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魔王と輪舞曲を  作者: ひらみ
魔王たちと輪舞曲を
3/39

境界線の少女たち


 

 

 

 


 ちなみに「ごきげんよう」という言葉はこの学院では一般的な挨拶と言える。とにかく一日中「ごきげんよう」という挨拶をする。朝に正門をくぐる時も、門を向いて「ごきげんよう」朝の挨拶、帰りの挨拶、授業開始も終了の挨拶も「ごきげんよう」学院内でのすれ違うシスターや先生、先輩たちにも「ごきげんよう」登校、下校中、改札口でも「ごきげんよう」

 要するに「ごきげんよう」はこの学院のおける全ての基底になるということ。

 ――円滑な人間関係は挨拶から始まる。

 早いトコこの挨拶にも慣れなきゃいけないなぁ、とそんなことを考えながらわたしは中庭を歩き回っている。

 先ほどの鮮烈すぎるショックから立ち直るのに、どれだけの時間が掛かっただろう。しばらく意識を手放してしまっていた所為で憶えてなかった。

 気がつくと周りに人が居なくなっていて、わたし一人だけが取り残されていた。おそらく時間に近づいたから始業式に向かったのだろう。

 それが思った以上に校内は広いらしい。

 来客用の大通りを通り抜けて、生徒用の歩道を歩くが一向に目的地が見えない。

 わたしはと言うとお約束のようなんだけど。


「……迷うた」


 方言で言っても結果は変わらない。ただ単純に迷ってしまった。

 さっきまでの絶頂に全部吸い取られたんじゃないかっていうくらいに不幸のどん底。

 それにさっきのはわたしが望んだ幸福ってわけぢゃないから!

 ぢつと手を見る。ひょっとしてわたしは女心をくすぐるフェロモンでも出ているのだろうか。

 それとも高校生になったからなんかすごい力に目覚めちゃったりしちゃったりして!

 無いよねナイナイ……。

 そんな別の意味の自信などを沸き上がらせてみるが只の現実逃避でしかない。こんな状況でわたしは、くたりと脱力したまま中庭をひとりで彷徨い歩く。

 胃の内容物ごと戻しそうな勢いで深息を漏らす。

 こんな時に限って誰ともすれ違わない不思議。思い返せばそれはそうかと。今は始業式にみんな移動しているんだから通りすがりが居るはずもない。

 ハァァと心底よりもさらに深い溜息がもう一度。わたしもどれだけ歩いたのか考えるのも止めちゃってた。

 花畑のある石畳の道を通って行くとその右側に聖母像があった。道はまっすぐと聖母像の正面側へ行く二方向、わたしの来た道を入れたら三方向になるけどこの際は除外しておくとして。

 立ち止まりふと聖母像のその表情を見上げる。

 慈愛を湛えた瞳、我が子を見つめる瞳はとても優しく穏やか。

 その手に抱きしめた存在はどれだけの幸せに包まれているのだろう。それだけの愛を受け入れ、受け止めることは苦痛ではないのだろうか。

 だからわたしにはまるで理解出来ない。

 ――どうしたらこんな表情が出来るんだろう。

 この世界はこんなにも醜く苦痛に満ち溢れているのに。

 こんな顔なんて作り物じゃないか。

 人の造形は時に真実を歪めるもの。だからこれは幻想。紛い物。

 価値の無い塵芥だ。

 そう思うとわたしの心の中で烈火のような正体不明の感情が沸いて出る。今すぐにでもこの像を壊してしまいたいという感情。それに気づいてしまうとわたしは不意に涙が溢れそうにあって目頭を押さえた。そして走り去るように背中を向けて、


「―――ぶっ」


 みごとに転けた。


「痛ったぁぁぁぁ!」


 振り返った瞬間に大きな壁にぶつかってそのまま地面にお尻を打ち付けることになったらしい。


「イタタタ……なんでまた後ろに壁……?」


 そもそも像の正面に壁なんて配置はあり得ない。それにさっきまでそんなモノは無かったはずだから突然、壁が現れたってことになる。わたしはお尻と腰を擦りながら地面に座り込んでいると自分の姿が急に影に包まれた。


「大丈夫ですか」


 わたしはゆっくりと目を開ける。それでようやく壁の正体が長身の男性ということに気がついた。

 つまりわたしは後ろに人が来ていたのに気付きもしないで振り返ったためにこの人と接触してしまったということだ。


「大丈夫、ですか」


 もう一度穏やかな声が聞こえる。

 痛みが優先して他人のことに気遣う余裕の無かったわたしもようやくその声に気づくとへたりこんだままで人物の姿をゆっくりと見上げる。


「………………」


 まず目に飛び込んできたのは風に靡く銀朱の髪。そしてわたしを射貫くように見つめる青色の瞳。ロシア系の繊細さを頌えた顔作りは美しく、そして凛々しい表情。ただ美しい顔に痛々しい瑕が頬から額にかけてはしっているのが唯一の欠点と言えるかもしれない。


「あっ」

「…………?」

「ごごっごめんなさい! ぶつかってしまって」

「いえ、気にしていません。それよりも貴女に怪我などさせていないかが心配です」


 黒い服装。スータンと風に揺れる白いストラを纏う青年。その姿から察するにこの人は神父ということなんだろうか。首から架けた金のロザリオが日の光に反射をして何度か輝く。


「えとえと……大丈夫ですっ、大丈夫」


 今日だけでわたしは何度大丈夫を言ってるだろうか、カウントしたらきっとすごいことになるな、なんて場違いなことを考えながら目の前の長身の神父を見上げてそう言う。


「そうですか。なら良かった。入学したばかりの天使に怪我をさせてしまったとあっては主に合わす顔がありませんからね」


 優しく手を引かれて立ち上がる。ドキドキした。まるで映画の中のお姫様の気分だ。そしてわたしはノーマルだ、このタイミングなら主張出来る。


「私の名前はマキナ・ベルフラムと云います。よろしく、カワイイ子猫さん」


 クラっとした。いい男にはなにをさせても良いというけれど確かにそうなんだろう。これは狡い。

 どことなく憂いを帯びた表情のままマキナ先生は口を笑みの形にしてそんな歯の浮くような台詞を言ってのけた。


「あふっあっ、あの、えと……」

「……? 顔が赤い。熱ですか、これはいけない。折角の祝いの日が台無しになってしまう」

「ちちっ違いますっ、その……大丈夫なんですっ」


 首を傾げる姿は子供みたいでキュンとする。噂には聞いていたけど予想以上の破壊力かも。


“――あれぇ、メグがエルシオン行くのって美形教諭目当てだったと思ってたよ。”


 倉子の言葉が脳裏を反芻する。そんな話をしたことを思い出してわたしはこれまでになくリンゴみたいに赤く染まる。


「よく分かりませんが貴女が大丈夫というのならば信じましょう。だがけして無理はなさらないでください」


 みんなから心配されてるね、わたし……。


「す、すみません……。マキナ先生」

「なんでしょうか、えぇ……」

「あ。鹿島恵と言います」

「ではメグミくん」

「はい。それでですね。実は教えてもらいたいことがあるんですが」

「なんでもどうぞ。迷える生徒を導くことも教師としての責務です。私がお答え出来ることであればなんでもお答えしましょう」


 小さく手を広げて受け入れるような仕草をするマキナ先生。なるほど生徒からも聖人君子だと褒め称えられているのもよく分かる気がする。


「そのですね……礼拝堂の場所ってどこ、なんでしょうか?」

「礼拝堂、ですか? 大聖堂ではなく?」


 ダイセイドウ? どこのことだろう、ちょっと意味分かんないですね。


「いいえ、礼拝堂なんですけど……」

「ふむ、礼拝堂ですか。そうですね、この道をまっすぐ行けば辿り着けますが」

「そうなんですか! 良かった、じゃあ方向は合ってたんだー!」


 渡された地図通りに進んでいてもまったく人の気配が無かったから間違っていたと思い込んでいたけどこの道に間違いなかったんだ。

 ようやくわたしもこの天性の方向音痴である才能ともおさらばする時が来たのかもしれない。


「ええ、礼拝堂には着きますが。本当にそちらでいいのでしょうか」

「はい! いろいろご迷惑をお掛けしてすみませんでした、マキナ先生」

「いいえ、私がしたことなどありません。メグミくんがご自分で道を見つけられたのだから」


 そう言ってわたしを見つめ目を細めて相好を崩すマキナ先生。本当に格好良い……そこらの男性なんかとは別次元にある美人さん。

 思わずうっとりと見つめてしまいつつ首を振って正気を取り戻す。


「それじゃ……わたし、そろそろ行きますね」

「はい、それでは貴女に神のご加護がありますように」


 そう言って一度目を閉じてわたしに祈りを捧げる。

 本当になにをさせても様になるから困る。


「ごきげんよう、恵くん」

「はい、ごきげんよう、マキナ先生」


 小さく手を振る長身の青年に何度か振り返りながら大きく手を振って別れを告げた。





          /





 あの強烈かつ鮮烈だった先輩の洗礼、それと美人神父の優しい語らいから、少し時間が経っていた。

 メシア像を真っ直ぐ向かったその先に、確かに礼拝堂があった。

 腕に付けた時計を見やり、まだ幾分か時間があるのを確認するとホッと深い息をついた。

――奇跡的。

 ふと正面を見るとそこに礼拝堂を見つける。


「あったっ」


 奇跡的。

 自分の足で礼拝堂にたどり着くことが出来るなんて夢にも思わなかったから正直驚いた。

 もしかしてわたしの方向音痴も矯正されてきたのか! なんてあり得ないようなことを考えながら走って礼拝堂に近づく。

 遠くから見ていたらそれほど大きく感じなかったが、近くから見ると大きな礼拝堂。

 様々な装飾が壁面を彩り、頂点に大きなロザリオが添え付けられている。

 自分の足で礼拝堂に辿り着くことが出来るなんて思わなかったから正直驚いてしまってる。兎に角、急いで中に入ろう。いろんなことがありすぎて少しでも早く安心したいと考えつつ、教会の全景を見上げる。

 遠くから見ていたら大きいと感じなかったけど、近くから見るとそれなりに大きな礼拝堂。

 様々な装飾が壁面を彩って華美に着飾っている。外側から神を感じさせるような、神の住まう仰々しさを感じさせるような様相になっていた。

 頂点には大きなロザリオが添え付けられているのをみればここが礼拝堂なんだって直ぐに分かる。

 如何にも神の住まう家だという豪奢な礼拝堂に、心臓を圧迫されているような錯覚を覚えた。


「ヤバいなあ、時間的にもうすぐ始まっちゃうよ」


 始業式が始まる直前だったのは幸いかもしれない。もしこれが始まったあと入っていくときっと注目の的になってしまうだろう。

 ある意味ギリギリで救われた体だけど……。

 わたしの背丈より大きなドアに手をかけてから気がついた。


「? ――人の気配がない……?」


 どういうことだろう。

 本来なら新入生一同が居るであろう礼拝堂。そこにまるで人の気配がないのだ。

 どことなく違和感のようなものを感じたが気にしてても仕方がない。わたしは重い扉を握りしめると力を込めて思い切り開いた。

 重鈍に開かれる扉、長い間開かれていないように建付が擦れて鈍い音が響き渡る。

 閉じられた封が開かれることで内側の暗闇を光条が貫いた。

 そこには古ぼけた骨董品のような懺悔の間。

 そしてわたしの違和感どおり中には人が居ない。

 開け放たれたことで密閉されていた空気が中に飛び込んでいく。

 目に映るのはステンドグラス、様々な意匠を施されたきらびやかな硝子片の集合体。それら一つ一つが一定の形をなして一つの芸術へと昇華されている。

 円形に象られたその模様は昔、本などで見たことがある有名な形状だったはず。

 その着色硝子の光を受けてメシア像が神々しい姿を見せる。

 生け贄となった聖人、救世主。――彼が命を落とそうともその遺志は時代を越えても形を残す。

 そして――その下まで視線を下ろしてようやく、


 その人影に気がついた。


 少女だ。


 ひざまずき、なにかに祈るように頭をたれている少女。

 ステンドグラスの反射を受け、腰まで延びた長い金髪がきらびやかに映える。

 少女はゆっくりと立ち上がるとわたしのほうに振り返った。

 わたしの美的感覚が悲鳴をあげた。

 美しいという形容では当てはめられない。

 美しいことは当然だというような姿。美しいという言葉すらあまりに陳腐。どんな言葉で形容しようとも凡百の言葉では伝えきれない。

 精巧な人形と見紛う美しさ。肌は白磁のように白く透き通り、頬はほんのりと色づく薔薇色。唇はまだ初々しい苺実のような瑞々しさ持っていて。顎と鼻筋はあくまで華奢で制服からすらりと伸びた手足には傷ひとつ見あたらない。

 どことなく幼い顔立ちだが生まれついた品性は完成されてると言っていい。

 扉を開いた時に舞い上がった埃がゆっくりと舞い降り、ステンドグラスの日差しを浴びて幻想的な光の粒子シャワーのように少女を飾り付ける。

 ――すべてが精巧に作られた神の造型。

 神に寵愛されし産物。


 声を掛けることすら忘れてしまったわたしを見て深緑の瞳が鋭く吊り上がった。それはこの静謐とした空気を打ち破った不埒な侵入者に抗議するように細められている。

 言うまでもなくその対象はわたしのことだ。

 人を殺しかねないほど鋭く冷たい視線に思わず背筋を凍らせてしまう。

 だが次の時、その瞳がゆっくりと時間をかけて柔らかさを取り戻していくとそのままその艶めいた唇も笑みの形を型どった。


「ごきげんよう、この礼拝堂チャペルにどのようなご用件ですか?」


 おだやかで清楚な声音。それでいて芯の強さを表すようなはっきりとした声でわたしに向かってそう告げた。


「えっと……その、道に迷ってしまって。たしかここで入学式をしているんじゃないんですか?」


 神々しい少女はふいに俗めいた仕草で頬に人差し指を当てると宙を仰ぎ見る。


「入学式? なら大聖堂のほうで行われてるのではないでしょうか」

「えっ!? ここじゃないんですか?」


 わたしは思わずガクリっと肩を落として深い溜息をつく。


「ここは旧館に当たりますので、一般には公開されていません。ですので新館のほうへ行っていただけます?」

「うぅ、すみません。ご迷惑をおかけしま――つッ……」


 突如、軽い痛みがこめかみに走り抜けて思わず顔をしかめて頭を抑える。


「大丈夫ですか? なにか――」


 少女に礼を言おうとし半歩ほど礼拝堂に足を踏み入れた瞬間、鈍痛が通り抜けた。


「い、いえっ、なんでもないなんでもないですっ、大丈夫!」


 駆け寄った彼女。近づくと余計にその美しさが際だつ。俗世の汚れすべてを拒絶するように新雪のような肌、艶やかな金髪が風に揺れて絹と紛ってしまうくらいに見惚れてしまう。

 目の前まで来ると背丈だけはわたしより低いことに気がついた。わたしより頭ひとつ背が低い。わたしだって背が高いわけじゃないから余計に感じる。

 彼女はわたしの顔をのぞき込むように心配な視線を向け、


「本当に大丈夫ですか?」


 潤んだ瞳、線の細い体つきは抱きしめたら折れてしまうんじゃないかと思うほど。

 少女は口元で手を添えて一考するような仕草をするとわたしに向き直る。


「もしかして――なにか感じ取ったんじゃないですか?」


 わたしの心底まで見通そうとするような深い眼差し。

 これはわたしが半端な魔女の血を受け継いでいる故の遺伝病みたいなもので。小さなころから魔力に異常がある場所、魔力の波動が異質な場所に踏み込んでしまうと偏頭痛に見舞われるというもの。

 初めは正直、遺伝を恨んだこともあったけど実際そんな場所には滅多に遭遇することはない。

 ――平凡な生活をしているなら尚のこと。

 だからさっきの頭痛は久しぶりの症状なのでびっくりした程度。


「感じ取ったって……変なことを聞くんですね――えぇと」

「くすっ、杏里です。悠木ゆうき 杏里あんり、あなたと同じ一年です」

「悠生さん。わたしは鹿島 恵です」


 楚々とした仕草の挨拶。にっこりと微笑んだ少女が次の発した言葉は意外なものだった。


「鹿島さんは魔女なんですか?」


 ―――え?


「い、いまなんて……?」

「ですから鹿島さんって魔女なんでしょうか? だって魔女じゃなきゃ、さっきみたいな感応はあり得ないでしょう」


 え? え? え?


「つまり、その……」


 もしかして……


「悠生さん、も……もしかして」

「くすっ、ええ――私も魔女なんですよ」

「――えええええぇ!?」


 流石に動揺を隠せない。たった一日で魔女にふたりも遭遇するなんて……ふつうはあり得ない。


「どうして驚かれるの? なにか驚くようなこと言ってしまったかしら」

「だ、だってわたしさっきも、魔女の……」

「ああ、聖徒会の人たちですね。もしかして鹿島さん、知らないのですか?」

「なにをですか……?」

「ここは魔術協会アカデミーの進学校のひとつでもあるんです、表向きには非公開ですけど」

「え? あ、え?」

「ですから比較的に魔法使いに遭遇する傾向が強いと思います。母体としては少ないですけど」

「じゃあ魔法学科とかあるんですか……?」

「くすくすっ、それはありません。あくまで魔法は秘匿されるべき秘奥の一つですし。協会規律にも『市街地での魔法の行使は禁ずる』と記載されています。ですからここで魔法を教えるようなことはありませんよ」


 まさかそんな秘密がこの学校にあったなんて初めて知った。だからお父さんはこの学校に入学するのを喜んでいたのか……。


「基礎学を学びたいなら、ここの図書館の秘匿室を借りるといいです。司書さんは高位の魔法律師ですから」

「魔法律師の人までいるんだ……驚いたなぁ」

「私の知り合いにひとり。普段は英語教師をしていますね」


 魔法律師とは魔法を使えないけれど魔法を使える生徒を導く先生のこと。初めから使えない人だけではなくある日、突然、魔法を使えなくなったような人が付く職なんだけど。


「それで――鹿島さんは魔女なんでしょう?」


 睫毛の長い瞳を丸めて悠生さんが顔を傾げる。その視線にはわたしに対する好奇の念が覗いていた。


「えぇと……わたしは魔女じゃないかな。遺失者(無くして)るから――」


 血流こそが魔法の根幹である。故にわたし達魔法使いは『原初の血』へ立ち戻ろうと足掻く。方法は無数にあれど道徳として正しいものは多くない。

 故に魔法使いは人に非ずと知る者に誹られるのだ。

 わたしの家系はそれに堪えきれなかった。今の時代に逆行するような生き方を否定した。だからこそ10代ほど連なってきた血筋を捨てたのだった。

 それがわたしの祖父の代。

 お爺ちゃんの代でゴタゴタしたみたいだけどわたしが産まれるくらいにはどこにでもある一般家庭になっていた。


「そうですか。じゃあ今はもう魔女ではないんですね」

「うん。けど悲しいとか別に無いけどね。わたしが物心ついた頃にはそんな話カケラほども無かったから」

「じゃあ私と同じなんですね」

「え? でも魔女だってさっき……」


 くるり、と踊るように半回転すると髪を揺らしてそう言った。その表情は背中越しからは伺えない。


「本当に魔女だったら良かったとか思います。けど違うんですよね」


 背中を向けたままそういう彼女はどことなく寂しそうで。わたしはその言葉の真意を覗うことはできない。


「魔女じゃないけどきっとそこには意味があるんだって私、思ってるんです。命を与えられたからには為すべき意味が」

「為すべき、意味って……?」

「さあ、どうでしょう。それを探すために生きてるのかもしれないですね」


 振り返って花のように笑うとそう言った。

 その笑顔と言葉にわたしの感性が萎れる。


 ――あべこべだ。

 生きるための意味を探すために生きるだなんて繕いようもない詭弁。

 そんな人間は最後まで答えを獲ずに死んでいく。

 その間違いを正さない限り生地獄に沈み続けるだけだ。

 私の笑顔は張り付いたように作りものになる。

 だからこそ苦しいんだ、と。

 眩暈にも似た幻視。

 思い出したくない絵図が脳裏から眼球に侵食してきて、慌てて頭を振って振り払う。


「大丈夫ですか、鹿島さん」

「えへ? あうん、大丈夫っ」


 余計な念がわたしをいらぬ幻想へと誘う。

 悠木さんが心配そうにわたしを見つめているのに気がつくと笑顔を結んで答えた。

 その様子を見て、安心したのか周囲を四望してまたわたしに向き直る。


「ねぇ、鹿島さん。それであなたがなにかを感知したようですけどその正体わかりませんか?」

「うーん、痛かったのは瞬間的だし、後はこれと言って違和感らしいものは見あたらないけど」


「本当に? 見当たらないんじゃなくて『見過ごしてるだけ』じゃないですか」

 それはどういうことだろう? どこを見渡しても怪しい部分なんてどこにもない。

 きちんと並べられた長椅子、入り口に立つわたしからまっすぐに伸びたビロードの赤絨毯。貼り付けられたメシア像。

 その上部を照らすように煌めくステンドグラス群。


 ――――と。――――。


「――なにも、ないと思うけど……」

「――――。」


 あれ? 一瞬だけ、彼女の顔が苛立の色を帯びた気がした。ほんの僅かな揺らめきでしかないがなぜかそう感じてしまったのだ。


「本当になにもありません? 見てないだけではなくて」

「なにもないよーっ、別に普通の場所だと思うし」


 自信はない。自分の感じ取り方が少しだけいつもと違う『不快感』を覚えている。どこかがおかしいと感じている気もするが心の表層がそれを否定している矛盾……。


「……やっぱり、結界」

「ん? 結界ってあのマンガとかで攻撃を跳ね返すために作ったりするアレ?」


 彼女の口から零れ出た聞き慣れない単語を聞き返す。


「あれは結界というより、障壁の類です。結界とは正しく『領域と領域を区切る境界線』のことを指すものですから。元々は教団の機密、戒律を犯さないように制限するために用いられたのが結界なんです」


 出会った時のように再び悠木さんが座り込むと地面をゆっくりとなぞる。


「ひと気が無い割には埃の質が新鮮、絨毯の上の土も若々しい」


 淡々となにかを探るような口調。先ほどまでの花が咲くような口調はまるで無い。チロ、と赤い舌を出して新雪のような白い指先を舐めると地面を再びなぞっていく。


「……? つまりどういうこと?」

「礼拝堂は元々、エリシオンがまだ学校施設ではなかったころの名残です。ここは巨大な魔法施設でした」

「え? そうなんだ」


 仰々しい外壁に人を拒むような隔絶された空気感はその所為だろうか。そう聞くとなんとなく納得がいくような気がする。


「だからかー。ここに結界が張られてる理由は」

「いえ、それは違います。封鎖されて18年経っていますけどその間に結界が張られたという話は訊いていませんし、私の知る限りではそんな真似をする理由もありません」

「18年より前とか」

「それはもっと有りえません」

「どうして?」

「…………。この結界の若さ、張りから鑑みるにここ数ヶ月の間に用意されたものだと思います」


 沈黙の後、まるで話を切り替えるように会話を移行させられる。少しだけ気にはなったけど話したくもないことを詮索するのも無粋だろうと思う。


「じゃあ数ヶ月前にこんな場所に誰かが結界を敷いた、と。でもどうしてだろ、ここってとっくの昔に封鎖されていた場所なんだよね、結界を敷く意味がないような……」

「最前説明しましたけど結界とは『領域調和の法』仏教には摂僧界、摂衣界、摂食界という結界の理が3つ存在します。この結界は許容の法―――結界は秩序の維持機構の役割なんです」


 すこし話が難しくなってきた……。


「結界を張っている理由としては、なんらかのルール付けを施したいからってことかな」

「卓見です。結界とは境界。砕いた言い方で捉えるなら『ルール付け』をするためのものです。神道で言えば一定範囲の空間に設定された禁則を視覚化したものと触れていますので――鹿島さんの認識で間違いはありません」

「仰々しいんだね、結界とか」


 わたしが困ったような顔をしながら呟くと悠生さんはきょとんと可愛らしい目元をクリッと動かし、


「そうでもありませんよ。日本人は特に結界の造詣に深い土地柄じゃないですか」


 当然のことのように言ってのけた。


「―――そんなことないよぉ、結界だらけだったらとんでもないことになるじゃない」

「結界と言っても大小豊かです。襖、障子、暖簾なんかも空間を仕切るという意味合いを持った結界なんですから」

「そんなのも結界なんて言い出したら、世の中って結界だらけになるけど」

「境界線を分けているのが結界ですからそれでおかしく無いと思います。―――ただ、ここの結界は少し歪つです」


 乖離し始めた話の筋が舞い戻る。


「歪つってどういうこと?」

「設定された禁則がまるで見えないからです」

「わたしには分からないけど、どういう設定にされてるの?」

「それは結界を巡らせた当人しか分かりません。ですので私の知るところではありませんけれど。普通なら他者にも理解しえる程度の禁則に設定されるはずなのに……ここはおかしい」


 そういって辺りを順繰りに見渡していく悠生さん。左右を見渡し地面にもう一度膝を付くと入念に指先で調べていく。


「わからない、なにもルール付けされていないような気がするのに、この違和感はなんなのかしら」


 そう言われると、どこかここはおかしい。

 ドアを開いているのに空気の出入りする様子がない。

 澱んでいる空気。

 袋の中に閉じこめられたように密閉されているような感覚。春先だというのになぜか少しだけ暑さを感じているように思える。

 違和感があると言われなければ見逃してしまうような些細な感触。

 真綿を握りしめるような頼りない手触りが余計にこの空間の異様さを増大させている。

 不意に彼女が真上を見上げて止まった。

 なんだろうと、わたしもそれに釣られ見上げてみる。


 ――――。と――――。


「なにか見えます、鹿島さん」

「なにも見えないかも」


 そういうと彼女はふぅ、と一つ溜息をついて視線を戻すと乱れた髪を整えるように手で撫でる。


「それが『解』、ということでしょうね」

「ああ――そうね。うん」

「大体の察しが付きましたね」


 わたしの言葉を聞くと顎に手を当て腕組みをしたまま納得したように頷くと先ほどまでのエンジェルスマイルを浮かべる。


「え? なにかわかったの?」

「鹿島さんが居てくれたおかげですね。一人なら誤認ということで見逃してしまいそうですけれど、二人同時に誤認をする可能性は限りなく低いでしょうし――ようするに――」


「―――誰かそこにいるのですか」


 わたしが開けはなったままの扉から延びる影、その根本を手繰るように視線を滑らせると、そこに一人の男が立っていた。

(チッ……予想より早い……)

 そんな声が風に乗って聞こえたような気がして振り返ると悠生さんがにこにこと天使の笑みを浮かべている。

 ――気のせいかな。


「ごきげんよう、シャザール先生」


「ごきげんよう、悠生杏里くん」


 細身の長身、いや細身というのには細すぎる。聖衣を纏っているためその体つきまでは伺えないがやせ細った指先、脂肪をまるで感じさせない不健康な首筋、そしてギョロリと剥かれた病的な目元。癖のあるソバージュの黒髪がその目元を隠すようにして、この男の病的資質を覆い隠している気がする。


「君ももう高校生か、早いものだな。転入して……」

「三ヶ月ほど」

「そうそう、三ヶ月だ。転校してきたと思ったらいきなり学院トップの成績。あっと言う間にその名前を広めた有名人」

「俗悪な風聞です。噂とは偏見と先入観で誇張されてしまうものですから」

「君の場合はそうではないのは知っているよ。中等部の教諭に聞いているからね。――そのまま君は魔術連盟に席を入れると聞いたのだがどういう心変わりだね?」

「まだまだ若輩者故、至らぬ部分が多々あります。先に見聞を広めてから自分とはどういう存在なのかということをしっかり把握した後に連盟のお世話になろうかというのが私の考えです」


 はっきりとなんの迷いもなく自分の考えを述べる悠生さん。

 ――本当に完璧人間だ。

 成績優秀で容姿端麗、性格もよくて誰にでも分け隔て無く慈愛を差し向ける少女。

 天使はここにいた。神に遣わされた天使は地上の穢れなど物ともせず、清浄の姿でわたし達の前にいた。

 ふと彼女がわたしをみると可愛らしく小首を傾げて笑顔を向けてくれた。

 マジ天使。


「連盟は君をはやく欲しがっているだろうがね。仕方がないだろう。――それはそうと君たちはここにいていいのかね? もう入学式が始まる時間だが……」


 シャザール先生がちらりと腕時計を見つつ、そう言ってくる。

 わたしも手首にしている時計を見る。時刻は「8:50」分……あと10分くらいしかない……!


「ほ、ほんとだ! えっと、急がないと」

「少しだけ寄り道が過ぎだようですね、急いだほうがイイかもしれません」


 わたしがアタフタとしているのに悠生さんはまるで焦っていない。ゆったりとした仕草で時計を見つめると「困ったわねぇ」と頬に手を当てて考え込む。

 ――もしかしたら意外と場所は近いのかな?


「全力で走ればきっと間に合いますよね」


 えぇぇぇぇ……ということは結構な距離があるってことなのか……。


「――君は……」

「はい? ああ、わたしは鹿島恵と申します。ごきげんよう、シャザール先生」


 ふたりの会話の次元に取り残されて、すっかり挨拶を忘れてしまってた。けどそれは先生のほうも同じだしおあいこだよね?


「――ふむ、鹿島くん。君はとても『イイモノ』を持っているようだね。その才、大切にしたまえ」

「イイモノですか……?」


 生まれて初めてそんな言葉を言われたかもしれない。わたしはなににおいても平均、平凡を地でいく人間だ。

 そんな聞き慣れない言葉を聞いてしまえば興味を持ってしまうのは当然のことだと思う。

 シャザール先生は、老躯のような枝木のような指先を自身の胸元を当てる。


「うむ、君という気質。生まれながらにして持ちあわせている才能というヤツだ」

「運動が得意とか、勉強が得意とかそういうのとは違う感じですか?」

「勉強、運動などは研鑽の積み重ねでどうとでもなる。才による優劣など容易に覆せるものだ」


 枯枝のような指先が自身の心臓を鷲掴みにするように聖衣を握り締める。


「誰であろうと運動勉強なら一番になれるってことですか?」

「それは暴論だ。個性による伸び代はあれど修練することで多少は補うことが出来るという話だよ、鹿島くん。外部にくとはそういうもので出来ているものだ――」


 そうだろうか? わたしみたいになにをやってもダメな人間はある。誰かが焙れるシステムは間違いなくこの世界に存在しているのだ。

 だからこそシャザール先生の言葉は鵜呑みにはできない。


「だが内側は違う。人の内側には器がある、人として逸脱できぬ確固とした器があるのだよ。それは形を変えることはない――生まれ落ちた瞬間にその形状は決められている」

「心の器……?」

「左様。君の場合ね、それがとても綺麗だ」


 わたしの瞳をのぞき込むギョロリとした瞳。正直、気持ち悪くて肌が総毛立った。


「き、綺麗……なんですか?」


「ああ、とても。君の心の器は歪んでいる。それは君が生まれながらに持ち合わせている才と言ってもいい」


 なんだかよく分からない。けれど首筋あたりが熱さを訴える。

 よく分からないというのに――それはとても危険なことだと思った。

 わたしはへらっ、と間抜けな愛想笑いを浮かながら、先生の一礼をして感謝の言葉を述べようとすると――


「――ありがとうございますわ、シャザール先生」


 わたしの言葉を遮るようにわたしと先生の間に身体を割入る悠生さん。まるでわたしを庇うように先生に立ちはだかったような構図で不思議な気分。

 そっと細い指先がわたしの指に絡む。

 思わずドキリとしてしまった。指先の感触はとても柔らかく繊細でささくれ一つ見当たらない。わたしの指とはまるで別物みたい。


「そろそろ時間ですのでわたくし達はこの辺で――ごきげんよう」


 急にせわしない様子でここを立ち去ろうとする悠生さん。表面上にはなにも焦りが浮かんでいないけれどどことなくこの空間から早く脱したいという欲求のようなものを感じる。

 ――もしかしてわたしのため、だと考えるのは自意識過剰なんだろうか?

 シャザール先生の横を潜るように通り抜けると外に出ていく悠生さん。もちろん手を引かれているわたしも引っ張られるように外へと出ていく。

 不明瞭に粘着く感情が尾をひいてわたしは後ろに振り返ってしまう。

 シャザール先生に動きはない。ただ1つ微動もせずにこちらを見ていた。


「ごきげんよう」


 ――救世主の十字に刻まれた光を浴びるその姿、


「心のどこかに迷いがあるのなら、ここへいらっしゃい。神の家は迷えるものを拒みません。敬虔心こそ真理の柱」


 ――その内側には濃闇を湛えている。


 ふと、闇が微笑んだ。


 ――あなたの、心に巣食う闇を救ってあげよう、鹿島恵くん。


 心の空虚に流れ込むような圧倒的な言葉。

 耳ではなく魂で感じ取った救済のコエ。

 悠木さんに手を引かれ去りゆく中でわたしの脳髄に刻みつけられる。

 熟柿のようにドロドロで甘ったるい言葉は、暫くわたしの頭の中で反響リクエストし続けた。

 

 

 

 

 


いつもながら誤字脱字などありましたら(ry


尚、小説内に登場する設定や団体などは飽くまで私の創作です。

私一個人の考えの元に創作されていますので留意いただけると助かります。

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