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魔王と輪舞曲を  作者: ひらみ
魔王たちと輪舞曲を
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七不思議のこと、保健室にて



 玄関を抜けてげた箱に靴を入れる。スリッパに履き変えて、そのまま保健室へ。

 玄関口から左右に分かれていて右に行くと一年の教室へ、左へ行くと職員室側へと続いている。保健室は職員室側らしいので杏里さんと保健室に向かう。

 本当ならわたしはこの程度のカスリ傷で保険室に関わりたくないのだけど、杏里さんが思いの外杏里さんが心配しているので逃れられなくなった。


 基本的に苦手なんだけどなぁ。

 わたしは小中、運動部に所属していたわけじゃないので保健室にお世話になるようなこともなかった。

 じゃあ嫌いになる理由がない?

 逆ですよ、みなさん。

 足を運ぶようなことが無いからこそ苦手意識というものが払拭できないのだ。

 あのジメジメした空気と匂い、どうも好きになれないんだよねぇ。

 そう言ってる間に、保健室の前に着くと杏里さんが「失礼します」という静かな声でドアを開いた。


「失礼しまーす……」


 恐る恐る入室するとツンとした刺激臭がした。薬のような独特の匂いと消毒水の香り。クリーム色の壁紙に同色のカーテン。

 清浄に精緻された空気はどこか遠い世界を妄想させる。相変わらず保健室は異界じみた空間だった。


「あれ、先生がいないみたい」

「ですね」


 ふたりで一度顔を見合わせると辺りを巡る。確かに人影も気配もない。ようするに保険医は今留守にしているということ。


「うぅん、居ないみたいだしまた出直したほうがいいかもね」

「ましろ先生ったら。仕方がありませんね」


 はぁぁ、と深い溜息をつく杏里さん。一度、保健室内を順繰りして戸棚から消毒液や包帯などを勝手に用意し始める


「恵さん、ここに座ってください」

「えっそこに座ってって」

「擦り傷程度の処置なら私も心得ていますから、大丈夫ですよ」

「あ――えと……」


 妙な緊張が走る。そもそも人に触れられるという行為に慣れていないわたしには、その行動自体が致死的な行為にあたる。

 わたしの心中などいざ知らず、杏里さんは薬瓶が陳列された戸棚を開いて消毒液とガーゼを探し始めた。


「うぅん、いやぁ。そんなに痛くもないし、もうダイジョウブカナなんて、ハハハ……」


 断りの言葉を上手に紡げず、絞り出すような小声は杏里さんの耳に届くこともなく大気に霧散してしまった。


「……どうしました?」


 当然のことながらわたしの声は届いた様子もなく、不思議そうにわたしを見つめる杏里さん。

 その手には包帯と消毒液がしっかり用意されていた。

 今更、いやイイです、なんてのも無理なので緊張を隠しつつ椅子に座る。

 わたしが座るのを確認すると、杏里さんはわたしのスカートの裾を折り曲げ、楚々とした仕草で膝をついた。

 綺麗に流れる金髪を掌で纏めて背中側へと落とした。

 めくりあげたスカートの膝を見ながら消毒液をガーゼに染み込ませてちらっとわたしを見た。


「そういえば、恵さんは高等部からの入学ですよね」

「うん、そうだけど……」

「じゃあ学院七不思議とかって知ってます?」

「ななふしぎ……?」


 こういう学園によくあるデタラメな噂。

 面白おかしく話を膨らませた結果、なんの整合性もないような噂。


「よく聞いたことがあるけど『エリシオン』にも七不思議ってあるんだ?」


 ミッション系の学校なのに、ずいぶんと寛容な……。


「ありますよ、七不思議って日本特有のものじゃないですか。『エリシオン』もミッション系スクールですけど、こういうのって住んでる風土に左右されるものなのかもしれませんね」


 たしかに海外では七不思議なんて風習はないらしい。そもそも怪異的な現象にすら懐疑的だ。こういう怪奇談は日本の特質なんだろう。


「そっか、日本人が住んでる場所だから多からず日本的な影響を色濃く受けるわけかー」

「はい、エリシオンは創立は昭和と聞きますから日本的な側面を持っていてもなんら不思議じゃないでしょう」


 消毒液が少しだけ染みてへんな声をあげてしまう。思わず赤面してしまって杏里さんが笑った。


「それで七不思議はどういうものがあるの?」

「ええと、そうですね。無人の廊下に響く足音や異世界に続く鏡、段数が変わる階段、トイレの怪奇、動く標本、夜中に鳴り始めるピアノ――」

「定番物ばっか」


 定番すぎるくらい定番。どこにいても聞くような内容で中身を聞かなくても内容がはっきりと想像ができる。


「そうですね。最後は――」

「“失踪する生徒の怪”」


 突然、背後から響いてくる声。ビクッとしている間に後ろから抱きすくめられて頭の中が真っ赤に染まった。


「◆△×○―――!!」

「うはっいい反応、こりゃ抱きしめ甲斐のある生徒が現れたねェ」

「ましろ先生、居たのなら声をかけてくださいませんか?」

「悪い悪い、ちょいと野暮用で出かけてたんで。そういえば灯子は始業式で忙しかったもんねェ」


 わたしに頬擦りしながらふつうに会話してる。

 そしてわたしは大混乱、大狂乱。椅子の上で暴れ回っているのだけどがっしり抱きしめられ、ホールドされているために逃れられない。


「恵さん、苦しがってますよ、真白先生」

「こりゃ失礼、恵ちゃん? ごめんねェ」

「ハァ、ハァ……いや、別に、いいですけど……」


 ようやく拘束状態より解放されたので、あわてて真白先生から離れると振り返る。

 真ん中で分けられた膝まである長い黒髪、まるで衛生面に気をつけられないように思えるけれど、その黒髪は鴉濡れ羽というべく綺麗で銀艶を放っている。

 わたしの枝毛だらけの黒髪とは大違いだ。


「おどかそうと思って抱きついたんだけど、思った以上の反応だったから嬉しくなって余計にサーヴィスしちゃったよ」

「サービス……しなくてもいいです。そもそもされる側が損するサービスってもうサービスって言わないと思うんですけど」

「いあ」


 スッと言葉に割り込むように言うと、真白先生は片手を持ち上げて空気を掴むように何度か握ったり開いたりした。


「日々疲れてる私自身に対するサーヴィスだよ、恵ちゃん。地味な娘だから油断していたが、イ《・》イ《・》モ《・》ノ《・》持ってるじゃん」 

「~~~~~~~~ッッ!!!?」


 そのジェスチャーと意図に気がついた瞬間、わたしの爪先から頭の天辺まで血が巡る。

 全身を朱に染めながら、自分の胸元を覆い隠すように両手でブロックした。


「ん、実に形がいい。柔らかさと張りのバランスも絶妙だ。大きさに関しても同年代平均からすれば上位ランカーだしな。うん、恵ちゃんイイゾ」

「いくないですよーー!!」


 わたしが力一杯に拒絶するがまるで気にする様子もなく、いまだぬくもりを感じる指先で疑似愛撫を繰り返している。

 それだけでわたしの顔が沸騰しそうなほど赤く染まって頭まで真っ白になりそうになる。


「私はおっぱいマニアなんだぞォ。これまで多くの女子のおっぱいを触診してきたんだからな。誇っていいんだからなァ」

「あぅぅぅぅぅっっ……」


 あまりの羞恥で声が出なくなってうめき声を漏らすのみになる。 

 もしこれが漫画だったりすればわたしの頭頂部から湯気やら煙やらがモウモウと立ち上っていたことだろう。


「悪ふざけもそこまでにしてもらえます、ましろ先生。恵さんは先生と違って繊細なんですから」


 「呆れた」と言葉を挟んで真白先生を諫める悠木さん。


「そりゃ誤解だよ、杏里。私だってエリシオンの天使のひとりなんだからなァ」

「それなら天使に相応しい行動をなさってください。今の行動を見たら“異端審問会テンプルズ”に色欲アスデモ信奉者と取られても仕方がありませんよ」

「ハッハッハッ、流石に調子にノリ過ぎたか。スマンスマン」


 そういうと色気たっぷりの躰を揺らして笑みを漏らす。突き出した凶器は……英語単語四つ目ぐらいかな、と思いながら、早鐘を打つ胸を押さえて、


「しょっ初対面でいきなり……抱きつくなんて……」

「挨拶よ、挨拶。まっ狗に噛まれたと思ってちょうだいね」


 ひらり、と片手をあげて人の悪そうな笑みを張り付かせる白衣の先生。


「先生、自己紹介」

「んん? ああ。そうだったねェ。私の名前は“ 真白ましろ”っていうんだ、宜しくな恵」


 誰が見ても美姫と答えるであろう容姿とは似つかわぬ、野卑な言葉遣い。


「ど、どうも……よろしくです」


 わたしはまた悪戯でもされるんじゃないかと怯えながら握手を交わす。

 本当に保険医にしてても大丈夫なんだろうか。不安だ。


「杏里。灯子はまだ戻ってないわけ?」

「大聖堂で片付けの手伝いかと。不在なのをわかっていたので訪れたんです」

「あんたらも相変わらずだねェ」

「互いに怨敵と化してますし、修復は難しいと思いますよ」


 素知らぬ顔で答える杏里さん。

 やっぱり、ふたりの仲はかなり険悪らしい。

 すごく気が合いそうなふたりなのに、異常なほど互いを嫌っているように思える。

 灯子さんを見てると成績のことなんて気にするような人柄にも見えないのに、なんでこんなにふたりは剣呑な間柄なのだろうか。


「んで」

「はい」

「……?」

「七つ目の不思議ね」


 あれだけブレていた会話が戻ってくる。

 真白先生がわたしの足下に膝を付くと、巻き途中で暴れてしまったため、外れかかった包帯を再び直し始める。

 杏里さんはというと立ち上がって、その光景をじぃ、と見つめていた。


「夜な夜な生徒が失踪しているって話だ。夜に外出届けを出した生徒の数人が失踪してるっていうな」

「最近のことですよね。更新、上書きされた七不思議です」

「更新? 上書き?」

「ようするに七不思議も世代性、時流の影響を受けるということです。今まで淘汰されていない七不思議というのは時代性に左右されないような普遍性を持った怪談ですけど、七番目はそうではなかった」


 確かに。たとえば『夜中に受信するファクシミリ』なんて怪談があっても今どきファクシミリが無いのだ。発生せぬ怪奇はもはや怪奇には成り得ない。


「つまりは今の時代に適した怪談じゃないから淘汰されちゃったってことかな」

「だねェ。普遍性を持った怪談だって時代ごとに細部が変質していってるし、その中で淘汰されるものだって出てくるのは普通だよねェ」


 怪談自体が人の口伝から発生したのだから、人の手でまた形を変えるのは当然の理。殊に伝承、口伝なんてものは時代ごとに立ち位置を改められるものなのだから。


「エリシオンだと七番目が世代を越えられず淘汰された、と。そして新たに加えられたのが失踪怪談ですね」


 ――失踪怪談。


「実際に人は失踪しているんですか?」

「ん? してるな」

「ただ失踪はエリシオンに関わらぬところで起こっているんです」

「へ?」

「失踪する直前、確かに生徒が外出届けを出してるのは一致しているが、被害のない生徒だって外出はしているんだな」

「そしてある日、居なくなったからと自宅の方へ連絡してみると生徒は自宅に帰っている、と――」


 なんの怪異性もない。

 ただのホームシック。帰郷願望を刺激された故の暴走にすぎない。事件性は皆無。


「ただ――問題はこの後のことなんだ」

「はい」


 包帯を巻き終えた真白先生は立ち上がると一度、杏里さんを見つめ、タバコをくわえる。ほんとこの人保険医なんだろうか。


「三日以内に失踪してるんです、その生徒たち」


 ゾッとした。背筋に悪寒が走りぬけ、肌が粟立つのを感じる。


「失、踪?」


「煙みたいにな。着てた服もなにも持たずに空気に溶けたみたいに居なくなっちまうらしいねェ」

「その場に服も脱ぎ捨てられたまま。飛び出すにしてもお金ぐらいは持つはずですけどそれすら持ってないって話です」

「そ、それって学院内で? それとも自宅でなんですか?」

「自宅です。なにかに巻き込まれてるのか今警察も調べているみたいですけど……」


 有名女学院での失踪。なんとも胸の高鳴る響きなんだろうか。

 スキャンダルの香りがする。下世話と思いつつもわたしは高揚する胸の動悸を悟られぬように胸元をそっと抑えた。


「失踪かぁ……」

「恵さんも気をつけて下さいね」

「へ? どして?」


 わたしの間の抜けた言葉に真白先生が呆れたように嘆息を漏らす。

 口端よりモゥモゥとした煙を吐き出した。


「お前ねェ。緊張感が無いな」

「うえぇ?」

「もしかして自分だけは大丈夫なぁんて思ってんだろォ。そんなヤツに限って失踪しちまうんだよ。だから悠木は気をつけろって言ってんだ」


 それは思ってもみない事だったので、その時のわたしの顔は大層滑稽だっただろうと思う。

 想像力の欠如を言い当てられて、胸に棘が突き刺さったみたい。


「お前みたいなヤツが一番危ないだろォ。子犬みたいにキャンキャンはしゃいでるしな」

「うっ……そっそんなコト無いですよぅ」


 言い当てられてしまってる。わたしの好奇心。

 それと恐怖心は人一倍に強いクセに脅威に対する意識の働き掛けが弱いのだ。

 これは産まれ持った特性や人格形成によるものなので今のところどうしようもないけど。


「ちょっと抜けてるとこありますけど、そんな簡単にヘコんでどうにかなったりしませんからぁ」

「ホントかねェ」

「どうでしょうか」


 ふたりの反応も明らかに信用がない。

 杏里さんも真白先生もついさっき知り合ったばっかなのになんて辛辣なんだよぅ。


「まっ、兎に角。まだ慣れてもいない内に遊びまわって変なトコに首を突っ込まないように注意しろってことだな」

「そういうことです。判断をするのはもう少し後からでいいと思います」


 新入生に余計な荷物を背負わせたくないという配慮もあるのだろう。ふたりはそう言ってくれた。


「辛気くさい話はここまでにしてと。おまえらホームルームに遅れてるが大丈夫なのかァ?」


 膝小僧をぱんっと、叩いて処置が終了したという合図をする。

 地味に痛い。きっと我慢しろって言うんだろうけど。


「あ、そう言われてみればそうですね。そういえば恵さんって“桜”組?」

「えっ、えと……“桃”みたい」


 急にクラスを聞かれて慌てて確認するように自分の紙を確認する。


「“桃”かぁ。では違うクラスなんですね。ちょっと残念です」

「う、うん、そうだね。折角――」


 ……ん? そういえば友達になったようなつもりじゃなかったのに、わたしはふつうに悠生さんに心を赦している。

 自分で言うのもなんだけど、わたしは非常に面倒な人間だ。警戒するし、壁を作るし失言も多い。なので倉子や親兄弟くらいしか心を許せる人物なんていないのだ。

 けれど、いつの間にか悠生さんは自然と、壁の内側に入り込んでいた。それこそわたしすら気付かないような空気で――

 そうだ、なんで不自然に思わなかったのか。

 わたしのようなコミュニケーション不適応人間がこんなに自然に接せられること自体に無理がある。

 けれど、悠生さんとは隔たりを持たずに話せている。

 なんなんだろう?

 確かに彼女は、そこらの凡百の人間とは違う風格がある。

 けれどそれはわたしが自然に打ち解ける要因にはならない、むしろマイナスの要素でしかない。

 当の本人は真白先生となにか話をしている。

 今更だけれど、なんだか不可思議で正体の見えない感情が沸き上がってくる。

 見上げると天使の微笑。


「……? さ、行きましょう、恵さん」


 呆然と見上げるわたしを見下げ、愛らしく首を傾げると手をそっと引き上げてわたしを立たせてくれる。

 じんわりと温いてのひら、それを感じながら、

 気にしても仕方がない。考えても答えなんて出るわけがない、と断じて、深い思考の海からはいあがる。


「んじャ、おまえたち新生活だからってあまりハシャいでハメ外すなよォ」

「先生じゃありませんから、そんなことしませんよ。わたしも恵さんも真面目で品位公正なんです」


 先生の発言に苦笑混じりで答える。

 予想通りの答えに満足したように背中を向けたままヒラヒラと手を振って、


「おつかれさん。今日は半ドンだしゆっくり休むといいよ」


 半ドン、とは授業や仕事が半日で終わる日のことである。

 正直、最近では使われない。ていうか完全に死語である。


「ごきげんよう、真白先生」


 そう言ってわたしと悠生さんは保健室を後にしたのだった。





       /





「ヤッホー」


 始業式、ホームルームを終えて詳しい授業説明と個々の挨拶、最後にエリシオンの生徒としてふさわしい生活態度などを一通り説明する頃には、午前が終わっていた。

 つまり、わたしのエリシオン女学院初日が終わった瞬間である。

 色々厳しいと話に聞いていたけれど、きついところはきつい、緩めるところは緩める方針らしい。

 それはわたしの生活スタイルにとても合っているからむしろ好ましいと思う。

 天使達がそれぞれの場所で語らっている教室を一度見渡す。

 初日の放課後というのは大事である。

 学校とは社会の縮図であると誰かが言った、それは正しい。大人であろうが子供であろうが、基本はパワーゲーム。つまり人数が多いほうが勝つのは当然の結果である。

 だからこそ初日こそが重要なのだ、如何に自分を売り込み、勢力を拡大させるか、または如何にして大きな派閥に取り入るか、ということが大切となる。

 大は小を駆逐する。資本主義の理である。ならばわたしたち生徒もその資本主義に乗っ取った生存競争を――。


「おーい」

「? ……なな、なんですか?」


 目の前を横切る手の平。それを眺め、腕のほうに流れるように視線をあげると少女がいた。結いまとめられたポニーテールが揺れる。


「初めましてー。私、横井よこいあすみ」


 にぱっ、と太陽のような笑顔。天真爛漫といった少女なんだろうか。ダークサイドのわたしとはまた真逆の人間。


「……初めまして、わっわたしは鹿島恵」

「じゃ“めぐっぺ”で」

「へ?」

「あすみんでいいよ」


 いいよ、と言われても困るというか……

 ここの人たちは基本的に社交的すぎるきらいがある。いきなり間合いを詰められるから、社会不適応人間のわたしには辛すぎるのだ。


「あ、あすみさん……」

「あ・す・み! あすみんだってっ」


 眼前に顔が寄ると言葉を区切って強調すた。

 小さな頭部の後ろで跳ねるように尻尾が揺れている。


「あ、あっあすみ、ん……」


 呼んじゃった! なんか勢いに流されて言っちゃったけど。


「アハハ、これからヨロシクね、めぐっぺ」


 そういうと一度「ゴメンネ」と手を合わせて、わたしの前の席(いまは別の場所にいる)不在の椅子に腰掛ける。


「いやぁ、わたしね。あんまり派閥とかって嫌いなんだー。色々面倒じゃない、その日の空気を詠んでああじゃないこうじゃない、それじゃないこれじゃないとかさ」


 そこまで言って「ああいうのダメなの」と手をヒラヒラとさせながら発言する。


「かといって一匹狼気取るほど私も摺れてないわけなんだなこれが。やっぱり寂しいものは寂しいし、言葉を交わせる人間がいてくれたら安心するわけ」


 ああ、なんとなく言いたいことは分かる。彼女もわたしとは別の意味で逸脱者なのだ。わたしたちが知的生命体であり続けるかぎり、こういうはみ出し者は現れる。そんなに人間が取る選択はふたつしかない。

 ――逸脱し続けるか。

 ――繕い続けるか。

 ただ遮二無二に。傷だらけになり血反吐を吐き散らそうが歩き続ける道しかない。


「ねえ」

「あ、は、はい!?」


 いけないいけない、また夢魔に囚われていた。自己に潜る癖をどうにかしないといけないと思いながらも特定の記号に反応してしまってる。

 わたしの奇矯な行動をきょとんとした顔で見るとにへらと笑う。気にした様子もなくあすみさんはわたしをじぃと見つめて、


「めぐっぺって百面相だ」

「ひゃくめん?」

「そそ、百面相。暗い顔してるかと思ったら驚いてる、そうかと思えば落ち込んでる、次々に表情が変わるから」


 ――それ褒められてるの?


「だからさ、すっごく面白いね。てことっで友達にならない?」

「え、どうして?」


 即座に聞き返してしまう。いくらなんでもわたしを選ぶというのが分からないからだ、まるで理解出来ない。

 利害で言えば害しか発生しない、害虫レベルだと思うんだけど……。


「ああ、その点なら心配ない。交友関係には利と害があるって考えてるみたいだけど。――私もその考えには賛同してる」


 にやりと口端を持ち上げて笑う少女、なんだか小悪魔のような笑み。


「さっきも言ったように、私は一匹狼気取るほど摺れてないし、かといって派閥でやってくほど精神太くないんだなぁ、これが」


 ああ、なるほど。

 納得がいったし、しっくり収まった。

 つまり彼女にとって私は寂しさを紛らせるための相方なわけだ。


「それに孤高なんてやってると攻撃されやすいしねー」


 そう。外れ者、逸脱者は社会における敵とされる。

 相伴がいるというだけでもその確率は大幅に減少するのだから、身を守るという意味ではあすみさんの考えは実に合理的だ。


「だから友達――めぐっぺとおっともだちっ♪」


 リズムを刻むように首を振りながら上機嫌な少女、トレードマークであるポニーテールがふりふりとしっぽのようの揺れる。

 取り立てて美人というわけじゃないけれど、たぶんこのさっぱりとした性格とさわやかな容姿は異性に好かれそうだなぁなんて思った。少しだけ沈んでた心が浮かび上がりクスリと笑みが溢れ出た。


「うん、そうだね。じゃああすみん。これから仲良くしよっか」

「うん、ヨロシクぅ、めぐっぺ」


 そういうと互いの顔を見合わせて、つい吹き出してしまう。


「ちなみにめぐっぺは、今新入生のなかでは一番の有名人なんだよ」

「……へぇ――はい?」


 曖昧な返事の後にくる疑問符。わたしが有名人ということはどういう事だろうか。確かに遅刻してしまった分、人より目立ってしまった節はあるけれど。

 そんな一年全体に知れ渡るほどではないはずだ。


「ど、ど、どっ……どうして!?」

「ほら、今朝。タマキ先輩に見初められたじゃん」

「…………。」


 ああ、あれ――あれは見初められたっていうかお爺ちゃんの縁で知っていたってだけで深い意味はない。先輩の感覚も魔女の家系だから礼儀として挨拶しただけに過ぎないだろうし。そんな騒ぎになるようなことじゃないと思うけど。


「違うって顔。でも全校の憧れであるタマキ先輩に話しかけられるってだけでも一大イベントなんだよ」

「普通にからかわれてるだけなのに?」

「直接言葉を交わす人自体が稀なんだよ。先輩はいつも忙殺されてるから話しかける暇なんてないだろうし」

「そうなんだ?」

「聖徒会自体の決定権が強い学校だから、やっぱりなにかと忙しくなるっぽい。そのせいで話しかけることも憚られる空気が蔓延してるんだねー」


 薔薇の香りを思い出す。美麗という言葉を体現するような凛々しい先輩。

 確かに美しすぎる薔薇は、その存在密度故に他者を拒絶する。


「けど大した話はしてないんだけどなぁ。普通の挨拶しただけだし」


「内容はどーでもいいの。ようするに言葉を交わしたという事実があるだけで、めぐっぺは他の生徒の羨望と嫉妬を受ける対象になるってわけ」


 「それに――」と付け加えて、


「悠生杏里とも友達になってるっぽいでしょ、めぐっぺ」


 わたしの机に両肘をついてまた厭らしくニヤニヤと笑う。


「あ、あう、うん。ちょっと始業式に行くときに出会って……」

「そこ!」

「!?」


 ズビシィッ、と音がしそうなくらい勢いよくわたしの鼻先に人差し指を突きつけてくるあすみん。

 あまりの勢いにパチクリと瞳をまばたきさせてしまいながらあすみんの指を見た。


「次期聖徒会長。聖徒会役員入り確実と言われ、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群。――エリシオンの園に咲く新しい薔薇のつぼみ“悠生杏里”」


 まるで演劇をするように、手を広げてわざとらしく芝居がかった台詞を読み上げる。


「うん、綺麗な人だったけど……」

「でしょっ? 是非とも今度お近づきになりたいわけ!」

「え……あ、うん……まあ」


 今度は机に手をついて乗り出すようにわたしに顔を近づけてわたしの顔を凝視する。……いや、顔近い。

 そもそもなんであすみんはそんなに学院内の情報に詳しいんだろう。知ってはいるだろうけどそこまで熱心に情報を追うような人はいないだろう。そう思うと少しだけ焦臭い。


「だからさー、今度逢わせてくれないかな、めぐっぺ」


 両手を重ね、頼み込む姿を見つめながらわたしはその理由を推測する。

 誰しもが詳しい情報を求めるわけじゃない。求めるとすればそれをウリにするような活動をする人間に限定される。


「――なるほど」

「めぐっぺ?」

「分かった、あすみんって報道部でしょ」


 考えたら簡単なことだ。なんでそんなに情報に詳しいのかなんて、情報を能動的にキャッチしているからに決まっている。

 じゃあ何故能動的に情報を得ようとするのか?

 最速情報を売りにしているからという結論である。

 さっきのパンフレットの中には新聞部はなかったけど報道部があった

 “エリシオン女学院 瓦版”

 わたしはパンフレットを開いてソコを指さす。あすみんは少しだけ驚いたような顔をしながらすぐにわたしを見る。


「正解。意外だね――めぐっぺってもっと抜けてるように思えたけど存外よく観察してる」

「たまたまだよ。それにあれだけ食いつかれたらなんとなく分かるし。わたしと友達になろうっていうのはパイプが欲しいから?」

「そだね。やっぱり今が旬の悠生さんにアタックできるのは大きいし、上手く行けば今だ未開の聖徒会を明け透けに出来るんだもん」


 聖徒会?


「いやいや、わたしの周辺にいても聖徒会の情報は入ってこないよ?」

「ん? ああ、もしかして知らないんだ。機敏かと思えば愚鈍。めぐっぺは不思議人間だ」

「――?」


 思わず顎に手を当てて考え込む。頭の上には疑問符が乱舞しているかもしれない。


「分からないなら別に良いんじゃない。いずれ分かるだろうし」


 なんだか気持ち悪い。またわたしだけ知らないようなことがあるらしい。


「いったいなに? もしかしてとんでもないような事があるのかな?」

「それはあたしが言うことじゃないなー。まだ噂レベルの話だからトバシを本人に伝えるのはちょっと」


 そう言って白けたように視線を背けるあすみん。

 問い質そうと思いもしたが、どうやらタイムアップらしい。

 入り口の戸を元気よすぎる調子で開け放ち、宮本先生が乱入してきた。

 どちらにせよ、あすみんもそれ以上のことは話す気が無いみたいだし質すだけ無駄だろう。徒労を重ねるよりその時期が来るのをゆるりと待つのがいいのかもしれない。

 そう考えを切り替えると、わたしは新任の先生である宮本の話を聞くことに専念することにした。

 ふと、窓からの光を眺める、今日も午後から暑くなりそうだ。




本作品の団体、宗教、主張はすべて架空のもので私個人の創作です。

ですので現実と混同なさらないよう留意お願いします。

と、近いことを↓に書かれていることをさっき知ったのでした。

誤字脱字など気になる点は指摘して頂けると助かります。

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