相部屋と小さな獅子
エリシオン女学院が普通の学園より前時代的だと言われているのには全寮制というしきたりのせいがある。
その中の1つが“欲や未練などを断ち切ることで、より魂を高等に導く”という古い時代のルールがあるためだろう。
今の世の中は飽食な時代だと思う。なにかが欲しいと思えば大抵のものは直ぐに手に入る世の中だ。
豊かさは人の心を大らかにしてくれるが、それも過ぎればただの毒にしかならない。
溢れかえる情報と目覚ましい進化の中、今の世界は夥しい物欲で満たされている。
まるでブロイラーのように密室の中で延々と太らされているような感覚を想起させた。
そんな感じで人類は真綿で自己の首をゆっくりと締め続けている状態である。
部活動選択のため、昼下がりからあすみんに誘われて報道部へ向かう。
これといって目を引くようなものもなかったので直ぐに帰ったけれど、その後も他の部活動を見て回ったりした。
わたしの場合運動部って柄じゃないし、かといって文化部も不味い。病み上がりの身体には色々と堪える仕様が多すぎると思う。
そんなこんなで一通り部活動を見回った頃にはすっかり日が下がっていた。
ぽかーんとした顔で寮のある桜並木を歩いていく。
流石に今日だけで色々なことがあったので疲労困憊の状態、歩く足取りも心許ないようになっている。
色々なことがあった。思い浮かぶだけでもわたしが一生経験することのないようなイベントの数々に満ち溢れていた。
さくらがひらひらと舞う。
ゆら、ゆら、と。
わたしの心中のように、ちぃぽけでうすっぺらい。
そんな幻想に立ち返ってしまいそうになる意識を留め、ひたすらに足を進めると指定された寮の前まで着いた。
「つきみ荘」
立札にかかれた名前を読み上げると、ちょうど入り口からでてきた上級生に潜め笑いをされてしまった。
わたしは顔を赤く染めながら知らん顔をしてやり過ごすと、コソコソと寮内へと入る。入り口を入ると大きめの玄関口が開けていて右側に小窓があった。
覗き込むとシスター達がいそいそと働いている。人数は見える限りだと五人程度、忙しそうになにかを話しているように見えた。
夕飯の時間帯だからかな? とか考えながら靴を脱ぐ。左側にドアの無い小さめの部屋があり、そこに靴置き場のげた箱があるのを確認すると靴を置いて出ていく。
玄関口の向かい側には大きなテラスホールがあり、室内を覗き見ればガラスドアの向こうは談話室になっているみたい。皆思い思いに夕食までの自由時間を過ごしているようだった。
「えーっと。わたしの部屋は……」
懐から割り当てられた部屋の鍵を取り出すと寮内の地図を参照する。
220号室。
どうやら二階の一番端の部屋らしい。立地的には少し騒いでも大丈夫な場所だとかどうでもいいことを考えながらキョロキョロと周りを逡巡しつつ二階の自室へと向かっていく。
途中、上級生や知らない同級生。シスターなどに遭遇するけどちゃんと「ごきげんよう」といって切り抜けられたよ。
そんなわけで部屋の前までやってきた。
問題はここにある。
実はこの部屋割りこそがわたしにとっての最難関でありコレから生活における全てを決定づけると言っても過言ではない。
なぜならエリシオン女学院の寮は「相部屋」になっているからだ。
ただでさえ他人に対して過敏なわたしが一年間一緒に知らない人と過ごすとなると血反吐を吐くような苦悩が待っていることは想像に難くない。
わたしだけならいいけど相方にも迷惑をかけてしまうのは忍びないというのも理由だったりするわけで。
まずそこが問題。
せめて気の合うまではいかなくとも不干渉を守れる人間ならこっちとしては非常にやりやすい。むしろ好ましいくらいだ。
逆に煩わしいタイプの人物になってしまうとわたしは死ぬ。
ようするにこの学院ライフを満喫するかどうかはこの瞬間にかかっていると言っても過言じゃない。
他人にとってみれば大したことじゃなくてもわたしにとっては大問題といってもいい。
願わくばわたしの相方は穏やかな人であるように。
そんな風に祈りながら扉の前までやってきた。
極度の緊張を胸にドアの取っ手に触れた、
……が、土壇場で怖じ気付いてしまう。
もしこの奥のにいる人間がわたしにとって最悪の人種であったらどうしようと。
そんなことを考え始めると止まらない。妄想が妄想を呼んで妄想被害範囲を拡げていく。部屋前でわたわたっと前を向いて後ろを向いてを繰り返し、端から見れば奇怪なことこの上無いだろう。
「――だっ!?」
ドア前で悶えるだけの苦悶を終わらせるように扉が開け放たれてしまう。
ハッと気づいたところで身体の反応は鈍く、ドアに額をしこたま殴打してよろけてしまった。
「イタタ……」
「あら? 恵さん」
「え、その声は悠生さん?」
部屋の奥から聞こえた声は他ならぬ悠生さんのもの。
悠生さんが部屋の中にいるということは……?
つまりは悠生さんがわたしの部屋の相方ということになる。
悠生さんはわたしに近づいてくると殴打した額にそっとハンカチを当ててくれた。
「大丈夫ですか? ひどく打ちつけたようですけど」
「だっ大丈夫大丈夫。このくらい慣れっこだから」
すこし痛いけど、この程度なら結構ぶつけてるから本当に大丈夫。
それより悠生さんの綺麗な顔が間近にあるのがひどく気恥ずかしかったりで、むしろそっちのほうが問題じゃないかと思う。
わたしってそっちのケがあるんだろうか、やっぱり。
「もうっ。先生が思い切りドアを開けるからですよ」
え? 先生って……?
振り向く悠木さんの視線を追えば長身の男性がドアから出てくる。燃えるような赤髪に透き通るような青い目。スータンを身に纏うその人はわたしもあの時見かけた人物だった。
「マキナ先生」
「どうも。いや、申し訳ない恵くん」
わたしの言葉に小さく頭を下げる先生。
悠木さんの追及に長く整った眉を困らせるマキナ神父は相変わらず魅力に溢れすぎている。出来上がりすぎだ!
その少年のような苦笑にキュンっとしちゃうが、脳裏に1つの疑問が沸き上がる。
あれ? なんで先生が悠生さんの部屋に訪れてるんだろう。
「先生には少し相談に乗ってもらっていたんです」
わたしの疑問を氷解させるように額にハンカチを当ててくれたまま悠生さんがそういった。
「ああ。そうなんだ」
そんなわけない。とか思ってしまうのは下世話だろうか。
これだけの美男美女であれば、なにがあっても頷けてしまうし絵にもなる。正直、嫉妬の念すら持つこともできないレベルだ。
ふたりとも容姿が絶世のものすぎて遠くの次元の話に思えてしまう。
「ええ、用事が終わったので早々に退散しようと思ったところに君に出会ってしまったということだね」
骨抜きスマイルをすると再度、頭を下げる神父。
キリッと長い眉が下がっていてとってもキュートだ。
これは許す。許さないやつがいたらそいつを許さない、そういうレベル。
「いえ、傷になってるわけじゃないので大丈夫です」
「ああ、そうか。それならよかった。うら若き天使を傷モノにしてしまったとあらばどう責任をとっていいのかわからないからね。そうなれば主とてお許し下さらないかもしれない」
「汝の行いゆるすまじってね」とジョークをいい、困ったようなはにかみを見せる。
やっぱりキュンとするなぁ、うん。
「それではマキナ先生。『あの様』に」
「ああ、わかった。杏里のほうも『気をつけるよう』にね」
額から手を離すとマキナ神父に少しだけ寄り添って見上げる悠生さん。
鈍いわたしでも気づけるくらい、悠生さんはマキナ神父を信頼しているように思えた。
「そういえば、恵さんはどうして私の部屋にいらしたんですか?」
離れると思い出したようにわたしに訪ねる。
「あ、えとっ……ここ、わたしの部屋……」
「えへへ」と苦笑いをしながらわたしは悠生さんにそう告げる。
悠生さんはキョトンとした顔になるが次の瞬間、両の手を打ち合わせてわたしの手を握りしめる。
「まあ。恵さんが私の相部屋相手なのですね! 良かった、私それが不安だったんです」
そういって胸をなで下ろしたように安堵の笑みを浮かべる。
こうやって安堵してくれているということは少なからずわたしのことを信頼してくれているという証拠だ。
理由や動機なんて分かりもしないけど、こうやって喜んでくれているという事実だけでわたしも嬉しくなる。
「うん、わたしも悠生さんが相部屋の相手で良かったかな。実はわたしも不安だったから」
自分の思いも吐露して、悠生さんににっこりと微笑みかける。
「はい、これからよろしくお願いしますね。恵さん」
「……うん」
胸の奥がむずがゆい。
ヒトを拒絶してばかりのわたしにしてみると不思議な感触だ。
不可思議なこの衝動の意味を知ることは今のわたしでは出来そうもない。
けれど少しずつ、
世界は変わり始めていたらしい。
刻々と、
それは良きにせよ、
悪しきにせよ。
/
色々あった日のお風呂は気持ちいい。
わたしはシャワーでもいいと言ったのだけど、
「どうせなら、湯船にゆっくり浸かるほうが心身ともに安らぎますよ」
とのことらしい。わたしは基本的にシャワー派だったのであまりそこらへんを気にしたことはなかったけど。
「はぁ……」
とにかく今日だけでも大波乱だった。いろんな人に出会い、いろんな話をした。
引きこもりのわたしには大躍進だったともいえるんじゃないだろうか、うん。
今日は幻想に振り回されることもなかった。きっともう大丈夫なんだと思う。
わたしはようやく一歩踏み出していいらしい。
倉子にも感謝しなきゃ。彼女がいないと今のわたしは無かったんだから。
湯船に肩まで浸かり天井を見上げる。
ユラユラと、立ち上る蒸気にまかれて黄色灯が揺れる。
幻想にも似た光景、不確かな境界線が余計に曖昧さを助長させていく。
考えもしなかったこと。
悪意とは、そんな隙間に割り込んでくるのだ。
黄色灯の輝きが眼球を突き刺すほど鮮烈に変化するのを感じるとわたしの視界が真闇に暮れる。
しまったと、声を出す暇すらない。
ふいに、わたしは――。
――また幻想に潜ってしまった。
◆
――甘ったるいような日々。
小さな円で世界が収束していた。
――すべてが黄金色に包まれていた世界
拒絶と排斥で覆われた隔絶された園。
――古ぼけたノート。
そこにはとうといすべてが書き連ねられていた。
――わたしたちの共通幻想
ただ夢ばかりを信じていた遠い過去。
――壊れる、ちぎれる、裁断される。
染まる、汚れる、塗り潰される。
――讒言、暴言、詭弁。
その声はとおく、形さえも消えて。
――墜ちる世界、朽ちる夕焼け。
子供じみた願いは赤黒く焼け付いて。
――黄金は腐れ堕ち、地面に投げ出され
蝶が舞う。可憐な――わたしだけの大切な。
――ばしゃ、と地面に飛び散る欠片。
カタチが喪われる、
――あらぬ方向にねじれた手足。
あんなに綺麗であったものすらただひたすら残酷に。
――水風船みたいに赤い水が飛び散っている。
忘れえぬ最後の彼岸花、
――それをわたしは上から、
わたしは、
だた――呆然と、見ていた――。
◆
突如、肌感覚が戻ってくる。
全身にまとわりつくねばっこくなま暖かいモノ。
血液。
赤。赤黒い。血だまり――。
網膜に焼き付いた鮮烈な黒赤。
忘れ得ぬ衝撃。一生拭えぬ魂の外傷
安寧の満ち足りた世界で、
黄金色の眩しい日々、
わたしは、
友人を、
――、殺した。
「、ぁ――」
忘れていた感触が手の中に甦る。
再生されてはいけない古傷がミチミチと音を立てて開き、夥しい内臓を巻き散らす。
蜂蜜色の甘ったるい黄金色は珈琲色の濁りきった赤錆色に変貌する。
湧き上がる畏怖、体中の体温を過去が奪い尽くしていく。
予想だにしなかった恐怖に自己の身体を抱きしめると、身体を丸めて冷気を堪えようとする。
「………ぁ、う」
自分の声。これは自分の声だ。自分の感触が思い出せない。
存在意義を見いだせない。
存在密度を感じられない。
存在理由を思い出せない。
自己の希薄さに怯え、竦みあがる。
湯船の熱ではこの身体の震えを止められない。
これは魂の底に眠る凍土の冷気。
けして外部の熱量では暖めたりは出来はしないのだ。
これは罪の凍え、心根に植えつけられし永久凍土なのだから。
忘れていた罪の重さ。我が身の生き汚さを呪い、恨む。
忘れてはいけなかったのに、
無くしてしまってはならなかったのに。
水面から両手をあげて、その手のひらを呆然と見下ろす。
こんな手、切り落としてしまわなきゃいけなかったのに。
こんな指、切り刻んでしまわなきゃならなかったのに。
その掌にべっとりと纏わり付いた血を幻視する。
生気の宿らぬ屍のような声でつぶやいた。
「わたしは……小説家に、ならなくちゃいけないんだ」
/
次の日。
わたしはあの後、どうやってお風呂を出ていったのか思い出せない。
かすかに覚えているのは二、三言だけ悠生さんと会話したくらい。
その後はひどく身体がダルくて夜更かしもせずにそのまま寝てしまった、と思う。
起きると『先に登校している』という書き置きがあったのを見て、悠木さんに気を使わせてしまったらしいことを理解した。
せっかく良い相方が共同生活の主になってくれたというのにこれじゃ印象は最悪だ。部屋替えを希望されても文句は言えない。
そうして朝ご飯も満足に食べずにフラフラと学校までやってきて授業などを受けていたりする。
二限目が終わる頃、わたしの様子が心配になったのかあすみんがやってきた。
「ごきげんよー。めぐっぺ」
「ごきげんよう、あすみん」
「なにかあった?」
竹を割ったようにド直球。片方の眉を吊り上げてキュートに聞いてくる。
非常にあすみんらしい心配の仕方だと思った。 ただ自分が囚われるあのことを話せるはずもない。一般人には大凡理解できない世界の話なのだから。
わたしは弱々しくへらっと笑うと首を振る。
「ううん。なんでもないよ、あすみん」
「そうかな。なんだか昨日と違ってめぐっぺ、すっごく疲れて見えるけど」
他人にはそう見えるのか。なんとなくこんな風に他人に見えるくらいに憔悴しているというのは不味いのかもしれない。
少し空元気でも出しておかなきゃ本当に面倒なことになる。
「大丈夫だよ。ちょっと昨日さ、色々あって寝付けなかっただけ」
「ああ、わかるわかる。夢のお嬢様学校に入学したんだもんね。今まとは生活が一変するだろうから変化についていけなかったんだね」
少し大げさな感じで頷くあすみんのポニーが上下にたわむ。
「あたしはさ、中等部からだったしめぐっぺの気持ちもよく分かるんだよね。だからさ、もしめぐっぺが困ったようなことがあったらなんでも相談してくれていいよ」
「ああうん、なにかあったらあすみんに相談するよ。あすみん報道部だしなにかといろんなこと知ってそうだし」
「そういうこと。だからなんでも聞いてくれていいよ。知ってることなら答えてあげるし知らないことなら調べてあげる」
ニッコリと溌剌な少女が笑った。わたしを元気づけようといつも以上に元気に振る舞ってくれているんだろう。その気持ちがなにより嬉しい。
「そろそろ、イイの?」
あすみんの後ろ、やや下あたりから声が聞こえた気がした。
あすみんが振り返ると視線を下に移して両手を合わせる。
「やや、ごめんごめん。ちょおっと友達同士のセッションなんかをね」
「セッションでもミッションでもイイケド。後ろに待ち人がいるのを理解してから話なさいよね」
ツンとした口調。よく見ると机からひょこっと顔が見えるくらいの少女が立っていた。
立っていたと言ってもあすみんの胸元あたりの背丈程度しかない。つまりわたしの座っている位置と目線は同じ。
「…………。」
「なんかモンクある?」
「いやいや、別にないです。はい」
呆気に取られ言葉を失ったわたしに瞳を尖らせ威嚇する少女。
やや下から発せられる言葉はなんか新鮮。ちょこっとした体躯がまた可愛らしい。もへ。
「カナちんカナちん」
「そうそう、あたしの名前は白掌 奏」
後ろで上から白掌さんの後ろ頭を見ながらあすみんが呼びかける。
それを自然にスルーする白掌さん。
「はい、えっと白掌さん」
「ちょっと」
「はい?」
「同級生に白掌さんって呼ばれるとむずがゆいわ。かなでって呼んでよ。それに名前で呼ぶのが学院の流儀よ」
初めて知った。だからみんなわたしが名字で呼んでいると訂正するように名前を申告するんだ。
一日経てようやく気がついた事実。それを知らなかったことがあまりに恥ずかしくて頬を赤らめてしまう。
「昨日は会長がどうも。恵さん」
「ああ。えと……」
ちょっと混乱した。いきなり会長である珠希先輩の名前が出てくるなんて思っても無かったから。あの光景が脳裏をよぎって薔薇の香りと凛々しい姿が瞼裏をかすめた。
「カナちんはね、聖徒会の書記なんだよね」
「モンクあんの?」
クリンッと上を見上げてフーッと威嚇するようにあすみんを睨み付ける。それが逆に可愛らしい。
背丈も低いがその容姿も相応に幼い。高等部の制服を着用しているので高校生なのだとわかるけど、中等部の制服を着てたりしたら気付かないかもしれない。
いや、下手すれば初等部に間違われそうな容姿かも。
茶色に近い金髪、茶金とでも言うのだろうか。地面に付きそうなくらい長い髪を揺らしていた。
大きな眼は強い意志を示すように吊り上がり、眉はそれに習うようにキリッとした角度をしている。
童のような身体はすらりと細くて無駄な部分ひとつ見当たらない。
その筋の人だったりすると垂涎ものだったりするかもしれないナ!
「……あん? ま、そこの報道部が言うように聖徒会書記を務めてるわ」
わたしが頭の中で巡らせていることを判ってるかのように釣り上がりっぱなしの瞳をさらに鋭利にさせて義務のように語る。
「……い、いえっ。それで聖徒会の役員さんがわたしのところになんのようなんですか?」
「あれ、めぐっぺって結局あの噂聞いてないわけ?」
聞くもなにもと言いたくなる。わたしはまだ入学したてで、その手の情報網はない。むしろ知っているほうがおかしいと思うんだけど。
「聞いてないよ。昨日も部活動巡りで疲れて直ぐに寝落ちしちゃってたし」
「そっか。じゃあ聞いてなくても仕方がないね。実はだね」
「ストップ! そこから先はあたしの仕事っ。腐肉喰は黙ってなさい」
ハイエナ呼ばわり。漫画の中だけのことだと思っていたけれど本当に報道部ってハイエナ呼ばわりされるんだ。
それともかなでさんが特殊なだけなのかな。
「まず確認」
「―――?」
「昨日、部活動を見学したようだけど、まだ決め手はなかったのね」
「うん、結局なにをするかまでは決めてないけど」
「OK。じゃあ改めて本題よ。よく聞きなさい」
少女は一度咳払いをすると胸を叩いて調子を計るようにする。
「鹿島 恵さん。あなたを聖徒会役員、書記に推薦するわ」
「………………。」
え?
「……なんて、いま」
「耳が塞がってんの? 聖徒会書記に推薦するって言ってるの」
いや、よくわからないデス。
どうしてわたしが聖徒会役員に推薦されるんだろう。
明らかに珠希先輩の力が働いているじゃない、それって公平じゃない気がするけど。
「それ、公正ですか?」
「なんとなく言いたい事は理解できるわ。本来ならあたしだって反対」
腕組みをしてそれが当然と言うようにかなでさんが頷く。そして横目でわたしを値定めするように上下に見下ろし、
「でも会長の流儀でもあるわけ。“持つ者は持たざる者へ奉仕しなくてはならない”って」
そう言った。
「ノブレス・オブリージュ」
「よくご存じね。貴族の責務。会長は常々わたしたちにその必要性を説いているの。あたし達は持つ者としてそれらを持たざる者を助けていかなければならないって」
でもそれは持っている者の論だ。わたしは半分以上持たざる者なのだ。持っているに属しているのは、ほんの爪先程度でしかなく過半数は持たざる者の身体なのだから。
「かなでさん、ちょっと待って。会長からわたしの話を聞いているんだったら、わたしがどれだけ半端な存在も聞いているんじゃないの?」
「ええ。それで? 半端者と言うのならあたしだって同じよ」
「えっ、どういうこと?」
わたしとかなでさんだけが理解し得る言葉を交わしているためか中間に立つあすみんはずっと指を咥えて見ている。なんの話なのか理解できないのが悔しくて眉が八の字になっていた。
「あたしも使えないから」
「――え?」
自信を持って、胸を張り答える少女。その姿は小さくとも凛々しい。
わたしとは大違いだ。わたしは使えないことに劣等感を抱き、自己の内側に逃げ込んで鬱ぎ込んでいた。
それを考えるとこの少女の自信に満ちあふれた姿は眼に痛かった。
「使えない。それは仕方がないわ、覆せないし。けれどその生き方だけなら選べるでしょ。あたしはあたしらしくその道を歩いているのよ」
魔法使いが零落し、その地位を剥奪されるわけではない。
誰もが言う。魔法使いは生き方だと。気貴き誇りだと。
鹿島家が当代で無くしてしまったモノをこの小さき少女はその体躯に大事に抱えて今も守り続けているということ。
その在り方にわたしの心は小さく揺さぶられた。
そしてその小さな躯に宿る獅子を見た気がした。
「あの、そろそろあたしにも分かるようにはなしてほしいなー、なんてっ」
「…………。」
「…………。」
沈黙が満ちる。ひらっと手を挙げたあすみんの顔をふたりで見つめた。
「とにかく。どんなに落ちぶれようが心まで堕ちる必要はないわけ。大切なのは自分如何でしょ」
腕組みをしてかなでさんはそう述べた。
魔法使いでなくとも魔法使い以上に魔法使いらしく生きていける。
魔法使いが誇りを失い続けている今だからこそ、その理念は輝く。
「地ベタ這いずり回ってる性根に少しは火が付きそう?」
横目でわたしをチラリとみて様子を覗う。
いつものわたしならその鼓舞にノセられて役員入りしていただろう。自分のことだからよく分かる。
けれど、今はダメだ。
机に置かれた自分の手の甲を見る。
錆び付いた歯車。ギシギシと軋みをあげながら律動する幻想機関。
「うん、すっごく嬉しいんだけど。今回はごめんなさい」
そう、わたしには成さなくてはならない生き方がある。
申し訳なさそうな顔になっているんだろうな、とわたしは思いながら彼女を見つめた。
はぁ、と一つ大げさな溜息を漏らした彼女は肩を竦め、
「良かった。これでホイホイと浮かれて付いてくるようなヤツだったらひっぱたいてお断りしてあげようと思ってたところだけど。存外、分別あるみたいね」
余計なお世話という言葉が喉元まででかかるが飲み込んでただの苦笑になる。
「こーいうこと言うけどカナちんはすこし難しいだけだから気にしないほうがいいよ。本心はすっごく残念がってる筈だし」
「黙ってなさい、この下郎!」
ガーッ、とライオンが吠えるようにあすみんにかなでさんが噛みつく。
小さいせいもあってライオンより子犬みたいだ。
だから強い言葉を使っても恐怖を感じないのが不思議。
「ともかく。中休みも終わるしはっきり言っておくけど。聖徒会に入れるってことはそれなりに名誉なことなんだから。それを蹴るだけの理由あるんでしょ」
「うん、わたし。……あるんだ」
話すわけにはいかない事情。胸の奥に抱えるしこりがざわざわと騒いだ。
昨夜に切開された記憶がズクンと疼く。
わたしの悲痛の表情をみた見た小さな少女が片眉をあげて、
「事情がありそうね。ま、いいわ。あまり根を詰めすぎないようにしなさいよ」
と云った。
わたしは苦笑を漏らしたまま一つ小さく頷く。それと同時に三限目のチャイムが鳴った。
「あー、時間か。じゃあまたお昼にでもお話しようね、めぐっぺ。あとカナちんも」
「ハァ? なんであたしまで入ってんのよ」
「もうお友達みたいなもんじゃない。どうせ新クラスの中で異質な存在になってるんだから一緒に連もうよー。めぐっぺもそう思うジャロがい」
「え? う、うんまあ。」
変な言葉でこっちに振られて驚きはしたけれど。
一呼吸置いてゆっくりと話そうと思う。
「うん、かなでさんとも友達になれたら嬉しいかな。こうして出会えたんだし勿体無いもん」
少しだけ驚いたような顔をするかなでさん。
なぜか頬を赤くして目を逸らしたまま血の巡りが良くなった頬を掻く。
「……バカみたい」
「あは、そだね」
まったく、とわたしも頷いてしまった。
「かなで――“さん”は堅苦しいから“ちゃん”」
「え?」
「ああもぅ。堅苦しいのは苦手なんだっての!」
それだけ言って背中を向けてしまった。
どうやら機嫌を損ねてしまったのかも。
「ごめん。えっと……カナ“ちゃん”?」
「ん。じゃあね、暇があれば、来るカモね――多分」
背中を向けたまま曖昧な言葉を告げてカナちゃんが去っていく。
「迷惑ね。ったくぅ……」
「おっほーほー。満更でも無いクセにぃっ。カナちんたらツンデレさんめ」
「うっさいわ、この死体漁り」
ふたりが席に戻りながら口論している。
もしかしてあのふたり、ああ見えて実はすごく相性がいいのかもしれない。なんてことを考えながらふたりの背中を見て少しだけぼぅっとしていた。
「――――。」
視線を泳がせていると視線を感じそちらを見る。
「…………。」
瞳だ。黄銅色に染まった双眸がわたしの姿を捉えていた。
その瞳。小振りの水晶を思わせるガラス玉めいた瞳がまばたきもせずにわたしを監視するように見つめている。
不意に視線が重なってドキリとした。
わたしを見逃さないように捉えられた、その瞳に萎縮して視線をそむけてしまった。
しかし俯いたわたしを見ても微動一つしない。
今だ視線の元はわたしを捕捉し続けていた。
感情の篭もらぬ瞳が射貫く。
まるでわたしを監視しているように。
やがて先生がやってくると彼女はくるりと正面に向きなおって授業を受け始めた。
どうしてわたしを監視しているんだろ……。
彼女の目は明らかにわたしを凝視していた、と思う。
自分が思い出すかぎりでは面識などない。話をしたこともない。
けれど彼女はわたしを見つめている。
いったい、どういうこと?
自分の考えなければならないことがグルグルと廻り始めるが何一つとして纏まらない。
それから昼までの授業はもう散々だった。
本作品の団体、宗教、主張はすべて架空のもので私個人の創作です。
ですので現実と混同なさらないよう留意お願いします。
誤字脱字など気になる点は指摘して頂けると助かります。