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魔王と輪舞曲を  作者: ひらみ
魔王たちと輪舞曲を
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天使たちの午前


 煉瓦造りの門は来るものを威圧するようにそびえ立つ。今は登校する生徒のために開いてはいるけど、この門が外部からの訪問で開くことは多くない。


 ここは天使の住処。外界の異物を不用意に招き入れるわけにはいかないのだ。意を決し校門をくぐる。まず感じたのは外界よりも清涼と感じられる空気。比喩ではなく外側と内側の空気の質が変わったのを感じた。


 外部の毒のような大気とは違う。この世界だけのために用意された酸素。理由はわからないけれど、此所はわたしが今まで過ごしてきた世界とは違うのだと。そんなことを唐突に理解した。


 そう思うと“閉じた世界”という世間での風聞を思い出す。そう、ここは外部と隔絶され世界。ここだけで終始する世界の果て。巨大な円上だけの世界なんだということ。今までの常識は忘れなければいけない。外での常識はこの世界での非常識かもしれない。わたしは身を引き締めるように襟とリボンを整えて歩き出した。


 正門を通って登校用に整地された通行路を歩いていく。ここは外で見た景色の延長、車用に道路があって左右に歩道がある。内も外も変わらない、まるで街中の延長線上にあるような錯覚を覚えた。見上げればヒラリと舞い散る桜の片。ここの桜木はすこし早咲きらしい。


 暫く歩いていくと古風な木造建ての校舎が見えてくる。幸いなことにわたしの遅れはそれほどでも無かったのか、校庭の中にはまばらに生徒がいた。思い思いに誰かと談話をしている姿を見ると、どうもわたしは乗り遅れたんじゃないかという阻害感を覚えてしまう。話しかけようにも社会性を失いかけていたわたしは他者に話しかけるという行為自体がとてつもない高ハードルなのだ。


 お父さん、お母さん、妹なら大丈夫。幼なじみである倉子もなんとかOK、でもその他の人間はNG。話しかけようとすれば言葉がもつれて息を飲み動悸が乱れる。やがて顔が羞恥で火照って俯くばかりになってしまうという結果になる。


 対人恐怖症とはこういうことなのだ。


 結論から言えば人と接触しないようにすれば解決するという消極的解決に至ったわたしはそれ以来、人との接触行動を可能なかぎり避けるようにしている。そして今回のことも例外ではないわけで。そうやって暇を持て余すように主の像が置かれている庭に立ち尽くしていると急に場が色めき立った。


 なんなのかと、俯いていた顔を上げると鼻腔をくすぐる風。

 薔薇の香りだと気が付いた時、

 目の前を赤の女性が通り過ぎた。


 腰下近くまで伸びた長い髪が風に揺れて、あたりに五弁花の芳醇な香りを満たしていく。光に溶けそうなほど白く繊細な指先が流れる髪を梳いた。ややつり上がり強気を伺わせる翠水色の瞳。すらりとした体躯は豹のを連想させる。


 薔薇の姫君――。


 そんな言葉が脳裏に浮かび上がってくる。倉子の美しさは野に咲く花。雨風や日差しに見舞われようが力強く咲き誇る市井の花と思う。野生ならではの不揃いな美貌というんだろうか。対するこの女性ひとは丁寧に温室で育てられ、美しくそしてしなやかに育つことを約束された花。純粋培養された高級花。足先から爪の先に至るまで無駄な要素などない美の象徴。

 観賞に応えるように彼女の髪がムラのない絹のように靡いた。

 それだけで周囲の空気が熱を帯びる。


 隔絶世界に住まう薔薇姫。そんな言葉がふいに浮かび上がって通り過ぎる少女の横顔を一瞥した。少女は全員を見渡せるような場所まで足を運ぶと立ち止まり、姿勢のよい立ち振る舞いで生徒たちを順繰りした。


「ごきげんよう、新入生の皆さん。私たちは聖徒会ローゼス役員です。まずは本校に入学おめでとう。聖徒会一同に変わって私が祝辞を言わせてもらいます」


 そこまで云い終えると、もう一度順繰りをして息を吸い込む。


「申し遅れたわ。私は聖徒会長、剣束珠希けんづかたまき。正式な自己紹介はこの後の始業式で行いたいと考えているけれど、まずはこれから同じ庭で過ごす後輩に挨拶をしたいと思ってみんなに会いにきたの」


 感覚的に火を発するほど周囲の熱が昂ぶる。燃え上がる羨望、周囲の熱とは真逆にわたしの熱は引いていく。


正直言うと面倒。こういうのを苦手をしている所為もあるからだろうか、剣束と名乗った先輩の行動を煩わしいと感じてしまう。興奮の坩堝。そんな光景を外側から退屈に眺めながらはやく芝居が片付くのを待っていたのだけど……。

 ふと目が合った。他者と視線を合わせてしまうと途端に動悸が怪しくなって即座に目を伏せて逸らす。けれど彼女は気にした様子もなくまたしゃべり始める。


「ここは神の庭、神に遣える者としての道徳と教養などの修練は当然でしょうけど、皆さんが本校に入学して良かったと思えるような生活をして欲しい。そのための私達、聖徒会は労力を惜しまないということを覚えておいてちょうだい」


 そこまで云うと聖徒会長と名乗った剣束珠希先輩は深々と頭を下げると誰もがうっとりとしそうな笑みを浮かべた。後光が差して見えるのは気のせいだと思う。静寂に場が沈む。誰一人声を無くしその女性の完成された所作を見つめていた。

 やがて夢から覚めるように拍手の音が疎らに聞こえ、それが喝采に変わるまでにそう時間はかからなかった。

 真逆の人間。わたしを陰とすると彼女は陽。けして交わることもない人間なんだろうなぁ、となんとなく自虐的思考で遊んでみた。

 「聖徒会ローゼスか……」と、言葉に乗せてみたが感慨も浮かばない。


 わたしにしてみれば吸う空気すら違う異世界人の話も同じだ。接触することもない相手に特別な感情を向けるはずもない。俯いたまま今の憂鬱な時間が過ぎ去るのを待つため思考の海へと埋没していく。


「ねぇ、貴女。少しいいかしら」

「…………。」


 考えごとをすると周りの景色が完全に消えてしまう癖があるから全く気づいていなかった。薔薇の香り、目の前に聖徒会長で在らされる剣束珠希先輩が立っていた。


「あ、あ、あ……」

「あああ……?」


 キョトン、とした顔でわたしの発言を繰り返す。


「……あ、あの、その」


 ……言葉が出てこない。顔が急激に熱を帯びて感情がヒヤリと冷え込む。準備の出来てない接触はいつもこうだ。赤面して身体が緊張状態になって金縛りに囚われる。挙動不審者。その評価が下るのには僅かな時間で十分。

 モノの五秒でも人は人を断じることが出来る。


 ――薔薇姫。エメラルドグリーンの瞳の涼やかな瞳が細められ穏やかに相好を崩した。先輩のしなやかな指先がわたしのリボンに触れた。


「落ち着いて。私は貴女を害さない」


 少しだけ風に煽られて乱れていたリボンの位置を正しながら剣束会長はわたしにそう囁いた。少しだけ鼓動が収まる。硬直状態だった筋肉の緊張が解けていく。


「……あ、ありがとうございます……その」

「珠希ね」

「珠希、先輩」


 ようやくわたしは対面した人の名前を呼ぶことができた。


「うん、初めまして。鹿島 恵さん」


 名前を知ってる?


「あ……のどうしてわたしの名前を知ってるんですか?」

「それはね、私事前に新入生の名簿に目を通しているからよ」


 鳶色の瞳でおどけるような片目のまばたきをする。それにしても新入生全員の名前を覚えるなんて簡単なことじゃない。そんな離れ業を平然と遣って退ける人だからこそ生徒会長なんてものが出来るんだろう。


「けどそれだけじゃないの」

「どういうことですか?」


「私、鹿島さんのこと知ってるから。正確には鹿島恵さんを知ってるんじゃなくて鹿島さんの家を知ってるってことね」


 穏やかな笑みを崩さないままリボンの位置がようやく決まったのか「よしっ、と」と言って頷いた。


「……魔女でしょ?」

「え? どうして……」

「うん、私も魔女だから」


 誰もを魅了するようなまぶしい笑顔。剣束先輩はわたしを真っ直ぐ見つめたまま、


「鹿島さんの御爺様にはよくしてもらったと私の父がよく話していたから」


 そう答えた。

 確かに家系は元を辿れば魔法使いマジックユーザーの家系かもしれない。けれどそれは昔の話。年々魔法を操る秘業は失われてしまいわたしの代には普通の家となんの変わりないものになってしまっていた。残った秘業は“昔、魔女だったことがある”という歴史だけ。魔法使いとしての鹿島家は形骸化してると言っても過言じゃない。だから魔女の話は縁のないと思っていた。完全に魔法という言葉を忘却していた。そして彼方にあった記憶の言葉が剣束先輩の口からこぼれ出たことに驚いた。


「驚いてるわね。無理もないかな、鹿島家は当代で魔女の職から退任していると訊いていたし」

「いえ、魔女の話は祖父からよく聞いてます。でも剣束先輩の口からそれを聞くとは思わなかったので……」

「そうね、昔話程度に耳にした話を掘り起こされても戸惑うだけかもしれないわね。ちょっとだけ悪戯が過ぎた気がするわ、御免なさい」


 そういって剣柄先輩が頭を下げるからわたしはあわてて肩を掴んで顔を起こさせようとする。


「だ、大丈夫ですっ、大丈夫っ……」


 そんなことをされると人の注目を浴びてしまう。そう思うだけで心臓が早鐘を打ってきて、苦しくなる。でも先輩を心配させるとさらにマズい自体になりそうで涙目になりそう。とにかく先輩の頭を上げさせて頷きながら大丈夫と譫言のように繰り返す。先輩のほうも理解してくれみたいで。


「そう? 他人の事情を考えず発言してしまったし謝らないとって思ったんだけど。」

「いえ、わたし自身もそれほど自覚もなくて、なんだか他人ごとみたいな話ですから」

「……そう、それなら良かった」


 それを聞いて胸を撫で下ろすように相好を崩す。思わずその笑顔に見惚れてしまった。仕草ひとつにとっても洗練されていて嫌みにならない。人の作り出す美の頂点を見ているようだ。


「ねぇ鹿島恵さん、恵って呼んでもいいかしら」

「えっ、あっ?」


 遠くから見守っていた剣束先輩のファンか取り巻きが一斉に声をあげる。

 どういう展開なんのかわからない。作りモノめいた白い指先がわたしの頬にかかる黒髪を撫でている。その行為でわたしは完全に借りてきた猫になった。発火物が近くにあるときっと燃えるほど熱量を含んでる気がする。


「恵」

「は、はははっ」

「ははは?」

「はい、剣束先輩……」


 満足そうな笑みを浮かべたまま、わたしの頬にかかる黒髪を撫でる。


「珠希、でね」

「は、はっ、はいっ、珠希、せ、先輩」


 訂正、猫じゃなくてネコなのかも……。

 先輩はそっと顔を寄せ、頬と頬を重ねるとこういった。


「――恵、これからよろしく」


 と。

 ゆっくりと身体を起こしおどけたような顔。ごきげんよう、と化石めいた言葉を言ってそのまま背中を向けた。わたしはというとまた硬直したまま。それが挨拶だということに気付くと慌てて頭を下げてごきげんよっ、と返した。もつれるような挨拶をしてしまうと同級生たちの嘲笑が聞こえてきて。


 わたしはそれでまた真っ赤に染まった。


ここまで読んで頂きありがとうございます。

導入部分ではありますがもう少しお付き合い頂けたら嬉しいです。


毎度の事ですが誤字脱字などあればご報告お願い致します。

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