらあたし達には厳しいなあ」
塀の内側からでは外側の様子は伺えない。たとえなにか大変なことが起きていても塀の内側はいつも通りなのだ。
逆を云えば内側でなにか起ころうが外側は関せずということでもある。
「考えるだけ無駄。ということで話はおしまい。モンクある?」
ツンとした態度のカナちゃんの言葉に首を振るふたり。
それを見ると一つ頷いて、「ごきげんよう」と挨拶をして去っていった。
その小さな後ろ姿を見つめながら、ふと疑問を口にした。
「ねえ、あすみん」
「なんだい、めぐっぺ」
「自然に――友達みたいに食べてたね」
「――ありゃ?」
なんだかあすみんの声が間抜けに聞こえたのはここだけの秘密。
/
というわけで保健室にやってきたわけだが。
わたしが訪れると真白先生が大きくあくびをしている瞬間を目にした。
「校長には内緒にしてくれよ?」ともう一度欠伸したのには呆れたけど。
本当に教師なんだか。
それはさておき先生に指示されるまま、椅子に座ると昨日擦りむいたところの包帯を解いていく。
どうも沈黙があるのが耐えられないのでお昼に話題になったことを話してみることにした。
「そういえば、先生――七不思議の失踪事件のことなんですけど」
「アァ? もしかして、あれ聞いちゃったクチ?」
「は、はいっ……聞いちゃいました」
「口の軽いヤツがいるなあ……ブン屋のあすみか?」
「は、はい……まあ」
またブン屋云われてる。あすみんは多方面から敵視されてるんだなあ。
「――ったぁく。聞いたとおりさ。大体の失踪は虚言ってことらしい」
「でも不自然な点が散見されていませんか? 聞いた限りだと失踪で片づけるにはあまりに不合理すぎる気がします」
包帯を解き終えて薬を持った手がピタッと止まる。 そして少し間を開けた後、
「ふぅん……云ってみなよ」
わたしを見てニヤリと笑うと言った。
「は、はいっ……えと……まず失踪事件のおかしい点。学内で一度失踪した後に必ず家へ帰ること」
「ふむ。全寮特有のホームシックじゃないのかね」
「それで、全部説明が付くとは思えません。この時期に偶然3、4人もホームシックを同時に発症するでしょうか?」
「まったくあり得ない話じゃァないな。500人近くいるんだぞ? 無いとは言い切れないだろ」
「う……それは……」
絶対に無い、とは言い切れない。
確率として低いかもしれないけれど、無いというワケじゃない。現実として普通に起こりうることなんだから。
言葉を濁すわたしを見ながらクク、と先生は笑う。
「調べが甘いんだよ。上がってる生徒は皆、精神衰弱症の疑いがあった――つまり自己保身のために多少、強引でも学区を飛び出すのも不合理ではないってこった」
うう……そうなんだ……。
「で、でもでも……失踪扱いにする意味がわからないじゃないですか。社会的に面倒なことになるのに……」
「そもそも失踪事件なんてものは無いんだよ、恵。事実、生徒は自宅に帰っていることは確認されてるんだ。その後、消えたなんて話もでっち上げだ。現に警察に届け出は出ていない」
火をつけていないたばこを加えたまま、わたしを挑発的な上目遣いで見上げる。
「要するに生徒が帰宅した後が、っていうのが引っかかるわけだろ」
「う、……はい」
「たぶん、失踪していない。要するに名門エリシオンから脱落者が出たってことが広まるのがまずいというのとそれを受け入れる施設に変な輩がこないための配慮というやつだな」
「――あ」
そういうこともあるのか……。
たしかにエリシオンが厳しいのは知っていたけどそれで脱落者が続出したら教育方針に疑問をもたれるかもしれない。
それに彼女らもなにかマスコミ的なものに集られる可能性もある。それら社会的摩擦を最小限に押さえるために「失踪」という言葉を選んでいる、ということ?
「…………。」
「大人も大変だ。んでまあ子供も大変だよな。周囲に不安を与えるのは忍びないがこういう手段じゃなきゃ最小限に押さえられないってことだなァ」
先生はわたしの足の傷口に消毒を塗り終えると包帯を巻きはじめ、
「お前の疑問はよォくわかるよ。なんだかこの事件はどこか歪だ。だが社会はその歪さも受け入れ飲み込むように出来ている――気にしているとお前も病むぞ」
と、言って包帯を留めるとパンっとやっぱり叩いた。
「よし完了。もう傷口は塞がっていたし大丈夫だと思う」
そういうと立ち上がって、ふとわたしの指先を見て、
「恵、アンタの指きれいだねぇ」
吸い込まれるみたいにわたしの手を取って見つめる先生。
「……は、はい? そうでしょうか、綺麗さで言うなら悠生さんや会長とか」
「いや、あれは違う。――なんていうか完成されすぎているんだよ、けれどアンタの指は違う……それらの非凡なものではなく、苦労も苦痛も受け入れた凡百の指先じゃないか」
それ、誉められてる?
「それだけじゃないさァ。その辛苦にまみれて喉を掻き切りそうなその精神が如実に指先に現れている」
どくん。
うっとりと見つめるその真白の姿に、
だれかの姿が重なる。
お姫様が王子様に手を取られた時のように手を触れられ、それを嘗めるように見つめられている。
「――ナァ、鹿島。お前は聖人の腕を見たことがある?」
「い、いえ……ない、です」
「そ。聖人の手はね。腐らないの」
「それは死体防腐処理による加工のせいじゃないんですか」
エンバーミング処置により遺体は防腐処理をされる。
日本では馴染みがないけれど、米国などでは結構一般的なことだとか聞いたことがある。
「違う違う。そういうんじゃないねェ。エンバーミングだと死蝋になっちまうでしょう。たしかにそういうのはごまんとあるけれど――本物はそういうんじゃないんだ」
「―――はぁ」
「本物はねェ、それ個体で生きているんだ」
個体で生きている。死んだ人間の部位が切り落とされて生きているなんてあまりに矛盾に満ちている。
「死んでいるのに生きているんですか?」
「ちょっと違うねェ。死んでいるのは確かさ。けれど死んだ瞬間で聖人の体は止まっているんだ、それこそ――」
わたしの指先を先生の指がすぅっとなぞった。
「いつでも復活できるように」
そんなことってあり得るんだろうか。まったく腐らない。加工されたわけではなく、死後直後の瑞々しさを保った部位。
――奇跡と言わずしてなんと云うべきか。
「つまり復活を待っている。聖人はいつでも復活出来るんだよ。ただその時が来るのを待っているだけなんだ」
「その時って」
「ん? そりゃ約束の日だろォ」
指先を撫でるように触れながらほぉ、と恍惚の吐息を漏らす、真白先生。妖艶だ。
「けれど解釈によってはこうも考えられるんじゃないか」
「――はい……」
「その謎を解明すれば、死人を蘇らせることも出来るんじゃないかってねェ」
その言葉を聞いた瞬間、
視界が暗転した。劇的な天恵というのだろうか。
自分がすべきとこと、自分が進む道が折り重なる瞬間をみた気がしたからだ。
」
/
「それは……騙されてますよ、恵さん」
自室。ふたりの相部屋。真ん中を境界線にして互いのベッドに座り、わたし達は会話をしている。
まだ越してきたばかりで部屋の模様は質素だ、もう数週間すれば互いの性格が部屋の中を彩るようになるんだろうと思う。
あれから、どことなく落ち着かずもやもやとした胡乱な気持ちのまま帰宅したわたしは杏里さんにその相談をしてみた。
あ、杏里さんって呼んでるのは彼女の希望だから。
わたしも恵と呼んでってことで互いを名前で呼び合うことになったのだ。
「……やっぱり騙されてるのかなぁ、でも……ほら、もしかしたらって」
「ようするに先生は死と魂のメカニズムを解明すれば死人を呼び戻す術を見つけられるのではないかってことですよね?」
「うん……そう、なるかな」
「そこで疑問があると思いますけど、それって遺体がある前提で話が進んでませんか?」
――あ。
「そうだ……うん」
「お気づきになったと思いますけど、日本の葬儀は火葬です。よって外来の死人帰しでは要素が欠けてしまうわけです」
ああ、そんな簡単なことに気づかなかったんだ。
あほだ……わたし。
日本の風土は例外なく火葬だった。燃えてしまえば肉体は消失してしまう。帰るところがなければ魂の定着は有り得ない。
「そっかー……そうだよね」
簡単な結論を失念するほど、わたしはその言葉に揺さぶられていたということ。
そして魅入られてしまっていたという証拠だった。
誰にもわかるような結果を指摘され、わたしの心が消沈する。わたし自身が驚くほどこの言葉は自分の中に染みこんでいたらしい。
顔を伏せ、落胆の吐息を漏らした。
そんなわたしを杏里さんは腕組みをしてじぃと見つめる。
「――恵さん」
「なぁあに?」
「――誰かを生き返らせたいと思っているんですか?」
慟哭。わたしの内側の暗黒部を抉るような言葉。
「べっべつに、そんなっ……」
「恵さん、死人を蘇らせたいんですか」
「ち、ちが、―――」
彼女の目に真理が宿る。わたしの内側の管を通し、清涼なモノでわたしの内側に眠る黒いモノを洗い流そうとするように。
彼女の言葉はわたしに重圧としてのし掛かる。
ちがう、ちがう、ちがう――わたしは―――
「答えてください、恵さん。あなたは誰かの再生を望んでいるんですか?」
思わず罪深さに忸怩の思いに塗り潰される。
羞恥に視界が赤く染まって両手で顔を覆ってしまった。
「恵さん、答えて……死者蘇生、それをおこなって・恵さんはどうなりたいのですか?」
頭を伏せて、彼女の言葉を拒絶する。そうしなくては自分が壊れてしまう。
この歪みを保てない。
何故なら歪みはわたしそのものだから。
だからこそ脆弱な自分を守り抜くために弱々しく首を振って彼女の追求を振り払う。
「わ、わたしっ、わたしは……取り戻したいだけなの」
死霊のような言葉。カサカサに乾ききった唇から異物を吐き出すように漏らした必死の呪言。
懺悔。後悔。
「――恵、さん……」
気不味い空気が場を支配する。
沈黙が部屋内に横たわり、穏やかさを圧殺する。
どちらも言葉はない。
同情の言葉も、非難の言葉も、
幾多の言語はこの場では意味がないと知っているのだ。
けどわたしはそんな空気に堪えられなくなってしまう。
ゆっくりと身体を起こして、杏里さんに弱々しく笑った。
「ごめんね、杏里さん。変なこと言っちゃって。わたしすこし出かけて頭冷やしてくるから……」
「あ、あの――」
珍しい彼女の躊躇いの言。云い淀み、視線を二度、三度彷徨わせて、
「私は否定しませんよ。人には須く望む権利はあるのですから――想うこと、願うこと。それらに貴賤はありません」
そういって「恵さんがすべきことなら否定しません」と付け加えてか細く笑った。
対応に窮したその笑顔、懐かしい傷を掘り起こした。
――なんて身勝手な。
昨日から彼女には心配掛け通しだということを思い出してしまうと、さらに死にたくなった。
「……うん、じゃあ……」
そのまま曖昧な言葉を残してわたしは自室、ふたりきりの相部屋を出ていった。
誤字や脱字などを指摘していただけると助かります。
尚、鬱々とした話はしばらく続きます。
解決のための助走だと思いお付き合いいただければ幸いです。