■第5話「噛み合わない」
静寂が、落ちた。
訓練場に集まった視線のすべてが、中央へと向けられている。
その中心に立つのは、二人。
ガルスと、カイル。
「始め」
ディアスの短い声が響く。
合図はそれだけだった。
次の瞬間。
――ガルスが動いた。
踏み込みが重い。
だが遅くはない。
地面を抉るような一歩で、一気に間合いを詰める。
(……速いな)
カイルはそう思った。
見た目の重さと、実際の速度が一致していない。
重心移動が滑らかすぎる。
無駄がない。
レオルよりも一段上だと、はっきり分かる。
拳が来る。
一直線。
だが軌道は単純ではない。
途中で微妙に角度が変わる。
避けを読んでいる。
(ちゃんと見てる)
カイルは半歩、横に動いた。
それだけだった。
拳は空を切る。
だが。
止まらない。
ガルスの体はそのまま流れ、次の動きに繋がる。
回転。
肘。
間髪入れずに叩き込まれる。
カイルはわずかに体を引く。
当たらない。
だが。
「……っ!」
ガルスの目が細くなる。
止まらない。
さらに踏み込む。
距離を詰める。
逃げ場を消す。
連撃。
重く、速く、正確な打撃が続く。
観客席がざわつく。
「すげえ……」
「やっぱガルス強えな……」
当然の反応だった。
あれだけの連撃を正面から受ければ、普通は耐えられない。
だが。
当たっていない。
「……当たらねえ」
誰かが呟いた。
その通りだった。
ガルスの攻撃は、一つもカイルに触れていない。
紙一重。
いや、それよりもわずかに遠い距離。
だが。
“避けているようには見えない”。
「なんだあれ……」
「動いてんのか?」
視線が揺れる。
理解が追いつかない。
カイルはただ、そこにいるだけだった。
足は大きく動いていない。
体も大きく捻っていない。
それでも。
すべてが、当たらない。
(……やっぱり)
カイルは内心で思う。
(この人、ちゃんと強いな)
だからこそ、分かる。
ガルスの攻撃は、確実に“当たる形”を作っている。
普通なら、避けきれない。
だが。
結果だけが、ずれている。
ガルスが一度距離を取る。
呼吸を整える。
そして。
「……なるほどな」
低く呟いた。
カイルを見る。
その目には、さっきまでとは違う色があった。
理解ではない。
だが、“ただの異常”では済まさない目。
「避けてるんじゃねえ」
言う。
「当たってないだけか」
観客がざわつく。
「は?」
「どういう意味だ?」
カイルは何も答えない。
答えられない。
ガルスはゆっくりと息を吐いた。
「いい」
構え直す。
「だったら」
一歩。
踏み込む。
「当てる形を変える」
次の瞬間。
動きが変わった。
さっきまでの直線的な連撃とは違う。
揺らぎがある。
わずかに遅らせたタイミング。
フェイント。
重さを利用したズレ。
予測を外すための動き。
観客が息を呑む。
「……あれ、読めねえぞ」
「軌道変えてきた」
カイルの目の前で、拳が揺れる。
来る。
来ない。
遅れる。
速まる。
複数の選択肢が同時に存在する。
(……いいな)
カイルは少しだけ思った。
単純に、面白い。
ガルスの拳が来る。
今度は、確実に当たる軌道。
逃げ場がない。
タイミングもずらされている。
普通なら。
だが。
――当たらない。
ほんのわずかに、位置がずれている。
「……!」
ガルスの拳が空を切る。
その瞬間。
カイルの手が、伸びた。
軽く。
触れるだけ。
それだけで。
――ガルスの体が、沈んだ。
「なっ……!?」
膝が落ちる。
踏ん張ろうとする。
だが、支えが効かない。
重心が噛み合わない。
力の流れが崩れている。
「今の……!」
観客席がざわめく。
「触れただけだぞ……!」
「なんで崩れる!?」
カイルは一歩下がる。
それ以上は何もしない。
ガルスがゆっくりと立ち上がる。
呼吸が少し荒い。
だが、目は死んでいない。
「……面白え」
口元が歪む。
「やっと分かってきた」
「何がだ」
カイルが聞く。
ガルスは笑った。
「分かんねえってことが分かった」
それだけ言う。
そして、構える。
「いいな」
低く、静かに。
「最高だ」
次の瞬間。
空気が変わった。
観客がざわつく。
「……おい」
「なんか、違くねえか?」
ガルスの気配が、さっきまでとは別物になっている。
重さが増した。
圧が変わった。
明らかに、“一段上”に入った。
グレンが息を呑む。
「……やばいぞ」
「何がだ」
「本気だ、あれ」
セラが笑う。
「やっとだな」
楽しそうに。
「ここからが本番」
カイルは、静かにガルスを見る。
(……なるほど)
少しだけ、理解する。
この人は、ここから本気を出すタイプか。
なら。
(まあ、いいか)
カイルは軽く肩を回す。
いつもと同じ。
何も変わらない。
ただ。
ほんの少しだけ。
“合わせる”だけだ。
「続けるぞ」
ガルスが言う。
「ああ」
カイルが答える。
次の瞬間。
再び、衝突が始まった。




